5話 孫との対面 中
すいません、活動報告に書いた事情で遅れた上にやや短めとなっております。
本当は上中下と続けて投稿したかったのですが……
「砦が見えてきたな」
ロバ子ちゃんの背でクリフが手をかざしながら遠くを見る。
前方の砦はクリフが知るものよりも立派になっており、見張り台があり木造の塀に囲まれている様子が見てとれる。
「砦……クロフト家の居城ですか?」
「いや、防衛用の出城だよ。今の当主トバイアス殿はバーチの町にいるはずさ」
フリッツの質問にクリフが答えると、感心したのかフリッツは何度も頷いている。
クロフト家は1町3村700戸弱を所領とするそこそこの貴族である。
今は当主のトバイアス・クロフトはジンデル公爵の三男であり、バーチの町とジンデルを往復しつつ政務をとり、前当主のヒースコートはクロフト村で領地を管理しているらしい。
「ハンナさんは本物のお姫様だったのね……」
ジェニーがポツリと呟くと、ハンナが「そんなことないよ」と笑った。
「私が小さい頃は村1つしか領地が無かったの。先の戦で叔父上とクリフが活躍して領地が増えたのよ、10倍くらいになったんじゃない?」
この言葉を聞いたフリッツとジェニーは驚きを隠せなかったようで何度も感嘆している。
武功で加増を受けるのは並大抵の事では無い……10倍の加増とは想像もつかない話だ。
「おっ、砦からも出てきたぞ……ハンクだな」
クリフたちが道を進むと、砦から見知った顔が出迎えてくれた……ハンクである。
ハンクは元冒険者の従士だ。
クリフやハンナとは気安い間柄でもある。
隣でハンナが「おーい」と手を振った。
これはハンナの稚気ではなく、万が一にも敵と誤認されない用心である。
ハンクもこちらを認識しているようで、手を振り返すのが確認できた。
「久しぶりだな旦那、どうしたんだ? ロバに乗って?」
「やあハンク、高いところから失礼するよ……旅の途中で膝を痛めちまってな、歩けないんだ……もう年だよ」
ハンクとクリフに気安げに「わはは」と笑い会う。
彼らは同い年であり、年齢の冗談は言いやすいのだ。
後ろでフリッツとジェニーが「ハンクって」「荒鷲のハンクかしら」とヒソヒソと話をしている。
「ハンク、紹介するよ。彼らが移住を希望するフリッツとジェニーだ……フリッツ、ジェニー、こちらはハンクだ。元冒険者同士、仲良くしてくれ」
クリフが紹介すると3人は軽く挨拶をし、握手をした。
「この子がロバ子ちゃんよ」
ハンナがなぜかロバの紹介をする……何かの拘りがあるのだろう。
「お、おう……分かりやすい名前だな……旦那には必要ないとは思うが、決まりだから案内するぜ」
ロバを紹介されたハンクは少し反応に困りながら砦の兵士たちに何やら指示を出す。
その後、ハンクの先導でクリフたちは村に向かう。
しばらく歩くと、懐かしいクロフト村だ。
クリフは周囲を見渡して、心無しか少し建物が増えた気がした。
館に向かう途中で村人が知らせたのだろう、ヒースコートやアビゲイルが迎えに出てきてくれた。彼らはハンナの叔父夫妻でクロフト家の前当主である。
クリフがフリッツに助けられながらロバ子ちゃんから下りた。
「叔父上、お久しぶりです……見苦しき姿をお許しください」
「なんと、いかがなされた?」
ヒースコートがクリフに気遣わしげに尋ねる。
クリフは立つのがやっとと言った風情でハンナから杖を受け取った。
「少し痛めまして……」
「叔父上、クリフは私を庇って怪我をしたのっ!」
クリフが遠慮がちに伝えようとするとハンナが遮り、クリフがいかに勇敢に自らを守り戦ったのかを伝え始めた。
