9話 はぐれ雲 上
好き勝手に書いていたら妙に長くなったので3分割しました。
年が明け、クリフは43才になった。
「なあバーニー、お前も娘が産まれたし、無理にとは言わんが独立してやっていけばいいんだぞ? 幾つになった?」
「ええ……22才です」
クリフはバーニーと世間話をしながら賑やかな商店街を歩いていた。
商人ギルドからの依頼で商店街の警備は継続的に受注しているが、最近は犯罪の検挙が減っているとの報告があり、支配人自らが抜き打ちで視察をしているのだ。
……犯罪の検挙率の低下ね……平和になって犯罪そのものが目立たなくなったのかな?
クリフの目には冒険者たちの働きに問題があるようには見えなかった。
彼らは精力的に巡回し、商人ギルドの加盟店の御用聞きなどもしているようだ。
……最近では衛兵隊の増員あったし、そのせいかも知れないな。
クリフはぼんやりと商店街を観察するが、特に問題が見られないのでバーニーと世間話をしながら、ぶらぶらと歩いていたのだ。
「バーニーなら冒険者でも稼いでいけるぞ」
「いえ……私は旦那様に……」
その時である、市場に悲鳴が上がる。
のんびりとした空気は消し飛び殺気立った怒号が響き渡った。
「バーニーっ! 行くぞ!」
クリフはバーニーに一声掛けるや駆け出している。
どの様な技術かは分からないが、2人はスルスルと人混みを縫うようにして喧騒に近づいていく。
「ええいっ! 退けっ! 退かぬかっ!」
そこには馬上で鞭を振り上げながら人混みを蹴散らしている若者がいた。
見れば供らしき者も4人ほど従えている。
……どこの馬鹿だ、市場に馬を乗り入れるとは……
市場は馬を避けた者が露天の商品をひっくり返し、慌てた人と人がぶつかり合い、大混乱だ。
クリフは周囲の様子を窺うが、衛兵も冒険者も手を出しあぐねている様だ。
恐らくは若者が身分を笠に着て威圧したのであろう……衛兵には貴族の逮捕権は無く、冒険者は言わずもがなである。
衛兵が悔しそうに遠巻きにしながら、倒れた者を助け起こすのが確認できた。
若者は先を急いでいるのか、供に命じて周囲を蹴散らしている。
……ふん、腐ってやがるな……
クリフは猛烈に腹が立ってきた。
「バーニー、従者たちを抑えろ、なるべく殺すなよ」
バーニーが頷くのを確認してクリフは馬の行く手に立ち塞がった。
突然に進路を塞がれ、驚いた馬が棹立ちになる。
「無礼な! 何者だ!?」
若者が馬上から誰何するが、クリフはそれには応じず、若者のベルトを掴んで馬から引き摺り下ろした。
「この馬鹿者めがっ!」
クリフが若者を一喝し、顔を殴り付ける。
「ああっ! 若殿!」
「何者だ!?」
「乱心者め!」
若者の供が反応するがバーニーがそれを遮り、クリフには寄せ付けない。
「き、貴様ぁ……俺を誰だと思ってるんだ!」
顔を殴られた若者が鼻血を出しながらクリフに凄む。
クリフは無言で剣を抜き、若者に突き付ける。
「抜け」
その目は凄まじい殺気を含んでおり、若者は明らかにたじろいだ。
「お、俺はバルフォア家の……」
「言いたいことはそれだけか」
クリフは剣を振るい、若者の顎の辺りを薄く切り裂いた。
「ぎ、ぎ、ぎゃあああっ!」
若者が顎を抑えて踞る。
彼は自らの家名を聞いて歯向かう者がいるとは想像もしていなかったに違いない……完全にパニック状態だ。
ちなみに貴族の事情に疎いクリフはバルフォア家など知らないが、これは自由都市ファロンから南へ1月ほども歩いた辺りにある山岳地帯を領する子爵家である。
バルフォア子爵領はファロンの南に位置する旧カスケン領よりもさらに南にあり、山がちで耕作地は少ないが塩鉱山をいくつか有しており中々の勢力を維持している。
