7話 公子アルバート 下
翌日
ヒースコートは従士二人を供として馬でジンデルへ向かった。
クロフト村からジンデルまでは普通の者が徒歩で7~8日ほどだ。全員騎乗ならば2日……少し無理をすれば1日で行けるかもしれない。
ハンクは既に暗いうちから王都に向かった。彼は旅なれたベテラン冒険者だ、急行すれば三月ほどで十分に王都まで往復するであろう。
そして、後にこの知らせを受け取ったアイザック・チェンバレンは狂喜することとなる。
ジンデル公爵領に影響力を及ぼす千載一遇の好機がやってきたのだ。
彼は早速、公爵位を認める交換条件を周囲と諮り、アルバートからの使者を大いに翻弄することとなる。
…………
クリフに詳細は分からないが、ヒースコートは上手くアルバート派に食い込めたらしい。もっとも、アルバート派に断る理由などは無い。
半月後、クリフはエリーと共に温車に乗り、ジンデルへ向かった。
これはアルバートからクリフが謁見後の晩餐会に招かれたためだ。
本来ならば妻であるハンナが同席すべきなのだが、病のために娘のエリーが代理となったのだ。
エリーは目を瞑り、ブツブツとマナーを呟きながら復習している。
クリフとてマナーは付け焼き刃だが、ジンデル公爵領は辺境であり、マナーはわりと緩やかであると聞いて少し気楽になっていた。
ちなみにヒースコートとの食事とて、一応のマナーを守っているので二人が全く無作法と言うわけではない。
「なあ、エリー……」
エリーが一息つくのを見計らい、クリフが穏やかに語りかけた。
「何? お父さん。」
「エリー、婚約者がどうのって話だけどな……父さんはエリーが本当に結婚したい人と結婚してほしいんだ。」
エリーは「婚約者」という単語に反応し、少しムッとした顔をする。その表情には「またその話?」と露骨に書いてある。
「エリーが本当に好きな人だったら、父さんは絶対に反対はしないよ。だから叔父上が探してきた人と結婚したく無いならハッキリ言って欲しいんだ。わかるか?」
「うん……」
エリーは複雑な表情をした。何か言いたそうだが、クリフは無理矢理聞き出そうとは思わない。
「父さんと母さんが初めて会ったのはこの辺りだったんだ……父さんは病気で、道で倒れたんだ。」
エリーは興味をそそられたようで、視線を上げクリフを見つめる。
「それを助けてくれたのが母さんだったんだよ。母さんは17才で、男の子みたいな格好をしていたな。でも一目で女の子だって分かった。」
「なんで?」
エリーが食いついてくる。
クリフは過ぎ去りし日を思いだし、不思議な気持ちになってきた。
「だって、凄く可愛かったからさ。」
エリーが「はん」と鼻で笑った。父親の惚気話など聞きたい筈はない。
「母さんは仇討ちの旅の最中だったんだ。今から行くジンデルまでね……」
……あれから8年も経ったのか……今思えば、ハンナと出会えなかったら、俺の人生は全く違うものになったんだろうな。
クリフは今でもハッキリとハンナとの旅を思い出せる。
記憶の中で多少の美化はされているだろうが、美しい思い出だ。
クリフは思い出を噛みしめるように、エリーにかつての母の姿を語る。
すると不思議なことに、忘れかけていたハンナへの想いが蘇ったような……自分が何とも言えない心持ちになってくるのがわかる。
「素敵ね。」
クリフの話が一通り終ると、エリーがポツリと呟いた。
「父さんと母さんの話……今まで聞いた話とは違ったけど、素敵だわ。」
エリーの言う「今まで聞いた話」とは舞台や講談の類いだろう。猟犬クリフの物語は「猟犬もの」と呼ばれ庶民に人気があり、虚実入り交じり乱発されているのだ。中にはクリフが全く知らない話もあるほどである。
「本当、運命の人って感じ。私……そんなに人を好きになる自信がない。」
エリーが窓の外を見ながら少し声を震わせた。
彼女は思春期なのだ……舞台や人の噂で両親の恋物語や冒険譚を聞かされ続け、複雑な思いを抱いていたのは想像に難くない。
「エリー、そんなこと無いよ。父さんは母さん以外の人を好きになったこともあるんだ……結婚しようと思ったよ。」
「本当に?」
エリーが思わず、と言った風情でクリフの方に振り返った。
「ああ、母さんには内緒だぞ。エレンって人だ……酷くフラれた。」
「信じられないっ! 父さんがフラれたなんて!」
クリフは苦笑した。エリーにとって、自分はどんな存在なんだろうと少し考える。
