21話 煙のシム 上
クリフが酒場のマスターやヘクターに連れられ、評議会議員の元に出入りし始めたのはコオロギが鳴き始めた頃のことだった。
自由都市ファロンに領主はおらず、8~14名の評議会議員の合議により運営されている。
評議会議員の人数は時代と共に変化したが、この時代は9人だ。
評議会議員は衆望の有るものが他の評議会議員の他薦で就任する。
他領の貴族の係累が実家の援助で就任することもあれば、叩き上げの商人が就任する場合もある。
クリフはヘクターと共に評議会議員の元へ行き、ヘクターと議員が何やら打合せをしていたのを黙って眺めているのだ。
どうやら、打合せが終ったようだ。ヘクターが挨拶をし、部屋から退出する……クリフも倣って部屋から出た。
「お前さん、もう少し口出ししても良いんだぜ?」
無駄に長い廊下を歩きながらヘクターがクリフに声を掛けた。
「お前さんが意見をする分にはエイブだって嫌な顔はすめえ。むしろ喜ぶはずさ。」
「……エイブ?」
クリフは思わず聞き返した。知らぬ名だ……たしか先程の議員も違う名だったはずである。
「あん? ひょっとして……」
呆れた顔つきでヘクターが説明を始めた。
何のことはない、エイブとは酒場のマスターのことであった……思い返せばクリフはマスターの名前を知らなかった。酒場の客と店主の関係とはその程度であるとも言える。
ちなみに酒場は股旅亭と言う……これもクリフは忘れていた。いつも「冒険者の酒場」とか「いつもの酒場」とか読んでいたため、屋号を気にしなかったのだ。
「かっかっかっ、そんなんで良く貴族のお嬢ちゃんを口説いたもんだ。」
ヘクターが実に愉快げに笑う。
クリフとハンナが婚約したことは既に周知の事実であり、このネタでヘクターは再三とクリフをからかっている。
評議会議院の役宅を出た2人は冒険者御用達の……もとい股旅亭に向かった。
…………
「すまなかったな……お前さんには退屈な話だったとは思うが、冒険者組合の立ち上げに加わったって事実が大事なのさ。」
マスターがクリフの杯に酒を注いでくれた。
名前を知ったところで、クリフにとってはマスターはマスターである。
「予定地は2番通りか7番通りだな。」
「む……絞られてきたな。」
ヘクターとマスターが何やら地図を拡げて打合せを始めたが、正直に言えばクリフには良くわからない。
ちびちびと炙った塩漬け肉を噛じりながら酒を飲むだけだ。
「クリフ、お前さんはどう思う?」
「……わからない。」
マスターがクリフに水を向けるが、考える素振りすら見せないクリフに溜め息をついた。
…………
午後になり、ハンナがエリーを連れて酒場にやって来た。
エリーは以前ハンナが使っていた従業員用の部屋で昼寝をするのだ。
ハンナはエリーを寝かしつけてからクリフの隣に座る。
ウェイトレスのはずだが、実に気儘な振る舞いである。しかし、この酒場に出入りする者は皆、彼女に逆らっても碌なことにならないのを知っているので見て見ぬ振りをしているのだ。
「ハンナ……2番通りと7番通りはどっちが好きだ?」
クリフがハンナに尋ねる。
ハンナは口をへの字にしながら「うーん」と考え込み始めた。
「2番通りは……商店街よね、クリフは商店を開くのかしら……? そうしたら私は女将さんか……できるかしら。でへへ」
美人がニタニタと笑いながら身をくねらせ、何やらブツブツと呟く姿は不気味ですらある。
「7番通りは問屋街よね。静かだし、敷地も広いから子育てには良いわ……広い庭で子供たちに剣を教えるの。子供は沢山欲しいな……うひ。」
うっとりとした顔で現世と夢の世界を行き来するハンナを横目に、ヘクターが「それは良いかもしれん」と呟いた。
「おい、エイブ! 聞いたか?」
「うむ、良いアイデアだ……7番だな。」
ヘクターとマスターが頷き合った。
後に7番通りに新設されたギルドには訓練場が併設された。これは後に、各地に広がる冒険者組合施設のスタンダードになるのである。
…………
しばらくすると、酒場は客で込み合ってきた。
冒険者は団体で活動することもあるため、2組も入れば中々の賑わいだ。
ハンナも正気に戻り、仕事に返っていく。
少し、間を置いてからクリフがテーブルに2通の手紙を置いた。
2通の手紙の内容は同じものである。この時代の手紙は届かないことも多く、重要な音信は同じものを複数回送るのは一般的なことだ。
「ヘクターのところの若いのに手紙の配達を頼みたいんだ。」
「おう、何処だ……っと?」
ヘクターが畳んだ手紙に押された封蝋に気づく。
