10話 失われた純潔 上
春が来て、内乱は再開する。
休戦期間を経て、やや息を吹き返したダリウス派は積極的に兵を動かすが、劣性が続くと勢力の結束は脆くなるものである。
去年、集まった貴族が集まらない。酷い者になるとアルバート派に寝返り攻め手に加わり刃向かってくるのだから堪らない。
ダリウス派は窮地に陥り「どう勝つか」ではなく「どう負けるか」という段階に入りつつある。
どうにか降参では無く、和平という形に持ち込むべく徹底した防衛戦を行い始めた。
内乱は次の段階に進みつつあるようだ。
………………
今年はクロフト家にも陣触れがあり、アルバートは従士と兵士を合わせて80人も率いてジンデルに向かう。
80人の中には特にクロフツ村とクラフ村からの志願者が多い。
これはヒースコートが「両村の兵士で目立つ働きがあった者は従士とする」と触れを出したためだ。
ヒースコートは意気揚々とクロフト村を出立する。
仮にとはいえ新しい領地を与えられたからには、それに見合った働きをせねばならぬのである。
ハンクとフィオンも出陣し、村には少しばかりがらんとした静けさが残る。
クリフはクロフト村の若年者を数人引き連れてクロフツ村に続く山道の整備を行い続けた。
若年者を集めた理由は村の労働力を減らさないようにと村人に気を使ったためである。
ただでさえ兵士として村の男が出陣しているのである……労働力をこれ以上低下させたくなかったのだ。
今日集まったのは9~13才の男女が7人である。
クリフはバーニーと13才の少年に周囲の警戒をさせ、残りの6人と共に山の斜面を削る。
クロフト村とクロフツ村を結ぶ山道は、兵の進退を妨げるため、わざとジグザグに作っている。
これでは不便極まりない。
クリフと子供たちは、これを直線に近づけるように新しい道を拓いているのだ。
彼らは木の根を根気よく掘り起こし、斜面を削り、あるいは埋め、工事は少しずつだが前に進んでいく。
クリフも率先して働き、年少者は順番に休ませた。
「旦那さま、クロフツ村から2人来ます。子供ですが、武装しています。」
周囲を警戒していたバーニーがクリフに注意を促した。
「子供? ……確認しよう。案内してくれ。」
バーニーに先導され、クリフは後を追う。
クリフの従者であったバーニーも14才の立派な若者になった。
最近では声がすっかりと変わり、背が急に伸びた。身長などはクリフと並びそうな程である。
なかなかに整った顔立ちはアッシュブロンドの髪とあいまって、いかにも涼しげな美少年といった雰囲気だ。
ちなみにバーニーはすでに女を知っている。
冬の間に村の28才になる未亡人がバーニーを誘惑して関係を持ったらしい……が、ここでは関係の無い話であり、その事実はクリフも知らない。
どこにでも年少者を愛する好事家はいるものである。
…………
クリフがバーニーに案内され見張らしのよい場所から確認すると、確かに2人の若者が向かってくるのが見えた。
バーニーと同年代であろう男女の年少者である。
同じ明るい茶色の髪色を見るに兄妹であろうか。
たしかに2人とも粗末であるが武装している。
少年が斧を持ちナイフを腰に差している。少女は短弓と山刀だ。
身なりは粗末で、あまりサイズが合っていない革の籠手や脛当てを着けている。
……狩りか? それにしては妙な……
クリフは2人がどこか不自然であると感じた。
どこかと言われると困るが勘というものがある。クリフは数多の戦いで勘に命を救われており、決して軽視はしない。
「この先は工事中だ、気をつけて行きなさい。」
クリフは距離のあるうちから2人に声を掛けた。
彼らはクリフとバーニーに気がついておらず、突然声を掛けられて身をすくめたが、すぐにクリフを確認し走り寄ってきた。
武器は構えず、敵意は無いようだ。
クリフの側まで来ると2人はガバッと勢いよく両手をつき、地に額をこすりつける。
そのままの姿勢で少年が声を張り上げた。
「り、り、り、りょ!りょ猟犬く、くクリフ様! おおおおーお、おらたちを、け家来にしてくだせえ!」
この少年はどうやら吃音症があるようだ。
少年は少女に助けを求めるように視線を向ける。
「すいません、兄さんは薄鈍ですから、おらから申し上げます。」
クリフが少し聞きづらそうにすると妹らしき少女が顔を上げた。
吃音は言語を上手く発音できない障害であり、知能には関わりがないが、この時代のマカスキル地方では偏見が根強く不当な差別を受けることも多い。
この妹もへりくだって言ったのではなく、薄鈍とは半ば本気かもしれない。
「猟犬クリフ様、おらたちを家来にして欲しいのです。何でもします。冒険者になりてえのです。」
少し訛りのある口調で少女は必死でクリフに訴える。
「まてまて、女の子がみだりに何でもするなどと言うものではない。」
クリフが少女を嗜めると「あい、すみません」と素直に頭を下げた。
「冒険者になりたいのか? 親は何と言っているんだ?」
