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恋する乙女は大盛りカレーライスの夢を見るか ③

前半シリアスに見せかけて、後半に爆弾を一個設置しておきました。


「名前が、無い?」


「然りだ。我には――いや、厳密には『魔王』と呼ばれる存在には、その個体を指す名などありはしない。よって我は単なる『魔王』であり、それ以外の何者でもないのだよ」


 夕日に照らされたフルールの横顔が、どこか悲しげに見えたのは僕の気のせいではないのだろう。

 彼女いわく、魔王となる者はその出自からして色々と『特別』なのだそうだ。


「覚えている限りの話にはなるが……我にはそもそも家族などいない(、、、、、、、)孤児(みなしご)という意味ではなく――いや、ある意味そうなのかもしれぬが――父母も兄弟も最初から存在しない。魔王とは、母親の胎内から産まれるのではなく、ただそこに発生する(、、、、)生命体なのだよ」


「発生するって、どういう意味……?」


 泥を飲み下しているような息苦しさだった。聞きたくないという本能と、聞かなければという使命感が僕の頭の中でせめぎ合っていた。

 隣の先輩も、苦々しい表情を隠そうともしていない。

 どう転んでも、愉快な話にはなりそうになかった。


「雨や風といった自然現象と変わらぬ、と言えばいいのかのう? 何もない空間からいきなりポンッと現れるものだとイメージしてもらえればよいか。我自身、あまり言葉にするのが難しくてな」


 重い雰囲気になるのが嫌だったのか、フルールはなるべく軽口で説明をしてくれていたが、効果はあまりなさそうだった。

 今の話で、僕は頭の中で最悪な想像(イメージ)をしてしまった。

 魔王といえば、テレビゲームで飽きるほど取り上げられるモンスター。ダンジョンの中を歩いていると、どこからともなく現れて、倒しても倒してもその数を減らすことはない。まるで、ひとりでに湧いてきている(、、、、、、、)みたいに。

 そこまで思考が至ってしまったところで、僕は右の拳で自分の顔面を思い切り殴りつけた。


「ツバキ!?」


「椿くん!? 何やってるの!?」


「……いえ、なんでもないです。ただ、今無性に自分をぶん殴りたくなっただけです」


 手加減なしの全力で額にぶち当てたせいか、何かの液体がたらりと鼻の頭にまで垂れてきたが、別にいい。

 心配そうな眼差しを向けてくる2人には申し訳ないけど、このまま話を続けよう。


「つまり、魔王っていうのは最初から『魔王』として現れるわけで、それ以外の何者でもないんだから別に他の名前なんていらねぇよ、と」


「う、うむ。かなり乱暴な解釈のような気もするが、概ね間違っていない。……どうしたのだツバキ、どうしてそこまで怒っているのだ?」


「……椿くん」


 不用意に言葉を差し込まず、ただ見守るだけの晴流先輩の姿勢が今はありがたい。


「と、ともかくだ。拍子抜けな答えですまぬが、我は名無しの魔王ということだったのだ。なーに気にするでない、別に名前がないところで不便などありはせぬし、魔王さまというのも立派な名前と言えば名前だろうしな、はっはっはー!!」


 腰に両手を当て、ふんぞり返って高笑いをするさて、そこまで分かればとりあえず充分。今の僕がこの子にかけるべき言葉はひとつきりだ。


「でも、僕にとっての君は(、、、、、、、、)フルールだ(、、、、、)。魔王なんて関係ない」


「ツバキ……?」


 僕の回答に茫然と首を傾けるフルールに、僕は矢継ぎ早に言葉を繰り出す。

 ああなんだ、これはむしろ喜ばしいことじゃないか!!


「これから違う名前で呼ばなきゃならないのかと思ってやきもきしちゃったよ、もう。これまでの君(、、、、、、)に名前がなかったって言うのなら、これからの君(、、、、、、)をフルールって呼ぶことには何の問題もないわけだよね?」


「うんうん、そうだね。今さら別の呼び方をするにもちょっと抵抗があったし、せっかく可愛い名前なんだしね」


 僕の提案、というよりは決定事項に先輩も追い風を送ってくれていた。

 名前とは、その人へ向けられた愛情を示すものだと思うのだ。

 生まれてきた子供に、両親が「こういう子に育ってほしい」「こんな人間になってほしい」という願いや希望を託して刻むものだ。

 フルールという名前は、彼女が持っていた手紙から付けた安直なものかもしれないけれど、それでも僕とこの子を繋ぐ確かな絆だと思うから。そう簡単に無意味なものにしたくはなかったのだ。

