28話 一つの物語
一部のエピローグになります。
謎の貴族、クリフォード・チェンバレンとは何者か。
その父は王国将軍サイラス・チェンバレンであり、兄は王国外務大臣のアイザック・チェンバレンである。
身分の低い母から産まれたクリフォードは、お家騒動を怖れたサイラスと家臣によりステプトー村にて隠され養育された。
クリフォードは母親に愛され健やかに成長した。
父の名も知らず、顔も知らずに育ったクリフォードの身分を証明する物は、父の佩剣であったミスリルの剣のみである。
しかし、穏やかなな暮らしは続かなかった。
クリフォードが11才の時にステプトー村が戦禍により壊滅し、彼は行方知れずとなってしまう。
もはや生存は諦められていたが、奇跡は起こる。
10余年の後、敵国の卑劣なる罠に陥ったサイラス・チェンバレンは絶体絶命の危機にあった。
しかし、一陣の風のごとく駆けつけた冒険者により、サイラスは九死に一生を得た。
その時、サイラスは冒険者が手にした剣を目にし愕然とした。
正にそれはチェンバレン家の紋章が刻まれたミスリルの宝剣だったのだ。
その愛した女に似た面差しと、手にした剣から、サイラスは冒険者の正体は行方知れずの息子クリフォードだと確信した。
しかし、謎の冒険者は名も告げず、そのまま立ち去ってしまう。
サイラスは職を辞し、引退をした。
生きていたクリフォードの探索を続けるためである。
そして、数年の時を費やし、ついにクリフォードの行方を突き止めた。
クリフォードは猟犬クリフと名乗る凄腕の冒険者に成長していたのだ。
そしてこの度、自由都市ファロンにて遂に親子は対面した。
サイラスはクリフォードとハンナ・クロフトとの婚姻を認め、多くの貴族の祝福の中で愛し合う二人は幸せな結婚式を挙げたのだ。
…………
…………こんな馬鹿な台本を信じる奴がいるのかね……?
この設定が出来たとき、クリフォード・チェンバレンことクリフは首をかしげていた。
しかし、その設定を聞くや目をキラキラと輝かせ、感動を隠しきれない様子のハンナを見るに、その心配は無いのかもしれないと思い直した。
ここは貴賓館の一室である。
クリフはサイラスとアイザックとヒースコート・クロフトと共に談笑していた。
もちろんハンナとエリーも一緒だ。
「まさか、クリフォード様がチェンバレン将軍のご子息であられたとは……知らぬこととは言え、ご無礼をお許しください。」
「いえ、義叔父上からその様に言われては困ります。今まで通りにクリフとお呼び下さいますよう。」
ヒースコートとクリフが固い挨拶を交わす。
クリフは王国中枢に食い込むチェンバレン家の一門であり、ヒースコートは小なりとは言え貴族家の当主である。
互いに遠慮がある微妙な関係となってしまった。
「固い話はそこそこに……互いに縁を結んだ両家です。過剰な礼はかえって無礼になりますよ。」
アイザックが二人を嗜める。
これは両家の親睦を図る場でもあるのだ。
「ハンナどの、クリフォードはファロンに残ります。弟をよろしくお願いします。」
「はい、お義兄様。」
アイザックの言葉にハンナが嬉しそうにはにかんだ。
ハンナは晴れてクリフの妻になった喜びを全身で表現しているかのようだ。
「うむ、クリフォードが寝屋で苛める時には叱ってやるから言いつけるのだぞ。」
サイラスがニヤニヤと笑いながらハンナをからかう。
これは昨夜のベッドでハンナが失神したことを言っているのだ。
「もうっ、お義父様ったら!」
ハンナは普段からヘクターの相手をしているので、この手のセクハラには慣れている。あまり気にはしないようだ。
その隣でヒースコートが微妙な顔をしているが、幼い頃より可愛がった姪を嫁に出し、性交までも見れば無理もないだろう。
そのヒースコートがハンナの側にいるエリーをちらりと見ると、エリーはサッとハンナに隠れた。先日の経緯があり、エリーにはすっかりと嫌われているようだ。
少し気落ちした様子のヒースコートに助け船を出したのはサイラスだった。
「何かあればいつでも言って来なさい。新しい親戚が出来るのは嬉しいことだ。ヒースコートどのもな。」
「はっ、恐縮です。」
この後、王国からジンデル辺境伯への交渉窓口はヒースコート・クロフトとなり、長く外交官として活躍することになる。
今回の婚姻はヒースコートにとっても人生の節目となったのだ。
アイザックとサイラスはその後4日ほど外交の交渉をした後、王都に引き上げて行った。
「王都にも顔を出せよ。お前の姉にも引き合わせねばならんからな。」
サイラスとの触れ合いはクリフに父親と言うものを強く意識させ、故郷を思い出させた。