貴族の男性の話に割り込むなど目が眩むような無礼であるが、誰もハンナを咎めない。
当のヒースコートとクリフがハンナを甘やかしているのを皆が知っているのだ。
「まあ、大変でしたね……さあ、屋敷でゆっくりお休み下さいな」
アビゲイルがやんわりと会話を切り上げ、クリフらを屋敷に誘う。
「ああ、すいません……その前に彼らをご紹介します」
クリフがフリッツとジェニーをヒースコートに紹介をする。
フリッツとジェニーはすこし緊張した面持ちで頭を下げた。
「そうか、クロフト領は人が少ない。君たちみたいな若い夫婦は大歓迎だ……ハンク、悪いが彼らを世話してほしい」
ヒースコートがフリッツらの世話をハンクに言いつけ、屋敷へと向かう。
クリフも「あとは頼むよ」とハンクに挨拶しヒースコートに続く……杖を使えばなんとか歩くことも可能だ。
クリフがハンナに支えられるようにフラフラと屋敷に入ると美しい女性が迎え入れてくれた……エリーである。
「お父さん!怪我したの!?」
「ああ、エリー……見違えるようだ……美しくなったな」
エリーとクリフの会話はいまいち成立していない。お互いが喋りたいことを喋っているからである。
「もうっ、クリフったら……エリー、そのおチビちゃんを紹介してくれるかしら?」
ハンナがクリフの様子に呆れた様子で苦笑いをする。
エリーの後ろには母のスカートの裾を掴む可愛らしい幼児がいた。
「お母さん、クリフォードよ。2才になるわ、クリフォード、お婆ちゃんに挨拶できる?」
エリーが小さなクリフォードに声を掛けると、彼はエリーのスカートに隠れてしまった。
エリーによく似た茶色の髪の、目がパッチリした可愛らしい顔立ちだ。
「きゃー! エリーにそっくり! 可愛いわっ!」
ハンナは厭がるクリフォードに遠慮や容赦はせず、無理矢理抱っこして泣かせてしまった。
「きゃー! 泣いてるわっ! 見てみて! 泣いてるわよっ!」
ハンナは子供が泣こうがお構いなしだ。
抱き締めたり頬を甘噛みしたりと大喜びだ。
その様子を見てエリーもアビゲイルもニコニコとしている。
「お父さん、こっちが半月前に産まれた女の子……お父さんに名前をつけて欲しくてまだ名前は無いの」
エリーが揺り籠の中ですやすやと眠る赤子を紹介した。
クリフはぐぐっと顔を近づけて凝視する。
「そうかあ……女の子だったのか、可愛いな……でも名前を?」
クリフが顔をあげるとエリーがニコッと笑って小声で「エレンはどうかしら」とクリフに耳打ちした。
クリフは何とも言えない表情をしてヒースコートやアビゲイルの顔色を見た。
ヒースコートはやや複雑な顔をし、アビゲイルはにこやかに頷いた。
「そうだな……エレン、かな?」
「ふふ、良かったわねエレン? お爺ちゃんから素敵なプレゼントを貰ったわ。あなたの名前よ」
エリーがくすりと笑い、安らかに眠るエレンに語りかけた。
……美しくなったな……立派な母親じゃないか……
クリフはエリーを見つめると、感極まり涙が溢れそうになった。
「お父さん、抱っこしてくれる?」
「え、でも……悪いよ」
クリフが遠慮がちに断ると、ハンナが「抱っこしてあげなさいよ」と笑った……ハンナが抱いているクリフォードは号泣しっ放しである。
「じゃあ、少しだけ」
クリフはそっとエリーを抱き締めた。
……ああ、エリーがこんなに大きくなったなんて夢みたいだ……
クリフは「ぐす」と鼻を啜った。
エリーからは甘い香りがする、恐らくは母乳の匂いだろう。
「頑張ったなエリー、お前は俺の誇りだ」
「あん、お父さんったら、私じゃなくてエレンよ」
その言葉でクリフは「はっ」と気がついた。