 この急展開に頭がついていっていないフルールは、あうあうと変な鳴き声を叫びながらぐるぐるとその場をまわっていた。大したこと言っていないのに、すごい混乱ぶりだった。

 絵本の虎みたいに、走り過ぎてバターになってしまう前に止めるべきだろうか。困り顔の先輩と顔を見合わせ、どうしようかと決めあぐねていると、突然フルールの動きがぴたりと止まった。


「そ、その、ツバキ。本当に、よいのか……? 我はフルールと名乗ってもよいのか? そなたが付けてくれた、この名前でいてもよいのか……?」


 なぜか熟したリンゴみたいに顔を真っ赤にして、こちらにチラリチラリと視線を向けてきた。さっきからそう言ってるのに、なんでそこまで念入りに確認してくるのかな、この子は。

 もちろん、答えは決まっている。

 僕は彼女を安心させるために、とびっきりの笑顔を作って答えてあげた。

 ――――――この一言が、ここから始まる大騒動の引き金になろうなどと、知りもせずに。


「もちろん。君はフルールだよ。だから君も、胸を張ってその名前を名乗ってくれると嬉しいな」


 僅か10秒後、僕はこの発言を途方もなく後悔することになる。

 愚かにもきっぱりはっきりと言い切った僕の方を見上げながら、フルールは出会ってから一番の満開の笑顔を浮かべ、瞳を輝かせながら、この場に超メガトン級の爆弾を投下したのだ。





「そうか……! うむ、その言葉確かに受け取ったぞ! これからはツバキのお嫁さんとして頑張るからな! よろしく頼むぞ、我の旦那さま!!」





 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?

 うーむ、最近騒動続きで疲れちゃったのかな。なんだかあり得ない発言がフルールの口から飛び出したような気がするよ。


「お……よ……め……?」


 あはははは、どうしたんですか先輩? そんな餌をねだろうとする池の鯉みたいに口をパクパクさせちゃって。普段のクールビューティーが見る影もないじゃないですかー。

 さてさて、話もついたことだしそろそろ家に帰ろうじゃないか。

 ほらフルール、帰ろうよ。途中でスーパーに寄って、ハヤシライスの材料を買い出ししないとね。


「ツバキがそれほど我のことを想うてくれておるとは思わなんだ。この胸に広がる温かな気持ち……そうか、これがいわゆる『恋』なのだな」


 ねぇフルール。どうして君はさっきから頬に手を当てていかにも『恋する乙女』みたいな言動をかましていらっしゃるの? 何の冗談かと思ったから全力でスルーしたいんだけど、君はさっきから僕の服の裾を掴んで離さないのはどうしてかな? もう逃がさないとでも言いたいの?


「フルール……? ちょっと僕、話についていけてないんだけど。どうしていきなり、お嫁さんとか旦那さまとか、そっち方面の発言が飛び出してきてるわけ?」


「ん~? なんだなんだとぼけおって、ツバキの恥ずかしがり屋さんめ。さっき我に熱烈な求婚(プロポーズ)をしたばかりだと言うのに、いけずな男よのう。だが、そんなところも素敵だぞ、だ・ん・な・さ・ま♪」


 もうあんた誰だよとツッコんでしまいたいくらいに、今のフルールはさっきまでとはまるで別人だった。幸せ真っ盛りと言わんばかりに、緩みきった表情でにへへとだらしない声をもらしているのはなんでだろうね?

 しかし……プロポーズって何なんだい。そんなのした覚えはないんだけどなぁ?

 それを問う前に、このお惚気魔王さまは自分からあっさりゲロってくれた。





「確かに魔王には固有の名はない。だがそれは古よりの盟約でな。魔王の真の名とは、自身が生涯の伴侶となる者に名付けてもらうものなのだ。つまり、名付けの行為そのものが、魔王にとっては最大の求愛行動! あんな情熱的に言われては、もうお嫁さんになる以外の選択肢などなかろうて!!」





 ――――――ぴしり、とこの空間で何かがひび割れる音が聞こえた気がした。

 さて、当然ではあるがそんな事実は初耳である。流石にこの盛大な誤解はすぐに解かなきゃいけないよね。


「フルール。舞い上がってるところ申し訳ないけど、僕はそんなつもりで言ったんじゃないんだよ? というか分かってるよね、君。どうしていきなり明後日の方を向きながら口笛吹いて誤魔化そうとしているの? しかも全然吹けてないし」


「な、なんのことなのか知らぬなぁー? 我はちゃんと説明したと思うけどなぁー? ツバキよ、そこまで照れ隠ししなくてもよいではないかー」


 こ、こいつ……! しらを切り通すつもりだ!!

