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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
2章 壮年期

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9話 道祖神の峠

 ジンデル公爵の後継問題に端を発した内乱は公爵領各地で起こる局地戦から始まり、ある程度の規模の軍隊が激突する段階に移行した。


 ダリウス派の主将はバリー・サヴァレという公爵領南部のサヴァレの町を拠点とする大貴族である。


 彼はダリウス派の数的不利を逆転するために部隊を糾合し、乾坤一擲けんこんいってきの会戦をしかけようとの心積もりがあったが、アルバートがこれを許さず、軍が合流する前に各地で小戦をしかけたために兵士が集まらず身動きがとれない状態が続いていた。


 アルバートの戦略は当たり、アルバート派は各地で数的有利を生かし、じりじりと勝利を重ねていく。


 しかし、この戦略は有効ではあったが、ダリウス派の中枢部であるサヴァレやダリウスに決定的なダメージは与えられず、内乱は長期化しつつあった。




………………




「おーい、そっちの岩は動かせそうか!?」


 クリフはクロフト村からクラフ村へと続く山道で大声を上げた。


「ダメだ! 地道に木を()るしかねえな!」


 数メートル上の岩場に立つハンクが負けじと大声で応じる。


 クリフたちは現在、クロフト村周辺の山道を調査している。

 ヒースコートがクロフツ村とクラフ村の管理を任されたことにより、往来の利便性を高めようとの意見があり、先ずはクリフとハンクが調査をすることになったのだ。


 なぜ調査をするのが余所者(よそもの)のクリフとハンクなのかと言うと、彼らは畑を持っていないためである……時は秋の収穫期だ。農村では年寄りから子供まで総出で野良仕事をしているのだ。


「しかし、木を伐ると言ってもな……」


 クリフは鬱蒼(うっそう)と茂る木々を眺めた。


……こいつらの抜根(ばっこん)をするのか?


 道にするには木を伐るだけでは足りない。切り株で足を(つまず)いたり、馬の足を痛めてしまう。文字通りに根こそぎ伐採しなくてはならないのだ。


 道を拡げるために多くの木の根を抜き、整地していくのは大事業になるだろう。


 クリフは計画の先行きの暗さに溜め息をついた。


「まあ、クロフツ側よりはまだましだな。」


 岩場から降りてきたハンクがクリフに声をかけた。

 最近のハンクは(ひげ)を伸ばし始め、なかなか立派な風貌をしている。これは従士として威厳を出したいためらしい。


「まあな、クロフツ村からはクラフ村の方に道を拡げるのも手だな。」

「いっそ別ルートを(ひら)くのも良いかもしれん。」


 クロフト村とクロフツ村は伝統的に仲が悪く小競り合いも多かったために、わざと山道を険しく細くしていたのだ……これはもちろん兵の進退を(さまた)げるためである。

 しかし、クロフツ家が滅び、ヒースコートが3村の支配者となった今は険しい道は不要である。

 道を拡げ、往来を増やし人や物を流通させようと言うのだ。


……なんにせよ、人手と時間がかかる。


 クリフは「うーん」と悩み始めたが良い思案などは浮かばない。


「おっ、騎馬が来たな……って、ご新造(しんぞ)さんじゃないか? あれ?」


 「ご新造さん」とは比較的裕福な町家や騎士の妻を示す言葉だ。この場合はハンナのことを指している。


 ハンクはヒースコートとアビゲイルに遠慮してハンナを「奥様」と呼ぶのを避けているのである。

 ちなみにクロフト村の住民は「ハンナ様」と呼ぶが、ハンクはそこまでハンナと親しい訳では無い。


 クリフは「おや」と少し意外に思いながらこちらに迫る騎馬を見つめた。

 確かにハンナである。


「おーい、クリフっ!」


 クリフを視界に納めたであろうハンナが手を振ってクリフに呼び掛ける。


 ハンナの馬術は達者だ。険しい山道でも騎乗のままでぐんぐんと駆け登る。


大分(だいぶ)と調子が良くなったみてえだな。」

「ああ。やはり故郷の水のお陰だろうな。」


 2人はハンナの姿を見てしみじみと語り合う。


 ハンクは自由都市ファロンにいたころにクリフやハンナと付き合いが有ったわけではないが、ギルドに所属する同業者であり、有名人であったクリフとハンナの顔くらいは見知っていた。

