王太子 ー薬草ー
遅くなりました。
王太子の章はこれにて完結です。
次話からはロレンツオ視点ですが、ティーティアの話になります。
「このまま目覚めることなく寝たきりなら、確実に母体に子を産む力が不足します。母子とも危うく、いや、助からないでしょう。子だけなら月が満ちたら傷つけぬよう腹を裂いて取り出し助けることは出来ますが」
ロレンツオは、あまりのことに言葉を失った。今のままではティーティアは確実に命を失ってしまうという事実に。
どうにかしなければ。そう思うだけで何も手立てが思い浮かばない。
自然とベッドで眠るティーティアに目がいく。胸元が上下している。触れると温かい。まだ生きている。ちゃんと生きている。今は平坦な腹部が膨らみ、丸みを帯び大きくはち切れんばかりになったら……。
「ど、どうにもならないのか?」
ホストルの悲痛な声が何故か遠くの方で言っているように聞こえる。
「どうにも、と言われても……。意識がなく寝たきりでは体は弱るばかりです。滋養のある消化のよい物を与えていても……、産み月まで保たせるのがギリギリでしょう」
フードの男の声も壁越しに聞いているような感じだ。
「痛み……、痛みを与えてみれば? 痛みで目を覚ますかもしれない!」
レジラルが縋るように言うがそれもすぐに打ち砕かれる。
「そ、それは、陛下に許可をいただき、手を叩くや赤くなるほど抓ることをしてみましたが……」
エイバンが顔色を悪くして首を横に振っている。そんなことも試してみたのか。
ロレンツオには思いもつかなかった。ティーティアには痛い思いをさせたくなかった、させるつもりがなかった。
「痛みで表情どころか反応が何一つなく……」
エイバンの答えにフードの男は何か考えるように頷いているようで、被っているフードが上下している。その姿も硝子越しに見ているようで少しぼやけていた。
「ロレンツオ殿下! 貴様が!」
ロレンツオの方を向いたホストルが目を見開いて動きを止めた。他の者たちもロレンツオを見て表情を固まらせている。
「な、泣いているのか?」
その言葉にロレンツオは頬に手を当てた。生温かい液体が手に触れる。
濡れている。何故?
「貴様に泣く資格など……」
その言葉に異議はない。けれど、ロレンツオの目からは涙が溢れ落ちていく。止めようと思っても止まらない。止めどなく頬を伝い服を濡らしていく。
「……。最近、大きく変わったことがおありでは」
フードの男の言葉にロレンツオは頷けなかった。
変わった、何もかも。変わっていないようで全て変わってしまった。そして、彼らが……、彼らがいなくなってしまった。私の過ちで……。けれど、それは昨日この場で昇華させた。
「昨日、勅命を賜った方々は殿下が親しくしていたご友人たちでした」
この時まで空気のように存在を消していたソラリスが余分なことを口にする。
ウラルが眉を寄せ、頭に手をやると気不味そうにロレンツオからスッと視線を外した。
「あの第一王子が相手だからなー。生き残れたとしても……」
あの場の話で最悪な未来は容易に想像出来た。それを回避出来る術をロレンツオは持っていない。
「だからと言って………」
レジラルの言葉をフードの男が遮る。
「頭では納得していても心が受け入れられない、ということもあります」
そうだとしてもロレンツオはそれを見せてはいけない。その資格は失っている。
「この部屋には心を落ち着かせる香を焚いてあります。それが強く作用されたのでしょう」
それでも、だ。それでもロレンツオは泣いてはいけなかった。ティーティアもことでも彼らのためにも。だから、グッと力を込めて手を握り締める。これ以上弱さを見せられない。下を向きそうになる視線を上げ、フードの男を見る。視線は合わないが、向こうもロレンツオを見ているのが分かる。
「他に手立ては?」
声が震えた。だが、まだ手があるのなら、それに縋りたい。これ以上誰も失いたくない。
「妃殿下がどういう状況でこのような状態になられたのかは陛下に聞いています」
ティーティアに手をあげたことを知られている。そのことに冷たい汗が背中を伝うが、ロレンツオには言い訳をするつもりはない。悪いのは全てを鵜呑みにしていたロレンツオなのだから。
「妃殿下がどういう思いでおられたのか……」
ふと頭に浮かび上がる。
『つかれました』
耳に届いた本当に小さな囁き。彼女が本当にそう言ったのかどうかも分からない。
「倒れる時に『疲れた』と」
「陛下はそんなこと仰らなかったぞ。側にいた侍女たちの証言はティーティアは何も言わずに倒れた、と」
ホストルが詰め寄ってくるが、ロレンツオには確かに彼女の声でそう聞こえた。
「殿下だけに聞こえたのか、侍女たちは妃殿下が倒れられたことに動転して聞き漏らしたのか……」
フードの奥で男が口角を上げたような気がした。
「『疲れた』ですか……。一体何に『お疲れ』になっていたか、ですね」
恐らく変わろうとしないロレンツオの態度に、だ。健気に歩み寄ろうとしていたティーティアの話は一切聞かず悪いのは彼女だと決めつけていたロレンツオに疲れ果てた。
「取りあえずは体に負担をかけず滋養が取れるものを準備するしかありません」
手はもうそれだけしかないのか?
ティーティアに目覚めて欲しいと思っているのに何の手段も思いつかない自分にロレンツオは憤りを感じる。
「それから、なるべく話しかけて刺激を与えてください。妃殿下が興味をもたれるような話をされるとよいかもしれません」
ロレンツオは知らない。ティーティアが何を好きなのか、どんなことに興味を持っていたのか、何も知らない。けれど、茶会でキラキラとした目でロレンツオたちの他愛の無い話を聞いていたのを覚えている。ただ普通の、あのくらいの男児にはありがちなことばかり話していた。普通ではない状態にいたティーティアにはとても新鮮で興味深い話だったのだろう。いつも瞳を輝かせて聞いていた。あの頃はそのキラキラした瞳を見たくて、ほんとに些細なことでも話していた。
なら、ロレンツオが話せるのは今まで通りありふれた日常のことだ。朝日が綺麗だったとか、酷い雨だったが上がった後に美しい虹が出ていたとか、王太子妃教育を得て王太子妃となったティーティアは忙しくそれらを感じる暇もなく過ごしてきただろうから。
ロレンツオは私室に持ち込んだ資料から目を離した。夜も更けていた。そろそろ寝ないといけない。目の下に隈など作ればソラリスにどんな嫌味を言われることやら。
侍女に準備させた香炉に火を灯した。ティーティアの部屋で焚かれていた香だ。あのフードの男に気分を落ち着かせるのによいと押し付けられた。
確かに色々あった。まだ嘘だと夢だと全てを受け入れられない気持ちもある。気持ちをゆっくりと落ち着かせる必要はあるのかもしれない。
「彼女と同じ香か……」
せめてティーティアが見る夢は幸せなものであるように。そう願いながら、ロレンツオはベッドに横になった。
そしてロレンツオは夢を見る。とても不思議な夢を。
お読みいただきありがとうございます。
7月中旬から生活環境が大きく変わりました。なかなか順応出来ず、疲れて眠気に負けてしまいズルズルと。
おまけにandroidのバージョンが古く対応出来無いアプリが出てきたため、スマホを変えたら入力機能が変わっていて使いづらい。
ちょっとずつ環境にもスマホにも慣れてきてますのでスピードアップ出来たら、とは思っています。
次話からは新章になりますが、よろしくお願いします。




