恋する乙女は大盛りカレーライスの夢を見るか ②
この話書いてて思いました。「こんな女いるわけねぇだろ」って。
「先生、頭痛と風邪と腹痛と持病のぜんそくが酷くなったので早退します」
「せ、世良さん? 授業中にいきなり立ち上がったかと思ったら、そんな血色の良い真顔で仮病のオンパレードを網羅されても、先生困っちゃう……」
「わたしには分かる――今、にーさんがとてつもないピンチを迎えている。そして、にーさんの危機を救えるのはわたししかいない。だって、わたしは妹だから」
「お兄さん想いなのはとっても素晴らしいことだと思うけど、先生にはその三段論法がまるで理解できないの! というか授業中にいきなりそんなこと言い出す辺りがある意味病気なのかしらと思ってしまった先生を許して! …………世良さん? 窓枠に足を乗せたりして、いったいどうするつもりなのかなー?」
「にーさん、今行く。……恋人の座は、渡さない」
「ここ4階なんだけどってあああああああっ!? 世良さああああああんっ!? そんな身投げするほど私の授業からエスケープしたかったとでも言いたいのおおおおおおおっ!?」
まったく同じ頃、遠く離れたどこかでこんな一幕があったことなど僕が知る由もなく。
僕は空前絶後の気まずい空間の中、深海の底にでも来たかのような息苦しさを味わっていた。
あの空気にいてもたってもいられなくなった僕は、先輩の手を引いてあの場から脱兎のごとく逃げ出した。変に周りの注目を集めていたし、一秒でも早くあの食堂から離れたかった。イオタの助けを求める眼差しを切り捨て、こんな状況でもカレーの前で腕を組んで悩んでいたフルールを置き去りにしてだ。まさか本当に食べやしないだろうね?
だが、そんな彼女らの心配ができる余裕など今の僕には微塵も存在しない。
さっきから先輩がまともに目を合わせてくれないのだ。
「あ、あのっ……! 椿くん、手を……」
「え? ……ああっ!? ご、ごめんなさい!!」
先輩の一声で、逃げ出してからずっと握ったままの手を慌てて離す。手が離れた途端、先輩はぱっと背を向け、ついには顔すら見せてもらえなくなったところからして、僕は相当嫌われてしまったと見るべきなんだろうか。
どうしよう……妙な雰囲気になってしまった。
ここで先輩をひとりきりにして立ち去るのは色々と問題がある気がするし、だからと言って何と声をかければいいのやら。
気の利いた言葉が出てくるほど、僕はこういう場には慣れていないし、ましてや相手は晴流先輩だ。どうしても緊張してしまう。
……なにせ晴流先輩は、僕の初恋の人だったのだから。
顔が熱い。
意識すればするほど思考のドツボに嵌ってしまっている。
先輩もさっきから背を丸くしてぷるぷるさせているし、僕も熱に浮かされてまともに頭が回りやしない。
先輩の震える背中に触れようとしては躊躇しては引っ込め、でもこのままじゃダメだからと手を伸ばしては引っ込めを繰り返す僕は、傍から見たらさぞ滑稽に見えることだろう。
ああもう、どうしろって言うんだよ!!
これじゃあ先輩にも嫌われてしまう…………と、この時点での僕は思っていたのだ。
(椿くんかわいい椿くんかわいい椿くんかわいい椿くんかわいい椿くんかわいい椿くんかわいいっ!!)
そうやって椿くんが苦悩している様を、わたしは後ろ目でちらちらと、少しずつ、でも確実にこの目で焼き付けていた。
ああ椿くん、君はどうしてそんなにかわいいの!!
