3話 赤熊のコナン
夏の暑い日のこと、クリフは従者のバーニーを連れて町を歩いていた。
バーニーという少年は浮浪児だったところを、とある縁でクリフの家の従者となった。
バーニーの本名はバーナード、背の低い、痩せた11才の少年だ。アッシュブロンドの髪だが、ボサボサで貧相なためにネズミ色に見える。
瞳はブラウンで、顔立ちはそこそこ整っているのだが、とにかく貧乏臭い雰囲気がある。
いつもはエリーのお供をすることが多い彼だが、今日はクリフのお供で日用品の買い出しに来ている。
元々貴族の生まれであるハンナは割りと厳格にバーニーに接するが、にわか貴族のクリフは立場の違いはあまり気にしていない。
「鰻? あのニョロニョロしたやつか?」
「はい。ぶつ切りにしたやつに塩をかけたり味噌を塗ったりして食べます。」
無駄話をするうちに、なんとなくバーニーの故郷の話となり、クリフは彼の故郷の味を教えてもらっていた。
「ふうん、鰻って食べれるのか……」
「冬の寒い日とか病人に精を付けさせる時とかに食べてました。」
バーニーが少し寂しそうな顔をした。
彼の故郷は戦禍で被害を受け、家族はバーニーを養えなくなり、三男である彼は口減らしに放り出されたのだ……彼が故郷に帰ることは無いだろう。
ちなみに、日本では夏に食べることの多い鰻だが、旬は冬である。
「面白い、機会があったら食ってみたいな。」
「はい、気をつけて魚屋さんを覗いてみることにします。」
無駄話をしながら順調に買い物を続けていると、何やら喧騒が聞こえてきた。
……喧嘩か。
別に珍しくもない。
ファロンは浮浪者が摘発され、治安が向上したとは言え荒くれ者やチンピラの類いがいない訳ではない。
野次馬にまぎれ、遠巻きにクリフが様子を窺うと、3人の冒険者と1人の大男がやりあっているようだ。
冒険者が3人で囲んでいるが、大男が長柄の棍を頭上で振り回すと冒険者たちは明らかに怯んだ。
……情けない。
冒険者はクリフも顔見知りの若い衆である。
そのだらしなさにクリフは歯噛みをする思いで眺めていた。
「お止めなさい。」
見かねたクリフが両者に割って入った。
すでに荷物はバーニーに預けてある。
「ここ数ヵ月は衛兵の取り締まりも厳しくみだりに騒げば大事になりかねませんよ。」
クリフは冒険者たちに助け船を出したのだ。衆人環視の中で冒険者ギルドの者が恥をかくのを放っては置けない。
冒険者たちはしばらく逡巡したが「行きなさい」とクリフに促され退散した。
残るは大男である。
こちらは収まりそうもない。
「お止めなさいとはどんな了見だっ!」
大男は大声を出してクリフを威嚇する。
……意外と若いようだ。
クリフは大男の声を聞き、見た目より若いと感じた。
「言った通りですよ、この時期に暴れると面倒なことになりますからね。」
「この赤熊のコナンをバカにするかっ! 抜けっ!」
大男は頭に血が上っている。理屈では納得しないだろうし、自分の力に自信もありアピールもしたいのだろう。
そのアピールの場を奪ったクリフを許せないのだ。
大男は頭上でビウビウと棍を振り回しクリフを威嚇する。
……力自慢の様だが、大した腕前でも無いな。
クリフは大男の腕前を既に見て取った。
頭上で棍を振り回す姿はいかにも勇ましく迫力もあるが、クリフのような手練れには御しやすい相手ですらある。
弧を描く軌道は相手に向かい遠回りするので、目標に到達する速度が遅く、大きな隙を生む。
クリフが剣を抜くと頭上から棍が降ってきた。
凄まじい迫力ではあるが、クリフは剣を斜めに構え受け流した。
大男のスイングは腕の力に頼りすぎて腰が入っていない……見た目の迫力ほどには威力が無いのだ。
一方のクリフの受けは体の正中線を保ったままである。いかに膂力に差があろうと、正中線を保ったままの相手を力任せに崩すことは容易では無い。
そのままクリフはスッと剣を振るい、大男の棍の先を40センチほど切り飛ばした。カッと乾いた音がして、棍は2つに別れた。
