12話 トバイアス・クロフト 上
春が来た。
内乱は終結したものの、通信が未発達の世の中ではその事実を知らずに冗談のような時期まで頑強に抵抗を続ける者もいたりするが、一応の平和は訪れた。
しかし、戦とは終わった後も影響は続く。
脱走兵や、所領を失った者たちが野盗化し、暴徒として村や町を略奪するのだ。
クロフト村も例外では無く、何度か怪しげな者たちの襲撃を受けたが撃退に成功し特に大きな被害は無く年を越せたのは幸運であった。
しかし、その弊害として道の整備や植樹は進まず、それらの事業はもう少し世相が落ち着いてからの話となりそうである。
………………
ジンデル公爵領の首府、ジンデルの町では公爵領の貴族たちが続々と集まり、俄に活気づいていた。
先の内乱における論功行賞のためである。
クリフはエリーやヒースコートと共にジンデルを訪れていたが、論功行賞に参加するのはヒースコートのみでクリフとエリーは留守番となる……これはクリフの希望でもある。
下手に顔を出して仕官の話でもされては断るのが面倒である。
この日のクリフはエリーとジンデルの町を見物に出ることにした。
ジンデルの町は4千2百戸、人口にして3万弱~3万5千程度であり、この時代のマカスキル王国では稀に見る大都市である。
3万人と聞くと、現代人は小さな田舎町を想像するであろうが、この時代のマカスキル王国では立派な都市であり、農村に住まう者たちからすれば、田舎から東京に出るようなカルチャーショックを受けることだろう。
そして人口にして数万人程度の都市であっても、現代人が想像するよりも遥かに多様な都市機能を備えており、様々な役割を担っている……つまり、クリフとエリーが観光する分には不足は無いのだ。
久しぶりの娘とのデートにクリフは柄にも無くはしゃいだ。
2人乗りで馬に乗り、町に出たのだ。
ジンデルの法では騎乗で市内を移動できる者は騎士か貴族のみと定められている。
つまり、普段着のクリフが供も連れずに馬に乗って町を移動すれば大変に目立つ。
これは普段から貴族然とした行動を嫌うクリフからすれば非常に珍しいことだ……それだけ浮かれていたということだろう。
ちなみにバーニーたち3人の従者は、クロフト村でハンクと警戒を続けており、クリフたちに供はいない。
町に出ると、たちまちに小さな騒ぎが起き、2人組の衛兵が事情を聴きに駆けつけてきた。
ここ数日は論功行賞のために多数の貴族が集まっており、騒ぎが起きがちである。
余所者が増えればトラブルが増えるのは当然であるし、貴族の家来は主家の面目にも関わるのでなかなか非を認めず大事になることも多い。
そのために衛兵が警戒を強めていたのだ。
「止まれ! 市内は庶民の騎乗は禁じられている!」
衛兵の言葉でクリフは過ちに気がついた。
市内に入った時も騎乗ではあったが、その時はヒースコートも一緒であった。
騎乗するならば、服装や供といった細かなことに気を付けねばならなかったのだ。
「失礼しました。私はクリフォード・チェンバレン、こちらは我が娘のアリス。ヒースコート・クロフト卿の供としてジンデルに滞在中です。」
クリフは下馬し、チェンバレン家の紋章が入った剣を見せつつ衛兵に名乗る。
これには衛兵たちが驚いた。
まさか貴族が供も連れずに市内を出歩き、衛兵に頭を下げるなど考えられないことである。
「いえ、こちらこそご無礼をいたしました……失礼ですが、チェンバレン閣下とは猟犬クリフ様でありましょうか?」
「はい、左様です。」
これには衛兵が大喜びをし、周りの野次馬も騒ぎ出した。
ジンデル公爵領ではクリフの人気は高い。
「おい、猟犬クリフが来てるってよ。」
「じゃあ、あの娘が姫剣士かい?」
「衛兵に頭を下げるとは大したことねえな。」
「馬鹿か、貫目が違うから相手にしてねえんだよ。」
「うん、無駄に吠えねえのは大人の貫禄だ。」
野次馬は好き勝手なことを言うがクリフはもう慣れている。どこを吹く風と知らん顔だ。
しかし、エリーはそうはいかない。
「お父さん、その……」
周囲の目に耐えかねたエリーは、居心地悪そうにクリフの袖を引いた。
「ああ、そうだな……すみませんが、我々はここでご無礼をさせて頂きます。」
エリーを鞍に乗せ、クリフが衛兵に挨拶をする。
「お待ちください、失礼とは思いますが、このままではまた衛兵が声をかけるでしょう……よろしければ我々にお供をさせて下さい。」
衛兵が「なあ」と相棒に声をかけると、相棒も「それがいい」と頷いた。
