3話 支配人
日常回です。
「ねえクリフ、叔母上からの手紙が来たのよ! 」
クリフが外回りから帰ると受付カウンターでハンナが声を掛けてきた。
ハンナの叔母であるアビゲイルから手紙が来たらしい。
クリフとアビゲイルは意外と仲が良く、5年以上たった今でもこうして手紙のやり取りをしているのだ。
「ねえっ、何て書いてあったと思う?」
ハンナは既に読んだらしいが、これはクリフ宛の私信である……疚しいことが有るわけではないが、それでもクリフは少し引っ掛かるものを感じた。
「ハンナ、人の手紙は勝手に読んではいけないぞ」
「そうだぜ、クリフと叔母上の淫らな情欲を知りたくないだろう?」
すかさずヘクターが茶々を入れて混ぜ返す。
この男は退屈すると執務室から出てきてハンナと遊んでいることが多い。
「ヘクター、クリフと叔母上は仲良しなの。そのくらいは知ってるし、(文通くらいは)許してるわよ……で、何て書いてあったと思う?」
ハンナが何か誤解されそうな事を言い、事務を手伝っていたジュディがギョッとした顔をする……彼女は明らかにクリフとアビゲイルの関係を誤解した様子だ。
ジュディは今は亡きエイブの養女で、血の繋がらぬ姉のケーラと冒険者ギルドを手伝っている。
金髪に青い目で、なかなか可愛らしい顔をしているが、惜しいかな顔の大きさが体と比べて妙に大きいのが難であろう。
彼女は酒場と事務、その日の手の足りない方を手伝うのだ。
「読まないのに分からないな……まあ、嬉しいことらしいな」
「そうよっ! さすがはクリフねっ!」
クリフが適当に答えると、ハンナは心底感心したように身の前で手をパンと打ったが……ハンナの浮かれた様子を見て凶報だと思うものはまずいまい。
「あのねっ、エリーにまた赤ちゃんが出来たんだって! 凄いわっ!」
「そうか! ……そうか」
ハンナの言葉を聞き、クリフも相好を崩す。
エリーとはクリフとハンナの養女で、ハンナの実家に嫁いでいる。
「ほー、エリー嬢ちゃんもやるね。幾つだった?」
「17さ。エリーは10人は産むぞ!」
クリフが興奮気味に声を張り上げた。
ヘクターが「それはそれは」と苦笑いをする。
「うちの倅はエリー嬢ちゃんが嫁いで寝込んだんだぜ? 嬢ちゃんも罪な女だな」
「エリーは公爵の息子を一目で骨抜きにするほどだからなぁ……よくモテていた」
このクリフの言葉にハンナが「あれはあれで心配よ」と応じ、2人で「あっはっは」と笑い出す。
エリーの夫であるトバイアスはジンデル公爵の三男だ。
ジュディはさすがに信じられず苦笑いしたが、ヘクターは 「うーん」と真顔で唸っている。
「そういう女はいるものなあ」
ヘクターが遠くを見るような目をしてポツリと呟いた。
………………
2日後
クリフとヘクター、それにギネスとピートが執務室で会議をしている。
今はこの4人にトーマスを加えた5人が幹部職員である……ちなみにトーマスは少し遅れているようだ。
会議とは言ってもトーマスが来るまでは雑談に近い近況報告だ。
「へえ、エリーちゃんがね」
ピートがエリーの2人目の懐妊を聞いて目を丸くした。
今のピートはギルドでも指折りの腕利きで、灰色ピートと呼ばれるエース格だ。
異名の由来は、何故か彼の頭髪は30才そこそこなのに若白髪が多く、灰色に見えるためである。
「おう、お前さんの白髪も増えるはずだぜ」
「ちぇ、ヘクターさんだって真っ白じゃねえか」
ヘクターとギネスが頭髪談義をしているが、ギネスはこの手の話題に参加はしない。
ギネスの頭髪は生え際が後退し、M字に成りつつある。
全員が、年を取ったのだ。
今のギルドは支配人のヘクターを中心に、クリフとトーマスが運営の、ギネスとピートが現場の意見を代表する形だ。
全員が元冒険者であり現場の意見が通りやすいのは仕方あるまい。
ドアがガチャリと音をたてトーマスが入室する。
「すいません、遅くなりました」
「おっ、ノッポも来たし、始めよう」
ヘクターが会議の開催を宣言する。
今日の議題は組合員の再就職についてである。
最近は組合員が増え、再就職先が足りなくなってきていた。
この手のことはクリフが担当している。