……1度、帰ってみても良いかもしれないな……
クリフは11才の頃より1度も故郷に帰っていない。
誰も生きてはいない故郷に帰っても無駄だと考えていたからである。
しかし、ふと帰りたくなった……クリフも年を取ったのかもしれない。
………………
クリフがクリフォード・チェンバレンであることは、例の「設定」と共に公表され、自由都市ファロンは大いに沸いた。
庶民はこの手の他愛も無いお話が大好物である。
「4番通り、辻の決闘」も再度クローズアップされ、ハンナ・クロフトとの恋愛も含め、「猟犬クリフ」は1つの物語となった。
小説や演劇の主人公となり、吟遊詩人が詩曲とした。
「猟犬クリフ」はクリフ本人から解離を始め、物語の主人公となったのだ。
クリフが日頃通っていた飯屋などは「猟犬クリフ縁の店」と看板を出したほどである。
自由都市ファロンの住民は利に聡く、商才に長けている。
………………
「まさか、クリフが貴族だったとはな……」
股旅亭のマスターが呟いた。
「うん、そうらしいんだ。」
クリフは曖昧に頷く。当たり前だが、今回の真相は固く口止めされている……ハンナにも伝えてはいない。
「これを機に、エリーもアリス・チェンバレンと名を改めたよ……まあ、愛称はエリーのままだけども。」
「私はハンナ・クロフト・チェンバレンね……長いからハンナでいいわ。」
クリフとハンナの言葉を聞いて、ギネスが居心地悪そうにしている。
今まで気安くしていた相手が貴族でしたと言われ、どの様に接したら良いか戸惑っている様子だ。
「その、チェンバレン様は……」
「やめろギネス。今まで通りで頼む……皆もな。」
クリフが声を掛けるとギネスはホッとした表情を見せた。
クリフは思いがけずに貴族に列なったが、これ幸いと貴族でございと威張るのは間違いであろうし、サイラスもそんなことは望んでいない筈だ。
「ははっ、有り難き幸せでございます。閣下。」
ヘクターがこれ幸いとからかってきたが、今はこれがありがたい。
「控えおろう! こちらをどなたと心得るか、頭が高いっ!」
ギネスが応じて冗談を言い、その場に大きな笑いが起こった。
……ありがとよ、ヘクター、ギネス……気を使わせたな。
クリフは笑いながら仲間に感謝した。
2人が冗談にすることで、他の者たちの固さが解れたのを感じる。
「迷惑を掛けて済まなかった……難しい交渉の機密維持だとかで連絡がなかなか取れなくて……」
クリフが照れ隠しを口にすると、隣のハンナが口を尖らせて抗議の声を上げた。
「もーっ! ほんとだよっ! 私、知らない貴族と結婚させられると思ってさ……一杯泣いたんだよ?」
「……ハンナ……」
クリフはハンナの手を握り見つめあう。
「済まなかったな。」
「ううん、ビックリしたけど……許してあげる。」
ハンナがクスリと笑う。
それだけでクリフの目には周囲が明るくなるような錯覚に陥り、胸の内側が強く締めつけられる。
……まいったな、これは……すっかり参ってるじゃないか、俺。
クリフはハンナをじっと見つめる……目が離せないのだ。
ハンナの唇に吸い寄せられるようにクリフは口づけをした。
「……い……おーい、聞こえてるか?」
ヘクターの呼び声にハッとして我に返る。
「あ、すまない。なんだっけ?」
クリフは本気で周囲の様子を把握できていなかった。
何となく変な空気が流れているのを感じるだけだ。
「あのよ、今日はもう帰ってもいいぜ。」
マスターの言葉で状況を把握した。
周囲が気まずそうな表情で顔を逸らしたり、逆にニヤニヤしてチラ見されているのを感じる。
クリフは衆人環視の中でハンナと口づけをしたのだ。
正しく二人の世界から帰ってきたクリフは羞恥心で何も言えなくなってしまった。
「ここで始めてもらってもいいんだぜ?ガーッハッハッ」
ヘクターの下卑た笑いが部屋に響き渡った。
………………
この後、王国東部の情勢は大きく動く。
ジンデル辺境伯と軍事同盟を締結した王国は、王国東部の動乱を鎮めるために軍を進め、アッシャー同盟・カスケン・マンセル侯爵・バッセル伯爵の4勢力に対し討伐令を発することとなる。
これより王国東部の動乱は急展開を迎えることとなった。
正しく、クリフは歴史のターニングポイントに立ち会ったのだ。
しかし、クリフの人生においては「結婚した」という私事でしかない。
彼はあくまでも市井の冒険者であり、政治・軍事に直接的に関わることは無かった。
物語としては、ここで一区切りである。
しかし、物語が終われども、主人公の人生はハッピーエンドの後も続く。
クリフの物語も、まだ終幕とはいかないようだ。
取り合えず、一部完です。