こうした田舎の有力貴族は他領でも自らの権勢が届くと信じ愚かな真似をする者も少なからず存在しており、この若者もそうした世間知らずの1人であるようだ。
「無辜の民にしか暴力を振るえぬのかっ! バルフォア家の者は卑怯者ばかりかっ!?」
クリフが踞る若者を蹴り飛ばし、地に付いた若者の手を踏みつける……べきべきと指が折れる嫌な音がした。
「ぐうああ!? お前ら、コイツを殺せっ!」
若者は悲鳴を上げながら供の者達に助けを求めるが、彼らはバーニーに容易くあしらわれ、地に這わされている。
「おい、バルフォアの小僧……」
クリフが若者を見下ろしながら問いかけると「違う」と若者は否定した。
恐らくはクリフが「バルフォア家の者は卑怯者」と侮辱し、自らを打ち据えたことでバルフォア家の家名が傷ついたと思ったのだろう。
貴族は何より体面を大事にするものだ。バルフォア家の者が衆目の中で馬から引き摺り下ろされ辱しめられた……この様なことは有ってはならぬのである。
今の若者ができるのは「バルフォア家の者では無い」と否定することだけだ。
「バルフォア家の者ではないのか?」
「……そうだ」
若者が苦しげに喘ぎ、クリフを睨み付ける。
ここで実家とは無関係だと言える判断力があるだけ、この若者は真性の無能では無いだろう。
少し都会に出て舞い上がっていたのかもしれない。
「ならば良し……おい! コイツは貴族の名を騙る詐欺師だっ! 引っ捕らえろ!」
クリフが大声を上げると「待ってました」とばかりに衛兵と冒険者たちが若者と供の者どもを縛り上げた。
「ぐっ、無礼者!」
供の者が声を張り上げたが「黙れっ、騙り者がっ」と衛兵が小突いて黙らせた。
若者は痛みと屈辱に耐えながら終始無言で引き立てられて行く。
「死んじまえ碌でなし!」
「この馬鹿野郎!」
「いい気味だっ!」
「くたばりやがれ!」
露天や店先を馬で荒らされた商人たちが、憂さ晴らしに駄目になった野菜などを若者達に投げつけて大盛り上がりだ。
……しかし、このままでは済むまいな……
クリフは連行される若者を見つめて難しい顔をした。
「バーニー、今日からジーナと共に母屋を使え」
「仕返しに来ると思いますか?」
バーニーの疑問にクリフは「わからん」と短く答えた。
貴族とは体面を重んじるのである……若者の恥は一族の恥と何らかの意趣返しに出る可能性は高いようにクリフは感じているが、正直に言えば「わからない」としか答えようがない。
「わからないなら最悪に備えるしかないだろう」
クリフの言葉にバーニーが力強く頷いた。
………………
「……ってことがあってな、バーニーたちに母屋を使わせたいんだ」
ギルドに帰ったクリフはハンナに事情を説明する。
産まれながらの貴族であるハンナは、従者や使用人の扱いに厳しく、従者である2人との同居を認めてくれるか、クリフは少々不安ではあったのだ。
「いいわよ」
「そうか、ありがとう」
思いの外、ハンナがあっさりと同意をしてくれたのでクリフは胸を撫で下ろした。
クリフは少々勘違いしているが、ハンナは従者の扱いには厳しいが、バーニーやジーナは「貴族であるクリフや自分の保護下にある従者」と心の底から思っており、他の貴族から守るのは義務だと考えている。
貴族とは領民を守る義務があるのだ。
「最近、増えましたよ……わけの分からない貴族って」
「平和になったからでしょうか? 確かに昔より貴族が増えた気はしますね」
クリフの話を聞いていたギネスとアーサーが頷き合う。
確かにここ10年ほどは王国東部は安定しており、人々は以前よりも気軽に街道を往来するようになった。
