9話 はぐれ雲 中
4日後の夜更け
クリフは多数の人が歩く気配を感じ、目を覚ました。
足音などでは無い、これは研ぎ澄まされたクリフの危険察知である……もはや理屈では無い。
……意外と遅かったな、来ないかと思ったよ……
衛兵のディーンから、バルフォア家の若様が釈放されたと聞いたのは一昨日の事であった。
逮捕されてからすぐにバルフォア家から衛兵隊に働きかけがあったらしいが、若様本人が頑として「別人だ」と言い張るので手続きが難航したらしい。
クリフはそっと身を起こす……警戒をしていたために支度はすぐに終えた。
「ハンナ、来たぞ」
クリフはハンナを静かに起こし、バーニー達の部屋にも声を掛ける。
バーニーは起きていたようで直ぐに身支度をして姿を現した。
「気配からして10人はいない……7~8人だな、バーニーは裏口を頼むぞ」
クリフとバーニーが密かに勝手口に向かう頃、ハンナが起きてくる気配を感じた。
クリフとバーニーは木剣を握りしめて庭に出る。
敵の様子を見て真剣で戦うか、木剣で捕らえるかを見極めるのだ。
出入り口の辺りから「うわ」と小さな悲鳴が聞こえ、転んだような気配を感じた。
侵入者は革紐に足を取られたようだ。
……良し、ならば先手必勝といくか!
クリフは駆け出し「泥棒だ! 泥棒がいるぞ!」と大声を上げながら木剣で転んだままの男を殴り付けた。
不意を衝かれた男は成す術もなく首筋を木剣で打ち据えられて倒れ込んだ。
……こちらには4人、残りは裏口に回ったな……
クリフは素早く敵の数を確認して出入り口を塞ぐように回り込む。
先日の若者はいないようだ。
「泥棒だ! バルフォア家の奴らだぞ! バルフォア家だっ!」
クリフが大声で何度もバルフォア家と叫ぶと、侵入者たちに緊張が走る気配を感じた。
「このっ! この痴れ者を切り捨てろ!」
侵入者の頭が吐き捨てるように指示を出すと、右の男が襲いかかってくる。
狭い出入口では3人同時に斬りかかるのは同士討ちの危険があり難しいのだ。
「痴れ者はどっちだ! バルフォア家は泥棒だっ!」
クリフは侵入者の頭を一喝すると、右の男に木剣を投げつけ飛び掛かる。
不意を衝かれた右の男は辛うじて木剣を弾くもクリフに顔面を殴られて昏倒した。
同時に裏口からも闘争の音が聞こえてきた。
バーニーも戦闘に入ったようだ。
その時、カチャリとドアを開く音が不意に響き、ハンナが姿を現した。
「しめた、女房を狙え!」
頭が指示をして侵入者2人は走り出した。
しかし、これは悪手である……ファロンの新参者である彼らはハンナの武名を知らないのであろうか。
ハンナは忽ちに手にした暖炉の火掻き棒で侵入者を打ち据えた。
完全に意表を衝かれた侵入者たちは、手加減された火掻き棒による打撃を何度も食らい続け、血塗れにされていた。
正に泣き言を言う間も与えぬ早業である。
「殺すなよ」
クリフがハンナに声を掛け裏口に回ると、3人の侵入者がバーニーに叩きのめされているのが確認できた。
「終わったか?」
「はい、すいません……手裏剣を使ったので傷つけてしまいましたが」
バーニーが申し訳なさそうに謝るが、彼が悪いことをしたわけではない。
「かまわんよ、しかし大したものだ。今のバーニーは俺より強いかもな」
「まさか! 旦那様と比べられては困ります」
クリフが褒めるとバーニーが謙遜をする。謙虚は美徳ではあるが、クリフにはそれが物足りなくもある。
……実際に、今の俺とバーニーが戦えば……五分……いやまだ六分で勝つかもしれんが……
六分の勝ちとは、四分で負けるとクリフは感じているのだ。
バーニーは年を重ねたクリフから見れば若くて強い……それ故に世に出てほしいと願っているのだ。
いつの間にやら敷地の外に気配が増えた。
恐らく野次馬が集まってきたのだろう。
「バーニー、野次馬に事情を説明してくるから、こいつらを集めて縛っといてくれ」
クリフはバーニーに言い付け出入り口に向かう。
玄関先ではハンナが侵入者を完全に気絶させていた。
………………
翌朝
クリフは駆けつけた衛兵隊に事情を説明している。
侵入者達は真冬に一晩放置され、なんとか身を寄せあって寒さを凌いだらしい。
見るからに衰弱しきっていて弱々しい。
「侵入者は貴族であるバルフォア家の家人である可能性が高い。俺自身で先方に届けたい」
「わかりました、こちらからも見届け人を出します。泥棒を被害者に任せて放置したとは報告書に残せませんよ」
顔見知りの衛兵が「がはは」と豪快に笑った。
彼は30代の後半で、かなり以前から衛兵隊に勤めている古株だ……クリフの記憶が正しければ、エリーの実親が殺害された事件も担当していた筈だ。
「後程、ディーンを寄越しますよ。」
そう言って衛兵は去っていく。
見届け人を出すとは、この事件をクリフとバルフォア家の私闘とするのではなく、衛兵隊も関わる公的なモノにしてくれたと言うことである。
……訳知りの古株は話が早くて助かるな……
クリフは衛兵の後ろ姿にそっと頭を下げた。
……さて、ディーンが来るまでには間があるだろう。