「お父っさんは去年の戦で死にました。おっ母さんはお殿様から頂戴した見舞金を持って嫁に行きます。」
この少女の短い説明でクリフはおおよその事情を察した。
去年の戦の後、新たに村の支配者となったヒースコートは、クロフツ村の戦死者の遺族に見舞金を出した。
この兄妹の父が戦死し、母親は見舞金を持参して再嫁が決まったのだろう。
そこで前夫との子らが行き場を失い、生きる術を求めて顔も知らぬクリフを頼ったのだ。
この時代の人口は少なく、労働力足り得る者はそれだけで貴重である。
特に辺境のジンデル公爵領では人不足は顕著であり、若くして未亡人となっても1年以内に再嫁するのが一般的である。
この兄妹の母ならばまだ若いであろうし、ましてや持参金つきである……すぐに貰い手は見つかったはずだ。
「そうか、父親の畑はどうしたんだ?」
「お父っさんは樵でした、畑は小さくて食べていけません。」
クリフは「なるほど」と頷いた。
兄妹は背は高くないが体はがっしりとしており丈夫そうだ。父の山仕事を手伝っていたのかもしれない。
「よく俺が判ったな。」
「はい、猟犬クリフ様が道を直してるのは知っていました。」
クリフは兄妹の話を聞き「うーん」と考える。
ハンクも従士になったし、人手が欲しくない訳ではないが、まだ子供である。
「年と、名前は?」
「兄さんがゲリー、おらはジーナです。13才の双子です。」
クリフはふと、疑問を感じた。13才ならば一人前とは言わずとも近い働きができるはずである。
継子として母親に着いていっても無下にはされまい。
「母親に着いていかなくても良いのか?お前たちなら野良仕事もできるだろう?」
クリフの言葉を聞いて2人は少し顔をしかめた。
「あの、新しい家に行きたくねえのです……」
ジーナはそう言うと口を噤んだ。
何か事情が有りそうだがクリフは無理に聞き出そうとは思わない。
新しい家に行くより、見ず知らずの冒険者を頼ろうというのである。
それなりの事情が無いはずが無いではないか。
憐れっぽい兄妹を見捨てるのも気が引けたし、なんとなくクリフは2人の世話をしてもいい気がしてきた……これも勘が働いたのかもしれない。
泣く子も黙る猟犬クリフも年を取って甘くなってきたものである。
「そうか、俺は妻の病気を癒すためにクロフト村に滞在してるんだ。いつになるかは分からないが、いずれは自由都市ファロンに帰る。ファロンに行けば冒険者ギルドを紹介してやろう。」
クリフの言葉を聞き、ジーナがパッと顔を綻ばせた。
「では? 家来にしてくださるのですか?」
「うん、クロフト村にいる間は従者になってもらおう。今日のところは帰って、おっ母さんに甘えておいで。」
クリフがバーニーの方を向きニヤリと笑うと、バーニーは「わかりました」と頷いた。
暗にクリフが「面倒を見てくれよ」と言ったのを理解したのだ。
「あ、ああ、あ、あー、ありがとうございます!」
後ろでゲリーが大声を上げた。
この日の兄妹は山道の整備を少し手伝い、クロフツ村に戻っていった。
2人ともになかなかの力持ちであり、作業が大いに捗ったのは嬉しい出来事である。
まだ明るいうちにクリフたちもクロフト村に帰る。
さすがに年少者を夜まで働かせたりはせずに、夕方には村に戻り、クリフは子供たちにお駄賃として10ダカットづつ渡して解散となる。
例え僅かな金額でも農村部で現金を手にする機会は少なく、子供たちは大喜びをした。
また参加したいものは翌日も集まれと声をかけると、全員が元気に「はい」と返事をした。
………………
翌日も早い時間からゲリーとジーナ兄妹は山道の工事に現れ、以後はクロフト村でクリフの従者となる。
クリフはハンナやエリーにも2人を紹介したが、気分の優れなかったハンナが「そう」と言ったきりで引っ込んでしまい、エリーが2人と挨拶を交わすことになった。
クリフから見ればエリーが自分よりも年上の兄妹に「励みなさい」と言いいつける様子は何となく微笑ましいものであった。
この兄妹はマメに良く働き、ヒースコートの使用人の仕事も良く手伝うようだ。
2人は従者時代のハンクなどよりも余程に評判が良い。
この後に兄妹の母親の再嫁の話からヒントを得たクリフはアビゲイルと相談し、クロフト村とクロフツ村の間で何組かの婚姻を成立させた。
始めは渋る者も多かったが、半ば強制でもある。
伝統的に仲の悪かった両村ではあるが、積極的な通婚によって血が交ざり、何世代か後には蟠りを忘れ、村ぐるみで親戚付き合いをするようになるだろう。
気の長い話ではあるが、村民の意識はすぐにどうにかなる話ではない。
結局はこれが近道なのだ。
そして全くの余談ではあるが、この「何組か」の中にはバーニーの童貞を奪った未亡人も含まれていた。
縁談が持ち上がると彼女はあっさりとバーニーを捨て、素知らぬ顔でクロフツ村に嫁いで行ったのだから女とは恐ろしい生き物である。
しばらくの間、気落ちしたバーニーをエリーが気遣ったのだが、彼は内容の不純さからエリーには秘密を貫き、大いに不審がられたらしい。




