18話 紅葉葵
少し長めです。
サイラスと別れた後、クリフはアッシャー同盟領を北上し、マンセル侯爵領に向かった。
別に用が有ったわけでは無い。
クリフは元々は王都に向かっていたのだが、サイラスと別れてすぐに顔を合わせるのも気恥ずかしく感じ、なんとなく道を変えたにすぎない。旅から旅の賞金稼ぎだ……西を向いていた足が北に向こうが大差は無い。
アッシャー同盟とマンセル侯爵の仲は険悪だ。
軍事的な衝突もままあり、軍の進退を妨げるために二つを繋げる道は街道と呼ぶのを躊躇うほどに荒れ果て、曲がりくねっている。
その曲がりくねった街道をクリフは進む。
季節は夏に向かっており、じっとりと汗ばむような陽気だ……クリフも外套を外し、丸めて道具袋に固定してある。
女が、倒れていた……連れはいないようだ。
クリフは警戒した。
町や村から離れれば、野盗や傭兵が跋扈している世の中だ。女の一人旅は余程の事情が無ければ先ずは有り得ない。なかなか見かけるものでは無いのだ。
倒れている女に気をとられている隙に、後ろからブスリとやられる可能性は十分に考えられる。
クリフは慎重に周囲を警戒した。
……どうやら、待ち伏せは無いようだが。
追跡術に長けたクリフの目を誤魔化して潜み続ける程の凄腕は、そうそうはいるものでは無い。
クリフはやや離れた所から女を観察する。
街道の脇で木にすがるように喘いでいる……怪我か、病か、何かしらの体調不良に見舞われているのは間違い無い。
……似ている。
クリフは女の顔を見て、明るい髪色が今は亡きエレンに似ていると感じた。
以前のクリフであれば、旅の行き倒れなど、歯牙にも掛けなかったに違いない。
しかし、今は自身が行き倒れた時にハンナ・クロフトに救われた記憶がある。
それ以来なんとなくだが、旅の行き倒れを見棄てづらく感じるのだ。
しかも相手はどことなくエレンに似た女性なのだから尚更である。
「どうかなされましたか?」
クリフは女に声を掛けた。
女はやや驚いた様子を見せ、怪訝な顔をする。
警戒しているのだ……女が旅の空で冒険者に声を掛けられ、不信を感じないはずがない。
「……お構い無く。」
少し間があり、女が答えた。
クリフもこれ以上は世話を焼く理由もない。
「分かりました……ここから町は距離があります。日の暮れる前に入られるのが良いでしょう。」
クリフはそれだけ言い残すと街道に戻り北へ歩み始める。
女は不安気な顔を見せたが何も言わなかった。
………………
マンセル侯爵領ミールの町。
ここは対アッシャー同盟の最前線であり、町の規模は小さいが高い城壁といくつかの櫓を備えた要塞である。
……騒がしいな。
クリフは町の雰囲気に異常なものを感じ、周囲を警戒する。
直ぐに人垣を見つけ、そっと近づいてみた。
……喧嘩……? いや、私刑か。
男が数人に囲まれて痛め付けられている。
殴られている男も抗うでもなく諦めきった表情でなすがままだ。
「足抜けですよ。」
クリフの隣の男が話しかけてきた。
足抜けとは娼館に対価を支払わずに女が逃げることである。男と逃げる場合は駆け落ちと呼ばれることも多い。
「王都の娼館から女を拐って逃げたらしいんで……男はとっ捕まったんですが、女が見つからないので痛め付けられている所ですな。」
男がニヤニヤとクリフに事情を説明した。
どこにでもこの手の「話したがり」はいるものである。
クリフが大袈裟に「へえ、そうですか」と相づちを打つと、満足そうに笑い「女を見つけると謝礼が貰えるそうですよ」と付け加えた。
クリフの中で何かがカチリと噛み合った。
怪我をした女の一人旅。
駆け落ちした男女。
追っ手の破落戸。
捕まった男に消えた女。
……ふん、なるほどね。
これらが偶然であるろうか……否だとクリフの勘が告げる。
先程の女が駆け落ちした片割れだ。
クリフは振り替えって、歩き出す。
「おや、もう行かれますので?」
「ええ……先程、北の方で女の一人旅を見かけたんですよ。ひょっとしたらと思いまして……怪我をしていたようです。まだ間に合うでしょう。」
これはクリフの嘘だ。真逆の方向を伝えることで時間稼ぎが出来るかもしれない。
怪我のことなど、真実を混ぜることで偽報は真実味が増すのだ。
男がやや驚いた顔を見せた。
クリフはニヤリと意味ありげに笑うと足早に去って行った。クリフの歩みは速い、さりげなく尾行するなどは不可能だろう。
………………
クリフが来た道を引き返すと、元の場所から程近い所に女の姿はあった。
ふと、クリフは考える。
……俺は、この女をどうしたいんだ?