そうやって恋愛がらみの話になると、途端に子供みたいにあわあわしちゃうこのギャップが堪らない。
外見だって、頭のてっぺんから足の先まですべてがわたしの好みのタイプど真ん中だ。
茶色がかったさらさらの髪は、撫でるととっても柔らかくて気持ちいい。平均よりもちょっと低めの身長を気にしているみたいだけど、わたしにとっては抱きしめやすくなるからむしろ美点だ。くりっとした大きな瞳は、見つめられるだけで胸がきゅ~ってしちゃう。
でも、かわいいだけじゃなくてすごく格好いいところもたくさんあるのだ。
高校時代の水泳の授業で、水着姿の椿くんを見たことがあったけれど……なんかもう、すごかったです。はい。
「妹にだらしない姿を見せたくないから」って普段から筋トレやランニングを欠かさずやっているみたいで、ムキムキってわけじゃないんだけど、すごくバランスのいい筋肉がついていて、思わずはぁ~って息をついて見惚れちゃったくらい! 楓ちゃんは素敵なお兄ちゃんに想われて幸せ者だね。
こんなにかわいいのに、しっかり者で頼れる格好いいお兄ちゃんだなんてずるいよね!今すぐ振り向いてぎゅーってして、ほっぺたすりすりしちゃいたいよ!!
そんなことしたらドン引きされること間違いなしだから、涙を呑んで我慢するけどね。
「あの……晴流先輩」
うん、なにかな椿くん。
そんな唇の端が引き攣った、笑顔になりきれていない笑顔も素敵だよ!!
奥ゆかしい大人の女性として見られたいわたしは、さも恥ずかしさを堪えているかのようにゆっくりと振り向くのだ。
「とても言い辛いことなんですが、不快にさせちゃったらごめんなさい。でも……ここは僕が言わなきゃならないから」
え!? この状況でそんな台詞、それは期待するなっていう方が無理な話ってもんだよ!!
わたしだって、恋だの愛だのには大いに興味があるし、もし本気の恋愛をするんだったら……その相手は、椿くん以外には考えられそうにもない。
かわいくて格好良くて、そして――孔雀院晴流を『わたし』にしてくれた大切な人。
年上なんだし、わたしの方がリードすべきなんだろうけど、やっぱりこういう愛の告白はするよりされる方が嬉しいよね!!
心の準備はまだだったけれど……断るだなんてありえない。なし崩しだろうと勢いだろうと、わたしは、その選択を絶対に後悔したりなんてしないから。
「先輩……」
来る!!
いいよ、椿くん。わたしも覚悟を決めました。
さぁ、これから一緒に夢の甘酸っぱい大学生活を――
「先輩、鼻血が出てます」
――――――――――うん。なんとなくそんな気はしてたんだ。
今、初夏なのにすごく冷たい風が吹き抜けたね。
さっきのあわあわ椿くんがかわい過ぎるあまり、つい興奮の抑えが利かなくなっていたみたい。
そりゃあね、いくらイオタちゃんからの発破があったからってこんなすぐに急展開になるとは思ってなかったよ。
……でも、椿くんも動揺していたっていうことは、少しは期待していてもいいのかな?
最近、フルールちゃんやイオタちゃんみたいな恋敵も増えてきて焦りはあるけれど――恋は焦らず。
今はまだ、頼ってくれる先輩の立場に甘んじていてもいいかな。
「これは……きっと昨日にチョコレートを食べすぎちゃったせいだね、うん」
「先輩、それは迷信です」
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さっきまでの気まずかった雰囲気は、まさかの先輩がいきなり鼻血を噴き出すという更なる衝撃で上書きされたため、なんとか有耶無耶にすることができた。
今は、つい先ほど最後の講義を終え、このまま帰ろうか教授の研究室に再侵攻しようか決めあぐねているところである。
「我のカレーを台無しにした挙句自分たちだけ逃げ出すとは……ツバキよ、貴様は魔王の怒りに火を付けてしまったぞ! 八つ裂きにされる覚悟はいいかー!!」
「ごめんねフルール。おわびに今日の夕飯はハヤシライスにしようと思うんだ。カレーもいいけどこっちも美味しいよ」
