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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
3章 中年期

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5話 孫との対面 上

 春が来た。



 クリフとハンナは2名の冒険者を引き連れ、ジンデル公爵領内のクロフト村へ向かい馬糞街道を東へ進んでいた。

 クリフは冒険者ギルドの支配人であるが、休暇を取り、嫁いだ娘と孫に会いに行くのである。


 同行者はフリッツとジェニーという冒険者夫婦であり、彼らはハンナの実家であるクロフト領への移住を希望している。


 目的地は同じであり、どうせならば一緒に行こうと言う話になるには時間はかからなかった。

 かくして4人で連れだっての旅路となったのである……人数が増えれば野盗避けにもなり、お互いに否やはない。


 ちなみにこの旅にはクリフの従者であるバーニーとジーナ夫妻は同行していない。出発前にジーナの妊娠が判明し、留守番となったのだ。

 バーニーは単身での同行を申し出たが、これはクリフもハンナも許さなかった。



 引退後の冒険者の再就職先の斡旋も冒険者ギルドの職務であり、クロフト領への帰農もその就職先の1つだ。


 移住を希望する冒険者たちの受け入れ先であるクロフト領側にも条件はあり「夫婦もしくは子供連れ」での募集となっている。独身の冒険者では居着かぬと思われているのだろう。