当たり前ではあるが「抱っこしてほしい」のは母親では無く、赤子である……クリフはそれすらも気づけないほど舞い上がっていたらしい。
「あら~、良かったわねエリーさん」
アビゲイルが「おほほ」と上品に笑った。
ヒースコートはジト目で何か言いたそうにしている。
「いや、すまん、つい」
「ううん、嬉しかった。ありがと、お父さん……はい」
クリフは改めてエレンを渡され、おそるおそる抱いてみた。
……軽い、何て軽いんだ。
クリフはポロポロと涙を溢した。
クリフの中ではまだまだ子供だったエリーの子供を抱いて、感極まったのである。
人は年を取ると涙腺が緩くなるものだ……クリフとて例外ではない。
「凄いな……小さな指がちゃんとある……」
クリフが当たり前の事にいちいち感動していると「ねえ、交代しよ」とハンナが顔を近づけてきた。
ハンナが小さなクリフォードを解放すると、彼は泣きながらアビゲイルに張り付いて隠れてしまった……少し怯えているようにも見える。
「ハンナ、少し怖いから1回揺り籠に戻すよ」
クリフがそっと揺り籠にエレンを乗せると、エレンが泣き出してしまった。
「ああ、すまん……その……」
「大丈夫よお父さん、おしめかしらね?」
エリーが優しく微笑み、エレンに寄り添うようにした。
その姿を見てクリフはまた泣いてしまった。
「もう、クリフったら……」
ハンナが隣で呆れた声を出す。
「トビーくんは今日はいないの?」
「ああ、トバイアス殿はジンデルと往復しているからな、連絡は入れたから数日内には来るだろう。エリーは出産のために村にいたのだよ」
ハンナとヒースコートがエリーの夫、トバイアスの所在を確認している。クリフは迂闊なことにエリーと孫に気をとられてトバイアスの不在に気づかなかった。
「トバイアス殿は忙しいのだろうな……こんなに可愛らしい子がいるのに気の毒なことだ」
クリフが嘆息すると、ヒースコートが苦笑いをした。
貴族にとってはジンデルで公爵領の政務に携わることは、いわば花形だ……羨ましく思う者はいても憐れむ者はクリフくらいのものである。
「さあ、これくらいにしよう。クリフ殿たちも荷ほどきをしてもらわねばな」
ヒースコートがこの場を締めた。
誰かがこうせねば無限に続きそうな雰囲気があったのは確かである。
その言葉で我に返ったクリフの膝が急に痛みを思いだし、痛みに不意を衝かれたクリフはすてんと尻餅をついてしまった。
クリフはハンナに支えられるように以前使っていた部屋へ向かう。
「凄いな……あの時のままだ」
クリフは部屋に入ると驚きの声をあげた。
そこは彼らが住んでいた時のまま、時が止まったかのように感じる空間だった。
小物ひとつ取ってみてもそのままの位置にありながら、埃1つ積もっていない。
……ありがとう叔母上、これだけでエリーがいかに大切にされているか判る気がする。
クリフはエリーの義理の母となったアビゲイルに深く感謝をした。
「クリフ……赤ちゃん、可愛かったね」
荷ほどきをしながらハンナが話し掛けてきた。
「うん、可愛かった」
「エレンってさ、どんな意味があるの? 知り合い?」
ハンナの純粋な疑問がクリフの良心を鋭く責め立てた。
エレンとは、ハンナとの結婚前に惚れていた女だとはとても言えない。
「ああ、昔……世話になった人かな」
クリフがそっぽを向きながら答えると、ハンナが「ふーん」と気の無い返事をした。
どのような世話を受けたのかしつこく聞かれなくてクリフは内心で「ほっ」と息を吐いた。
エレンは娼婦であった……何が世話になったか言えるものではない。