 当然ここまでの付き合いでハンナが流産したことも、気が触れたことも知っている。


……本当に元気になったな。


 クリフはクロフト村に来て1年半以上も経ったことを思い出した。

 正直なところ、クリフはハンナがこれほど回復するとは思ってもいなかった。


 ハンナはまだ本調子ではないが、気分が良いときはこうして1人で出掛けるほどになってきたのだ。


……この調子なら来年にはファロンにも帰れるかもな。


 クリフは放ったらかしにしてしまった冒険者ギルドのことを思い出し少し胸が痛んだ。


 ちなみに王都へはスジラドとレイトンとイルマが向かったらしい。


 意外な組み合わせの様にも感じるが、これは実はイルマがギネスに愛想尽かしをし、当て付けでレイトンとできてしまったためらしい。

 もともとギネスと仲の良かったレイトンは、ギネスと同じ職場にいるのが気まずくなり志願して王都へ向かったそうだ。

 男の友情を踏みにじるとはイルマも罪な女である。


 クリフが物思いにふける間にハンナは到着し、馬から下りる。


 馬の息が荒い。

 ハンナは容赦なく山道で馬をせめ続けた様だ。


「ハンナ、1人できたのか?」


 クリフがハンナを気づかって声をかけた。


 いくらクロフト村の領域とは言え、戦が終わったばかりなのだ……クラフ村の跳ねっ返りが暴発してもおかしくはない。

 それに人里近くには寄り付かないとは言え、山中にはモンスターがいないこともないのだ。

 ちなみにモンスターと普通の野性動物の違いは「積極的に人を襲うか否か」であり、その境界は非常に曖昧である。


「大丈夫よ、この()がいれば平気よ。」


 ハンナがニッと笑った。


 クリフも以前のハンナならば心配はしていないが、今のハンナは丸腰である……流産して以来、ハンナは刀に触ろうともしない。

 そのせいかハンナは見た目にわかるほど肥えてきた。

 太っているという程ではないがポチャっと肉がついたのだ……が、これはこれで悪くないとクリフは思っている。


「それより、水場ってあるかしら? この()も休ませてあげたいわ。」

「それなら、この下に水が流れてるぜ。」


 ハンクが先導し、ハンナが馬の手綱を引きながら続く。


「ちょっと面倒よね、道を拡げたら休憩所に井戸があると便利だと思うわ。」

「休憩所か……なるほどな。」


 クリフはハンナの言葉に関心した。

 やはり人が変われば目の付け所も違う。三人寄れば文殊の知恵とは良く言ったものだ。


「なあ、ハンナならどうやって道を整備する?」

「うーん、そうねえ……」


 馬に水を飲ませながらクリフとハンナはゆっくりと話す。

 思えばこんな時間は久しぶりだ。


 ハンクも気を効かせ、少し離れたところで斜面の様子を確認している。これは別ルートが(ひら)けるかを調査しているのだろう。


「そう言えば、何でハンナが来たんだ?用があったんじゃないのか?」

「あ、忘れてた。」


 ハンナは背負ってる(かご)を下ろし、蓋を開ける。


「お弁当よ。エリーが作ってくれたわ。」

「弁当を籠に入れて馬を走らせたのか……?」


 案の定、中を覗き込んだハンナが「あちゃー」と顔をしかめた。


「まあ、食べれるわよ。ハンクの分もあるから呼んでくるわ。」


 あまり気にした様子もなくハンナが立ち上がりハンクの方に向かう。

 ハンナも正式に従士となったハンクを従者や使用人のようには扱わない。

 むしろ元冒険者組合員として仲間のように思っているようだ。


……しかし、この惨状はエリーに見せれんな。