 この点でフリッツとジェニーに問題は無い。いずれも20代半ばの夫婦であり、結婚を機に落ち着いた生活を求めての移住だ。

 フリッツもジェニーも茶色の髪色でどことなく似た印象があるが、彼らは従姉弟(いとこ)同士らしい。ジェニーが2才年上の姉さん女房だ。


 彼らは冒険者としては芽が出なかったが、まだまだ若いのだ……伴侶を得て、新たな人生をスタートさせるのには頃合いでもある。

 冒険者ギルドからの斡旋での移住1号として是非とも頑張って欲しいとクリフは願っていた。


 しかし、この旅路は平穏無事とはいかなかった。



 この4人は今まさに野盗と対峙(たいじ)しているのである。



 春先は野盗の季節だ。

 冬の間に食い詰めた冒険者や傭兵が手っ取り早く稼ぐために野盗と化し、旅人を襲うことは多い。


 クリフたち4人連れの冒険者を狙うとは、彼らも手詰まりなのだろうか……普通、冒険者はある程度の戦闘力があり貧乏だ。あまり狙いたい獲物では無い。


……大した奴らではあるまいが……飢えた獣は危険だ。


 クリフは野盗たちの姿を確認し、気を引き締める。


 野盗は街道の狭まった所を狙い、前後から挟み撃ちを仕掛けてきた。

 前から4人、後ろから3人だ。

 前後に1人ずつ弓を持っている者が確認できた。


 彼らはいきなり武器を抜いており、言葉のやり取りなどは必要ない。


……野盗は7人……いや、まだいると考えるべきか……警戒するならば弓だが……


 クリフは味方をチラリと確認する。


 ハンナは旅用の杖を持っており、フリッツは弓、ジェニーは短槍だ。


「よし、俺が前の4人に仕掛けよう。3人は固まって身を守れ……倒しても良いが無理はするな。フリッツは後ろの弓を狙えたら頼む」


 言うが早いかクリフは剣を抜き、前方の4人に向かう。

 矢が飛んで来たがクリフは難なくバックラーで弾き、そのまま駆け出した……一気に間を詰めて乱戦に持ち込む腹である。


「来やがったぞ! 抜かるなよっ!」


 槍を持つ頭らしき男が指示を出すと、野盗のうちで盾持ち2人が前に出て、槍と弓は下がった。なかなか慣れた連中である。


 敵は頭らしき槍使いと、盾持ちが2人、そして弓使いの合計4人だ。


 クリフは陣形を整えた野盗に正面からぶつからず、いきなり右に曲がり、付かず離れずの距離を保つ。

 すると野盗の槍が突き出された。


 クリフは槍をわし、そのまま引く槍先に合わせて斬り込んだ。


 クリフの横凪ぎの剣は槍使いの肩を浅く切り裂き、そのままクリフは身を低くして前衛の盾持ちの脛を浅く斬りつける。

 そして囲まれる前にパッと身を(ひるがえ)して逃走した。


「野郎っ!」

「逃がすなよっ!」


 先程の小競り合いは単なる挑発だ。

 野盗どもは陣形を忘れ、得手勝手にクリフを追う。


……よし、釣れたぞ。


 クリフは急ブレーキをかけ、先頭の盾を狙い体当たりを仕掛けた。見事に盾持ちは後ろの槍使いを巻き込んで転倒する。

 クリフはそのまま弓使いに斬りかかり、不意を衝かれた弓使いはクリフの剣を腕で受け、左手を肘の辺りから切断された。


「まだやるか!」


 クリフが大喝すると、野盗どもは明らかに怯んだ。

 1度士気が萎えれば立て直すのは難しい。


「失せろっ!」


 クリフが仁王立ちで睨み付けると野盗たちは我先にと逃げ出した……別にクリフには彼らを追う意味は無い。


 すぐさま後方の戦いに目を向けると、意外にもまだやっている。


 ハンナたちは荷物に隠れるようにして身を隠し、フリッツが弓で牽制しているようだ。


 敵からの矢はハンナが容易(たやす)く杖で払い除けている。


……何やってるんだ?


 クリフは取り合えず駆け寄り合流することにした。


 クリフの右膝(みぎひざ)が妙にカクついている……どうやら先程の急ブレーキで痛めたようだ。


「クリフーっ! 助けてーっ! 怖いわっ!」


 クリフに気がついたハンナがわざとらしく悲鳴を上げる。

 言葉の割りには全く恐れている様子は無い。


……遊んでやがるな……全く。


 クリフはそのままハンナたちを素通りして後方の3人に襲い掛かった。

 こちらはハンナに遊ばれていた程度の奴らである……クリフの相手になるはずが無い。


 クリフは先頭の男に飛び掛かり、唐竹割りに正面から顔面を切り下げた。

 顔を縦に切り裂かれた男は悲鳴を上げながら崩れ落ちる。


「お前たちの相手は猟犬クリフだぞっ!」


 クリフが怒鳴りながら隣の男に体当たり気味で剣を突き刺し、パッと手を離した。

 深々と刺さった剣を持ったまま踏ん張ると、相手の体重で剣が折れてしまうからだ。


 クリフが振り向くと弓を持った男は既に逃げた後であった。


「ああん! クリフっ、怖かったわ!」


 ハンナが怯えた演技を見せ、しなだれかかってきたが、クリフはハンナの体をグッと突き返した。


「ぜー……ぜー……悪いけど……そんな余裕が……無い……」


 クリフはぜえぜえと息を吐き、何とか呼吸を整える……ここまで大暴れをしたのは久しぶりだ。心臓が悲鳴を上げて爆発しそうだ。


「もうっ、つれないわね」

「いや……本当に……駄目だって……」


 クリフはここ数ヶ月デスクワークしかしていないのだ……息はあがるし、長年の酷使で痛めがちだった右の膝がじんじんと痛む。


……膝が痛いな……これは完全にやってしまった……


 数年前からクリフは少し無理をすると腰や膝が痛むようになってきていた。

 そこに先程の急ブレーキで完全に故障したらしい。


 戦闘中の緊張が切れれば忘れていた痛みが顔を出す……クリフは苦痛に喘ぎながら座り込んだ。


「支配人、怪我したんですか?」


 フリッツが心配そうに声を掛けてきた。ジェニーも薬やサラシが入った荷物を抱えて駆け付けて来てくれる。


「すまん、少し痛めたらしい」

「膝ね、添え木を探すわ」


 さすがにクリフの演技では無いと(さと)ったハンナが走り出す。彼女はクリフが右足を引きずるように歩いたことで患部を特定したようだ。


……はあ、情けない……


 クリフは痛いやら情けないやらで涙が出てきた。


 腰や膝の痛みは長年にわたり旅を続ける本格の冒険者の職業病でもある……クリフとて11才から30年以上も冒険者をしているのだ、長年の酷使で体にガタが出て来ない筈がない。

 



