9話 はぐれ雲 下
それから半月後
クリフの家に侵入した者達の処刑が行われた。
彼らは「バルフォア家のものである」と主張を繰り返し、取り調べが難航したようだが、バルフォア家が頑として認めなかったために騙りとして処理されたようだ。
……ひょっとしたら、バルフォア家への意趣返しだったのかもな……
自分たちはバルフォア家のものだという主張は、使い捨てにした主家への嫌がらせだったのかもしれないとクリフは思う。
あれからバルフォア家からのちょっかいも無く、一件落着かとクリフが油断した頃に不意の来客があった。
バルフォア家の用人、アブナーである。
「御免くだされ、チェンバレン卿はご在宅でしょうか?」
帰宅したクリフとハンナが夕飯を食べようかという頃に、よく通る声が響き渡る。
対応していたジーナが報告にもどってきたが「アブナー様というお客様ですが……」と何やら歯切れが悪い。
「アブナー殿は知っているが……どうした?」
「その、アブナー様は武装してます、供はいねえみてえです」
クリフは少し考えた後「バーニーは裏口を警戒しろ」と指示をして玄関に向かった。
クリフはアブナーは陽動ではないかと警戒したのだ。クリフやハンナが玄関に気をとられている隙に裏口から押し入られては堪らない。
用心をしながら玄関を開けると、そこには鎧を着込んだアブナーがいた。
先日とは印象がガラリと違う。
……なるほど、武装しているな……
アブナーは薙刀を持ち、リングメイルを着込んで腰にはナイフをたばさんでいる……完全な戦支度だ。
敵意が無いことを示すためか、兜は脱いで小脇に抱えている。
「これはアブナー殿、本日はどのようなご来意でしょうか?」
「突然にお邪魔をして申し訳ありません、実は本日は……」
アブナーが少し言いづらそうにすると「ちょっといいかしら」とハンナが後ろから声をかけてきた。
「アブナーさん、お食事はお済みですか?」
「いえ、お食事時でしたか、これは失礼しました」
ハンナの割り込みにアブナーが少し戸惑っている。
普通の貴族の婦人ならば主人と客の話に割り込むことなどは考えられないからだ。
「なら良かった、クリフ、ご一緒してもらいましょ」
「あ、いえ……私は……」
ハンナに強引に誘われ、アブナーはせめてもの礼儀として薙刀と兜を玄関に置いて食堂に入った。
……ふむ、敵意はないのか……ハンナが大丈夫だと感じたならば大丈夫なのだろう。
クリフもハンナとアブナーの振る舞いを見て納得した。
ハンナには武芸者が持つ独特の勘があり、敵意には敏感だ。
そしてクリフにも別にアブナーに遺恨が有るわけでは無い。
ジーナはすぐにアブナーの分の食事を用意し、3人はテーブルに着いた。
クリフたちとバーニーらは食卓は別だが食べるものは同じだ。
1人増えても問題はない。
「これは恐縮です、チェンバレン卿……」
「いえ、娘が嫁いでから3人で食卓を囲むなど久しく無かったことです……妻も喜んでいますよ」
クリフがハンナに目配せすると、ハンナがニコリと笑った。
「ええ、アブナーさんはこれからクリフと立ち会うのでしょ? お腹を空かせてはいけないわ」
これにはアブナーが驚愕した……自分の来意をぴたりと言い当てられたからだ。
「これは……さすがは剣姫と名高い奥方様ですな……恐れ入りました」
アブナーが素直に頭を下げた。
……ふむ、なるほど……バルフォア家から戦えと言われて来たのか……
クリフも納得がいき頷いている。
アブナーは見るからに大柄で強そうだ、バルフォア家でも指折りの猛者なのかも知れない。
しかし、アブナーの語る事情はクリフの予想を裏切るものだった。
「実は私はバルフォア家を致仕しました……これは個人的な事情です」
アブナーは穏やかに語り始めた。
ちなみに致仕とは仕官先を辞めることだ。
「先日はチェンバレン卿には失礼をいたしました……実は先日の刺客を率いていたのは私の甥なのです」
アブナーは淡々と語るが、悲しみが言葉の端々から滲み出ているようだ。
「私は早くに妻を亡くしまして、子はおりません……ホゼアは、甥は私の跡を継いで用人になるはずでしたが……ふう」
アブナーが深い溜め息をつき、一匙スープを啜る……あまり食は進んでいないようだ。
「先日、チェンバレン卿に甥が引き立てられて来たとき、私は甥を見捨てる選択をしました……主家を守るためです。そして、牢に繋がれた甥が命乞いをした時も見捨てました……バルフォア家とは無関係だと」
