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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
3章 中年期

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7話 勇敢なエドガー

 新道の冒険を終えたクリフとハンナは旅支度(たびじたく)を調え、自由都市ファロンに帰る算段をしていたが、なかなか帰れずに数日を過ごしていた。


 なんの事はない、ただ2人ともに娘や孫と離れ難く「今日は天気が悪い」「トバイアスと挨拶をしたほうがいいのではないか」などと理由をつけて日延べしていただけである。


……そろそろ、帰らないと……


 クリフも頭では理解している。もうクロフト村での滞在は20日になろうとしていた。



 しかし


「お父さん、私ね……」

「じいちゃん、おうま」


 クリフの決意は娘と孫の可愛らしさに抵抗ができず、今日も空しくも充実した日を過ごすのだ。


……ああ、エリーやクリフと離れたくない……どうにかして連れて帰れないものか……


 今日もクリフは懊悩(おうのう)しながら、孫のクリフォードと共にロバ子ちゃんの背に乗って散歩をしているのである。


「じいちゃん、やぎ?」

「そうだ、あれは山羊(やぎ)だ。クリフは何でも知っているな……」


 ロバ子ちゃんの背に揺られ、クリフォードは外の世界に興味津々である……今までは恐がりなところがあり、あまり屋敷の外には出たことが無かったらしい。

 今ではクリフに良く懐き、外出を楽しむようになった。


 そして彼は様々なものに興味を持ち、よく質問をするようになった……クリフにはその変化が堪らなく愛しいのである。


 孫は可愛いとは良く言われるが、それは猟犬クリフとて例外ではない。


 今のやに下がったクリフの顔を見れば、ヘクターやギネスなどは仰天して驚くであろう。


 ひとしきり辺りを廻った後にクロフト村へ戻ると、屋敷前が何やら騒がしい。

 村人が集まっているようだ……なにやら殺気立っているのが遠目にもわかる。


……何かあったのか? まさか一揆ではあるまいが……


 クリフは少し警戒しながら近づき、幼いクリフォードを裏口から屋敷に入れる。


「何の騒ぎだ?」


 クリフは屋敷の使用人の男を捕まえて事情を確認する。


「盗みです、エドガーがまたやったんですよ……懲りずに何回もやってるんです」


 使用人は苦々しげに吐き捨てた。


 農村とは犯罪の無い理想郷などでは無い。


 当然、人が集まれば様々なトラブルがあり、盗みや喧嘩などという(いさか)いなどはキリもないほどだ。


 農村にも法はあるが、ほとんど適用されず、大半は私刑(リンチ)で済まされる。


 村の大人(おとな)と呼ばれる老人たちが「なんとなく」裁き、被害者が納得をすればお仕舞いだ。


 さて、今回は盗みである。


 盗みの罰は被害額にもよるが、大抵は初回は見逃され、2回目は鞭打ちか(さら)し台、3回目は村八分、4回目は縛り首となるのが多いようだ。


 ちなみに余所者(よそもの)は問答無用で死刑である。


 狭いコミュニティーだけに、鞭打ちや晒し台に掛けられれば一生涯に渡り言われ続けるし、村八分になれば生きてはいけない……機械化されていない農業とは人手が無ければどうにもならないからだ。


 そして今回の犯人は「何回も」繰り返しているらしい……村人の怒りのほどからも2度や3度ではあるまい。恐らくは死刑になるのだろう。


 村人たちは、私刑とはいえ犯人を裁くために領主であるトバイアスか、先代のヒースコートに立ち合いを求めているのだ。


 生憎とトバイアスは不在であり、ヒースコートが対応しているようだ。


「もう勘弁ならねえ」

戦傷(いくさきず)だからと大目に見ていれば付け上がりやがって!」

「6度も7度もやってやがるので」


 村人たちが、口々にいい募る。


……どんな奴なんだ……?