「ギネスやマスターは知ってるよ。父さんはフラれた後に辛くて、立ち直れなくて、お酒をたくさん飲んで酒場で喧嘩ばかりしてたんだ。」
「いまその人は?」
クリフは少し躊躇いながらも「もう死んじゃったけどね」と伝えた。
エリーは「そう……」と気まずそうに呟く。
「だからさ、焦ることは無いんだよ。父さんだって失恋したんだ……エリーだって色々経験して、エリーの好きな人を探せばいい。エリーに本当に好きな人ができたら父さんも嬉しいよ。」
エリーは少し黙り込んで何かを考えていた。ふと、顔を上げじっとクリフを見る。
「ありがと、父さん。」
エリーが恥ずかしそうにはにかんだ。
………………
謁見は公爵の宮殿内のアルバートの私室にて行われた。
これは謁見の間を使うとダリウス派を刺激するだろうとのアルバートからの配慮だと言う。
……叔父上の新しい主君は常識人らしい。
クリフは無闇に事を荒立てたくないというアルバートの姿勢に好感を持った。
少し、待たされた後に騎士2人に案内され私室に向かう。
この騎士もアルバート派なのであろう。クリフの監視も兼ねているはずである。
一室の前で騎士が大声でクリフの到着を伝えると「入れ」と短く返事があった。
中は広く、質素な部屋であった。
中央に急拵えであろう玉座があり、痩せた男が座っている……おそらくアルバートだろう。
左右には数人、合計で10人ほどの家臣が控えている。
ちなみにヒースコートはこの場にはいない。彼は密使としてアルバート派の貴族数名と王都に急行しているはずだ。
クリフは案内の騎士に促され、アルバートの少し手前で跪き臣下の礼をとる。
「クリフォード・チェンバレン卿をお連れいたしました。」
案内の騎士が声を上げ、アルバートが「お楽に」と声をかける。
「公爵閣下には、千歳を申し上げます!」
クリフが突然に声を上げた。
「「な」」
わずかに左右の臣下に動揺が走る。
クリフはアルバートを「公爵」と呼び「千歳」を寿いだためだ。
言うまでもなく、アルバートはダリウスと公爵位を争う立場である。
そして千歳とは諸侯に対し、臣下が長寿を願うことだ。
ちなみに王は万歳である。
「チェンバレン卿……それは少し気が早いのではないかな?」
アルバートが無表情のままクリフに語りかける。
「いえ、王都および自由都市ファロンに於いては前の公爵様を輔弼されたアルバート様の名声は揺るぎなきものです。公爵位を争われると聞き、耳を疑っております。」
おべんちゃらである。
しかしクリフが左右の家臣の様子を窺うと、明らかに苦々しい顔をしている者がいる……彼らはダリウス派からのスパイなのだろう。
……ふん、腹芸もできないのか、する気が無いのか。
クリフは内心でスパイどもを小馬鹿にしながら顔を覚えた。
謁見自体は無難なものであり、無事に終る。
しかし、「猟犬クリフことクリフォード・チェンバレンがアルバートと会った」という事実はちょっとしたニュースとしてジンデルの町に広まった。
庶民には最近流行りの「猟犬クリフ」が芝居の中から現れたということで話題となり、それなりに政治がわかる者は「アルバート派がチェンバレン家……王都の勢力と繋がった」と見た。
誰かが意図的に流したこの噂はあっという間に拡がり、形を変え、1つのエピソードが生まれることとなる。
『公子の礼』
ある時、猟犬クリフは妻の里であるクロフト村に立ち寄った。
猟犬クリフが領内に滞在していると耳にしたジンデル公爵は、名高い猟犬クリフを一目見ようと思い立ち、彼を召し出そうとした。
しかし、硬骨漢である猟犬クリフは「余は公爵の下人ではない」と公爵の使者を大いに打擲し、追い返してしまった。
これに公爵は激怒したが、公子アルバートがとりなし、彼が猟犬クリフを招くことで公爵は怒りを治めた。
アルバートは先ず、猟犬クリフの義叔父にあたるヒースコート・クロフトを通じて招待をしたが、先日のことで腹を立てている猟犬クリフはこれをあっさりと断ってしまった。
次にアルバートは手紙を書き、先日の無礼を謝罪すると共に、招待したい旨を伝えた。
しかし、これを猟犬クリフは妻の病気を理由に辞退する。
ならばとアルバートは猟犬クリフにクロフト村での面会を申し入れた。
公子たる身が足を運ぶという知らせを受け、猟犬クリフは「後の公爵たる方にそこまでさせる訳にはいかぬ」と降参し、ジンデルにてアルバートに謁見をした。
このときに猟犬クリフはアルバートに対し、公爵への礼を以て誠意に応えたという。