駆け落ちというのは、娼館から娼婦を盗む行為だ。
対価を支払わずに商品を盗めば窃盗である……駆け落ちはするほうに非がある。
助けることは窃盗の幇助だ、下手をすればクリフが逮捕されることになるかも知れない。
……俺は、どうしちまったんだろう?
クリフは首を捻り悩む。
このような面倒事は自分が最も忌避するモノであったはずだ。
女は蝸牛のようにノロノロと進む。
足を痛めている様子だ。
「……すみません、宜しいですか?」
クリフは意を決し、女に声を掛けた。
女は驚いた様子で振り返る……そして疑わしそうな目でクリフの様子を窺った。
「すみません、先程の様子から気になって戻って参りました。見れば足を痛めたご様子、宜しければ町まで送らせていただけませんか?」
クリフは半ば断られるであろうと思いながら助けを申し出た。
緊張からか、早口になってしまい恥ずかしくなってきた。
女の顔を見る。
エレンに似ている……と言えば似ているが瓜二つと言うほどでも無い。
だが、憂いを含んだような垂れ目がちな目元が……クリフの心を締め付ける。
「なぜ、そこまでご親切にしていただけるのですか?」
女が当然の疑問を口にした。
「実は、ミールの町で駆け落ちをした男女を探している一団を見つけました。」
女の眉がピクリと動いた。
「男は捕まったようです。私は貴女が逃げた女だと確信しました。」
「私は……違います!」
たまらず女が声を上げた。
しかしクリフは話を続ける。
「いえ、良いのです。……私は貴女を助けたい。なぜならば……」
クリフは深呼吸した。
変な汗が脇を伝うのを感じる。
「貴女は私が以前……愛した女性に似ているからです。」
クリフは思いきって本音を口にしたが恥ずかしくなってきた。
これでは女を口説いている様ではないか。
「……信じられないのが当たり前です。貴女が必要無いと言うのならば、このまま去りましょう。」
恥ずかしくなったクリフは女の返事も待たずに歩き出す。
「待ってください!」
女がクリフを呼び止めた。
クリフの足が止まる。
「旅の途中で足を痛め、困り果てていました……お願いします、お助け下さい。」
女が深々と頭を下げた。
クリフはホッと息をついたが、同時に困惑した。
……俺は、この女をどうしたいんだろう?