 クリフはボロボロになるまで殴られた盗人(ぬすっと)の姿を確認した。


 年の頃は意外と若く、30前後であろうか……村人に殴られ顔を腫らし、血を流している。

 先ほど戦傷という言葉が聞こえたが、右手の指が欠損しているようで親指しか残っていないようだ。

 歩き方もぎこちないが、これは戦傷なのか、村人に殴られたためかは判らない。


……はて、どこかで見覚えがあるな……


 クリフは盗人に見覚えがあり、少し記憶を掘り起こす。


……クロフツ村を攻めた時か……? いや、ちがうな……そうだ、敵の夜襲の時に援軍で来てくれた内の一人だ……思い出したぞ……その後の戦いで負傷していたのか……


 クリフはだんだんと記憶が甦ってきた。


 このエドガーとやらはクリフとハンクが2人でクロフツ村の夜襲を足止めした時に現れた援軍の1人である。

 確かヒースコートに剣か槍かを褒美として貰っていたはずだ。


……そうか、戦傷が元でこれ程までに落ちぶれていたのか……


 クリフは何となくやりきれない気持ちとなり、ヒースコートを見つめた。


 先代当主たる叔父がどのような裁きを見せるのか気になったのだ。


 しばらく眺めていると、ヒースコートが(うなず)きながら「村の大人で裁くように」と言い渡した。

 事実上の死刑宣告である。


……なんだと! 勝手な都合で農夫を戦わせて、落ちぶれたら見放すのか!


 ヒースコートの態度にクリフは腹が立った。


 別にエドガーを救ったところでクリフに得があるわけでも無いが、この怒りがクリフを突き動かした。


 この憐れな男を助けてやりたいと思い始めたのだ。


 これはクリフとヒースコートの立場の違いである。


 統治者であるヒースコートは村の大人たちの意見は無視ができないのである。

 君主は好き勝手に権力を振るえるものではないのだ、村の民意を無視して罪人を助けるようなことを続けては村人からの支持を失い、最悪の場合は反乱などで一族が追放されたり殺されたりすることにもなりかねない。

 ヒースコートはある意味で村の大人たちの機嫌を損ねることができないのである。


 しかし、部外者たるクリフはそのような事情は関係が無い。

 憐れなエドガーに同情するのはある意味で当たり前でもある……彼はクリフと肩を並べて戦ったのだ、この「共に戦った」という連帯感は非常に強い。これを意識した今、知らぬふりをするのはクリフにはできなかった。


……しかし、叔父上に迷惑をかけるわけにもいかないしな……どうしたものか……


 クリフもこの場を荒らす気はない、世話になったクロフト村に迷惑をかける気は毛頭ないのだ。


 クリフは何とかして村人たちの殺気を鎮めれないかと思案を巡らす。

 しかし、能弁家でも政治家でもないクリフに知恵は無い。


……ええい、ままよ!


 クリフは案ずるより産むが易しと飛び出した。


 どの様に転んでもエドガーは死刑なのである、ならば事態が悪化することはない。


 駄目で元々、上手くいけば儲けもの……冒険者らしい思考といえる。



「エドガーっ! これはどうしたことだっ!」


 クリフは今まさに気がついたような演技をしつつ、一団に近づく。

 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に村人たちが少し驚いた顔を見せた。


「何があったのだ!? エドガーは私を救ったこともある勇士だぞ! 辱しめることは許さん!」


 この剣幕に村の大人たちはたじろいだ。

 クリフは貴族であり、村の名士だ……あまり逆らいたい相手では無い。


 村人たちは助けを求めるようにヒースコートを見る。


「クリフ殿……この者は盗みを働いたのです」


 ヒースコートが苦々しげに口を開いた。

 いかにクリフとは言え、村の裁きを混ぜ返してほしくないのだろう。


「初犯か?」


 クリフが村の大人に尋ねると「7度にもなります」と答えた。ここまでは先ほど聞いた話と同じだ。


「なぜだエドガー……戦での負傷ならば見舞金があったはずではないか……」


 クリフが悲しげに呟くと、エドガーが「ううっ」と(むせ)び泣いた。


「何を盗んだのだ? 金か?」


 クリフが尋ねると大人たちが横から口々に言い立てる。


「おらの家からは食い物だ! 豆を盗んだんだ!」

「今回は(すき)を盗まれた」

「うちからは芋だよ」

「パンも盗んだんだ!」


……食い物と、(すき)


 クリフは違和感を感じた。


……食い物はわかるが鋤とは? ……今さら八分者が農具を盗むだろうか? 売って金にするつもりだったのだろうか?