クリフはなんとなく事情が飲み込めた。アブナーは自分を責めているのだ。
「可愛がっていた甥を2度も見捨てた私は、ふと疑問に思いました……何のために働いてきたのか分からなくなったのです……働くとは自分の為、家族の為のはずです……なのに私は職務のために甥を殺した」
アブナーは芋と豚肉を炒め合わせた物を口いっぱいに頬張り、むしゃむしゃと食べ始めた。
話すのが辛くなったのだろうか、無言である。
「でも、何でそれがクリフと立ち合うことになったんですか?」
ハンナがアブナーに質問をする。彼女にはあまり遠慮が無い。
……確かに、それは俺も疑問だな、バルフォア家の命令ならわかるが……
クリフもハンナの疑問には頷く所である。
今さらクリフを殺す理由が分からない。
「それは……私にも理由はわかりませんが、チェンバレン卿に挑みたくなったのです……正直に申せば死にたいのかも知れません、自分で死ぬことも叶わぬ臆病ゆえに」
アブナーは「はは」と自嘲しながら固いパンをスープに浸した。
「言い訳ですな……私は八つ当たりがしたかった。チェンバレン卿に逆恨みをしたのです……今日、チェンバレン卿と奥方様とお話をし、若君とどちらが正しい行いをしたのかが確信できましたよ」
3人は食事を終え、ジーナが用意してくれた温かいサループを飲む。
サループとはトルコの飲み物で、お茶やコーヒーが普及する前の嗜好品であった。
ランの根を粉にし、それと砂糖と乳を混ぜて作る。
ヨーロッパに伝わり、17世紀のイギリスで流行したそうだ。
余談だが、サループの粉はグルコマンナンが豊富であり、トルコアイスが伸びるのはサループ粉を入れるためらしい。
クリフたちの時代に砂糖は高級であるため、客人をもてなすために特別に入れたか、それとも砂糖抜きのサループか……そこは想像するより他にない。
「手ぶらで参りましたのに、すっかりとご馳走になってしまいました……」
「いえ、構いませんよ」
アブナーが食事の礼を述べるとクリフが応じ「やりますか」と立ち上がる。
「……よろしいので?」
「ええ、これは決闘ですから、恨み辛みは無しでいきましょう」
決闘とは殺し合いでは無く、ルールの中で決着をつけるものだ。そういう意味ではスポーツに近い。
クリフは「殺し合いは無しだよ」と暗に示したのだ。
アブナーは「ありがたし」と言いながら玄関に向かった……兜と薙刀を取りに行ったのだ。
「ハンナ、立ち合いを頼む」
「わかったわ。アブナーさん、強そうね」
ハンナがニッと笑顔を見せる……彼女にはクリフが負ける想像などつきもしないらしい。
……1回、ハンナの前でイーノスさんにコテンパンにされてるんだけどな……
クリフは苦笑いしながら庭に出た。
既に日は沈み、辺りは暗くなっている。
「暗くなりましたが大丈夫ですか?」
「無論です、戦場では暗いからと敵は手加減してくれません」
クリフの問いにアブナーが応え、向き合った。
「いざ」
「応っ!」
アブナーは掛け声と共に鋭くクリフの足元に切り込んできた。
クリフは剣で防ぎつつ後ろへ飛び退き距離をとる。
……強いな……
クリフはアブナーの技の冴えを感じ、冷や汗を流した。
薙刀などの長柄の武器は、振り回すような相手は大して怖くはない。
一見、勇ましくも見えるが大振りの攻撃は軌道を読み易く、目標へ到達する速度も遅い。
長柄の練達者は腕の力では無く、体の捌きによって無駄の無い軌道で直線的に振り下ろすのである。
また、握りの位置を変えることにより自在に間合いを変え、懐に付け入る隙を与えない。
正にアブナーの切り込みは練達者のそれであった。
両者は互いに距離をとり、間合いをはかる。
クリフは正眼に構え微動だにせず、アブナーは薙刀を八相に構えやや半身となる。
大柄のアブナーが鎧を身につけ薙刀を構えると、凄まじい圧力がある……その姿は鬼を踏みつける武神像の様にすら感じられる迫力だ。
若い頃にはさぞかし戦場で暴れたに違いない。
しかし、クリフに動揺はまるで無かった。
この時、クリフは不思議な感覚にとらわれていたのだ。
時間を知覚せず、ただアブナーの挙動がハッキリと感じ取ることができる……アブナーの吐く息や、周囲の風の流れまでも見えるようだ。
クリフはいわゆる「ゾーン」と呼ばれる集中力の極限状態に没入していた。