後に「公子の礼」とは、賢人を招こうと思えば3度頭を下げよ、という意味の諺となる。
つまり、アルバートは公子の頃より有為の士をこれ程までに大切にしたというエピソードだ。
明らかに作り手の意図が見える創作ではあるが、少しずつ事実も織り混ぜてあり完成度が高い。
地味な印象であった公子アルバートの人気は上がり、庶民は「人徳で豪傑を屈伏させた真の王者」と噂することになる。
………………
そしてその夜、クリフとエリーは晩餐会に招かれた……とは言っても大袈裟なものでは無く、アルバートの家族と夕食を共にする形である。
アルバートの家族はアルバート、第1夫人、第2夫人、長男、次男、三男、長女……の7人だ。
いかにも多い気もするが、貴族の家庭ではごく一般的である。
クロフト家が特別に少ないのだ。
晩餐会は実に穏やかに進み、この手のことに慣れないクリフやエリーもいつの間にやら寛いだ気分になったのは、ホストであるアルバートのお陰だろう。彼はプライベートな空間では実に気さくな紳士であった。
「チェンバレン卿、クロフト卿の献策はあなたから出たものでしょう?」
「さて? 叔父上はあれで策士ですので何やら策があったとすれば、叔父上の考えでしょう。」
アルバートは「ははは」と嫌味無く笑う。
「ならばそう言うことにしましょう。しかし、公爵位を買ってしまうと言うのは驚いた……このまま決着が着けば一番手柄です。殊勲者は何を望むでしょうか?」
クリフはじっと考える。彼にとって特別に欲しいものは無い。下手に領地など貰えば面倒なだけだ。
「妻の実家であるクロフト家には子がありません。養子を貰うことになりましょうが、ご許可を頂ければ。」
アルバートは「ほう」と考え込む。
そもそも貴族が養子を取るのは勝手である。しかし、家督を譲る嫡子となれば縁遠い親戚とのトラブルもありえる。
主君からの許しがあれば防げる争いもあるはずだ。
「あなた、お仕事の話はほどほどになさって下さいな。女には退屈ですわ。」
第2夫人が話題を変え、この話はここまでとなった。
アルバートの子供らは長男と次男が20才前後、三男と長女が10代の前半だ……おそらく母が違うのだろう。
クリフはせがまれるままに自身の武勇伝を語る。
「名高い辻の決闘では3人で300人を打ち破ったとか?」
アルバートの次男は武勇譚に興味津々の様子だ。
「いえ、それは講談ですよ。実際は40も居なかったでしょうし、半分も倒していないでしょう。」
子供らは「なーんだ」と言う顔をするが、次男は違う。
「いや、それでも3人で20を討ち取ったのだ! 300人を倒したなどと言われるより凄味がある!」
などと一人で興奮をしていた。
年の割りには幼い印象である。
「それよりも奥方とのお話を聞かせてくださいませ。愛の決闘なんて麗しいわ。」
これは第1夫人である。
「愛の決闘」とは完全な創作で、どこかの劇作家が考えたらしい。
クリフがハンナをクロフト村から拐う時に、ハンナの婚約者と決闘するのだ。
あまりにも舞台がウケた為に事実だと思い込んでいる者が多く、クリフも苦慮している。
……そんな奴がいたら3つ数える内にハンナに首を切られてるだろうな。
若い頃のハンナを想い、クリフは苦笑する。
「いや、それは劇作家の……」
クリフへの質問は延々と続き、アルバートは食後酒を用意したほどである。
その中でアルバートの三男は、クリフの話に興味を示しつつもエリーに熱心に話しかけていた。
確かトバイアスという名の13才の少年だ。
『エリーったら男の子たちにとても人気があるの』
クリフの脳裏にハンナの言葉が思い出された。
……ああ、エリーは本当にモテるんだな。
クリフはぼんやりとエリーを眺めた……満更でも無さそうである。
……まあ、公爵の息子は相手が悪すぎるな……第2夫人ならあるかもしれんが。
第2夫人の座に座るエリーを想像し、エリーを側室なぞにするものかとクリフは自分の考えを打ち払った。
その内に、とっぷりと夜もふけ、晩餐会も穏やかに閉会となった。
…………
今の状況はアルバート派、ダリウス派ともに多数派工作を行っており、自分の敵味方を探っている段階だ。
事態が動くのは四ヶ月後、真夏のこととなる。
数話、鬱展開を入れたらブックマークと逆お気に入りユーザーが一気に減りました。
それだけ反応があったのだと思い、嬉しかったり、寂しかったりと複雑です。




