8話 食屍鬼ナイマン 上
ちょっと猟奇的な描写があります。
真夏の太陽が肌を焦がす季節になった。
クリフとハンナが自由都市ファロンに戻ってより数ヶ月、クリフはそれなりに余裕のある日常を楽しんでいた。
これはギネスが冒険者ギルドの運営に回ったことで、クリフの負担が軽減されたことが大きい。
クリフも若い頃よりの弟分であるギネスには気安く指図ができ、今では各種団体への折衝の殆どはギネスが担当している……彼は機知に富み、交渉術に長けたベテラン冒険者であり、クリフよりもよほど交渉事には強いのだ。
そのギネスが自由都市ファロンの評議会と各ギルドの会議を終えて帰ってきた。
この自由都市ファロンには領主はおらず、数名の評議会議員によって運営されている。
つまり、評議会との会議とは行政との会議と同義であり、非常に重要なものである。
「おつかれさまでした」
ギネスを労ってマリカがぬるい麦湯を差し出すと、ギネスは喉が乾いていたのか一気に飲み干した。
ちなみにこの時代のマカスキル王国では茶葉は高級品であり、常飲は王族とてできるものではない。
ギネスは「ありがとよ」と言いながら湯飲みをマリカに返した。
「何かあったか?」
「いえ、いつもの報告会ですけどね……ただ……」
クリフが会議の内容を訊ねると、ギネスは少し言い辛そうに顔をしかめた。
「ただ、例の連続殺人ですよ……衛兵隊もウチからも人を出して捜査してますが未解決の、アレが議題に出ましてね……」
クリフは「ふむ」と首を傾げた、どうもギネスの歯切れが悪い。
この「例の連続殺人」とは、ここ半年ほどで5件ほど続いた同様の手口の殺人事件だ。
連続殺人とは穏やかではないが、この事件は特に手口が異様であった。
その手口とは妊婦ばかりを狙い、腹を裂き胎児を取り出し、乳房を抉り、女性器に杭を突き刺す猟奇的な殺人である。
その残酷さから「食屍鬼」の仕業であると噂され、グール事件と呼ばれている。
クリフの記憶では犯人には賞金が25000ダカットも掛けられているはずだ。
「グール事件か、それで?」
「そいつの解決をせっつかれたもんですから……へへ」
ギネスが気味の悪い笑い声を立てた。
どうにも何か言いづらいことがあるらしい。
「事件解決に向けて、ウチからは猟犬クリフが出馬することになりやして……そのう」
クリフは苦笑いをしながら「また調子の良いこと言ったんだろ」とお調子者の弟分を責める。
「ウチからの捜査は誰が当たってるんだ?」
「ゲリーたち岩石党っすね」
クリフが質問するとギネスが即答し、事件の概要が書かれた書類を差し出した。
……こいつめ、ちゃっかり準備してやがる。
クリフは呆れた様子で資料を受けとり「後の仕事はたのむぜ」とギネスに告げて立ち上がった。
「すいませんっ、恩に着やす」
ギネスが頭を下げると「ハンナがいなくて良かったな」とクリフが笑う。
ハンナはギネスが今回のようにクリフに甘えると、妙に怒るのである……ちなみにそのハンナは今日はお休みだ。
このグール事件が起きてより、バーニーとハンナのどちらかが必ずジーナと共にいるようにしているのである。
ジーナの腹はかなり大きくなり、臨月を迎えている。
彼女は初産であり、事件が無くとも、誰かが寄り添っていたほうが良い状態ではある。
………………
クリフはゲリーと合流し、衛兵の詰め所に向かった。
ゲリーは「吃りのゲリー」と呼ばれる20才の冒険者だ。
元はクリフの従者をしており、ジーナの双子の兄でもある。
このゲリーは吃音症があるが、冒険者としては筋が良く、今では若手グループ「岩石党」のリーダーである。
今回のグール事件に関しては、妹のジーナが妊娠中という事情もあり、義憤に駆られての志願だという。
「ゲリー、何か進展はあるのか?」
「すすすすいません……は犯人は、しししし慎重な奴で、ひ被害者を……」
クリフは聞き取りづらいゲリーの言葉を根気よく聞く。
ゲリーは吃音のために愚図だと思われがちだが、実はかなり器用で思慮深いことをクリフは知っている。
ゲリーの言葉をまとめると、犯人は慎重な奴で被害者をどこかで殺害してから、目立たぬように捨てているのだという。
見つかっていないだけで5人以上の被害者がいるのかもしれない。
クリフたちは衛兵の詰め所でも衛兵隊を集めて事件の聞き込みを続けるが、成果は無しだ。
犯人は驚くほど手際が良く妊婦を拐い、殺害してから捨てる。
「これは単独犯では無いな」
クリフは断定した。
「まさか、複数ですと?」
「たたた確かに手際がよよ良すぎますが」
「これほどの鬼畜が複数もいるのか」
衛兵たちとゲリーは驚いて何やら口々に驚きを口にした。
「ししししー、しかし、ひ被害者はかかか金を奪われておりません」
ゲリーが疑問を口にした。