………………




 クリフたちは程近いミルンの町で休息をとることになった。


 ここは既にジンデル公爵領である……クロフト村はほど近いのだが、思わぬタイムロスとなってしまった。


「ごめんね、クリフが怪我するなんて考えなかったの」


 ハンナがシュンと(しお)れている……彼女からすれば無敵のクリフが野盗ごときに遅れを取るとは思ってもいなかったのだ。クリフが怪我をしたのは完全に誤算だったろう。


「ハンナ、俺も42才さ……若い頃のようにはいかないよ」


 クリフはそっと(ひざ)を撫でた。

 膝蓋大腿関節症(しつがいだいたいかんせつしょう)であろうか……これは長年の酷使や加齢が原因で、軟骨が擦り減ったりそれによって骨が変形してしまうことである。

 今回、脱臼を伴ったならば重症である……今後、クリフは膝の違和感に悩まされ続けることだろう。


「冒険者は足や腰を痛める人も多いですからね……安静にしなくてはいけません……フリッツが馬を譲ってもらえるか交渉していますから、馬で移動になれば楽になりますよ」


 ジェニーが慰めてくれるがクリフの心は晴れない。


……長いこと使った膝だものな……冒険者の末路、か……


 クリフは「ふう」と溜め息をつくと、隣でハンナがしくしくと泣き出した。


「ハンナが泣くこと無いじゃないか」

「でもさっ、クリフ……ぐすっ」


 よしよしとクリフはハンナを抱き寄せた。

 別にクリフが怪我をしたのはハンナのせいではない。彼女らに身を守れと指示をしたのはクリフ自身であるし、クリフもそこは自覚している。


……どうもハンナはエリーが嫁いでから幼児退行している気がするな。


 クリフは苦笑いをする。

 恐らくは互いしか家族がいない状態で依存を深めているのだろう。要は甘えているのだ。


「そんなんじゃ、エリーと孫に笑われるぞ」


 クリフが幼児をあやすように優しげにハンナの髪を撫でた。


 実はクリフも無意識ではあるが、(エリー)が嫁いでからの寂しさを紛らわすための代償行動としてハンナを甘やかしているのだから、本質的には似た者夫婦なのかもしれない。




………………




 翌日



 クリフはロバに揺られて旅路についた。


 フリッツは馬を購入することができなかったが、代わりにロバを購入することができたらしい……農村での牛馬は貴重であり、譲って貰えずとも仕方のないことではある。


 ちなみにロバの値段は11000ダカットであった……軽自動車のようなものだろう。無理を言って譲ってもらったので割高ではある。


「ねえ、この(ロバ)に名前をつけていい?」

「ああ、呼びやすいので頼むよ」


 クリフが同意すると、ハンナは「稲妻……黒雲」などとブツブツと呟いている。


……なんでロバを見て稲妻を連想するんだか……


 クリフはロバに揺られながらぼんやりとハンナを眺める……実に楽しそうだ。


 ちなみにこのロバは(メス)である。


「支配人、クロフト村ではロバは増やしてますか?」

「いや、飼ってはいたが繁殖はしてないんじゃないかな……」


 クリフはジェニーの言葉で少し考えるが、クロフト村でロバのイメージは薄い。


「そうですか、ロバは丈夫であまり餌も食べませんし……ロバの繁殖をしようかしら?」

「そうだね、初めの数頭が上手く確保できたらいいんだけどな」


 フリッツとジェニーが盛り上がっている。未来に希望があるのは良いことだとクリフは思う。


 ちなみにマカスキル地方ではロバは食用にもなり皮も衣服に用いる。また、荷物を運ばせれば150キロ近くを運搬するロバは輸送でも重要な存在である。


 ハンナが「決めたわ」と満面の笑みを浮かべた。


「ロバ子ちゃんにする」

「そうか、いい名前だな」


 ハンナがシンプル極まりない名前を披露した。クリフはこの手の分かりやすいネーミングセンスは嫌いではない。


「なあ、ファロンでは飼えないし、ロバ子ちゃんはフリッツたちに預けようと思うが、どう思う?」


 これは実質は彼らへのプレゼントだ。クリフたちがロバ子ちゃんを引き取りにいくことなどは無いだろう。


 ハンナが同意するとフリッツとジェニーは礼を言い頭を下げた。


「たくさん増えるといいわね」


 ハンナが「あは」と笑った。



 クロフト村まではあと数日はかかる。

 それまではクリフはロバ子ちゃんの背の上だ。


 ぽっくりぽっくりと振動が伝わると膝が少し痛むが、ここで長逗留(ながとうりゅう)するよりはクロフト村でゆっくりしようという判断で旅を強行したのだ。


 春の陽気と、一定のリズムに(いざな)われ、ほどなくしてクリフはうとうとと居眠りを始めた。


「あら、クリフったら……寝ちゃったの?」



 ハンナの呆れたような声が遠くで聞こえた気がしたが、クリフは睡魔に敗れ返事をすることができなかった。


 ツピツピツピと四十雀(シジュウカラ)が賑やかに鳴いている。



……あと数日で孫に会えるだろう……エリーが産まれたときも可愛い子だったな……


 クリフは知るはずもない「エリーが産まれた日」の夢を見る。



 クリフが「ふが」とイビキをかいた。

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