12話 トバイアス・クロフト 下
翌日の午後
クリフはヒースコートに連れられ、エリーと共に宮殿に向かった。
アルバートの新公爵就任と戦勝を祝う宴に招かれていた為である。
……どうしたものか……
クリフはずっと悩んでいた。
近くクリフはアルバートの三男トバイアスと決闘をすることになるだろう。
これはエリーが「私と結婚したければ父に勝て」とトバイアスに告げたからだ。
クリフが思うに、トバイアスは心底エリーを好いている。
貴族とは婚姻で縁を繋ぎ、勢力を拡げるものであるが、トバイアスは一介の浪人貴族であるクリフの娘を嫁にしようと言うのだ……これは余程エリーを好いているのだと容易く想像がつく。
そして実のところ、エリーもトバイアスの気持ちに満更でも無い様子なのだ。
……いっそのこと、わざと負けてやろうか……?
両者の想いを考えれば、負けても良かろうと思うのだが、クリフには心に引っ掛かるものがあるのだ。
『私は強いお父さんが好き』
以前、エリーに言われた言葉だ。
言った本人にとっては大した意味は無いのかも知れないが、この言葉を聞いた父親としては娘に無様は見せられない。
……まあ、成り行きというものがあるか……
気持ちも定まらぬまま、宴は始まりの時間を迎えた。
クリフはぼんやりとしていたが、エリーは2年ほど前にジンデル領の若手貴族と知己を得ており、若者たちの輪の中に入っていった。
……うーん、酒でも飲むか。
立食形式の宴席である。
クリフは召し使いから酒杯を受けとりチビチビと酒を舐めた。
決闘を申し込まれた時に酔いを残していては不覚をとるかもしれない……あまり酒も飲める状況では無い。
クリフが隅っこの方でコソコソしているとヒースコートが数名を引き連れてクリフの元へやって来た。
「こんた所にいたのか! 探しましたぞ。」
ヒースコートはにこやかに数名の貴族を紹介してくれたが、あまりクリフの印象には残らなかった。
「お初にお目にかかります。クリフォード・チェンバレンです。本日は……」
クリフも無難な挨拶をしていると、周囲の貴族たちもクリフの存在に気づいたようで視線が集まっているのを感じる。
「よろしければ名高い冒険譚をお聞かせください。」
ヒースコートに紹介された若い貴族がにこやかにクリフを促す。
正直面倒くさいが、ヒースコートの顔を潰すわけにもいかない。
「そうですね……何の話にしましょうか……」
「ならば最も手強かった相手をお聞かせ願おう!」
髭面の肥えた貴族が声を張り上げた。いかにも武人と言った風情の男だ。
「それは黒騎士リンフォードです、彼は正しく強敵でした。」
クリフの言葉に周囲も「おおっ」と、どよめいた。どうやら聞き耳を立てていたらしい。
実際にはリンフォードとの対決は対決とも呼べない無様なものであったが、世間では「騎士崩れのリンフォード」は名高い賞金首であり、クリフは激しい一騎討ちを何度もしたことになっている。
クリフはヒースコートのためにサービス精神を発揮したのだ。
「……そうして山賊を片付けた私にリンフォードは声を掛けたのです……彼は多数で戦うのを良しとせず、私に一騎討ちを挑んできました。」
周囲は興奮してクリフの話に聞き入っている。
話下手のクリフの朴訥とした口ぶりは、かえってリアリティを引き立たせ、ある種の迫力がある。
「何度も戦い、互いに手の内は知り尽くした相手です……長い戦いになりました。正直に申せば詳細は覚えていません、私は必死だったのです。」
髭面の貴族が「さもあろう」と頷いた。
「勝因は実力ではありませんでした。老いたリンフォードはついに力尽き、私の剣を受けたのです。当時の私は20代の若者であり、彼は60才を超えていたでしょう。」
これには周囲もざわついた。
この時代の60才とは長寿の部類である。その年で伝説的な冒険者と渡り合ったとは信じられる話ではない。
お話の中でのリンフォードは壮年の騎士である。
だが、この様な話を聞くと人とは「嘘をつくならもっとましな嘘をつくはずだ」と考えるものだ。
リンフォードが60才だったと告げることはクリフにとってメリットは無いのだ。
60才を超え、尚も悪鬼のように戦うリンフォードを想像し、貴族たちはゴクリと唾を飲んだ。
「剣を受け、動けなくなったリンフォードは私に言いました……刑場で果てようと……彼は数多の罪の責を取り、刑場で首を吊られたのです。」
「馬鹿な、それほどの男が刑場で死ぬ不名誉を受けるとは!」
今まで黙っていた痩せた貴族が声を上げた……他の貴族も同意している。