 鋤とはスコップのような農具である。それだけ盗んでどうにかなるものではあるまい。


「エドガーはなぜ鋤など盗むんだ? 鋤を盗む意味は何だ、それは本当にエドガーなのか?」


 クリフが疑問を口にするとエドガーが「本当です、私がやりました」と(たま)りかねたように語り始めた。


「クリフ様……私はクリフ様に名前を覚えていただいていたとは知りませんでした……私のような卑怯者に……」

「何を言うか、私とハンクはエドガーたちが来なければ死んでいたのだ」


 クリフはさも当然と答えたが、これは嘘だ。

 さすがに何年も前の出来事を詳細には覚えていない。


 しかし、エドガーは感激したようで「うおお」と男泣きに泣いた。


 そのエドガーの様子に、騒ぎ立てていた村人たちも静まりかえっていく。


「私は先代様のお供でリグの町を攻めた時に傷を負いました……この指と足がそれです」

「しかし、戦傷ならば……」


 クリフがヒースコートを見やると、ヒースコートはしっかりと(うなず)いた。

 見舞金は出たようだ。


「いえ、先代様にはお金を充分に頂戴しました……」


 エドガーは(うつむ)いたまま、語り続ける。


「恥を申すようですが、私もこの体では満足に働けず、2人の妹が嫁ぎ、母が病み、金は見る間に無くなりました。先代様から頂いた剣も、家財も、全て売ってしまいました」


 村人たちが気まずそうにしている……エドガーの家の困窮を知らなかったか、知っていて見捨てたかだろう。


「私は去年から食べ物を盗むようになりました……母を食わせるためです、そして鋤を盗んだのは……」

「埋葬だな、母が死んだか」


 言い(よど)んだエドガーに変わり、ヒースコートが言葉を続けた。


 エドガーは(うつむ)いたまま体を震わせ、涙が地を濡らした。


 村人たちも同情したのか、すすり泣く音が聞こえた。

 中には「何も殺さなくても」「許してやってはどうか」との声も聞こえる。


「クリフ殿はどうするべきだと思うかね?」


 ヒースコートがクリフに尋ねる。

 この場を引っ掻き回したのはクリフである、意見を求めるのはある意味で自然であったろう。


「私は……」


 クリフは口ごもる。


……俺は、どうしたいのだろう?