 どうしていきなりこんな真似をし出したのかは分からないけど、こういう話は中途半端に終わらせようとするとロクなことにならない!!

 ともかくはっきりと断らなければ! 主に僕の身の安全のために!!


「椿くん……今のはどういうことなのかな?」


 あはは、もう、やだなー先輩。

 あなた隣で一部始終聞いてたから知ってるでしょうに。だからどうしてそんな満面の笑みでぽんと僕の方に手を置いて握り潰そうとし痛てててててててててててててててえ!?


「わたしの目の前で別の女の子にプロポーズだなんて、とんだ噛ませ犬扱いにびっくりしちゃったよ。まさかとは思うけど……このまま無事に帰れるだなんて、思ってないよね?」


「いや、先輩? だから今のは僕も知らなかったんですってば! だから先輩目が怖い怖い怖い怖い!?」


 感情を無くした双眸でじっと僕の目を射抜いてくる先輩は、普段のほんわかとした雰囲気でも、ツッパリ系になりきっているキャラとも違う、殺意を宿した鬼にしか見えなかった。更にやたらと腕の力が強い! どこにこんな馬鹿力隠し持ってたんですか先輩!!

 そして、悪夢は続く。

 なんとか先輩の手を跳ね除け、距離をとろうと後ずさりした瞬間――さっきまで僕が立っていた場所にスカンッ! と抜き身の包丁が突き刺さっていた。


「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!??」


 え、なにあれ!? さっき後ろに動かなかったら僕の足串刺しにされてたってことですよね!?

 しかもその包丁、何やらどす黒い瘴気のようなものが纏わりついており、所有者の狂気が垣間見えるようだった。

 ま、まさか。僕はおそるおそる包丁が飛んできた方向へと首を傾けた。


「そう。そういうことだったんだ、にーさん。つまりわたしとは『遊び』だったってことなんだ」


「ちょっ、楓!? その言い回しには悪意しか感じられないんだけど!!」


 いきなり出てきて不謹慎かつ盛大な誤解を与える発言は慎んでくださいませんか!?

 近くにあった木の上から颯爽と下りてきたのは、ここにいる筈のない我が妹だった。高校からの帰り道とは真逆だから、まず楓がここに来ることなんてないはずなのに……しかも、今の時間帯だとまだ授業中なんじゃなかったっけ?


「にーさんの周りから不穏な気配を感じたから。お昼過ぎ辺りからずっとにーさんを監視してた」


「つまり授業を抜け出した上にストーカー行為に及んだと。ねぇ楓、お願いだから社会不適合者にだけは「にーさんは黙ってて」うんわかったよだからいきなり刃物を喉元に突き付けるのはどうかと思うだよね僕は」


 だから血走った瞳で包丁をこっち向けようとしないでほしいんですけど! いつ警察のお世話になるか分かったもんじゃない!!(この時点でとっくに手遅れです)

 へなへなとその場に崩れ落ちる僕を尻目に、楓と晴流先輩はその濃密な殺気の奔流をフルールただひとりに向けて放出し始めた。


「やっぱり、最初から怪しいとは思ってた。ついに正体を現したな、女狐(めぎつね)魔王」


「フルールちゃん、世の中には冗談で済むことと済まないことがあるんだよ……? 世間知らずなあなたには、すこーしばかり(、、、、、、、)、世の中の厳しさを教えてあげないといけないよねぇ?」


「はっはっはー! なんだなんだ、幸せ満開な我にやきもちか? まったく、女の嫉妬ほど見苦しいものはない。このような醜い女どもが近くにいては、ツバキも災難であるのう……」


 ねぇ、おかしくない?

 僕らさっきまでちょっといい話してたじゃない。まかり間違ってもこんな修羅場に突入する要素なんて微塵もなかったじゃない。

 怒りのあまり、口の端から黒いモヤのようなものを吐き出す楓。

 最初からずっと変わらない微笑みを維持したまま、背後に阿修羅の霊が見えている晴流先輩。

 そんな2人の凝視を真っ向から受けて、それでも馬鹿みたいな高笑いを崩そうともしないフルール。

 ……どうしてこうなった。


次のお話で、一応『プロローグ』と呼べるパートは終了します。ゲームでいうとちょうどオープニング曲が流れだすくらい。


これまた余談ですが、キャラの名前付けって難しいですよね。他の方の作品のキャラと被らないように、なるべく捻ったものを考えているつもりなんですが……果たしてウチの子たちはどうなんだろうか。

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