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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
2章 壮年期

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6話 クロフト村

説明回的な要素が強くなってしまいました。

 クロフト村までの行程は順調であった。



 雪中の移動と言うこともあり、クリフは二月(ふたつき)ほど掛かるのではないかと予想していたのだが、大幅に日程を短縮できそうだ。


 これは自由都市ファロンからジンデル公爵領まで延びる街道……通称「馬糞街道」の整備が成されていたことが大きい。


 数年前にジンデル公爵領からの大軍が通るために整備がなされ、街道の半分が正式にジンデル公爵領とされたことで管理も行き届いている。


 クリフはジンデル公爵領の入り口に新設された関所で名乗ったため「クリフォード・チェンバレン」が領内に入ったことはすぐに報告されるであろう。


 心配されたハンナの容体ではあるが、かなり安定しており、これも旅の行程を短縮した一因である。


「ハンナ、覚えているかい? ここを二人で旅しただろう?」


 クリフは温車おんしゃの窓を開け、ハンナと景色を楽しんでいた。


 この旅中ではクリフはほぼハンナに付きっきりで看護をしており、食事や排泄などの生理的な行動以外は二人きりで車内で過ごす徹底ぶりだ。


 ハンナは相変わらず、泣いたり感情を爆発させたりしているが、ここ数日は大分と落ち着いているようだ。


 やはりクリフがほぼ24時間寄り添っているのが良いのだろう。

 しかし、反面でハンナはクリフに強く依存を始め、何事も自らで判断することをやめてしまった。

 その依存ぶりたるや、クリフが小便のために車外に行くのすら不安がる始末である。


「ごめんなさい、クリフ……私のせいで……私なんか、出来損ない……死んでしまいたい……」


 今も落ち込んでめそめそと泣くハンナをクリフはじっと抱き締めている。

 こんな時、クリフはハンナの言葉を肯定も否定もせず、じっと抱き締めるだけだ。


 本来ならば鬱病患者が協力者に強い依存をするのは望ましくないとされているが、彼らに正しい知識は無い上に、クリフ自身もどこかハンナに頼られることを喜んでいるのだからどうしようも無い。


 ハンナは鬱病から恋愛依存症も併発していると思われる。

 恋愛依存症は立派な依存症であり精神疾患だ。

 治療には適切なカウンセリングが必要となるだろう……ハンナの場合は父を早くに亡くしていることも関係しているかもしれない。


 ともかくも、クリフは幼児をあやすようにハンナを抱き締める……するとハンナはいつの間にか寝息を立て始めた。

 ハンナ常にぐったりとし、よく眠る。


……エリーは大丈夫だろうか?


 クリフはもう1台の温車に乗るエリーとバーニーを思い心配する。

 本来ならば初の長旅になるエリーを気遣わねばならないのだが、この状況ではそうもいかない。

 たまに車外に出たときに声を掛ける程度だ。


 バーニーは使用人ではあるが、怪我人であり歩かせるのは良くないので彼もエリーと同乗している。


 こちらには特に大きな問題は無かったのがクリフにとって大きな救いであった。


 冒険者に話を聞くと、数度怪しげな人影が確認されたようだが、こちらはベテラン冒険者が5人……クリフを足せば6人である。

 手出しをしてくるような盗賊も居なかったことは幸いだった。

 怪我人が出ると全員の足は鈍るのだ。




………………




 予定を大幅に短縮し一月(ひとつき)と十日ほどでクロフト村に辿り着く。


 クロフト村は山間の盆地にある小さな村だ。

 およそ50~60軒の住居があり、人口は500人には満たないであろう村落である。


 小さいとは言っても、ジンデル公爵領全体の人口は16万人程度であり、比率からすれば特別に小さいわけでは無い。

 ジンデル公爵領は東の辺境であり、人そのものが貴重なのだ。


 人口が10万人規模の大都市は、マカスキル王国全体を見ても王都か自由都市ファロンくらいなもので、それすら周辺部を含む人口である。


 ちなみに諸侯領の首府は大体が1万人~2万人ほどの規模であり、ジンデル公爵領の首府であるジンデルは4千2百戸……およそ3万人弱~3万5千人程であろうか。

 こうして見ると、先の戦役でジンデル公爵が動員した兵士の1万3千人というのがいかに大軍かが理解できると思う。


 言うまでもないが、マカスキル王国の政治形態は封建国家である。

 王国という緩やかな統制の下で、各地の領主が地方を統治しているのだ。


 ジンデル公爵は形の上ではマカスキル王国に仕えているが、その領地は王国から与えられたものではない。

 独立独歩で領土を拡げ、それを王国から安堵されたに過ぎず、内実は独立国家である。



…………



「よく来てくれたクリフ殿。」

「この度はご無理を申しました……叔父上にはハンナも感謝しております。」


 クロフト村に着くと、領主であるヒースコート・クロフトが迎えてくれた。

 