「クロフト領からの返事は貰った。希望者の移住は問題ないらしい……まあ、ハンクもいるしな」
クリフの言葉に全員が頷く。
ハンクとはクロフト家に仕える従士で元組合員である。ちなみにクロフト家とはハンナの実家だ。
クロフト家の領地はそこそこの規模であり、帰農したい冒険者を受け入れるくらいは訳もない。
「ただ、夫婦か子連れが望ましいとあった……まあ、独り身の冒険者では居着かないと思われても仕方ない」
このクリフの言葉にヘクターが「まあ、そうなるか」と相槌を打つ。
「でも、冒険者は大半が独身ですよね?」
「女冒険者は少ないから相手は既にいるのが多いしな」
ピートとトーマスが意見を口にし、クリフが「そうだな」と苦笑いをした。
冒険者と言えば聞こえが良いが、明日をも知れぬその日暮らしの日雇い労働者も多い。
ここにいる者のように金銭的に不安の無い冒険者など、ほとんどいないのが現実だ。
自然と独身者ばかりになるのは道理ではある。
「ま、選択肢が増えたんだ。良しとしましょう」
「取りあえずは張り紙しとくか」
ギネスとヘクターの言葉に全員が頷き、次の話題に移る。
「事務員の増員の件だが……」
これもクリフの発意だ。彼は娘のエリーに会いに行くために長期休暇を取りたいので内心では必死である。
職員不足では休暇もままならない。
「商人ギルドに紹介を頼んだ、悪いが事後承諾になる。来週中には顔を出すだろう」
クリフの言葉にヘクターが「手回しがいいな」と笑った。
「女の子が良いっすね!」
「色っぽい未亡人とかどうだ? 夫に先立たれた寂しさを忘れるためにギルドで働くとかよ、ひゃーっ!」
ギネスとピートが妙なテンションで盛り上がっている。
彼らは独身だ。
ギネスなどは一時期モテていたのだが、浮気性が災いして誰からも相手をされなくなっている。
「そう言えばよ、パティが今何をしてるか知ってるか?」
ヘクターが、ふと思い出したようにクリフに尋ねた。
パティとは以前、ギルドの職員だった女性だが、ギネスとの痴情の縺れで退職していた。
「ああ、鍛治ギルドの親方に嫁いでるよ。子供もいる……ちなみに来るのは隠居した爺さん2人だからな」
この言葉を聞いたギネスとピートは絶望を隠さず、テーブルに伏した。
………………
4日後
クリフはギルドの裏で野良猫の親子に餌付けしていた。
……人の出入りが多いのに、どこから来たんだろう?
干し肉を食べる子猫を眺めながらクリフは「ふ」と薄く笑った。
人に良く慣れていて、餌をくれるクリフに撫でさせてくれる。
クリフは猫をじっくりと観察するのは初めてであった。
……なんと面白い生き物なんだ……
常に笑みを浮かべているような口許と、丸みを帯びた姿、そして柔らかな手触り……クリフは猫という生き物に心を奪われた。
……ウチで飼ってやろうかな……? ハンナって猫は好きだったかな?
クリフがぼんやりと考えていると、そのハンナが急いで駆けてくる。
ハンナの突然の乱入に猫の親子が警戒し、身を固めた。
「クリフっ! 来てっ! 来てっ! 早くっ!」
「どうした? そんなに慌てて……」
クリフが驚いていると、ハンナが「邪魔よ、しっし」と猫を追い散らす。
……ああ、無理か……せめてギルドで餌をやろう。
悲しそうな顔のクリフを「早くっ」とハンナが容赦無く連行した。
ハンナを弁護するならば、この時代に猫を飼うのはネズミ取りのためであり、愛玩目的は一般的では無い。
クリフの家にネズミ被害があれば喜んで飼うだろう。
クリフがハンナに引きずられる様にギルドの事務所スペースに入ると、50才をいくらか過ぎているであろう痩せた男と、10代であろう少女がいた。
……あれ? この男、どこかで……?
クリフが少し考えると、古い記憶が脳裏によぎった。
ハンナと結婚する前の、懐かしい記憶だ。
「……アーサーさん?」
「お久しぶりです、クリフさん」
男はアーサーであった。
彼は若き日のクリフを導いた恩人である。
すっかり老け、薄くなった頭髪は真っ白だ。
「ねっ? 凄いでしょ?」
ハンナが「むふう」と鼻を膨らませて威張っている。
……何でハンナが自慢気なんだろう?