 クリフは困り果てた。

 助けたいかと問われれば助けたい……これは間違いが無い。

 しかし、同情したからとて罪を許しては、悪しき前例となり後々の裁きに禍根を残すことも理解できるのだ……理由があれば罪を犯しても良いとなれば大問題である。


 結局は義憤に駆られて飛び出したものの、冷静になればいかに自分が浅はかな行動をとったのかと、クリフは恥じた。


「クリフ様、良いのです。私は盗みを何度も繰り返しました。ここまで許されたのは村の皆の温情なのです」


 思い悩むクリフに助け船を出したのは、意外なことにエドガーであった。


「私は……財も、名誉も失いましたが、クリフ様に庇っていただけて……ううっ、うおお」


 エドガーが泣き崩れた。


 その様子を見て、クリフは何も言えなくなってしまう。


 呆然と立ち尽くすクリフにヒースコートがポンと肩を叩いた。

 何か言葉をかけてやれと(うなが)しているのだろう。


「……エドガー、お前の事は忘れないぞ……お前は勇敢だ……」


 クリフがやっとの思いで口にした。


 村人たちも黙り込んでいたが、1人の男が声を張り上げた。


「俺も忘れないぞ! お前は戦場で一番に駆けて怪我をしたんだっ!」


 彼にも見覚えがある……彼もエドガーと共に援軍に駆けつけた者だ。


「俺もだ!」

「お前は凄い奴だった!」


 次々に応じる者が続く、彼らもエドガーの戦友なのだろう。


 いつの間にか場の空気は変わっていた。

 皆がエドガーの勇気を称え、彼を惜しんでいる。

 今まで見捨てておきながら身勝手な言い分ではある……しかし、民衆とは身勝手なものであるし、感情に流されやすいのだ。


 そして、それらがエドガーの心を慰めたのも事実である。


「大人たちよ、裁きに手心を加えてはならん……それはエドガーの勇気を汚す行いだ」


 ヒースコートが村の大人たちに言い加えた。


「クリフ様、ありがとうございます……猟犬クリフに名を知ってもらえたことは私のほまれです」


 エドガーが泣いたような、笑ったような、複雑な顔でクリフに礼を述べた。



 クリフは何も言えなかった。




………………




 翌日



 クリフとハンナは帰路に着いた。


 ハンナは昨日、クリフが突然「明日帰ろう」と言い出しても特に何も言わなかった。

 彼女も騒ぎには気づいていたし、クリフがその渦中にいたことはヒースコートからも聞いた。


 恐らくは戦友が処刑されて落ち込んでいると思い込んだのだろう、昨夜はいつもよりもベタベタと甘えるようにクリフにまとわりついていた……よく分からないが彼女なりに夫を慰めていたのだろう。


 エドガーの絞首刑は昨日のうちに済まされている。



……結局、俺がしたことは何だったのかな……



 クリフは見送ってくれるエリーやヒースコートたちに笑顔で手を振りながら考え込む。


 エリーも笑顔だ。

 以前のような涙の別れにならないのは良いことだとクリフは思う。

 エリーの生活の基盤がしっかりとできたためにクリフやハンナも不安が無くなったのだろう。


 エリーもそろそろバーチの町にに戻るらしく、タイミング的にも丁度良かった。

 すでに彼女の居場所は親元ではなく、クロフト家なのだ。


 幼いクリフォードは別れというものが理解できずにキョトンとしていた。

 実はこの後で「じいちゃんじいちゃん」と泣きわめくのだが、これをクリフが知るのは2か月後のアビゲイルの手紙でのことだ。

 ちなみにその手紙にはハンナのことは言及されておらず、ハンナは大いに憤慨するのだが、ここでは関係の無い話である。



 ハンナがチラリとクリフの顔をのぞき込んだ。


 クリフは決して表情には出さないが、ハンナはクリフに元気が無いことを感じ取っており、余計なことは聞かないようにしていた。


 2人が無言で少し歩くと、ハンクが守る砦が見えた。


「旦那! もう行くのかい?」


 ハンクが砦からわざわざ出迎えて挨拶をしてくれた。


「ああ、いつまでも遊んでられないからな」

「違いねえ」


 ハンクが笑いながら、ふと思い出したような風情で真顔に戻る。


「ありがとよ、旦那」

「何がだ?」


 突然の礼にクリフは少し戸惑った。心当たりが全く無い。


「エドガーだよ、旦那のお陰で、戦士として死ねたんだ」


 ハンクが寂しげに笑った。

 彼も彼なりにエドガーのことを気にしていたのかもしれない……しかし、ハンクにも家庭があり、私財を(なげう)って他人を助ける訳にもいかなかったのだ。


 その辺の事情はクリフもよく理解している。


 自らの生活を犠牲にしてまで他人を救うなどはクリフとて出来はしない。


「そうだな、彼は勇敢だった」


 クリフがポツリと呟いた。


 クリフたちはハンクと別れの挨拶を交わし、黙々と道を行く。


 時折ハンナが振り返り手を振った。

 道からは砦がよく見えて、ハンクの姿が確認できるのだ。あちらも大きく手を振っている。


「ねえ、クリフ」


 ハンナが不意に声をかけた。


「ジーナの赤ちゃん、楽しみね」


 クリフはハッとした。


……そういえば、バーニーとジーナの子が……すっかり忘れていた。


「そうだな、ジーナの腹も大きくなっただろうな」


 クリフが「ふ」と薄く笑った。


「あっ、やっと笑ったね、クリフったらずっと黙ってるんだもん」

「そうかな……そんなことないよ」


 ハンナがクリフの手を引きながら「あはは」と笑う。


「早く帰ろうよ、赤ちゃん待ってるよっ!」

「急いでも赤ちゃんはまだ産まれてないよ……」


 クリフはハンナに手を引かれながら苦笑いをする。


……さすがハンナだな……(かな)わないよ……


 クリフは強張(こわば)っていた自らの心が(ほぐ)れていくのを感じた。


 クリフもハンナに釣られて走り出す。


 2人は10代の少年と少女のように笑いながら街道まで駆け抜ける……クリフが息切れをし、死ぬほど後悔するのは僅か15分後のことだった。



 どこかでカエルがゲコリと鳴いた。


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