大山鳴動して魔王一匹 ④
前回に引き続き説教くさい話になりましたが、次回以降は正真正銘ただのコメディです。
夕日を背にして儚げな笑みを浮かべるフルールに、僕らは揃って足を止めた。
王者としての貫録なのだろうか。こうやって正対しているだけで、今にも身体が勝手に膝を着いて頭を垂れようとしていた。
「イオタの言い分は何も間違っておらんかったということだ。我は、人類に絶望を与えた存在として、滅ばされるべき悪の象徴というわけだ」
「だからあなたにまで呼び捨てされる……いえ、もう結構です。どうやら、その様子だとわたくしのことも思い出したみたいですね?」
じゃれ合いレベルのケンカに発展しようとしていた背後のイオタが、居住まいを正してフルールの呼びかけに応じた。
全身からさっと血の気が引いた。この流れはつまり、さっきの公園の出来事の再現に他ならない。
そんな僕の逡巡を知ってか知らずか、フルールとイオタ――いや、魔王と勇者はただお互いだけを見つめていた。これから起こる不吉な予感を表すかのように、辺りの電柱から無数のカラスが群れをなして飛び立った。
「我を誅するか、勇者よ? これまでの我が、いったいどれほどの悪逆を繰り広げてきたのかとんと記憶にないのだがな」
「これまで犠牲になった者たちの思いを置き去りにして、何も知らずにのうのうと生き長らえるなど――忘却こそが最大の罪と心得なさい、魔王よ」
「ほう、では教えてほしいものだな? いったい我が、これまでどのような罪業を重ねてきたのかを」
それは正に、最終決戦を前にした最後の舌戦。
何者も立ち入らせない異様な圧力を前に、僕らはただ遠くからそれを見守ることしかできなかった。
だが、どうしてだろう。
何というかこう、危機感を感じないというか……そろそろ僕も『準備』しておいた方がいいんじゃないの的な、妙な使命感がふつふつと湧き出してくるというか。
勇者が力強く地に足を叩き付ける。
魔王が不敵に笑う。
僕は小さく咳払いして声を整える。
「あなた……昨年の首脳会談をボイコットした挙句、大事な機密文書を焼き払って焼き芋作ってたんでしょうが! そのせいで会議はグダグダ、なぜかわたくしが各国の代表に謝り倒すことになったんですからね!!」
「はっ! 情報漏えいを防いでやったのではないか、むしろ感謝してほしいものだな! いい具合によく燃えて、できあがった焼き芋は大層美味だったぞ! やはり焼き芋は日本産のサツマイモに限るわ!!」
「そんなことで殺されかけた僕の苦労を返しやがれ!!」
ざざーん、と寄せては返す波の音をかき消して、本日最大級のボケとボケとツッコミが夕暮れの空を震わせた。
酷過ぎる。
こんなことだろうとは思ったが、いくら何でも酷過ぎた。
「にーさん、今すぐあの2人山奥に埋めてこようか」
「コンクリートで固めてマリアナ海溝に沈めるなら、ユウリィにお任せっ♪」
こんなことに巻き込まれてお説教を受けるはめになったお二方も大層おかんむりだった。
正義と悪の宿命の戦いは、低次元の口ゲンカに発展していた。
「ぬ、思い出してきたぞー。そなたは会うたびに、何かと「テーブルマナーがなってない」だの「座る時は背筋を伸ばせ」だの、ねちねち小言ばかり言ってくる小姑プリンセスではないか!!」
「こ、こじゅっ!? あ、あなたこそ公務をほっぽり出して遊び放題いたずらし放題の放蕩魔王ではありませんか!!」
どうやら、フルールの記憶は徐々に戻ってきているようだ。友達にも会えたみたいだしひと安心だね。
僕は満足げにうんうんと頷き、そして、
「どっちもどっちだこの異世界大バカ連合があああああああああああっ!!!!」
色んなものの限界を迎えた。
その後のことはあまりよく覚えていない。
おぼろげながらに記憶に残っていたのは、
「ふぎゃぎゃーっ!? ちょ、まてツバキ! 我も結構いい歳なのだ、いくらなんでもお尻ペンペンはってふぎゃひいっ!!??」
さっきまでの威厳をかなぐり捨ててガン泣きし、僕に許しを乞うてくるフルールと、
「はーい、紐無しバンジーの旅一名様ごしょうたーい♪」
弾ける笑顔で王女様の両脇を掴んで、恐怖のノーロープバンジーへの旅へと誘ったユウリィの背中と、
「待って、待って待って待ってくださいませ! わたくし実は高い所が苦手でしてあーっ!? カラスが! カラスがわたくしの服の宝石を狙って突っついてっていたたたたたたたた!?」
