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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
2章 壮年期

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5話 狂った歯車 上

 この年の暮れ、クリフはどうも、冴えない気分で毎日を過ごしていた。


 弟子のロッコが人を殺し、逃亡したのだ。

 しかも1人や2人ではない、なんと白昼堂々と9人を殺し4人を傷つけ、多額の現金を奪っての逃走だ。言語道断の振る舞いである。


 動機はスラムのスリ組織との女を巡ってのトラブルだという……あまり同情の余地はない。


 この凶悪な犯罪に自由都市ファロンは震撼した。

 いくら治安に不安があるとは言え、13人もの殺傷事件などそうそうあるものではない。


 これにより、冒険者ギルドは町を治める評議会から厳しい叱責と指導を受けることになる。

 

そしてクリフ自身もまた、弟子のロッコが起こした犯罪に心を痛め、うつうつとした気分で毎日を過ごしていたのだ。


 しかし、(はか)らずも冒険者ギルドに所属する冒険者の腕前のアピールになったのも事実である……弱冠19才の、ハタチにもならぬ若者がたった1人で犯罪組織を壊滅させたのだ。


 ロッコの賞金額は2万7千ダカット……普通、賞金額とは徐々に上がるものであり、スタートラインとしては異例の高額である。


……大人しいやつほどキレると手がつけられないってのは本当なんだな。


 クリフは冒険者としては温和で人当たりの良い性格であったロッコを思いだし「はあー」と何度も深いため息をついた。



…………



 そのような中、クリフを喜ばせる出来事があった。


 妻のハンナが身籠(みごも)ったのだ。


 ロッコのことで気落ちしていただけに、クリフの喜びはひとしおである。


 クリフは元々が過保護なほどにハンナを大事にしていたが、この出来事はそれに拍車を掛けた。

 まさに()めんばかりにハンナを可愛がるのである。


 毎晩、ハンナの腹を撫でては子供の名前を考える。

 ハンナにはどのような軽い物も持たせない。

 無駄に厚着をさせたがる。

 精がつくと言われる食べ物をやたらと食べさせたがる。


 万事がこの調子である。


 これにはハンナも苦笑するしかないが、クリフの本音を言えば、24時間体制で付き添いたいほどなのだ。


 今朝も少し具合の悪そうなハンナを残して家を出たが、クリフは嫌な予感を感じ、少し後悔していた。


……ああ、心配だ。ハンナが無茶をしなければ良いのだが……


 クリフはハンナのことを考えるだけで気が気ではない。


 それと同時に、気分がどうしようもないほど浮かれるのも抑えられないのだ。


「実はね、赤ちゃんが……出来たかもしれないの。」


 数日前のハンナの言葉を思い出すと、クリフは自らの口許がほころぶのを感じる。


 父親になるとはこのようなモノであろうか……それともクリフが特別なのであろうか……それは意見の分かれるところであろう。



…………



「……い……おい! 聞いているのか!?」


 ヘクターの声でクリフは我に返る。


「ああ、すまない。えーと……」

「来年、王都に派遣するギルド員ですよ。」


 クリフに助け船を出したのはスジラドだ。


 今は冒険者ギルドの定例会議中である。

 参加者はヘクター、マスター(エイブ)、スジラド……そしてクリフである。


 議題は王国の大臣であるアイザック・チェンバレンから王都にも冒険者ギルドを設立したいという要請を受け、誰を派遣するかと意見を交換していたのだ。


「うーん、俺が行ければいいんだがな……」


 クリフはあまり王都に馴染みは無いが、アイザック・チェンバレンはクリフの兄である。ここはクリフが適任ではある。


「どうしたんだ? 不都合でもあるのか?」


 マスターがクリフの様子を(いぶか)しがり尋ねる。


「ああ、実はハンナに子供が出来たみたいで……付いていてやりたいんだ。」


 クリフの言葉に驚きの声が上がる。


「そりゃあ、おめでとさん。」

「ああ、ありがとう。」


 ヘクターが素直に祝ってくれる……この男も二人も子供が産まれ、変わってきたのであろう。


「となると、私でしょうか。」


 スジラドが名乗り出る。元々、彼は王都を拠点とする冒険者であり、腕前はクリフに勝るとも劣らない凄腕でもある。


「しかし、スジラドもドーラやダリルがいるじゃねえか。」

「ええ、しかしダリルも大きくなってきましたしね。私が先行して、落ち着いた頃に2人を呼べば問題は少ないでしょう。」


 スジラドは単身赴任をするつもりのようだ。

 クリフだけでは無い……皆が年齢を重ね、それぞれ家庭があるのだ。


……やっぱり、俺だけがと言う訳にもいかないよな。