確かにグール事件は金銭目的の犯罪ではなく、明らかな快楽殺人だ。
犯人が多数ならば金銭などの利益が共有されているはずだとゲリーは言いたいのだ。
複数の犯人が異常な性癖の持ち主なのかと問われてはクリフも「わからない」としか答えようが無いし、その可能性は低いとも思う。
「しかし、人知れず妊婦を拐い、捨てる……単純に手間を考えれば1人では手に余る」
クリフの言葉に若い衛兵が「被害者が誘き出された可能性は?」と反応した。
クリフがその衛兵を見ると、どこかで見覚えがあるような顔をしている。
赤い髪と碧の瞳……割りと目立つ顔立ちなので、1度見れば忘れそうも無いのだが、どうにも思い出せない。
……はて、どこで見たんだったかな……でもこんな若い知り合いなんて冒険者以外でいたかな? ……まあ、いいか。
クリフは誘き出された可能性を考える。
「確かにありそうだ、妊婦が誘き出される場所や事情とは何だろう?」
クリフが若い衛兵に質問を返すと「うーん」と黙り込んでしまった。
「とにかく、俺はこの事件に疎い……俺がファロンを離れていた頃の犯行が多くてな……だから何か引っ掛かることがあれば何でも教えてほしい」
クリフがゲリーと衛兵に声を掛け、皆で意見を出し合う。
「犯行は半年前に始まり、4ヶ月前と2ヶ月前、そして1月前と半月前です」
「間隔が狭まっているな」
クリフは戦慄した。
犯行の間隔が狭まっているならば猶予は無い。
「検死の報告を聞かせてくれ」
「はい、被害者は……」
検死の報告を聞いても犯人の異常さが際立つのみで解決の糸口は見えない。
……だめだ、手懸かりが少なすぎる……
クリフは頭を抱えてしまう。
クリフは追跡術の達人ではあるが、推理な得意な訳では無い。
クリフがうんうんと唸っていると、先程の若い衛兵が「あのう……」と遠慮がちに声を上げた。
先輩衛兵がジロリと睨む、その目は「若造は黙っていろ」と物語っている。
クリフが年嵩の衛兵を「まあまあ」と宥めて先を促す。
「あの……さっきの妊婦が誘き出されるってのを考えたんですが……」
若い衛兵が遠慮がちに先輩たちをチラチラと気にするが、クリフは「若い者の直感を聞かせてくれ」と彼を励ました。
「はい、あの、ウチの姉ちゃんが甥っ子を産んだときは安産の神様のお詣りと、産婆のところに欠かさず通ってたんです、だから……」
若い衛兵の言葉を聞いて、衛兵隊から失笑が漏れる。
「おいおい、産婆が犯人か?」
「ひょっとしたら安産の神様の祟りかもな」
この先輩たちの反応を見て若い衛兵は畏縮してしまった。
……産婆、安産の神様……ふむ、なるほど。
「ゲリー、ジーナは産婆の所には通っているよな」
「はい、かかかかか通っていいいいます。いいいざというときは、さ産婆も、かか駆け付けてくれるはずですが。」
クリフは力強く頷いた。
……悪くない、産婆が犯人とは限らないが、産婆ならば妊婦の情報が集まるはずだ。
クリフが顔見知りの隊長に目配せをすると、彼は小さく頷いた……やはり何か感じるところがあったようだ。
「いまのディーンの意見は重要だ。これから徹底的に安産の祠と産婆を調べるぞ」
隊長が若い衛兵の意見を支持すると、衛兵たちから少し動揺した気配を感じる。
……ディーン……うーん、聞いたこと無いな……勘違いかな?
クリフはディーンと呼ばれた若い衛兵の顔を改めて確認するが、やはり思い出せない。
……まあいい、そんなことは後回しさ。
クリフは気を取り直して隊長の言葉に続く。
「ファロンには幾つか安産の神様の祠があるはずだ、どこか被害者が集中してお詣りしていた祠とか……何でもいい、気づいたことは報告をしてほしい」
クリフは「それと」と言葉に力を込めた。
「産婆だ、産婆なら妊婦の情報が集まるはずだ。ファロンの産婆がどれだけいるかは判らないが、何か……そう、例えば急に羽振りが良くなった奴とか、頻繁に引っ越してる奴とか、怪しいのがいたら徹底的に調べるんだ、出入りの人間も含めてだ」
ディーンをからかっていた衛兵たちも顔つきが変わった。
正に暗礁に乗り上げていた捜査に新たな方向性が示されたのだ。
「ゲリー、岩石党も出せるだけ出せ、ギルドからも追加で何人か応援を出そう」
クリフの指示にゲリーが力強く頷いた。
クリフはチラリとディーンと呼ばれた若い衛兵を見つめる……彼は自分の意見が思わぬ採用をされ、顔を上気させていた。
「まだ喜ぶのは早い」
クリフがディーンを睨み付けると、彼は明らかに意気消沈してしまう。
その様子を見た隊長が「だが目の付け所が良かったぞ」とすかさずフォローをしていた。
……そんなに俺って怖いかな?
クリフが首を捻る。
自覚に乏しいようだが、クリフの見た目はかなり威圧感があり怖いのである。




