2話 セオドア・バーキン
夏の陽気も緩んできた秋の日の事だ。
「おいっ、喧嘩だぞっ! ジャッキーとローリーだ! 知らねえ旅人とやりあってるぜ!」
ギルドの酒場に飛び込んできた男が大声を張り上げた。
周りの男たちがガヤガヤと表に出ていくが、これは喧嘩見物だろう。
治安が良くなった自由都市ファロンでも喧嘩はある。
しかも、ここは冒険者ギルドだ……血の気の多いものは掃いて捨てるほどに集まっている。
……ふうん、ジャッキーか。
珍しく書類仕事を早めに終らせたクリフはギルドの酒場で酒を飲んでいた。表の喧嘩には興味が無いようだ。
「騒がしいですね。」
酒場の主に納まったトーマスが空になったクリフの酒杯に酒を注いでくれた。
背の高いトーマスはカウンターの内側に立つと中々に映え、立派に見える。
「ジャッキーってのは、あれだな、髪が赤くて背の低い……」
「そうです。ローリーは出っ歯ですね。」
トーマスの説明にクリフが「ああ、思い出した」と膝を打った。
「大変だっ! 斬られたぞ! 2人ともだ!」
「運び込め!」
バタバタとした喧騒がギルド内に拡がる。
クリフは椅子から立ち上がり「見てくるよ」とトーマスに一声かけて騒ぎに近づいて行った。
「ケーラ、針と糸とサラシを用意してくれ。」
トーマスが冷静にウェイトレスのケーラに指示を出し、消毒用に強い酒を用意した。
………………
結局、2人の冒険者は命を落とした。
運び込まれた時には既に死んでいたのだ
喧騒の原因はつまらないことらしく、旅人がローリーを見て笑ったとか何とか因縁をつけて返り討ちにされたのだから付ける薬もない。
……しかし、凄い腕だった。
クリフは2人の冒険者に付いていた傷を思い出す……2人の致命傷は見事に心臓の位置を抉った剣の一撃だ、即死である。相手の旅人とやらは並々ならぬ腕前と言える。
クリフは考え事をしながら夕方の道を歩く。
自由都市ファロンは大都市であり、まだまだ行き交う人々は多い。
「安いよ! 安いよ! 晩飯にどうだ!」
威勢の良い煮売屋の呼び声が聞こえる。
人口過密のファロンでは薪が高く、食事はこのような店で惣菜を買うか、食堂に行くのが一般的である。
……旨そうだが、早く帰りたいからな。
今日のハンナは頭痛がしたらしくお休みである。
大したことは無さそうではあるが、風邪は万病のもとだ。こんな時はクリフは決して無理はさせない。
エリーが嫁いだ今、クリフにとっての家族はハンナだけだ……クリフは掌中の珠の如くにハンナを扱っている。
……うーん、ベーコンと芋……それに大蒜を醤で煮しめたのか……これは旨いな、間違いが無い……
クリフは歩きながらチラチラと鍋の中身を確認し、後ろ髪を引かれる思いで煮売屋から離れた。
体調を崩しているハンナが心配だし、なによりバーニーやジーナが夕飯を用意してくれているはずだ。
冷蔵庫の無い時代に食べきれぬほどの料理を買い込むことは愚かな行いである。
ふと、クリフの足が止まる。
向こうから来る男……この男から濃厚な殺意を感じたのだ。
クリフは用心深く男を観察する。
年のころはクリフよりも若い……30代の半ばほど、黒い髪にダークブルーの瞳……
そして青白い顔には自信ありげに薄笑いを浮かべている。
軽装ではあるが、旅塵にまみれた外套と靴が旅人だと物語っているようだ。
油断のない足運び、ブレのない上体……そして漲る剣気、正しく凄腕である。
「猟犬クリフ……ようやく会えたな。」
男が「ごほっ」と咳き込んだ。
……労咳(肺結核)か。
クリフは男の咳から労咳だと判断した。
この音は今は亡きクリフの師、ジュードの咳とよく似ている。
労咳の咳は痰が絡み、独特の湿った音がするのだ。
余談ではあるが労咳は抗菌薬が無い時代は不治の病であった。
精々が滋養のある食事をし、神頼みをするだけである……日本全国に咳止めの神社があるのはこの名残りだ。