「ありがとう、スジラドさん。でも俺が行くのが適任だろうな。俺が行くよ。」

「いや、大事な時期じゃないですか……」


 スジラドの言葉にクリフは目を(つぶ)り、少し考える。


「いや、家族はいつでも大事なんだ……ダリルもそうですよ。」

「偉いっ! こいつは名言だ!」


 ヘクターが大袈裟にクリフを褒める……この男の言動には何とも言えぬ愛嬌あいきょうがある。

 クリフの言葉にスジラドが頭を下げた。


「しかし、お嬢ちゃんが腹ボテとなると……誰を連れていく? パティにするか? ひひひ」


 ヘクターが下卑た笑い声を発した。パティとは、ギルドで働く胸が大きな女性だが冒険者では無い。

 ヘクターはクリフが巨乳好きなのを知ってからかっているのだ。


「悪くないが、止しとこう。王都に詳しいピートは外せないな……イルマは難しい所だ。」

「イルマか……いっそギネスを連れていくか?」


 マスターがクリフの言葉を継いでギネスを推薦する。


 ピートもイルマも王都に縁のある冒険者だ。

 ギネスはクリフの弟分の冒険者で、現在は女性問題を抱えている。


……ああ、ギネスを連れていって女性問題を清算させてやるのも悪くないが……



 その時、バタンと乱暴にギルドの扉が開いた。

 見ればクリフの従者であるバーニーだ。

 冒険者では無いバーニーが単独で冒険者ギルドに来るのは珍しい……何か変事があったのだろうとクリフは察知した。


「バーニー、どうした。何かあったのか?」

「はあ……はあ……旦那さまっ! 奥さまがっ、奥さまがお倒れに!」


 思わずクリフは立ち上がった。ガタッと椅子が倒れる。


「バーニー、医者を呼べっ! 俺はすぐに戻る。」


 クリフはテーブルの3人に「すまん」と声を掛けて走り出した。

 ヘクターが何か言ったようだが、何も耳に入らない。


……くそっ、朝の嫌な予感はこれか!? すまないハンナ!


 クリフは脇目もふらず走り続ける。クリフの脚は速い……行き交う人々が驚きの声を上げた。



…………



「ハンナ! 無事か!?」


 バタンと乱暴にドアを開け、クリフは叫ぶ。


 すると、下半身を血に染めてテーブルに突っ伏しているハンナを見つける。


 ドクンッと心音が高まった……クリフは頭の中が真っ白になっていくのを感じる。


「……さんっ! ……お……がっ!」


 ハッと我に返るとエリーが泣きじゃくっているのが目に入ってきた。


……落ち着け、俺が狼狽(うろた)えてどうする……辛いのはエリーも同じだ……落ち着くんだ。


 クリフは心の中で何度も自分に言い聞かせ、努めて平静にエリーに声をかける。


「エリー、バーニーがお医者さんを呼びに行った。お母さんをベッドに寝かして着替えさせてあげよう。水を汲んでおいで。」


 クリフはそっとハンナを抱き抱える。


……良かった、生きている……ハンナは生きている。


 クリフはホッと息を吐いた。たまらなく、涙があふれ出てきた。



…………



 医者の診断は流産であった。



 クリフは医者が帰った後もハンナの側に寄り添い続けた。


 ハンナは身を清め、着替えさせているので寝ているだけにも見える。


……医者は意識が戻れば心配は要らないと言っていたが……



 しばらくすると、ハンナが「あ」と短く言葉を漏らした。

 意識を取り戻したようだ。


「ハンナ、まだ休んでなくちゃダメだ。」


 クリフは起き上がろうとするハンナに声を掛ける……さすがにまだ横になっているべきだろう。


「ごめんね……赤ちゃんが、赤ちゃんが……」


 ハンナの目から涙がポロポロと零れ落ちる。


……やはり、気がついていたか……


 クリフは努めて平静に、ハンナを落ち着かせるようにゆっくりと話し掛ける。


「いいんだ、今はゆっくり休むんだ。」


 ハンナはガバッと布団を被り「ううっ」と嗚咽(おえつ)を漏らした。


「ごめんね、クリフ、ごめんね。」


 その様子を見てクリフの胸は傷んだ。


……すまない、今朝のハンナに俺がもう少し気を付けていれば違ったかもしれない……


 クリフの目から涙がこぼれ落ちた。


「ごめんね、私が女らしくないから……赤ちゃんが死んじゃったんだ」


 このハンナの言葉にクリフは深い絶望を感じた。


……ハンナが、こんなことを言うなんて……


「違う! そうじゃない……」


 クリフは叫んだ。

 目の前が真っ暗になったような気がした。


 叫ばないと何かに飲み込まれそうな気がした……しかし、自分の言葉が力なくすぼまっていくのを感じる。


「今は休むんだ。」


 必死でそれだけを口にし、クリフは(うつむ)いて黙り込んでしまった。


 目の前に、昨日までの嬉しげなハンナの姿を幻視し、胸の奥が掻き(むし)られたような感覚に陥る。



 ハンナはいつまでもクリフと、流れた我が子に謝り続けていた。

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