身に付けた宝石を狙うカラスに群がられ、全身をこれでもかと突かれまくるイオタの絶叫と、
「うふ、うふ、うふふふ……わたしの刃が飢えている。愚かな魔王の血を吸わせろと、お腹を空かせて嘶いている」
いつの間にか手に持っていた包丁に(もう驚かない)舌なめずりをしながら近寄ってくる、狂気を貼り付かせた楓の微笑みだった。
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「あー、酷い目に会った」
疲れた。
今日という一日を締めくくる言葉に、これ以上最適なものなどありはすまい。
夕食を終え(さも当然のようにイオタが混ざっていた)、お風呂も済ませ(お背中お流ししますイベントを起こす気満々だったイオタにはお帰りいただきました)、僕は『さざんか荘』の屋根に上り、綺麗な空を眺めて夜涼みと洒落込んでいた。お風呂といっても、全身すり傷や火傷が満載だったので、軽く身体を拭く程度しかできなかったんだけどね。
……この程度で済んだのは運がよかっただけだろう。
今回は大事にならずに済んだけれど、一歩間違えれば死人が出ていた状況だ。
覚悟はしていたつもりである。
妹が、今の妹になった時に。
ユウリィの過去と、彼女の本質を思い知らされたあの時に。
これからは、そこにフルールとイオタを追加しなければならないわけだけどね。
「これからやっていけるんだろうか、僕は」
誰も聞いていないのをいいことに、思わず弱音を吐いてしまう。
彼女らは皆、普通とはかけ離れた立場や力を持った子ばかりだ。異世界の魔王、勇者の血族にして王女、有翼人の英雄、超能力を身に付けた妹。
そんな少女たちと共に過ごすということは、即ち今日のような危険なトラブルに巻き込まれることを承知しておかなければならない、ということだ。
覚悟はある、つもりだ。
でも、その覚悟も現実に伴わせなければただの戯言と化す。
「僕も、武術とか学んだ方がいいのかな」
「やめておけ」
と、僕のひとりごとに後ろから合いの手が入った。
錆び付いた天窓を開けて、ぴょこっと顔を覗かせるのはフルールだった。
「なんでそこに……ああ、もしかして屋根裏部屋から来たのかい?」
「その通り! いやあ、あの部屋はなかなかに面白いな。昔作った秘密基地を思い出す」
「君の頭の中はやんちゃ坊主みたいだねぇ」
パジャマ姿のフルールは、危なげない足取りで屋根を渡り、僕の隣に腰掛けてきた。お風呂上りなのだろう、しっとりと濡れた紅蓮色の髪から、僕がよく使うシャンプーの香りが漂ってきた。
しばし、揃って夜空を見上げる。
「あまり、星が見えないな。これでは月も寂しかろう」
「多分、《クリステラ》に比べて空気が汚れちゃってるからだろうね。今じゃ満天の星空なんてそうそうお目にかかれないし、そう思うと結構さびしいかも」
破天荒な面ばかりが目立つ彼女だが、どうやらロマンチストの一面もあるようだ。風流に心を傾ける魔王さま、というのも面白いなあと思ってしまった。
「ぬ、何がおかしいのだ? よく分からんが馬鹿にされている気がするぞー」
「ごめんごめん、そういうんじゃないよ。ところで、さっき僕にやめておけって言った理由が気になるんだけど」
笑ったのをごまかす意図も含めて、僕はさっきの答えに対する話題に切り替えた。
「これは我の我が儘なのだろうが……我は、そなたに強くなってほしくはない」
「強くなったらダメって、珍しい意見だね。でも、どうして? 今日みたいなことがあって、危ないことがあっても、自分や誰かを護れるようにするために強くなるのはいけないこと?」
問い詰めたいわけではないのだ。
ただ、フルールの言い分に物珍しさを感じたから、単なる好奇心で矢継ぎ早に言葉を連ねた。
「過ぎた力というのはなかなかに厄介な代物でな。それが血の滲む努力で身に付けたものであったとしても、ある日突然神から授けられたものであったとしても等しく、力は人を変えてしまう。あの者たちを見ていたら、理解はできるだろう?」
「楓とユウリィに限って、と言いたいところではあるけど……僕もそれで散々お説教したばかりだからねぇ。イオタ王女は知らんけど」
「そなた、たまーにドぎつい毒を吐きおるよな……」
確かに、完全に戦いに酔いしれていたあの3人のことを考えると、彼女の言い分は納得せざるをえないものだった。