クリフは不思議であったが疑問を口にはしなかった。
「アーサーさんが何故? ひょっとして依頼ですか?」
「いえ、私とマリカさんは商人ギルドからの紹介で参りました事務員です」
クリフが少女を見ると、少女は頭を下げた。
濃い茶色の髪をした真面目そうな娘だ。
「マリカです。紹介を受けた祖父が中風で動けなくなり代理で参りました」
「……それは、お気の毒でした」
中風とは脳出血による麻痺の事だ。この時代のマカスキル地方では予防法も治療法も無い恐ろしい病である。
マリカの説明を聞き、クリフは同情した。
クリフもジュードの看病をしていたが、病人の世話とは重労働なのだ。
「マリカさん、ここは荒っぽい男がたくさんいますし……お祖父様もご病気ならば仕方ありません、無理をなさらなくても良いのですよ?」
「いえ、商人が契約を違える訳にはいきません。それに……」
マリカがクリフに右手を差し出した。
手首から先が無い。
「幼い頃に荷に挟まれて潰れました。このような姿では嫁にも行けません、仕事がしたいのです、計算は得意です」
珍しい話ではない。
医療が発達していない時代では、ちょっとした事故や怪我で身体に欠損や不具が残ることはままあることだ。
冒険者ギルドにも、足を引き摺るものや、片目や指が欠けている者は割りといる……支配人のヘクターからして隻眼なのだ。
……この娘の器量なら嫁に行けないってことは無さそうだがなぁ。
クリフはマリカの言葉に引っ掛かりを覚えた。
確かに手首が無いから結婚できないと決めつけるのは早計だが、ハンデとなるのは間違いは無い。
彼女が思いつめるのも無理はない。
クリフは「ガス! こっちに来い」と声を張り上げた。
ガスが来るとマリカが「ひっ」と小さく悲鳴を上げる……ガスの面構えに怯えたのだ。
ガスは頭髪と眉毛をツルツルに剃り上げ、顔面には2筋の刀痕が引きつりとなった凄まじい面魂をしている。
「この様な見てくれの者はたくさんいますが……大丈夫ですか?」
「はい……やります」
マリカがガスに頭を下げ「よろしくお願いします」と改めて挨拶をした。
事情を飲み込めぬガスは、突然若い女に頭を下げられて困惑していた様だ。
………………
その日からアーサーとマリカは会計を担当することになった。
彼らの仕事ぶりは猛烈であり、冒険者ギルドの事務に関する不安は一掃された。
アーサーは息子に店を継がせて退屈していた所だったらしく、ギルドの仕事を新たな生き甲斐と定めたらしい。
今も算盤を猛スピードで弾いている彼の姿は、計算が苦手なクリフから見れば神々しさすら感じるほどだ。
マリカは左手を使い、巧みに書類を作成していく。
こちらもギルドで骨を埋める覚悟らしく、真剣そのものだ。
53才と17才の新たな仲間を加え、冒険者ギルドは更なる発展をすることだろう。
……ふふふ、この調子なら意外と早くエリーに会いに行けそうだ。
クリフは2人の働きぶりに大いに満足をした。
「マリカちゃん、アーサーさん、お疲れさま……お昼どうする?」
昼飯時になりハンナが新人たちに声をかけ、ジュディも加え4人連れだって食事に向かった。
ハンナは実に面倒見が良く、マリカはすっかりとハンナに懐いているようだ。
事務所を空にするわけにもいかず、クリフはヘクターと留守番をしている。
「なあクリフよ」
「なんだ?」
ヘクターとクリフは無駄話をしているが、暇なのである。
この強面2人が並んで座るカウンターに近づく者は少ない。
「お前さん、支配人やらねえか?」
「そりゃまた急だな」
ヘクターの言葉にクリフは鼻白んだ。
いずれはそうなるとは思っていたが、ヘクターの元気な姿を見るにまだまだ先の話だと思っていたのだ。
「実はよ、痔になったんだ。医者に言わすと座りすぎは良くねえらしくてな……もう隠居してえ」
「わかったよ。病気じゃ仕方がないな」
ヘクターも51才、もう年なのだ。
この男には身体的な衰えとは無縁だと思っていただけにクリフは意外に感じた。
「ありがてえ、今から頼む」
「わかったよ……ギネスにも事務をやらせるか」
こうして、あっさりとクリフは冒険者ギルドの長となった。
「痔って辛いか?」
「まあな、若い頃に陰間(男娼)に無理矢理突っ込んで泣かせたことがあるが……悪いことをしたぜ」
ヘクターが「がーっはっは」と下卑た笑いを響かせる。
彼の在任期間は丁度10年……これは後に、支配人の在任期間は最長で8年と定められたため、最長在任記録として残される事となる。




