2話 戦争の落とし子 上
ちょっと胸糞注意かもしれません
「おはよう、お父さん。」
「おはよう、エリー。母さんを起こしてやってくれ。」
クリフが朝食の支度をしていると、娘のエリーが起きてきた。
エリーはクリフとハンナの養女で8才になる。
彼女は2年程前から1人で寝るようになったので、寝室は別なのだ。
しばらくすると、エリーとハンナの声が聞こえてくる。
「母さん、起きて。裸で寝たらダメよ。」
「うん……おはよう、エリー。」
ハンナの朝が遅いと言うよりは、クリフとエリーが早起きなのだ。
クリフは長年の冒険者生活で早起きの習慣が身に染み付いているし、エリーはそのクリフに育てられたのだ。
「お母さんって、なんでいつも裸で寝てるの?」
「うん……お父さんとお臍の比べっこしたから……」
クリフはブハッとむせた。
「臍比べ」とは性交の隠語だ。
……娘に何てこと教えてるんだ……
この2年、エリーと寝室が別になったことで、ハンナの振る舞いは奔放になり、時にクリフを翻弄するようになっている。
ハンナも23才……もはや羞恥で身を固くしていた小娘ではないのだ。
クリフはこの後、エリーに「お臍を比べて楽しいの?」と聞かれて大いに戸惑うことになる。
健啖家のハンナは大量の朝食をゆっくりと食べ、身支度を整えた。
「「行ってきまーす!」」
ハンナとエリーが連れ立って出掛ける。
ハンナは剣術道場に、エリーはベルタの事務所に行く。
エリーはベルタの元で、ヘクターとベルタの息子であるバートの面倒を見る替わりに、読み書きを習っているのだ。
3才のバートはエリーに良く懐き、「おねえちゃん」と慕っている。エリーも子供の世話が楽しいようだ。
たまにドーラもスジラドとの間にもうけた息子のダリルを連れてくることもあり、エリーも喜んで通っている。
……良し、後は戸締まりをして、と。
最近のファロンは治安が悪い。戸締まりは欠かせない。
しっかりと戸締まりをした後に、クリフは冒険者ギルド本部に向かう。
重役出勤である……クリフはギルドの幹部職員なのだ。
多少顔を出すのが遅かろうが誰も文句など言わない。
………………
「これはこれはチェンバレン閣下、優雅なご出勤ですなあ。」
ギルド本部に着くと予想に反して嫌みを言ってくる者がいる……ヘクターだ。
ヘクターはいかにも不機嫌ですと言った体でマスターとスジラドと共にいた。
ちなみにチェンバレンとはクリフの姓である。
クリフはとある事情で貴族ということになり、本名はクリフォード・チェンバレンと言う。ちなみに姓があるのは貴族だけだ。
「何があった?」
問いを発しながらクリフが同じテーブルに着く。
ヘクター、エイブ(マスター)、スジラド……これにクリフを加えた4人は冒険者ギルドの幹部である。定例外で集まっていれば何か問題があったとの推測は容易だ。
「ああ、こいつだ。」
マスターが1枚の紙を示す……依頼書だ。
……依頼人は商人ギルド、内容は商店街における浮浪児の取り締り、か。
商人ギルドとは、その名の通り商人の組合である。ここ自由都市ファロンは、領主のいない自治都市という特質から、商人ギルドの顔役が都市役人も兼ねる場合が多いのが特色である。
つまり、この依頼は公的機関からの依頼に近いのだ。
「浮浪児のスリ、かっぱらい、ひったくり、置き引き、詐欺……強盗や空き巣もあるらしい。これに堪りかねた商店からの突き上げに商人ギルドが動いた形だな。」
マスターが補足で説明をしてくれた。
余談ではあるが、「ひったくり」とは相手が持つものを強引に取っていく行為であり、「かっぱらい」とは相手が気付かない内に取っていく行為を言う。
ここ数年、王国東部では激しい戦乱があり、孤児や敗残兵などが急増し、急速に治安が悪化していた。
戦争は終結しても平和にはならないのである。
「なるほど、悪餓鬼を捕まえて衛兵に突き出せば良いのか?」
「さて、問題はそこよ。」
クリフの疑問を聞くや、ヘクターが難しい顔をしてズイッと顔を寄せる。