クリフは無言でじっと相手を見た。
こんな時に相手とペラペラとお喋りをするほどクリフは能天気では無い。
男が「ふん」と薄笑いを浮かべたまま鼻で笑い、少し離れた位置で立ち止まる。
「俺と立ち合え猟犬クリフ。」
「……理由は?」
クリフはようやく口を開いた。
男がいきなり襲い掛かってくる様子が無かったためであろう。
「頼まれた……金と、義理でな。」
「そうか、俺が断ればどうする?」
男はニヤリと笑い「ごほっ」と咳をした。
「また冒険者が死ぬだろうさ。」
ピクリとクリフの眉が動く。
……こいつか、ジャッキーとローリーを殺ったのは。
つまり、2人が絡んだのではなく、この男が挑発したのだろうとクリフは覚った。
「今は無理さ、人が多すぎる。」
「ごほっ、ごほっ……俺は構わんがね、気が乗らんなら出直そう。」
男はあっさりと引き下がり、踵を返して歩き出す。
「ギルドに手紙を届けるよ……果たし状さ。」
男はそう言うと、大きく咳き込みながら去って行った。
……強い。
クリフは全身からぶわりと汗をかいた。
それは本能が知らせる危機だ。
本能が「俺より若くて強い雄だぞ」と知らせているのだ。
……勝てない、かもしれん。
クリフは汗を拭いながら男の後ろ姿を見送った。
断ることはできない。相手は「断れば他の者を殺す」と明言した……ハンナやバーニーらが狙われるかもしれない。
クリフは暗澹とした気分で家路に着く。
何故か腰から下げた剣が酷く重く感じた。
………………
家に帰ったクリフは夕食後、バーニーを相手に庭で剣の稽古をした。
バーニーの腕前は中々のもので、今ではクリフとやりあっても3度勝負すれば1度はクリフに打ち込むほどだ。
体力でも若いバーニーは40代のクリフに勝っている。
久しぶりの剣の稽古でクリフは息が上がっているが、バーニーは汗を流しているだけだ。
……実戦なら、戦いかた次第ではバーニーに負けるかもな。
クリフは己の身体能力が低下しているのを実感した。
特に持久力が弱っている。
「すまんな、いい稽古だった。」
「いえ、ありがとうございました。」
バーニーは2人分の木剣を持って部屋に帰る。
クリフは自分の剣を抜き、2度、3度と鋭く振り抜く。
ビッと鋭く空気を裂く音が響いた。
剣先は鈍ってはいない。
クリフは「ふう」と息を整えて部屋に戻る。
……相手の技は突きだ……これを知ったのは大きい……殺された2人には悪いがな。
クリフはぼんやりと自らの胸に迫る突きの躱わしかたをイメージし続けた。
もう外は真っ暗だ。
いつの間にか日が沈むのが早くなった。
………………
翌日の朝
クリフは皆に事情を説明し、ハンナとバーニーらに常に纏まって行動するように言いつけた。
「ふーん、だから急に剣のお稽古をしてたんだね。」
「ああ、一応な。」
ハンナのけろりとした物言いにクリフが苦笑した。彼女はクリフが負けるなどとは想像もしないようだ。
「相手が我々を狙うでしょうか?」
「わからん……わからないなら最悪に備えるしかない。」
バーニーの疑問にクリフが答える。
するとジーナが「わかりました」と頷いた。
ジーナも冒険者にならなかったとは言え、訓練は積んでおり一応は戦える。
ハンナとバーニーとジーナが3人で行動すれば先ずは大丈夫だろう。
「クリフは? どうするの?」
「なるべく一緒にいるよ。」
クリフの言葉に満足したハンナはニッコリと笑った。
………………
さらに2日後
自由都市ファロンの郊外にクリフはいた。1人である。
ここは小川が流れ、寂しげにススキが生い茂る野原である。そこに何故かクリフが立つ周囲だけ、ぽっかりと何もない空間が広がっていた。
……なるほど、ここなら決闘にはお誂え向きだ。
クリフは感心したように周囲を眺めた……半径13~14メートルほどの、ややいびつな円形の空間である。
「ごほ……」