……参ったなあ、大袈裟なことになっちまった。
クリフも出来れば断りたいが、衛兵たちは純粋な好意で申し出てくれたために断り難い。
結局は衛兵たちの申し出を受け、クリフとエリーは衛兵に護衛されるような形で町の観光をすることとなった。
ぞろぞろと野次馬たちも後を付いてくるが、もはやクリフもエリーも気にしていない。
しばらく歩くと、大きな水槽のある広場で衛兵が立ち止まった。
「こちらの広場にある井戸をご覧ください。」
「井戸?」
エリーが広場を見て首をかしげる。
確かにそこには水槽のような物はあるが、井戸のように穴は見当たらない。
「井戸は見当たりませんが?」
クリフが馬上から衛兵に尋ねると、衛兵が自慢げに顎を上げた。
「この水槽が井戸なのです。初代辺境伯ボールドウィン様が水神の霊夢を受けこの地を調べたところ、水の湧き出る石を見つけました……あの石です、そして水神に護られたこの地に町を築いたのです。」
衛兵の指が示す先を見れば、水槽の端に直径2メートルほどの岩が見えた。
これは自噴泉であろう。
豊富な地下水が湧出しているのだ。
地下水の多い日本でも各地で見られる現象である。
しかし、自噴井のメカニズムを知らぬ時代の人々には神々の神秘のように見えた筈である。
「へえ、不思議ね。」
「かなりの水量があるようだな。」
エリーとクリフが感心すると周りの野次馬も大喜びした。
彼らにとっても自慢なのだろう。
「次は水神を祀る社にご案内しましょう。」
衛兵が声をかけ、クリフたちの馬の口を取りながら歩く様子はまるで従者のようである。
ぞろぞろと付いて歩く野次馬たちを見て「今日は水神の社で何かあるらしい」と勘違いした者たちも集まり始め、水神の社は大勢の人で賑わった。
「これは凄い人出だ!」
「こんなに人が集まるなんて!」
集まった群衆の喧騒に負けじと大声を張り上げる父娘を見て衛兵が苦笑した。
父娘は人で賑わった境内に驚いているが、この社は普段は閑散とした静かな神域なのである。
群衆心理とは不思議なもので、一旦騒ぎが起きてしまえば原因たるクリフとエリーが外に出ても誰も気にもしない。
その後のクリフたちは衛兵に案内され、たっぷりと時間をかけてジンデル観光を楽しんだ。
後にこの親切な衛兵たちの振る舞いはヒースコート経由でアルバートの耳に入り、褒美をたんまりと貰ったそうだ。
………………
その日の論功行賞で、ヒースコートは全体の功労3位とされ、大いに面目を施したらしい。
公爵位獲得の功績と、全体から見て極早い時期に敵拠点を攻略し、アルバート派の士気を高めたことが評価された形だ。
ちなみに1位と2位は多数の兵を率いて町を攻略した将軍たちであり、見る者が見れば実質はヒースコートの働きが1番だと気づくだろう。
今まで無名の小貴族であったヒースコートだが、これにより一躍名を馳せることとなり、一気に注目を集めることとなった。
ヒースコートは正式にクロフツ村とクラフ村を所領として与えられ、世継ぎとして公爵の三男トバイアスが養嫡子としてクロフト家に入嗣する。
トバイアスにはバーチの町が所領として与えられ、クロフト家の領地と合わせれば公爵領内の貴族としては中くらいの実力となるだろう。素晴らしい出世である。
ましてトバイアスは公子であり、その才気は抜群で将来を嘱望されている若者だ。クロフト家の未来は明るいと皆から羨望の目で見られたことだろう。
晴れて新公爵となったアルバートはダリウスに従った者には寛容に接し、健闘を労った。
彼らは所属先を間違えただけで振る舞いに問題は無いとされたのである。
特にダリウス派の中核となったサヴァレ家もアルバートの次男に家督を乗っ取られただけで領地も削られず、家門の存続を許されたのは人々にアルバートの寛容さを印象づけた。
悲惨なのはダリウス派からアルバート派に鞍替えした者たちだ。
彼らに主義主張は無く、多くは風見鶏のように風の吹く方に従っただけではあるが、例外無く所領を削られ新公爵から叱責を受けた。
特に土壇場で裏切った者は所領を没収され、家門を廃絶とされた。
この処置を見て、ヒースコートはクリフに深く感謝をした。
クリフは「一貫してどちらかを助けよ」とヒースコートに説いていたからである。
風になびく草のようにフラフラと動いていればクロフト家の存続も危うかっただろう。
もともと中立を決め込もうとしていたヒースコートは大いに冷や汗をかいた。