 朝から到着を伝えるために護衛を1人先行させていたのだ。


 ヒースコートはハンナの叔父にあたる39才の小貴族だ。


「クリフ殿、ハンナが思わしくないとか……」

「はい、私が側にいながら申し訳ありません。」


 クリフが頭を下げると「そのようなことは」とヒースコートは慌てて打ち消した。


クリフは王国の権門であるチェンバレン家当主の弟である、田舎の小貴族には遠慮があるのだ。


「いや、クリフ殿の男としての能力(ちから)に疑いはない……あれ(ハンナ)のせいだろうな。」


 ヒースコートは深い溜め息をついた。

 これは新婚初夜のことを言っているのだろう。


「立ち話もなんだ、館に部屋も用意してある……まずはこちらに。」


 ヒースコートに(いざな)われ、クリフたちは館に向かう。


 冒険者たちは別の屋敷で接待を受けるようだ。


 ちなみに同行した冒険者の中に、ハンクという冒険者がいる。

 このハンクはクリフと同年のベテラン冒険者で、そろそろ引退を考えているらしく、クリフらと共にクロフト村に残る決意をしたらしい。

 クロフト村での彼はクリフの従者という立ち場となり、後にクロフト家に従士(じゅうし)として仕えることになる。


 ちなみに従士(じゅうし)とは、貴族や騎士に仕える足軽のような者であるが、雑兵とは明確に区別される半農半士の戦士階級である。


 クロフト村には現在5人の従士が存在し、戦ともなれば粗末であっても鎧兜で身を固め、槍を担いで勇ましく戦うのだ。



 ヒースコートに先導され、村人たちの好奇の目の中をクリフはハンナを支えるように歩く。

 村人たちはハンナの弱々しい姿に驚いたようだ。


「ハンナさまがご病気らしい」と村人たちは口々に噂をし、彼らに悪意がなくとも視線でハンナを苦しめた。



…………



 屋敷に入ると、旅塵を落とし客間で世間話となる。


 ヒースコートと妻のアビゲイルが並んで座り、クリフはハンナとエリーの間に座って向き合う形となる。


 ちなみにバーニーは従者であるため貴族と同席などはしない。


 ヒースコートとアビゲイルの間に子は無く、夫妻は流産を経験したハンナに深く同情した。

 元々、子の無いヒースコートは姪のハンナを猫可愛がりしており、ハンナの「気が触れた」と聞いて気が気では無かったのだ。


 ちなみにハンナは終始無言で(うつむ)き、クリフの手を握っている……クリフ以外の者と会うのすら苦痛のようだ。


 ヒースコートは先の戦役の話を始め、勇ましい武勇譚を語り始めた。

 彼はクロフト村の男衆40人を率いて出陣したらしい。


 領地の動員数は1戸あたり1人と考えれば分かりやすい。

 60戸弱のクロフト村から40人の動員とは領地の防衛を考慮すれば、ほぼ全軍である。


 その勇ましい自慢話が続く中、アビゲイルがヒースコートの(そで)を引いた。


「あなた、お話し中ですが、ハンナさんもお疲れのようですし、そろそろ……」


 ヒースコートは「む」と少し機嫌を損じたようだが、ハンナのぐったりとした様子に気が付き「すまなかった」と謝罪した。


「長旅でお疲れの所を失礼した。」

「いえ、わたしは軍事に疎いので、また聞かせて下さい。」


 クリフは世辞を言い、辞去すると使用人の女が客間まで案内してくれた。

 3人で1部屋である。


「エリー、一緒に寝るのは久しぶりだな。」

「うん……そうだね。」


 エリーは少し緊張しているようだ。

 先日、ハンナから「母親と呼ぶな」と罵声を浴びてからエリーはハンナを避けている。


 部屋に入るとハンナはクリフにしがみつき、そのままベッドでぐったりと眠った。


「ねえ、お父さん……」

「なんだい?」


 ハンナが寝入ったのを確認してからエリーがクリフに話しかけてきた。


「私、の……本当のお母さんって、誰……なの?」


 エリーは思い詰めた顔でクリフに問いかけた。

 涙を溜めた目は真剣そのものである……恐らくはクリフにずっと聞きたかったに違いないが、ハンナがいるので聞けなかったのだろう。


 クリフはエリーと向き合い、ゆっくりと語り掛ける。


「エリー、もう気づいているとは思うが……お前は俺たちの本当の子供じゃない。」


エリーは「本当の子供じゃない」という言葉を聞いてピクリと反応した。


「本当は、もう少し大きくなってから話そうとは思っていたんだが……」


 クリフはエリーを引き取った経緯を順を追って説明した。


 盗賊に殺された夫婦のこと。

 残された幼児のこと。

 まだ18才のハンナが幼児を引き取ったこと。

 その幼児をクリフとハンナの養子としたこと。

 アリスという名はクリフがつけたこと。

 クリフとハンナが結婚し、未だに子供ができないこと。

 ハンナが流産したこと。

 悲しみのあまりにハンナが発狂したこと。

 そして、ハンナの暴言は狂気のためで、ハンナの言葉では無いこと。


 エリーは黙って聞いていた。


「エリー、俺はエリーのことを本当の家族だと思っているよ。大事な娘だ。」


 クリフはそっとエリーを抱き締めた。