そこにはクリフが剣の紋章を器用に押していた……実は上手く押せずに2枚ほど手紙を駄目にしたのだが、それをわざわざヘクターに伝える必要は無い。
紋章を使うのは貴族や大きな商家である。庶民が使うようなモノでは無い。
ヘクターが不信に思うのは当然だった。
「届け先は王都のサイラス・チェンバレン。この紋章が有れば届くと思う……できれば返信があると助かるが……それは先方に任せよう。」
ヘクターの左目が大きく見開き、口が何かを言いたそうに動いたが、何も言わずに言葉を飲み込んだ。
サイラス・チェンバレンとは大物だ。王国軍の将軍として長年にわたり活躍し、先日引退した。
王都に住んでいたヘクターが知らぬ筈は無い。
ヘクターも中身が気になるところではあるが、これは私信だ。さすがに内容を問うのは失礼というものである。
「王都か……知ってるとは思うが、アッシャーとカスケンが小競り合いを始めた。マンセルもキナ臭え……無理とは言わんが遅くなるかも知れんぞ。」
クリフは黙って頷いた。
手紙の内容はサイラスへの挨拶と、ハンナと結婚するにあたって作法の指南の依頼だった。サイラスの都合が良い時期にお邪魔したいので時期を知らせてほしいと記してある。
学の無いクリフの手紙は拙いものではあるが、クリフの想いを丁寧に記した……誠意は十分に伝わる筈だ。
ハンナは勘当中とはいえ歴とした貴族である。
結婚を認められるかは別として、クロフト家にきちんと礼を示したいとクリフは考えたのだ。
そしてクリフが頼れる貴族はサイラスしかおらず、また隠居のサイラスならば時間の都合も何とかなるのではないかという期待もあった。
1度しか面識の無いサイラスに頼るのは厚かましい話ではあるが、男同士の付き合いとは長さでは無い。クリフとサイラスは同じ戦いで肩を並べた戦友なのだ。
そこらに溢れたヘナヘナとした友情ごっことは訳が違う。
「ほお、戦鬼サイラスか、なかなか興味深い人脈だな。」
マスターがヘクターとクリフの杯に新しい酒を注ぐ。
「折角、王都まで行くんだ、誰か声を掛けれる冒険者はいるか?」
マスターがヘクターに尋ねると、意外なことにヘクターは難しい顔をした。
「うーん……そりゃあ何人かは心当たりはあるが、若いのはなあ。どうしても俺と付き合いがあったってなると、30過ぎになるからな。」
ヘクターがチラリとクリフを見やる。
「俺も他の冒険者は詳しくないが……蛇のスジラドって冒険者はやりそうだった。あとはトーマスとジョニーってギネスの友達くらいかな……こっちはまだまだだな。」
「ほーん、スジラド坊やか。顔に、こんな傷があったろう?」
ヘクターが自分の頬を指でなぞる。クリフが頷くと嬉しそうに「俺がつけたんだぜ」と笑った。
「よし、そのスジラドに声を掛けるか。お前さんたちの推薦なら職員にしても良いぜ。」
マスターがニヤリと笑う。
「それから、クリフよ。ヘクターの所の若いのを面倒見てやってくれ。」
「面倒?」
クリフがヘクターと視線を合わせた。
「ああ、連れてこよう。当たり前だが食う寝るの世話じゃねえからな。」
ヘクターが酒場にいた客に何やら指示を出していた。この客もヘクターの身内らしい。
…………
「こいつだ。名前はロッコ。」
ヘクターが連れてきたのは10代の半ばと思わしき若者だ。
体の線も華奢だし、身のこなしも素人である……とても冒険者とは思えない。
焦げ茶色の髪が中途半端に伸びて貧相ですらある。
「クリフだ。」
「あの、ロッコです。」
クリフとロッコが至極シンプルな挨拶をした。
「クリフ、こいつを鍛えてやってくれ。飯が食えねえってんで、口減らしで俺のところに来たんだ。見所は……まあまあだな。」
ヘクターの紹介に頷いたクリフがジロリとロッコを見る……ロッコは顔を強張らせたが視線は逸らさない。
……まあまあだな。
クリフもヘクター同様の感想を得た。
「それで、仕事は?」
「こいつが手頃だ……アビントンの町にいるらしい。」
マスターは1枚の手配書をクリフに差し出した。
……煙のシム、賞金は15000ダカットか。
「行くぞ、支度をしてこい。」
クリフはマスターに酒代を払い、店を出る……ロッコが慌てて後を追った。
「アイツに育てられるのかねえ……どう思う、ヘクター?」
「クリフに食らいついて行けば3年で一端、5年で凄いことになるぜ……死ななきゃな。」
マスターとヘクターは顔を見合わせて苦笑いをした。
「いいなあ、私もクリフと悪者退治がしたいよ。」
ハンナの呟きを聞いた客が「うへっ」と肩をすくめた。