クリフはその間に軽い食事を取り仮眠をとる。
長い冒険者暮らしの経験から、僅かな時間でも体を休める方法は熟知している。
2時間程が経ち、ディーンがゲリーを伴って来る頃にはクリフも徹夜の疲れから回復していた。
ディーンによればゲリーとは偶然に顔を合わせたそうだが、本当かどうかは分からない。恐らくゲリーは恩のあるクリフが盗賊に襲撃されたと知り駆け付けたのだろう。
「こいつらですか、猟犬クリフの家に泥棒に入った間抜けは」
「ととととんでも無い奴らだ」
ディーンとゲリーが侵入者を小突いて苛めているが、別に止める者はいない。
「ああ、そいつらはバルフォア家の奴らだ。これから届けに行くから手伝ってくれるか?」
クリフは2人に「たのむぞ」と小遣いを渡すと、2人は恐縮しながらも受け取った。
これはクリフの私事に近い……タダ働きさせるのは冒険者としてはタブーである。
「一応、ギルドに頼んでいる警備はもう少し続けよう、ハンナはどうする? 一緒に来るか?」
「……眠いからやめとく」
ハンナはあっさりと断り、はしたなくも大あくびをしながら部屋に入って行く。
徹夜が堪えたのだろう……彼女も若い訳では無い。
「良し、早速で悪いがさっさと済ませるか……取り合えず数珠繋ぎにしよう。」
クリフはバーニー、ディーン、ゲリーに指示を出して侵入者を連行した。
その姿はかなり目立ち、7人の侵入者は俯きながら好奇の視線に耐えていた。
侵入者たちが少しでも歩みを緩めると、ディーンやゲリーがすかさずに小突く。
……やれやれ、主持ちは辛いねえ……
クリフは侵入者たちに少しだけ同情した。
………………
バルフォア家の別邸はファロンの城壁の外にあった。
最近では市内に土地は無く、貴族の別邸などを作る余裕はとても無い。
そこで貴族の別邸は市外に集中して作られ「貴族街」とでも言うべき一角を形勢しつつあった。
……ここか……
クリフはバルフォア家の別邸の前に立ち様子を窺う。
「何者だ!?」
バルフォア家の家人がすぐに飛び出してクリフたちを誰何した。
拘束された男を7人も連行しているクリフ達は明らかに不審であり、彼の対応は正しい。
「私はクリフォード・チェンバレン。我が家に昨晩、バルフォア家の家人を名乗る侵入者があり、これを捕らえた……この者たちだ」
クリフが事情を説明すると家人は侵入者の顔を確認し、青くなりながら別邸に飛び込んでいった。
その様子は明らかに「顔見知りだ」と物語っている。
少し後ろのほうが騒がしくなった。
連行されている侵入者の1人が抗議をしているのだろう、猿轡のまま呻き声を上げている。
これはクリフが先程「バルフォア家の家人を名乗る侵入者」と嘘をついたからだ。
彼らが名乗るはずは無い。
「ううううるせえっ!」
その様子に癇癪を起こしたゲリーが騒いだ侵入者を殴り飛ばした。
数珠繋ぎになっているので数人がまとめて倒れ込む。
「いいぞ、痛め付けてやれ」
クリフが指示をするとゲリーは順番に侵入者を蹴り飛ばしていく。
これはバルフォア家への挑発である。
「乱暴はお止めください」
しばらくするとバルフォア家の別邸から年嵩の品の良い紳士が現れた。
「あなたは?」
「申し遅れました、私はバルフォア家の用人をしておりますアブナーと申します、チェンバレン卿」
アブナーと名乗る紳士は恭しく頭を下げた。
用人とは貴族家の奥向きを取り締まる家老のような存在だ。
アブナーは髪も髭も白く、50才は超えていそうだが逞しい体つきの大男である。
「こちらの者共が当家を名乗る不埒者でしょうか?」
「左様、昨晩遅くに当家に侵入した。バルフォア家を名乗るので捨て置くわけにもいかず、こちらへ連れて参った」
アブナーが侵入者をジロリと睨む。
侵入者たちは必死で首を横に振るが、猿轡のために言葉は発することは出来ない。
「見覚えがありませんな……なれど、当家を名乗るならば捨て置くわけにもいきません、この者達を引き取りたいのですが」
「断る、バルフォア家と関わりが無いのであれば盗賊として衛兵隊に突き出す」
クリフは横柄に答えた。
これは小なりと言えど貴族家の当主であるクリフと一介の用人では格が違うからである。
アブナーが苦々しげに顔をしかめた。
「チェンバレン卿……先程も申しましたが、この者らは当家と関わりがございません」
「左様か、ならばこの者らが苦し紛れに申した出任せであろう、お騒がせした」
クリフは侵入者を連行して引き返す。
バルフォア家に関わりが無いと言い張るのであれば衛兵隊に引き渡してお仕舞いだ。
彼らは貴族家への強盗で縛り首になるだろう。
……やれやれ、都合よく使われて、ヘマをすれば切り捨てか……憐れなもんだ……
クリフは「ふう」と溜め息をついた。
「可哀想になあ、お前さん達は仕える主人を間違えたぜ」
ディーンが心底同情した様子で侵入者に語りかける。
いざと言うときに守ってもらえないのでは、このような時代に安心して働けないのだ。
侵入者たちは自業自得ではあるが、打ちひしがれた様子で衛兵隊に引き渡され、クリフの同情を誘った。