「き、貴様ぁ……魔王を食べ物で釣ろうなど浅はかにも程があるぞ! 罰として、夕飯は我だけ特盛りにしないと許してやらぬわ!!」
「ブラックバスも真っ青の入れ食いぶりだねぇ」
置き去りにされたフルールは真っ赤な髪を逆立てて怒り心頭の様子だったけど、夕食の話を振ってやるとすぐに機嫌を直してくれた。
大丈夫だろうか、このチョロ過ぎ魔王さまは。知らない人からお菓子あげると言われてホイホイついていったりしないだろうか。
「でもそれって、椿くんが実際にやったことそのものなんじゃないのかな?」
「……そうでした。お弁当で餌付けしたらホイホイついてきましたよ、この子」
晴流先輩のごもっとな指摘に、僕は思わず空を仰いだ。
どうやら僕も、一歩間違えれば犯罪者の仲間入りだったようだ。記憶を無くした美少女とのボーイ・ミーツ・ガールも、拡大解釈すればただの誘拐だった。
ユウリィは講義がお昼過ぎまでだったので先に帰宅。イオタ王女は行方など知ったことではないが、また教授の研究室にスタンバッている可能性が高い。
エトワルド教授にはフルールの件に色々聞いておきたかったんだけど、あの王女さまにはしばらく会いたくないしなぁ。そろそろ反射的に手を出してしまいそうで――色っぽい意味ではなく、ただのグーパンチだ――怖かったのである。
「別に教授にお話を聞くのはいつでもできるだろうし、フルールちゃんもこれからのことをゆっくりと考えたいんじゃないの? 必要に迫られているわけでもないんだし、あんまり急がなくてもいいんじゃないかな?」
「一応この子、家出してきてるみたいですし……あんまり悠長に構えるのもどうなのかなって思いまして」
そもそも教授を訪ねる最大の理由は、僕のプライバシーをイオタ王女に暴露したことを糾弾するためではなく、フルール――というより《クリステラ》における『魔王』について、もっと詳しく話を聞きたかったからだ。
「ぬぬぬ、別に我がよいと言っているのだからよいではないかー。心配する家族などおらぬし、何の問題もないのだぞー」
「僕だって無理矢理に君を追い返したりするつもりなんてないってば。でも、これから君に関わる者として、知るべきことは知っておきたいんだよ」
今でこそ、僕にとってのこの子の立ち位置は『迷子のフルールちゃん』だが、いつの日か必ず『異世界の魔王』としてこの子と接しなければならない時が来る。
その時、僕は何を思い、何をすればいいのか。
無知のまま、ただ彼女を家に戻すのではなく、半端な同情で匿ってあげるのでもない。共に笑い、共に泣き、共に生きる者として、僕には彼女を取り巻く環境を知る義務がある。
それが、あの日倒れていたフルールに手を差し伸べた者としての責任だと思うから。
「つ、ツバキぃ……そこまで我のことを考えて……」
「やっぱり、椿くんはいい子だね」
思ったことをそのまま言葉にしただけなんだけど、なぜか2人からきらきらとした尊敬の眼差しを向けられていた。いったい今の発言のどこに、彼女らの琴線に触れる要素があったんだろうか。
「(今のは思わずキュンとしてしまったぞ……これは、本気で前向きに考えてみてもよいかもしれぬな)」
「え? フルール、何か言った?」
「い、いや! なんでもないぞ!!」
ぶつぶつとひとり言を言い出したフルールの頬は、なぜかほんのりと赤くなっていた。よく分からないけど、照れているんだろうか。
あ、そうだ。フルールの記憶についてもう一個だけ気になっていたことがあったんだ。
「そういえば、本当の名前は思い出せたの? もし思い出したなら、フルールって呼び続けるわけにもいかないだろうし……」
「ああ、そのことか。それなら心配無用だ。……そもそも魔王には、名前など無い」
女の子を拾う→家に匿って平和に暮らす→追手が来る→慌てて逃げる。
○ピュタでも実証されているボーイミーツガールの王道ですが、今回はそのフラグを真ん中あたりでへし折ります。
拾った女の子を取り巻く境遇を知り、然るべき対策を立て、いつ何が起きてもいいように心構えをしておくのが今回の椿くんです。




