竹ぼうきと空飛ぶエトランゼ ③
今から3年前に《クリステラ》で起きた一部の魔族の反乱活動。
数千人規模の軍勢にまで膨れ上がった魔族軍を、有翼人の戦士のみで結成された僅か100名足らずの『蒼刃騎士団』が制圧した。
その鎮圧行動が最も評価された点として、死傷者が敵味方合わせてゼロだったという、無血の勝利であったことだ。
「ユウリィも元々はそこの団員だったの。だから当時のことはよく覚えてるよ」
命を懸けて、命を奪わない――なかなかできるものではない。
当時『蒼刃騎士団』の団長であったハルシャの功績は、各国より大きく称えられることとなった。
「騎士よ、かくあれかし」と、ハルシャはいつしか、世界中の騎士を志す者たちの憧れとして、目標として名を馳せていくこととなったのだ。
その話を聞いて、なるほどすごい人だったんだな、と僕は素直に驚くことができた。
僕は戦いの心得なんてまるでないけれど、命がけの戦いの中で相手の命を慮る行為がどれほど危険なものであるのか、何となく理解はできる。
きっと、戦士としては甘すぎる、愚かだと揶揄されながらも、それでも自分の信念を貫き通したのだろう。
おとぎ話の主人公のような、絵に書いたような清廉潔白な人物だったのだろう。
「でも、ユウリィは知ってしまったの。ハルシャがたびたびユウリィの部屋に忍び込んでは下着を盗んでいってることを!!」
「ああ、おいたわしやユウリィさん。いかに名高き騎士であろうとも、彼はすべての女性を敵に回した大罪人。許すわけにはまいりませんわ」
……とはいえ、天は二物を与えなかったんだろう。
騎士としては素晴らしい人物だったとしても、中身はただのド変態だったわけだ。
両手で顔を覆いながらさめざめと泣くユウリィの肩に手を置きながら、イオタ王女がハルシャこと女の敵への怒りを露わにしていた。
「ユウリィは聞いてしまったの。夜な夜なハルシャの部屋から「ユウリィたんハァハァ」とか「ぺったんこな胸に悩むユウリィたん萌え~」なんて気味の悪い声が響いてきたのを」
「あかん……それ、あかんやつや……」
そして変態は変態でも、いわゆる『ちっちゃい子大好き』な方向性の変態だったらしい。しかもそんな男が婚約者だったとは……これは流石にユウリィに同情した。
これ以上ユウリィの辛い記憶を掘り起こすのも忍びない。ひとまず思い出話はここまでにしておいて、
「で、そんなハルシャがこっちの世界にやってきたってことは……」
「おそらく。いや、間違いなく彼女に会うためだろう……会うだけで済めばいいが」
「ぴいっ!? ヘンタイコワイヘンタイコワイヘンタイコワイヘンタイコワイヘンタイコワイ」
「ハクさん、余計なこと言わないでください! ユウリィがトラウマ刺激されて壊れたラジカセみたいになっちゃったじゃないですか!!」
今現在のことを考えようとした矢先に、この迂闊な一言だ。
再びぷるぷると震えだした(一回目は僕のせいだが)ユウリィを尻目に、ハクさんはいやらしい笑みを浮かべながら今度は僕の方に水を向けてきた。
「ラジカセとはまた、言い得て妙だね。このご時世によくそんな昔の音響機器の名前が出てきたものだ」
「そんなどうでもいい部分から会話を発展させるつもりなんぞ、さらっさらないですからね?」
ハクさん、絶対にこの状況を楽しんでいる。
そりゃあ言ってしまえば痴情のもつれってやつなんだろうし、他人事であればそこまで深刻になれそうもないけれど……
「ユウリィにとってはすごく怖いことなんですよ。もうちょっと真面目に考えましょう」
「ぬ……まさか少年に正論を説かれるとはね。確かにその通りだ、すまない」
少し強めの口調で反論すると、ハクさんはばつの悪い表情で頭を下げてきた。
とはいえ、こうやって僕らにハルシャの件を知らせに来てくれたということは、内心ではユウリィのことを心配している証拠にほかならない。ちょっと意地悪な部分があるだけで、ハクさんは優しい人なのだ。
では、改めてこれからのことを考えよう。
「“アストライアゲート”からこの街までは、交通機関を使えば2時間もかからない。有翼人の飛行速度がどれほどのものかは私も知らないが、既にこの近くに潜伏していてもおかしくはないだろうね」
「下手にユウリィをひとりにするとまずそうですね……ハルシャが捕まるまでは、ユウリィには常に誰かと一緒にいてもらった方がよさそうだ」
「同意しますわ。相手が相手ですし、ユウリィ様もおひとりでは心細いでしょうから」
「あうあうあう……」
未だ壊れたラジオ状態から復帰しないユウリィを横に、僕らは今後の対策を話し合っていく。
しばらくこの家から出ないようにするという案もあったが、それは僕が却下した。室内にずっとこもっていると、不安な気持ちが増幅されて精神的にまいってしまうのだ。
できれば、人がたくさんいる場所で過ごすのが望ましい。本来であれば大学に行けば済む話だったが、あいにく今日は日曜日だ。
ユウリィだって自衛の手段は(必要以上に)持っているわけだし、護衛役が必要なほど弱いわけでもない。
だが、そういうパワーバランスの問題ではないのだ。
彼女の心にトラウマを植え付けるほどの――要するに、生理的にダメな相手に対しては、いくら心身ともに鍛え抜かれた勇者であろうとも対抗できない。
あの楓だって、台所にGが出た時は腰砕けになって泣きながら僕に助けを求めてきたくらいだし。……今回の件とはちょっと違う気もするけど。