クリフの剣は大男の釣竿を振るうようなスイングとは違い、体幹……すなわち背筋と胸筋を使った動きだ。体勢が崩れる事もなく、剣先にブレが無いためにこのような真似が可能なのである。
「うぐっ、く……」
大男が短くなった棍を眺めて呻き声を上げた。
クリフの技の冴えに周囲の観客がどよめいた。
大男が棍を投げ捨ててファイティングポーズを取る。
闘志は大したものだが、いささか見苦しい。
「俺は体術にこそ自信があるのだ! 行くぞ!」
大男は雄叫びを上げながらクリフに向かうが、クリフが体術に付き合う理由などは無い。
ピタリと剣先を突き付けると大男は動けなくなった。
「十分でしょう。」
クリフはスッとその場を去った。わなわなと大男が震えているが、もはや何も言わなかった。
クリフの剣は若い頃より鋭さを増し、精妙を得ている。
ギルドの訓練所で毎日のように剣の稽古をしているためであろう。
「凄い、大男がまるで子供扱いだ」
「さすが猟犬クリフだな」
「ものが違うぜ、筋金入りよ」
「いいもん見せてもらったな」
周囲の野次馬もどやどやと勝手な事を言いながら去っていく。
誰も大男など見向きもしない。
「糞っ! 糞っ! あれが猟犬クリフか!」
大男は悔しさに顔を真っ赤に染めてクリフの後ろ姿を睨み付けていた。
…………
「あの、旦那さま……」
帰り道にバーニーがおずおずと話し掛けてきた。
「なんだ?」
「あの、宜しければ俺にも、その……戦い方を教えてもらえませんか?」
バーニーがクリフに何かをねだるのは初めてのことである。
クリフも「おや」と思ったが、顔には出さない。
「別に構わんが、習ってどうする? 冒険者や衛兵にでもなるのか?」
「いえっ、違います! 俺は旦那さまにお仕えするつもりです!」
クリフが歩みを止め、バーニーに向き合うと真剣な表情をしている……どうやら本気のようだ。
「その、俺が強くなればお嬢さまも守れるし、さっきみたいな時も旦那さまの手を煩わさなくても、あの……」
バーニーは早口で一生懸命なにかを伝えようとしているが、どうにも口下手のようで要領を得ない。
同じ口下手のクリフは微笑ましくそれを見守る。
……ふうん、バーニーがね。男の子なんだな。
クリフは先程の戦いを見たバーニーが強さに憧れたのだと理解した。
貧相で大人しいバーニーからは連想しづらいが、男子ならば強くなりたいと願うのは当たり前の欲求である。
「お嬢さまを守る、か……バーニー、どれだけエリーに惚れても嫁にはやらんぞ。」
クリフがイタズラっぽく笑うとバーニーは気の毒なほど狼狽え始めた。
「そんなっ! 俺、お嬢さまにそんなこと、その……とんでもないことです。」
「なんだ? 違うのか。エリーは可愛いと思ってるんだが……」
クリフがわざと意地悪をし、落胆した表情を見せると「お嬢さまは凄く可愛いですっ」とバーニーが力説した。
実際にエリーは美少女である。良く手入れされた茶色い髪に、パッチリとした二重瞼の可愛らしい顔立ちをしている。
余談ではあるが、とある辞書によると「少女」とは7才~18才であるらしい。
クリフが大声で笑うとバーニーは冗談であったと理解し、ホッと息を吐いた。
口下手なクリフは普段はからかわれる側で、こうして他人をからかうのは珍しい。
「いいよ、手裏剣を教えよう。剣は体ができてからだな。」
「本当ですか!?」
バーニーの控え目だが嬉しそうな態度にクリフは目を細めた。
………………
家に戻り、二人は近くの「飯屋」と言うシンプルな屋号の食堂で昼食をとった後、冒険者ギルドへ向かう。
ハンナは従者であるバーニーと共に食事をとらないが、クリフは気にしない。
「男同士の事だ、女どもには黙っておけ」
などと口止めをするのみである。
恐縮するバーニーにクリフはたっぷりと食事をとらせた。
浮浪児であったバーニーは栄養が足りておらず、体つきも貧弱だ。
クリフはバーニーを見ると自分が孤児になった時を思い出し、その反動からかバーニーに食べ物を与えたがる癖がある。