「私にも真意はわかりません……ですが、そこに彼なりの美学が有ったのかもしれません。事実、彼は罵声の中、逍遙として首を吊られました……私には彼が笑っていたようにも思います。」
これは完全にフィクションである。クリフは自分で捕らえた賞金首の絞首刑を見たことは1度も無い。
『そんなの見ていられるかよ、馬鹿らしい』
若かりしクリフに、師のジュードが溢した言葉である。
それ以来、なんとなくクリフも絞首刑は見なくなったのだ。
「うーむ、示唆に富んだ話ですな……」
痩せた貴族が何やら考え込む。
髭面の貴族は何やら思うところがあったようで、うんうんとしきりに頷いている。
「うむ、素晴らしい話だが、公爵閣下のお成りですぞ。」
ヒースコートが苦笑いしながらアルバートの入場を告げる。
彼はクリフの話が出鱈目であることを知っていたが、これはクリフの気遣いであるとも気づいていた。
「すまんな。」
「いえ、何でもありませんよ。」
互いにニヤリと笑いながら黙り込んだ……アルバートの言葉を聞くためである。
…………
アルバートの挨拶も終わり、会場に賑やかさが甦った。
クリフが他の貴族たちの相手をしていると、エリーが1人の若者を連れてやって来た。
金色の髪に逞しげな顔つきの、身なりの良い若者だ。
……見覚えがあるな、トバイアスか……
「お父さん……」
「お久しぶりです、トバイアス様。」
エリーが何かを言いかけたが、クリフは遮り、トバイアスに声をかけた。
娘の言葉を聞いては闘志が鈍る。
トバイアスは黙って頷き、剣帯の飾り紐を床に叩きつけた。
「「おお」」
周囲が大きくざわめくのが聞こえる。
無言で身に付けているものを床に叩きつけるのは決闘を申し込む所作である。
……いきなり来たか……
クリフも無言で手袋を床に叩きつけた。
決闘に応じたのだ。
周囲のざわめきが静まり返る。
「アリスを貰い受けたい……武器をお選びください。」
決闘は受けた方が武器を選ぶのだ。
トバイアスはクリフに武器を選ぶように促した。
槍ならば馬上で落馬するまで戦い、剣ならばどちらかが傷つくまで戦うのだ……基本的には死ぬまでは戦わないが、時にはハンナの兄のように決闘で命を落とす者もいる。
クリフは少し考え、ニヤリと笑う。
「素手でやりましょう……どちらかが降参するまでです。」
周囲が再度ざわめき出した……素手で決闘とはあまり聞かない。
「娘に相応しいか、拳で教えてもらおう。」
クリフがトバイアスに告げると「望むところです」と応じ、両者ともに剣帯ごと佩剣を外した。
エリーは急展開に着いていけず、少し動揺しているようだが気丈にも口を引き結んでいる。
これから己を賭けて2人の男が戦うのだ……平常心ではいられまい。
「表に出よう、物を壊したくない。」
クリフがぞんざいに口を利いた。
これは父親が娘の婿を選ぶ闘いである……相手が公子だろうが関係は無い。
クリフとトバイアスは庭で向かい合った。
周囲には他の貴族も付いてきており、2階のバルコニーにはアルバートの姿も見える。
エリーは決闘をする2人のすぐ側だ。
「どこからでも来い。」
クリフがやや半身となり、左手の掌をトバイアスに向けるように構えた。右手は脇を閉め、顎の下にピタリとつけている。
トバイアスは完全に半身となりグッと腰を落としている。
左手を盾のように地面から垂直に立て、右手は腰の辺りで硬く拳を握っている。
左手を盾、右手を剣に見立てた構えだ。
「来ないなら、こちらから行くぞっ!」
クリフがドンッと左足を踏み込むとトバイアスが固く身構えた。
それを見たクリフはワンテンポずらして左足で蹴りを入れる。空手の横蹴りに近い形だ。
トバイアスは左手でガードしたが、体勢を大きく崩し、クリフの右フックを顔面で受けた。
一撃で倒れるトバイアス。
口内を強かに傷つけたのだろう、口から血を流している……ひょっとしたら歯を折っているかもしれない。
これは彼が弱いのではない、トバイアスの使う体術は鎧を着こんだ時の動きを想定しており、蹴りなどは使わない。
対してクリフは冒険者流の喧嘩闘法である。
トバイアスは優秀な若者ではあるが、実戦の経験が無い。
百戦錬磨のクリフの相手をするには荷が重すぎた。
「もう終わりかね?」
クリフが倒れたトバイアスを見下ろすと「まだまだ」と立ち上がる。
再度、距離を取り向かい合った。
「うおおっ!」
トバイアスが雄叫びを上げなが右手で突きを放つ。
しかし、クリフの左手がトバイアスの拳を外側に打ち払い、ほぼ同時に右手がトバイアスの腹に突き立った。
「ぐええぇ」
トバイアスは体をくの字に曲げ、胃の中身をぶちまけた。
クリフはそれを少し離れて見守っている……これは決闘である。グロッキーになった相手を痛め付けたりするのはルール違反だ。