ハンナの剣の師であるウルフガングならば「無念無想の極地」と言ったかも知れない。
クリフにとって、この決闘は勝敗への拘りもなく、損得も無い。
その様なある種の「気楽さ」が生み出したリラックスと「真剣勝負」の緊張感が生み出した1種の偶然ではある。
しかし、アブナーはこのクリフの様子に明らかに圧倒された。
アブナーはじりじりと間合いをはかり、クリフを崩すために何度もフェイントをしかけるが、全く効果が無い。
時間のみが空しく過ぎていく。
「エリャアーッ!」
一か八かとアブナーが裂帛の気合と共に動いた。
大上段からの切り込みと見せ掛け、薙刀を半回転させ石突でクリフの股間を狙う。
クリフが半身となり石突を躱わすと、アブナーは薙刀をさらに回転させ刃でクリフの足元を切りつける。
しかし、クリフの速さが勝った。
アブナーの刃が届く前にピタリと身を寄せ、剣を寸止めした。
剣先はアブナーの胴を捉えている……そのまま剣を振り抜くか、突き刺せば即死に近い状態になったはずだ。
アブナーも薙刀を振り抜くことは無く、腕を下ろして降参した。
「参りました……とても及ぶところではありません」
アブナーが清々しい表情で頭を下げた。
いかにも武人らしい、爽やかな態度である。
「いえ、アブナー殿も見事な技です」
「そうね、凄い技だわ。握りに工夫があるのね」
勝負の行方を見守っていたハンナが嬉しそうにアブナーに声をかける。
「さすがですな……握りの位置を変えることで間合いを読ませぬのです……チェンバレン卿には全く通じませんでしたが」
アブナーが「はは」と拘り無く笑う。
……確かに、俺にはアブナー殿の挙動の全てを感じることができた……あれがウルフガング先生が言っていた剣の極意なのか?
クリフにも先程の状態は全く理解ができない。もはや戦いは終わり、集中力は切れているのだ。
「アブナー殿は、これからどうされるのですか?」
「さて、行く当ても無いので……バルフォア家に仕える弟は頼れませんし」
アブナーは首を捻るが、その姿には悲壮感は無い。
「はは、ここで死ぬ予定でしたので何もありません」
寂しげに笑うアブナーにクリフは何と声を掛けたら良いのか見当も付かない。
そこに助け船を出したのはハンナだ。
「ならギルドで働きません? 用人をやってたくらいだもの、何でもできるわ!」
「そうだな……それはいい。アブナー殿、冒険者ギルドで若いのに稽古を付けてやって下さい。なんなら事務でも構いませんよ?」
ハンナの提案にクリフも同意した。
……さすがはハンナだ、俺には真似のできぬ芸当だ。
クリフはハンナの言葉に内心で舌を巻いていた。
ハンナの屈託の無さにはクリフは何度も救われている。
「いえ、私のような老いぼれが……」
アブナーは戸惑っているが、ハンナの押しの強さをかわせる者はあまりいない。
「飽きたら辞めてもいいから、ね?」
「……はあ、まあ……しばらくお世話になります」
アブナーは困惑しながらも同意し、この日はクリフの家に泊まることになった。
「薙刀だけで無く、戦場の経験なども伝えていただければ……」
クシュン
その時、裏口の方からバーニーのくしゃみが聞こえた。
……まずい、バーニーを忘れてた……
律儀なバーニーは、クリフに指示されたまま何時間も裏口を警戒していたのだ。
すぐにクリフはバーニーを呼び、何度も頭を下げた。
………………
その後
アブナーは2ヶ月ほどギルドで若い冒険者たちを訓練し、春の訪れと共に旅に出た。
しばらく世間を見てから故郷に帰るつもりらしい。
「これからは好きなように生きますよ……冒険者のようにね」
そう言い残し、アブナーは旅立った。
……子爵家の用人まで務めた人が、50才を過ぎてから再出発か……
クリフは何とも言えない気持ちでアブナーを見送った後に、彼との立ち合いを思い出す。
……結局、あの時のアレは何だったんだろ?
あれ以来、クリフはゾーンを体感していない。
「あれはマグレってやつなのかな?」
クリフがポツリと独り言を溢した。
急に強い風が吹き、クリフは釣られた様に視線を上げると、遠くの空に綿雲が1つだけ浮かんでいるのが見えた。
クリフが「春だなあ」と、呟いた。
サループはサレップとも言いまして、トルコ雑貨の店とかで売っていたり、通販なんかで買えると思います。
トルコアイスを作りたいのであれば納豆で代用できるので必要ないかも。