人や物が集まる自由都市ファロンには魅力があり、身分の高低を問わずに新たな人々を惹き付け、人口は増加の一途を辿っている。
身分の低い者はその日の食を求め、身分の高い者は遊学や商売のために……この時代のファロンは周辺部も含めて人口は膨れ上がり、一説によれば18万人もいたと言われている。
そして、もともとが極端に貴族の数が少なかったファロンでは、新参者の貴族の振る舞いはよく目立つのである。
ギネスとアーサーの印象はある意味では正しいだろう。
「俺やハンナがいない時間にも警備を配置する。ギルドに俺から依頼を出しておこう」
クリフは自らギルドに依頼を作成する。これはクリフやハンナがギルドにいる間に家を守るためである。
まともな神経ならば日がある内に襲撃などは行わぬだろうが、相手は市場に馬を乗り入れる馬鹿である……油断はできない。
「今日は少し早めに帰るよ、守りを固めたいんだ」
「あはっ、歓迎会の準備ね」
クリフの言葉にハンナがにこやかに応じる……ギネスとアーサーが顔を見合わせた。
「……なんだか、バルフォア家の人たちが気の毒ですね……」
アーサーが苦笑いをしながら呟くとギネスも「まったくで」と頷いた。
………………
数時間後
いつもより早めに帰宅したクリフとハンナは、バーニーと共に外から自宅を眺めていた。
クリフの家は一般的な家屋よりは敷地がやや大きく、母屋と物置を改装した離れがあり、その間に庭と井戸がある。
周囲には低い簡素な柵で囲っているが、これは防衛用ではなく敷地を示すための物で容易に跨ぐことができるだろう。
敷地に出入口は2つ、表と裏口である。
ちなみに母屋にも玄関と勝手口の2つ出入口があり、この時代のごく一般的な造りである。
「さて、ハンナとバーニーならば何処から攻める?」
クリフが2人に質問すると、ハンナが「むむ」と口をへの字に曲げた。
「人数はどれくらいでしょうか?」
「俺には判らんよ、色々さ。」
バーニーの質問にクリフが苦笑する。
……バーニーはどうにも素直と言うか……若いからかな?
クリフは自分が22才の時はどうだったかなと思い出そうとするが、あまり良い思い出は無いのですぐに止めた。
「やっぱり出入り口じゃない?」
「そうですね、柵をわざわざ越える意味も無いですから」
ハンナとバーニーが頷き合う。
……そうだな、出入り口から来ると仮定して良いだろう……あとは裏口くらいか……
クリフも2人の言葉に頷いて準備を始める。
革紐を墨で黒くしたものを出入り口と裏口に張る……これは足首の高さだ。
そして焼き鳥用の木串を黒く塗り、柵の上に設置した。
「こんなの引っ掛かるかしら?」
「いや、罠で仕留める必要は無いからな。侵入された時に裾でも引っかけて、物音を立てて貰えばいいのさ」
クリフは放火に備えて燃えやすそうな物は片付け、水甕に水を張り消化槽の代わりとした。
「ゲリーがいれば、もっと大掛かりな罠も作れるかもしれんが……まあ十分だろ」
「そうね、庭に穴とか掘りたくないしね」
ハンナが「あはは」と笑う。
「俺とバーニーは敵が来たら勝手口から出て2手に別れて戦う。同士討ちを避けるためだ……上手く行けば挟み撃ちできるかもしれん」
クリフは地面にガリガリと見取り図を書いて説明を始めた。
「ハンナはジーナとルイーザを守れ、一番大事な仕事だぞ」
クリフの言葉にハンナがニッと笑った。
「でさ、殺すの? 捕まえるの?」
「そうだなあ……」
クリフは少し考えるが、相手の命を守って自分達が傷ついては意味がないと結論づけた。
「手に余れば殺そう」
あっさりとクリフは「殺せ」と口に出す。
この時代のマカスキル地方では犯罪者の人権は守られない。
捕まえた盗賊は私刑で殺すのが一般的である。