「取り締るって言ってもよ、浮浪児なんて枡で量るほどいらあ。完全に駆逐するのは無理ってもんよ。」
「ええ、取り締りと言うだけであれば、2~3人捕まえてお茶を濁すこともできますが……それでは納得されないでしょう。」
ヘクターの言葉をスジラドが継いだ。
……なるほど、思ったよりも難しい依頼なんだな。
クリフはヘクターの機嫌が悪い理由を理解した。
「猟犬の旦那は何か知恵は無えのかい? 俺がこんなに悩んでるってのにダラダラしやがって、朝っぱらから女房と乳繰りあってたんだろうが、この助平野郎。」
ヘクターの怒りが訳の分からない所に飛び火し始めた……これは完全に八つ当たりである。
「おいおい、八つ当たりするなよ……先ずは、そうだな……被害数の把握だろうな。被害が多いところを重点的に取り締れば効果はあるだろう。」
クリフは少し考えてから、言葉を続ける。
「後は、とにかく俺たちが依頼をこなしたとアピールするために手当たり次第に取っ捕まえても良いだろう。頭がいるなら狙うのも手だ。」
皆が難しい顔をするが、反対は無いようだ。
「そうだな、やはりそうなるか。」
マスターがポツリと呟く。
「クリフよ、あまり手荒なことはしてやるな……誰も好んで浮浪児なんかにはならない。分かるな?」
マスターの言葉にクリフは頷く。
クリフとて11才で孤児になった過去があるのだ。
孤児の苦労は身に染みて理解できる。
「浮浪児には犯罪しか生きる術が無いのはわかる。だが、それとこれとは話が別さ。」
クリフが言い切るとヘクターが頷く。
スジラドは無表情だ。
マスターは何とも言えない苦い顔をしている……彼はこの冒険者ギルドの発起人であり、その動機は冒険者の救済と互助だ……弱者に対する慈悲の心が強いのかもしれない。
ヘクターもスジラドも実子のいる身だ。思うところはあるだろうが顔には出さないし、それはクリフも同じである。
「後はどこを決着とするかが問題です。」
スジラドが無表情のまま次の問題点を示すとクリフに目配せをする……クリフに意見を求めているのだ。
「皆の意見はどうだったんだ?」
「取り合えず、やってみるしかないと。何かしらの成果を出して先方と依頼の決着点と報酬を相談するしか無いだろうと。」
クリフも「それしか無いな」と頷く。
「そもそも、誰がこんな曖昧な依頼を安請け合いしたんだか。」
クリフが呆れると「うるせえっ」と隻眼の支配人が声を荒げた。
「取り合えず、何人か引っ張って宿舎にでも集めろっ!」
ヘクターがクリフとスジラドを睨み付け、八つ当たりをする。
宿舎とは、ヘクターの口入れ屋の事務所だった建物だ。冒険者ギルドがヘクターの口入れ屋を吸収したので、空いた事務所は貧乏冒険者が泊まれる格安の宿舎となっている。
「仰せのままに、支配人。」
スジラドが大仰に応じると、ヘクターは「けっ」とそっぽを向いた。
………………
クリフとスジラドはあっという間に数人の浮浪児を捕まえて宿舎に運び入れた。
無論、浮浪児の全員が何かしら犯罪の現行犯である。
彼らへの尋問はレイトンが担当した。
レイトンは殿様レイトンと呼ばれる品の良い男だが、ベテラン冒険者らしく多芸で人情の機微に通じており尋問は得意なのだ。
甘い言葉でたぶらかし、猛烈な拷問で心を折る手際は一流である。
すぐに浮浪児たちの情報はレイトンによって集められた。
………………
浮浪児たちがレイトンにいたぶられる一方で、冒険者ギルドの迅速な対応に商店街は大いに湧いた。
猟犬クリフと蛇のスジラドと言えば自由都市ファロンでも名高い冒険者だ。
いきなりエース級を2枚も投入した冒険者ギルドへの評判はうなぎ登りである。
特にクリフは演芸の主人公になるほどの人気があり、商店街の寄席では今もハンナとの恋物語をモチーフにした演劇が上演中である……この相乗効果もあり、本物の猟犬クリフの活躍見たさに商店街が賑わった程だ。
この辺はクリフは既に諦めており、雑音に耳を貸さないように心掛けるのが精一杯であった。
クリフとスジラドは手分けをして巡回をし、精力的に聞き込みを続けた。