実際にバーニーは11才、食べ盛りだ……いくらでも食べ、深くクリフに感謝をしている。
冒険者ギルドに着くと、マスターが手紙を渡してきた。
受け取り、差出人を確認するとクリフの古い友人であるボリスからだ。
……ボリスからか、懐かしいな。
クリフはボリスを訪ねてニーグル村に出向いた日を思い出した。もう6年も前の事になる。
「石拳のボリスか……懐かしい名だな。」
「ああ、今はナヴェロ男爵に仕えて代官をしているよ。」
クリフの言葉にマスターは感心したようだ。
冒険者が引退後に代官になるなど聞いたこともないような大出世だ。
彼が代官をしているニーグル村は吹けば飛ぶような寒村ではあるが、それでも代官には違いはない。
手紙の内容はシンプルなもので、この手紙を持つコナンと言う若者が冒険者になりたがっているので、一通りに世話をしてやってほしいと言うものだ。
ちなみにボリスの住む村にはまだ冒険者ギルドの事は伝わっていないようで、コナンとやらは股旅亭に顔を出したらしい。
現在では股旅亭は売りに出されているが、場所が良いので値段が高く、なかなか買い手がつかないようだ。
「で、本人は?」
クリフの問いにマスターが親指で訓練所を示した。
「ヘクターがな、可愛がってるよ。」
クリフが訓練所を覗くと先程の大男がヘクターにぼろ雑巾のようにされていた。
「畜生……棍さえ、棍さえあれば」
「うるせえっ!」
四つん這いになり喘ぐ大男の腹をヘクターが思いきり蹴り上げた。
「ぐええぇ」
大男はごろごろと転がりながら苦しんでいる。
頭部や顔面への打撃とは違い、腹への打撃はなかなか意識を失うことを許されず、地獄の苦しみを味わうことになる。
……ああ、自慢の体術とやらでヘクターに挑んだのか……
クリフはこの惨状を見て容易に想像がついた。
「バーニー、ここはなんだから、あっちの方で教えてやる。」
クリフはバーニーを連れて隅の方に移動した。
的がわりに棒をいくつか地面に突き刺し、距離を取る。
そして久しぶりに投げナイフが収納された愛用のバックラーを構えた。
……相棒も久しぶりだな。
クリフは若き日を思い出し、ふっと小さく笑う。
「いいか? 先ずは良く見ろ。」
言うが早いか、クリフはバックラーに収納された4本のナイフを連続で投擲した……目にも留まらぬ早業である。
バーニーはあんぐりと口をあけ、呆然と見つめた。
「次は走りながらだ。」
クリフが立てた棒の間を縫うように走り抜けると、バックラーに収納された残りの投げナイフ4本が連続で突き立った。
「次は敵の攻撃を躱わしながらだ。」
クリフが地に転がるようにしながら籠手に収納された棒手裏剣を連続で投擲した……これも全て命中している。
「はあ、はあ……す、凄い……」
バーニーがようやく口をきいた。あまりの衝撃に息をするのも忘れていたらしく、息が荒い。
「エリーを守るんだろ? このくらいはやってもらうぞ。」
クリフがイタズラっぽく笑い、ナイフと棒手裏剣を回収した。
ナイフを2本だけ、バーニーに手渡す。
「やってみろ。先ずは……」
…………
クリフがバーニーの指導を終えた頃、ヘクターの下卑た笑い声が聞こえてきた。
見れば完全にグロッキーになった大男……もとい、コナンの髪を掴み、無理矢理立たせている。
「がーはっは、なかなか頑丈だな坊主! 嬉しいぜえ!」
言うが早いか、髪を掴んだままコナンを振り回し、地に叩きつけた。
ヘクターは怪力である……42才になっても肉体に衰えは無縁のようだ。
「気に入ったぜ、これからは俺が可愛がってやるよ。がーはっは」
コナンは完全に動かなくなるまでヘクターにいたぶられ続けた。
この後、コナンは何故かヘクターの弟子のような立場になり、一流と呼ばれる冒険者に成長することになる。
そして、バーニーは手裏剣術を修め、クリフの戦闘術を学び習得した。
バーニーはクリフの死後にその技術を書き記し、後世に伝えることになる。