「ここは母さんの故郷なんだ……ここで休めば母さんはきっと良くなる。良くなるよ。」


 最後の言葉はクリフ自身に言い聞かせるような、祈りの言葉であった。




…………




 クリフの祈りが届いたのか、クロフト村で秋を迎える頃にはハンナの調子は目に見えて良くなった。


 始めハンナは故郷の目を気にしていたが面白いことに、鬱病になったハンナへ村人たちは好意的な目を向けたのだ。


「あれほどお転婆だったハンナさまがお(しと)やかになられて。」

「いつも旦那さまとご一緒で仲睦まじいことだ。」

「やはり結婚すると違うのだ。」

「もう棒を振り回して従士を困らせたりはせぬらしい。」


 この反応に、自己否定を続けていたハンナは少しずつだが寝室から出る時間が増えていった。


 どうしようもなく落ち込んで泣き出したり怒り出すことはあるが、ヒースコートやアビゲイルとも会話をするようになった。


 他に頼れる親族がいるお陰であろうか……クリフへの依存も軽くなり、クリフもエリーやバーニーと過ごす時間を持てるようになってきた。


 特にアビゲイルの存在は大きく、アビゲイルも石女(うまずめ)と言われ苦しんだ経験を語り、ハンナを慰め続けた。


 そして年が開ける頃には、気分の浮き沈みに苦しみながらも日常生活が送れるようになってきたのだ。



…………



「クリフどの、この前の果樹の話だが……」

「ええ、私の故郷ではアンズやスモモ、ブラックベリーやカリン……あとはザクロやグミ、カリンなどを植えておりました。」


 この頃のヒースコートはクリフと村を回り、農業について意見を交換するようになっていた。


「果樹が育てば、山からの風を防ぐ盾ともなります。」


 これは今で言う所の防風林であろう。


 他の地域の農家で生まれ育ったクリフの視点はヒースコートからは新鮮らしく、先日はマイマイズ井戸を教えたらいたく感激をされた。


「たくさんの種類を植える意味はあるのかね?」

「ええ、果樹にも病がありまして、1種類だと伝染して全滅するかもしれません。」


 ヒースコートは「なるほど」と頷く。

 クロフト村は土地はあるが人がいないのだ。

 余った土地の有効活用を相談され、果樹を植えることを提案した。

 そして水源のために井戸の話となり、余談としてマイマイズ井戸についても言及したのだ。


「鳥や動物の被害は?」

「ありますが、むしろ集まった鳥や動物を獲れば良いのです。このような形の罠を馬の尻尾で……」


 クリフは「すこき罠」の作り方を簡単にヒースコートに伝える。


 すこき罠とは馬の尻尾と藁で作る捕鳥用の簡単な罠だが、日本では許可無く野鳥を捕獲するのは違法であるので詳しい言及は避けたい。

 日本では捕鳥は田舎の子供にとっては冬場の遊びであった。


「むう……クリフどのは大した農政家であられる。」

「まさか! こんなものは大袈裟な話ではありませんよ。」


 ヒースコートはクリフを大変に気に入り、様々な話を聞きたがり、時には従士の訓練をさせたりしていた。


「そう言えば、叔父上はウナギを食べたことはありますか?」

「なにっ? あのニョロニョロしたやつかね?」


 クリフとヒースコートの話はとりとめも無いものだが、この他愛もない話から生まれ、採用されたものもある……クリフも一応は客として働いているのだ。


 そして、村人たちのクリフへの評価は「良き人」である。

 この村で良き人というのは曲者で「物知りな人」「立派な人」というニュアンスも含まれており、クリフは村人から訳のわからない相談を受けることもある。


「1人娘の婿はどのような者が良いか?」

「縫い針を無くしたが、どこを探せば良いか?」

「団子鼻は金が貯まるというのは本当か?」

「初孫の名付けを頼みたい。」


 このあたりなどは「まだまし」であるが、時に答えようも無い質問もされる。


「死後の救いとは?」

「地の果てには何があるのか?」


 など哲学的な質問にはさすがのクリフも頭を抱えたものである。


 そして、クリフがクロフト村に馴染み始めたように、皆がそれぞれに新しい生活に慣れ始めたようだ。

 元々が貧しい農家で生まれたバーニーはもちろん、エリーもそれなりに村の暮らしを楽しんでいる。


 村人にとってはエリーは本物のお姫さまである。

 可愛らしい顔つきで、野良仕事などしたこともない華奢(きゃしゃ)な体に白い肌……村の若者たちはエリーに話しかける機会を狙っているのだが、常にバーニーが控えているのでなかなか果たせないようだ。


 ちなみに顔の作りが良いバーニーも村の娘にきゃあきゃあと騒がれている。


……良かった、クロフト村に来たことは正解だった。


 クリフは皆の様子を見てほっと胸を撫で下ろす。



 こうしてクロフト村での1年は穏やかに過ごすこととなる。



 そして、この年の春にジンデル公爵が薨去こうきょする。

 時代が大きく動くのだ。



ここから大きな話を扱うので読みきり形式が崩れるかもしれません。

章として纏めるか悩み中……。

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