クリフは湧き上がる疑問を押し殺した。
女の背に道具袋を固定し、クリフは女を背負って南に歩き出す。
「すみません……私はローナと言います。お名前をお聞きしても……」
「クリフです。」
ローナは「クリフさん」と小さく反芻した。
クリフの歩みは速い。
人を担いだくらいで音を上げるような、やわな鍛え方はしていない。
「ローナさん、どちらまで行かれる予定でしたか?」
クリフがローナに声を掛ける。
目的地を聞かねば始まらない。
「連れとはぐれた時はマルゴの町の旅枕亭という宿で落ち合うことになっていました。」
クリフは溜め息を噛み殺す。
……なんでそんな目立つところで待ち合わせるんだ……見つけてくれと言わんばかりだ。
クリフは内心で舌打ちをした。
マルゴは交通の要衝である。待ち合わせには便利であろうが人目につきやすい。
臆病なほど用心深いクリフには信じられない迂闊さである。
「次の町は通過します。このままマルゴまで行きましょう。」
マルゴの町はまだ遠いが一気に距離を稼ぎたい。
クリフは時折休みながら夜通し歩き続け、翌日の夕方にはマルゴに辿り着いた。
常人ならば4日の行程を人を担ぎながら1日半で歩き通したのだ。
驚異的なペースである……さすがのクリフも精も根も使い果たした。
マルゴの町で旅枕亭は難なく見付かった。
何の事はない、酒場と宿屋を兼ねた大きな建物である。
クリフは2部屋を借り、医者を呼んだ。
ローナの怪我を診て貰う為である。
さすがのクリフも初対面の女性の足を治療する訳にはいかなかったのだ。
部屋の外で待つと、診察を終えた医者が出てきた。
「お手数をかけました。」
クリフが礼を述べ、治療費を多目に渡す。
「怪我の具合は良くありません。深い刺し傷が膿を持っています……熱が出たり震えが起きたら直ぐに知らせてください。後で薬を届けます。」
医者はクリフに見立てを説明した。
逃げる者の足を狙うのは常道である……破落戸にやられたのだろう。
ろくな治療もせずに歩き続けたことで傷が悪化しているらしい。
この時期の傷は膿を持つと治療が長引き厄介である……菌血症や敗血症になると死に至るかもしれないのだ。油断は出来ない。
クリフはドアをノックして部屋に入る。
「お加減はいかがですか?」
「クリフさん……何から何まで……すみません。」
クリフは改めてローナを見る。
明るい髪色と、垂れ目がちで優しげな目をした若い女……20才を越えたほどであろうか。
顔の造形はそれほどエレンに似ているとは思えないが、全体の雰囲気が良く似ている。
「あの、クリフさん。」
「何でしょうか?」
ローナは少し躊躇ったが、意を決したようだ。
「私に似た……恋人がいたそうですが、その……」
「……死にました。私が殺したのです。」
クリフはぼそりと呟くと部屋を出た。
看病に必要なものを町で揃え、部屋に戻ると疲れがどっと出た。
……俺は何をやってるんだ……
クリフは自問しながら眠りに落ちていった。
………………
5日後
宿で休養を続けたことでローナの傷の具合は、完治には遠くとも日増しに良くなった。
クリフはローナと付かず離れずで様子を見ながら町で警戒を続けている。
……来たな。
クリフは見覚えのある4人を見つけた。先頭は私刑を受けていた男だ。
クリフは男たちに近づいていく。
「よろしいですか?」
「何だてめえは!?」
男の一人がクリフを誰何する。
無駄に凄んでいるがこれは虚勢だ。明らかにクリフの貫禄に気圧されている。
「私はクリフという冒険者です。ローナさんのことでお話しがあります。」
クリフが用件を告げると男達の顔色が変わった。
「猟犬のクリフさんとお見受けしました。私はスジラド、蛇のスジラドと呼ばれております。」
リーダーらしい男がスジラドと名乗った。クリフと同年代であろうか……日焼けと顔の傷がいかにも実力派と言った風情の冒険者だ。
「ローナと言いますと、王都のペイリンから足抜けした娼婦でしょうか?」
スジラドは口調こそ丁寧であるが油断無い目でクリフの様子を窺う。
ペイリンとは娼館の名前であろう。
「そうです。実は彼女を身請けしたいのです。」
クリフの言葉を聞き、左右の男が嫌らしい笑みを浮かべた。
ローナと駆け落ちしたであろう男は何か言いかけたがスジラドに小突かれて黙り込んだ。複雑な表情を浮かべている。