「うーん……いつ、どこからやってくる敵に怯えて過ごすというのもまどろっこしいですわね。ここはひとつ、おとり捜査などはいかがでしょうか?」
「おとり捜査、ですか……?」
「ハルシャはユウリィ様に対して執念にも近い恋慕を抱いている。ならば、ユウリィ様が別の男と仲良く歩いているところを見たら、怒りにかられて姿を現すことでしょう」
「で、そこを取り押さえると。……しかし、やり方がまんまストーカー対策ですねぇ」
救国の英雄さまを相手に、何ともシュールな作戦である。それでもって実際に有効そうだから何とも言えない。
だが、他に手段も思いつかないし、下手に長引かせてはユウリィも辛いだろう。
ストーカーに怯えながら夜を明かすなんてあんまりだし、できれば今日中にケリを付けたいところだ。
しかし、そうなると肝心なのが、
「それじゃあ少年、頑張りたまえ」
「椿さま、ご武運を祈っております」
まあ、そうなるよね。
彼氏役。関わった以上逃げ出すつもりなんてないけれど、僕よりも適任な人くらいいそうなものだ。
それに、肝心のユウリィの意見を聞いていないし、
「つっきー、お願い……」
どうやら聞くまでもなかったらしい。
壊れたレイディオ状態から復帰したユウリィが、テーブルの下から上目使いで僕の服をちょいちょいと引っ張ってきていた。
「なんだとー!? 我がいない間にそんなうらやま――もとい、けしからん作戦を決行しようとしていたとは! ツバキよ、我という妻がいながら他の女とデートなど、認めるわけにはいかんぞーっ!!」
「そんなベタなやり方でわたしのにーさんを奪おうとするだなんて、いい度胸。13種類のスパイスでお野菜と一緒にコトコト煮込んであげる」
この偽恋人作戦。どうやら満場一致とはならなかったようだ。
部屋から降りてきたフルールと楓に話をすると、案の定と言うべきか大反対のブーイング。頭の上で両手をクロスさせながらぶうぶうと頬を膨らませるフルールと、チキンカレーの調理工程をこと細かく説明するという脅し文句でユウリィを睨み付けている楓に対し、僕は何と言ったものか頭を悩ませていた。
「こわいよぅ、こわいよぅ、かえちゃんに骨まで食べられるほどに煮込まれちゃうよぅ」
妹の睨みに恐れをなしたユウリィが、さっと僕の背中に隠れてめそめそと涙を流していた。
「こら楓。今ユウリィはすごく大変な思いをしてるんだからいじめないの」
「にーさん、後ろ後ろ! ユウリィさん今すっごい悪い顔してる! あっかんべーしながらピースなんていう人の神経逆撫でするようなポーズしてる!!」
まさかそんな、さっきまで不安そうに震えていたユウリィがそんなことするわけないじゃない。
後ろに振り向く。
「しくしく……」
ほら、とっても怖がってる。まったく楓ったら、下らない嘘をつくんだから。
正面へ向き直る。
「ってにーさん、また! またユウリィさんが小憎たらしい顔でこっちを!!」
「まだ言ってるよ、もう」
振り向く。
「めそめそ」
向き直る。
「だからにーさん後ろ!!」
振り向く。
「わんわん」
向き直る、と見せかけてやっぱり振り向く。
「べろべろば~っ♪……………………あ」
「ユウリィ、今日の夕食当番は僕なんだ。だから……逃がさないからね?」
「にーさん、わたしもお手伝いする」
「待って、待って待って待って! 冗談だから、これは場を和ますスカイウォーカージョークだから! だから、だから無言で包丁を取り出すのはやめて! そして無言で圧力鍋をコンロに設置するのはやめてほしいなっ!!」
いつぞやのフルールみたいな言い訳をしているユウリィの頭を軽く小突く。一気に守ってあげる気が失せてしまったのだが、どうしてくれよう。
実際問題、いくら頭にロが付くド変態だろうと、相手は犯罪者であり凄腕の騎士。
危険であることに変わりはないのだから、あまり気を緩めるのもよろしくない。
「はいはい、喧嘩はそこまでしてくださいまし。椿さま、ご相談なのですが……今回の件、あまり大事にするわけには参りません」
「外交問題になるから、だよね? 《クリステラ》の人間が地球で犯罪騒ぎを起こしたりしたら、今後の二世界間の関係にひびが入りかねない」
「ご存知でしたか。深謀遠慮、誠におそれいります。お恥ずかしいことですけれど、今回の一件がマスコミによって大きく取り沙汰されるようなことがあれば、《クリステラ》側の信用は一気に地に落ちることでしょう。ハルシャの動機もアレですし……できれば、騒ぎが大きくなる前に内々でケリを付けてしまいたい、というのが本音ですわ」
彼女はイオタではなく、ルーンガルド王女としての立場で頭を下げてきた。
世界が繋がり、二世界の国交(この場合、世界交と言うべきなのだろうか)が始まってから1年。イオタ王女の言う通り、ようやく繋がりが安定してきたというのに、こんな爆弾が投下されてしまっては、国交は大いに荒れてしまうことだろう。
「最悪「異世界の住人はド変態である」なんてレッテルが貼られ、《クリステラ》の壮絶なイメージダウンに繋がりかねません。あの面汚しめ……」
そう言って頬に手を当て、さも困り果てたように息を吐くイオタだけれど、先日のショッピングモールや公園での一件を考えれば、この女も同類のような気がした。変な空気になりそうだし、言わないけども。
どうやら今回、思っていた以上に複雑な事件になりそうだ。