 クリフはハンナの持ってきた弁当を見て苦笑した。



…………



「それでね、エリーったら……」

「公爵の(せがれ)か……玉の輿だな。」


 弁当を食べ終えたハンナとハンクがエリーの噂話をしている。


 最近、エリー宛にアルバートの三男のトバイアスから手紙が届くようになり、エリーも手紙を届けてくれた使者に返信を渡しているようだ……つまりは文通をしているのである。


 ハンナは娘の恋路に興味があるらしい。


「クリフはどう思う? 私はやっぱりエリーにはお婿(むこ)さん貰った方がいいと思うな。」

「うーん、俺は婿とかよりも、エリーが本当に好きになった人と結婚してほしいんだ……俺たちみたいにね。」


 クリフがハンナに微笑みかけると「もー、クリフったら」とハンナが満更でも無さそうに体を(よじ)った。

 クリフとハンナは貴族としては非常に(まれ)な恋愛結婚である……(もっと)もクリフを貴族とするには(いささ)か出自が怪しいが……


「はいはい、続きは帰ってからにしてくれよっと。」


 ハンクは立ち上がり、水筒に水を汲み行った。暗に「今日はここまで」とクリフに伝えているようだ。

 確かに本調子ではないハンナを連れ歩くのは良くないだろう。


「そうだな、今日はあまり遅くなる前に帰るか。」


 クリフも「よっこらせ」と口にして立ち上がり馬を引いてくる。

 最近は自然と「よっこらせ」とか「よっこいしょ」などと口から出ていることをクリフはまだ気づいていない。


「ハンナが乗るだろ?」

「ううん、せっかくだから引いて帰るわ。一緒に帰ろ。」


 3人と1頭は山道を連れ立って歩く。とは言え、道が狭いので縦に並ぶ形である。


 ここはまだクロフト村の領域であり、村まではのんびり歩いても夕飯までには十分に間に合うだろう。


「なあ、さっきの話だけどさ、ハンナならどうやって道を拡げる?」

「うーん、それなんだけど、どこまで道を拡げるの? それによって話も変わるんじゃない?」


 クリフは「なるほど」と感心した。何となく「道を拡げる」とイメージしていたが、具体的な話は全く出てはいない。


「うーん、ロバが荷物担いですれ違えるくらいはいるんじゃねえか?」


 ハンクが具体例を出す。

 ちなみにクリフが想像していたのは馬車が1台通行できる程度の広さである。


「それなら本当に狭いところだけを広くして、所々ですれ違える広場を作ればいいんじゃないかしら? こんな感じよ。」


 ハンナが身振り手振りで説明を始めたが、これは現代日本で言うところの待避所であろう。狭隘(きょうあい)道路で車両同士が行き違うための空間である。


「それは名案だな。それなら拡張工事の負担がかなり減るぞ。」

「おう、後は本当に狭い所と、広場に出来そうな所を調べていけば良い。」


 クリフとハンクが(うなず)き合った。


 ハンナのアイデアはクリフやハンクとは根本的な目の付け所が違う。

 男2人は山道の全面拡張や新ルート開拓など、かかる労力が大きいことばかり考えていたが、ハンナの案ならば負担は大きく減るだろう。


 幼い頃からクロフト村の領内を見て回った経験から来るものなのか、ハンナの生まれ持った資質なのかは分からないが、ハンナはなかなかのアイデアマン……もとい、アイデアウーマンである。


 ひたすらに歩き続ける道中とは退屈なものである。

 3人はとりとめもない話をしながら歩き続ける。


 しばらく歩くとクリフはハンナが少し歩き辛そうにしているのを感じた。


……ハンナ、疲れてるのか?