「終わりかね?」
クリフが再度尋ねると、トバイアスは「まだまだっ」と歯を食いしばった。
トバイアスが構えをとる。
……構えが変わったな。
クリフはトバイアスの構えが変わったことを見てとった。
彼は両手を軽く握って顔の前あたりで構え、クリフと正対するように向き合っている。
トバイアスは彼の戦闘センスが命じるままに構えを切り替えたのだろう。彼の今の構えは騎士のものでは無い。
「はッ!」
トバイアスが素早く左手を突き、続けて右手を突き出した。
荒削りだが、ボクシングのワン・ツーの形だ。
これをクリフはわざと受けた。
拳が2度、顔面を捉えるが歯を食いしばり、そのままトバイアスを掴んで投げ飛ばした。
柔道で言うところの払い巻き込みのような形となり、トバイアスの上にクリフがドカリと体を落とした。
「ぎゃあ!」
トバイアスが堪らず悲鳴を上げる。
これには周囲の観客も「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
クリフはすかさず立ち上がりトバイアスから離れる。
「糞ぉ……まだまだっ!」
トバイアスは目に涙を浮かべながら立ち上がろうとするが、動きが明らかにぎこちない……咄嗟に体を丸めて後頭部を守ったものの、クリフの体に潰されどこかを痛めたようだ。
クリフはその様子を見ながら「ふんっ」と手鼻を噛み、鼻血を飛ばした。
首の付け根がじんじんと痛む。
……良いパンチだ、効いたぜ。
クリフは無表情のまま、内心でトバイアスを褒めた。
トバイアスは優秀とはいえ、まだ15才だ。肉体は育ちきっておらず、細さを感じさせる。
それに比べて36才のクリフの体にはみっしりと肉が詰まり、分厚さがある。
体重が違うのだ。格闘戦において体重のハンデは大きい。
体重の差は超えがたい……故に、各種スポーツでは体重別に階級が定められているのである。
トバイアスが何とか立ち上がり、クリフの胸を殴り付けた。
ドンッとした衝撃を感じながら、クリフもトバイアスの胸を殴る。
トバイアスは「ぐっ」とふらつきながら耐え、クリフの喉 を拳で突いた。
クリフの口から「げっ」と声が洩れたが怯まず、クリフも手刀でトバイアスの首を叩いた。
「があっ!」
トバイアスは崩れ落ち、四つん這いになる。
「お父さんっ!」
エリーが叫んだ。
「もう十分! もうやめて!」
エリーは泣きながらクリフに訴える。
しかし、クリフは首を横に振った。
「エリー、彼は降参していない。」
見ればトバイアスは膝を震わせながら立ち上がろうとしている。
周囲も「もう十分だ」などと声を上げるが、本人がやる気なのだ。
「今! 今一度!」
トバイアスは泣きながら、口から血を流しながら立ち上がり、構えをとる。
彼の凄まじい闘志にエリーが怯んだ。
「何度でも。」
クリフも油断無く構えた。
しばらく睨み合うが、クリフが思いきり踏み込んで腹を殴り付け、体を丸めたトバイアスの首を正面から思いきり絞めた。
前方裸絞めに似た形である。
あまりに綺麗に入った絞め技は数秒でトバイアスの意識を刈り取り、失神させた。
周囲が「死んだのでは」とざわめく。
失神したトバイアスにエリーが寄り添い、クリフから庇うような姿勢になる。
エリーは泣きながらクリフをキッと睨み付けた。
……参ったな……手も足も出ないよ。
クリフは「ふ」と薄く笑い、エリーを見つめる。
「参った、降参だ。」
クリフは周囲に聞こえるようにハッキリと告げた。
「……お父さん……?」
「彼は最後まで降参しなかった、俺の負けさ。」
クリフが敗北を宣言し、バルコニーで見守るアルバートを見上げた。
いつの間にか、そこにはアルバートの家族が集まっており、心配そうにトバイアスの決闘を見守っていた。
「公爵閣下! 勝利の宣言を!」
クリフが促すと、アルバートは大きく頷き周囲を見渡した。
「この勝負、トバイアス・クロフトの勝利とする!」
「「わっ」」
周囲が歓声を上げ、拍手が巻き起こった。
トバイアスは護衛の騎士たちに両肩を担ぎ上げられ運ばれていく。
「何をしている、早く行ってやれ。」
クリフがエリーを促すと「お父さん、ありがとう」とエリーは言い残し、駆け出して行った。
「ふふふ、私が貴殿にハンナを盗られた時の気持ちが判ったかね?」
気がつけばヒースコートがクリフの側まで来て、ニヤニヤと笑っている。
「仕方ありません、ハンナは叔父上より私を選んだのです。」
「ははっ、エリーもな!」
ヒースコートはクリフの背中をバンバンと叩き「飲もうじゃないか」と男臭く笑った。