咳が聞こえる方を見ると、先日の男が歩いてくるのが見えた。こちらも1人である。
「待たせたかな?」
男が気安げにクリフに尋ねる。
クリフは無言だ。
男からの果たし状が届いたのは昨日、この場所へ1人で来いと記してあった。
クリフは待ち伏せしようかとも考えたが、この男には通用しないだろうと思い諦めた。
また大人数を用意すればこの場に男は現れまい……これはそのままクリフにも言えることだ。
「ごほっ……ごほっ……嬉しいよ、十中八九は囲まれると思っていた。」
男はそう言いながら剣を抜く。ショートソードと呼ばれる刃渡りが50センチほどの両刃の剣だ。
クリフもこれに応じて無言で剣を抜く。こちらはサイラスから譲られたミスリルの剣だ。男のショートソードよりやや長く、刃渡りは70センチ弱ほどである。
「ほう、それが名高い嵐の剣か……なるほど、ミスリルだったのか……ごほっ」
男が感心したように息を吐く。
嵐の剣とは、猟犬クリフの物語の中で、彼が持つと言われる宝剣の名だ。
一度鞘から抜き放てば、その刃を血に染めねば再び鞘に収まらぬと言われる血に飢えた魔剣らしい。
「どうだろう? 物は相談だが……ごほっ……ごへっ!」
男が咳むせて痰を吐いた。血が混ざっているようだ。
「失礼……ごほっ……物は相談だが、私が勝った場合、その剣を譲ってもらえまいか?」
男の思わぬ提案にクリフは少し気勢を削がれた。
欲しければ死体から剥ぎ取れば良いのだ……いちいち断りを入れるとは傭兵や破落戸の類では無いらしい。
「……すまないが、その場合は妻に届けてくれないか?」
クリフが初めて口を開いた。クリフにお喋りをする気は無かったが、男の思わぬ真面目さに釣られた形だ。
「なるほど、姫剣士か……わかった、残念だが諦めよう。」
男が体を低くし、下段に剣を構える。
クリフはピタリと正眼に構え、これに応じた。
「……ごほっ、セオドア・バーキン……参るっ!」
言うが早いか男の剣が繰り出された。目にも止まらぬ石火の突きだ。
クリフは咄嗟に剣を振るい、これを防ぐ。
ガキィ
凄まじい衝突音が鳴り響き火花が散った。
クリフとバーキンと名乗った男は互いに飛び退き、距離を保つ。
じり、じり、と間合いをはかりながら両者は睨み合う。
ビウーと雁渡しの風が吹いた。
ざわ、と周囲に生い茂るススキが一斉にそよめく。
クリフは微動だにせず、バーキンはゆらゆらと風に乗り体を揺らしている。
その瞬間「ごほっ」とバーキンが咳をした。
……今だっ!
「うおぉぉぉぉっ!」
クリフは雄叫びを上げながら渾身の力で袈裟斬りを放つ。
バーキンは咳で初動が遅れたが、かろうじて剣を盾にしてこれを防ぐ。
バキィーンッ
カン高い音を立て、バーキンの剣は二つに折れた。
そしてそのままクリフの剣がドンッと音を立ててバーキンの左肩に深々と食い込む。
バーキンは数歩、たたらを踏んだが、堪えきれずにドタリとそのまま大の字に倒れ、声もなく絶命した。
「はあ……はあ……ふうーっ……」
クリフが呼吸を整えながら、そっと自らの胸を触る。
そこは服が裂け、薄く血が滲んでいた……バーキンの初撃を防ぎきれていなかったのだ。
「強かった……万全ならば、違っていたかもな……」
クリフはバーキンの遺体にそう告げると、その場を立ち去った。
体調が万全ならば、剣が同じならば、これらを言い出したらキリは無い。
だが、クリフは考えずにはいられなかった。
もしかしたら、ここで倒れていたのは己だったかも知れないと。
……帰ろう、服を変えなくてはな……
クリフはぼんやりと野に咲く花を眺める。
彼岸花の真っ赤な花が、まるで血のように見えた。
今のクリフの状態を知ってもらうための話です。
戦闘力はまだまだ強いですが、持久力に不安があります。
さすがに全体の能力がピークアウトしていますので、若い強敵と戦うのは辛くなってきました。