「クリフさん、どう言った事情かは分かりませんが……それは無理な相談です。」
スジラドがクリフに向かい合う……なかなかの貫禄だ。
「無理は承知ですが、彼女は私の縁者なのです。引き渡して責め殺されるのは忍びないですし、私刑に耐えられず女を売るような男には任せられない。」
駆け落ちしたであろう男は俯いたまま黙り込んでいる。
足抜けした娼婦は、見せしめのために残酷な方法で痛め付けられるのだ……その結果死ぬ者は多い。
「野郎!いい気になるなよ! 勝手な事ばかり言いやがって!」
スジラドの左隣の男がクリフに凄んだ。
スジラドは「止めろ」と男を制止する。
「猟犬クリフさんと殺り合う気はありません……命を懸ける程の仕事じゃねえ。取り合えずローナに会わせて下さい。本人を確認しねえことには話が始まらねえ。」
理はスジラドにある。
足抜けした娼婦を身請けしたいとは、盗まれた商品に金を払うから盗賊を見逃せという理屈と同じだ。
無理はクリフの方なのだ。
「分かりました。着いてきて下さい。」
クリフは男達を引き連れて旅枕亭に向かった。
…………
宿につき、ローナに事情を説明すると少し恨めしそうな顔をした。引き渡されると思ったのかも知れない。
「フリップは?」
「無事のようですが……」
フリップとは駆け落ちした相手だろう。
クリフの返事は歯切れが悪い……フリップが追手の手引きをしたとは言いづらいのだ。
「取り合えず、追手の頭であるスジラドさんと会って下さい。悪いようにはならない筈です。」
ローナは不安気ではあるが承知した。
自らを背負い、夜通し歩き続けたクリフのことを信頼しているのだろう。
クリフはスジラドを呼び、旅枕亭の酒場で二人を引き合わせた。
クリフと他の面々はローナとスジラドから少し離れたテーブルに着く。
意外にもスジラドの仲間たちは人懐こく、猟犬クリフの経験談を聞きたがった。
二人とも若い冒険者である。少しでもクリフから何かを学ぼうとしているのだろう。
彼らも悪人では無いのだ。ただ引き受けた依頼がクリフの都合と噛み合わなかっただけである。
お互いに個人的な恨みがあるわけでは無いのだ。
フリップは心配げにチラチラとローナの様子を眺めているが、ここからでは話し声はなかなか聞こえないだろう。
…………
しばらくすると、スジラドがクリフのテーブルに近づいてきた。話がついたのだろう。
「……死んだ女房に似てるから、か。」
スジラドはクリフの斜向かいの席にドカリと座る。
「25000ダカットだ。これ以下じゃあ雇い主が納得しねえ。」
スジラドの言葉にクリフは頷く。
そして自分が借りている部屋に戻り、荷物を持ち金を用意した。
テーブルに戻ってきたクリフが旅支度なのを見て、スジラドは少し驚いた顔をした。
クリフがドシャリと財布をテーブルに置く。
「30000ダカットあります。確認して下さい。」
スジラドの仲間が金を数え始めた。
「余分の5000は?」
「フリップさんの分です。」
クリフが目を向けると、フリップは慌てて俯き目を逸らした。
……やれやれ。こんなのが駆け落ちとはね。
クリフはその様子に呆れるが何も言わない。
ローナは事態が飲み込めず困惑顔だ。
「確かに、30000ダカットです。」
スジラドは仲間の報告を受けると「確かに」と金を収めた。
クリフはローナに向かい合うと、「それではこれで」と歩き出した。
「待ってください! 私はっ……!?」
ローナがクリフを引き留めようとするが、怪我のためか思うように動けないようだ。
「ありがとう、ローナさん……これで、私の中で区切りがついた気がします。」
クリフが振り向き、ローナを見つめた。
「幸せに、おなりなさい。」
そう言い残すとクリフはもはや振り向かなかった。
金をカウンターに置くと、足早に店を出て行く。
「猟犬クリフ……偉い男だぜ。」
スジラドがポツリと呟いた。
ローナがいつまでも、見えなくなったクリフに礼を述べていた。
…………
クリフは足早に街道を行く。
ふと、路傍に咲く紅葉葵の赤い花がクリフの目に入った。
どことなく夏の明るさがある鮮やかな赤だ。
まるでハンナのようだと思い、クリフは赤い花を手折った。
……ファロンに、戻ろう。
クリフは東に足を向け歩き出す。
秋の頃にはファロンに辿り着けるだろう。
クリフは心に引っ掛かっていた「何か」がほどけていくのを感じた。