 その変化は微々たるものであるが、ハンナを常に気遣っていたクリフに異変に気づかぬ筈がない。


「ハンナ、疲れてるなら休憩するか?」

「ううん、平気よ。」


 ハンナ自身も疲れを知覚していないのかもしれないが無理はさせたくない。


「そうか、なら馬に乗れば良い……久しぶりの遠歩きで無理をして欲しくないんだ。」

「うん、そうね。ありがと。」


 ハンナもクリフに心配をかけたくないのであろう。あっさりと聞き入れ騎乗した。

 手綱はクリフが引く形となる。


「ねえ、クリフ……叔父上は本当にエリーにクロフト家を継がせるつもりかしら?」

「ああ、そう聞いているよ……エリーもそのつもりだろうな。」


 実はヒースコートとクリフはエリーと相談して、養子としてクロフト家を継がせることを決めているのだが、ハンナにはちゃんと伝えていない。


「まあ、エリーなら大丈夫よね。」

「ああ、俺たちの自慢の娘さ。」


 クリフは手綱を引きながらゆっくりと山道を歩み続ける。


「でも、そうなったら公爵の三男とは結婚できないわよ?」

「まあ、その辺はエリーなら心配はいらないよ……というか、本当に恋人なのかもわからないしな……本人から聞いたのか?」


 クリフが当然の疑問を口にすると「聞いてないけど間違いないわ」とハンナが断言する。


 これにはクリフもハンクも苦笑するしかない。




………………




 この次の日、ハンナは遠歩きの疲れが出たのか「気分が悪い」と寝込んでしまった。

 この日の天候が雨なのも影響しているかもしれない。


 しかし、クリフは確かにハンナが回復しつつあると感じていた。


 ハンナが流産した時に噛み合わなくなった歯車が、また少しずつ動き出したのは時間というものの素晴らしさであろう。

 1年半以上かけ、ハンナの(うつ)病は回復期に入っている。順調に行けば症状は一進一退をしつつ寛解期を迎えるであろう。


 時間は誰にでも平等であり、残酷で、優しい。


 この1年半はクリフにとって決して幸福とは呼べない時間ではあったが、それも報われつつあるようだ。




………………




 雨の中でもクリフとハンクは山道の調査を続ける。


「丁度良かったな、窪地が良くわかる。」


 クリフが大きな水溜まりを眺めながら(うなず)いた。

 道いっぱいに足首くらいの深さがあるようだ。


「おう、ちょっと先の道が狭くなった場所を拡げて、出た土を盛れば良い案配だな。」


 ハンクが「あそこだよ」と指で示す。


 そこは馬がやっと1頭通れる程の隘路(あいろ)である。今回の拡張工事で真っ先に取り掛からねばならない交通の難所だ。


……おや、この石……


 クリフは隘路の入り口あたりに転がる石に気がついた。

 それは立てればクリフの(すね)くらいまである石像であった。


道祖神(どうそしん)か……」


 道祖神とは旅人の安全を守り、外から来る災いを防ぐと言われている神だ。


 マカスキル王国は多神教である。


 山には山の、道には道の神がいるとされる。

 一神教も無いではないが、あまり一般的ではない。


 クリフはよっこらせと道祖神を立て、転ばぬように固定した。


 道祖神があるとは、ここがクロフト村とクラフ村の境界なのかも知れない。


「どっちに向けるんだ?」


 クリフの動きに気づいたハンクが近寄ってきた。


 クリフもハンクも信心深いほうでは無いが、わざわざ神を粗末にしようとも思わない。


「うーん、横向いて貰うか。両方に目が届くようにな。」

「わっはっは! 悪くねえ!」


 クリフの都合の良い理屈にハンクが大笑いをした。


 道祖神を少し拝んだ2人はすぐに調査を再開する。


 秋の収穫期が終わればすぐに冬が来る。

 雪が降る前に多少なりとも工事をしたい……雪が積もれば工事どころでは無くなるからだ。


 2人は急いで調査を終える必要があるのである。


 後にクロフト村とクラフ村を繋ぐこの道は「道祖神どうそしんとうげ」と呼ばれることとなる。

 猟犬クリフが安置した道祖神は横を向いた珍しい形式であり「両睨(りょうにら)みの道祖神」と呼ばれるようになった。


 不思議なことに、この道祖神を(もう)でると眼病が癒えると言われ始め、クロフト村とクラフ村から多くの者が訪れる両村の名所となる。


 外科手術や抗生物質の無い時代、眼病は多くが不治の病だ。多少怪しくともご利益りやくがあるとなれば詣でる者は多い。


 この道祖神は両村で共有し、管理されることとなる。


 ひょっとすれば、両村の往来を活性化させたい「誰か」が意図的に流した噂かもしれないが、真相は不明だ。




………………




 クリフたちが忙しく山道を整備しはじめると、ほどなくして冬がやってきた。


 雪が積もれば兵を動かすことが出来ず、内乱も一時休戦となる。

 そうなれば押し込んでいるアルバート派も兵を退かざるをえず、ダリウス派もある程度は息を吹き返すだろう。


 内乱は未だに終わりが見えぬ状況である。

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