「少したとえ話をしようか。いきなり巨大な怪物が襲い掛かってきて、親も兄弟も友人も、自分以外すべて皆殺しにされてしまった。そこに颯爽と魔王たる我が登場! 漲る魔王パワーで怪物をやっつけたのだ! ステキ! カッコイイ! 抱いて! 我への賛辞は鳴り止まぬことなく「またお尻を引っぱたかれたいのかな?」ひいいいっ!? 待て待て冗談だ! 場を和ます魔王ジョークだ!!」
僕が真顔で片手を軽くスイングすると、夕方の恐怖を思い出したのか、フルールは両手でお尻を押さえながら慌てて距離をとった。冗談だと言うのに……変なトラウマを植え付けてしまったようだ。
僕は自分の隣をちょいちょいと指差し、フルールはおそるおそるといった様子で再び腰かけた。
「こほん。と、まあ我がツバキを無事に助け出したわけだ。そして、家族や友人を失い悲しみに暮れるそなたに、強者たる我はこう言ったわけだ。……お前が弱いのが悪いのだ。強くなれ。さて、我にそう言われてそなたはどう思う?」
「それは……その通りなんだろうけど。でもお前なんかに僕の気持ちが分かってたまるかー! とも思うよね。誰もがそんな怪物と戦える力を持ってるわけないんだし、皆が皆強くなれるわけでもないんだから」
「ああ、そうだな、まったくもってその通りだ。……だがな、困ったことに強者とは、そんな当たり前のことさえも忘れてしまうものなのだよ」
別に、力のない者を卑下しているわけではない。その前提で聞いてほしいとフルールは説明を続けた。
「何事も、人は自分自身を基準にして判断するものなのだ。こんな怪物、自分ならいとも簡単に倒せるのに、どうしてこの人にはそれができないんだろう? そんな戯けた発想を平気で持つようになる。最初は誰もが弱者であったはずなのに、その頃の自分など、まるでいなかったかのように振る舞ってしまう」
「……僕には、よく分からないよ」
「それでよい。いや、そうであってほしい。力ある者の過ちを咎め、間違いを正すことができるのはいつだって弱者であったのだ。……ツバキ、そなたはこちら側に来るものではない。強者の心理などに染まらないでいてほしい。我らのような愚かな強者が、もう決して見ることのできない光景をこれからも伝えてほしいのだ」
置き去りにしてしまったもの。
通り過ぎていったもの。
手から零れ落ちていったもの。
知らず知らずのうちに、失くしてしまったものが多過ぎる。でもそれが何だったのか、本当に大切なものだったのか、今ではもう思い出すことができない――そんな自分自身への問いかけで、フルールはこの話を締めくくった。
僕は、今は答えを出すべきではないと思った。
その言葉に従うということが、弱くてもいいんだと、自分の弱さに甘んじることに繋がってしまうような気がしたから。
「ところでフルール、君記憶戻ったんだよね。元いた場所に帰らなくてもいいの? 魔王さまなんだよね?」
「そなた……せっかくいい話をしたというのに、いきなり我を追い出す算段か? さすがの我も傷付くぞ……」
「違う違う、そうじゃなくて。故郷に家族の人とか、心配してる人だっているんでしょ? そのままにしておくわけにもいかないでしょうに」
話は変わってフルールの記憶について。
こらこら、いじけて瓦に指で『の』の字を書いてるんじゃないよ。別にさっきの話を無視するわけでも、君を追い出したいわけでもないんだから。
「あー、うー、確かに、ぼんやりとはしておるが、確かにある程度の記憶は戻ったぞ。魔王の立場とか、イオタとのやり取りとか、あくまで断片的なレベルだが。だが、それと一緒に思い出したことがあってだな……」
さて、そう言って困り顔を向けてくる赤髪の少女を見ていると、嫌な予感がひしひしと感じられてきたぞ。
家の場所を忘れたー、なんてことではなさそうだけど、さて……
「実は我な……家出してきたのだ」
記憶喪失の少女が、家出した魔王さまにクラスチェンジした瞬間だった。
フルールの意見が分かり辛かった方に向けて。ちょっと過激な例を出します。
何のとりえもないニート(いじめられっ子でも可)の主人公がいきなり神から最強のチートを貰いました。異世界転移した先で山賊に襲われている村を発見、敵を蹴散らしましたが、生き残ったのは小さな子供がひとり。主人公はその子に向かって「弱いのがいけないんだ。お前も強くなれ」と言ってその場を去りました。
この主人公の言い分に共感できますか? というお話。
つい数分前までお前も弱者だっただろ、なに言ってんだコイツ、というのがおそらく正常な反応でしょう。主人公も本来そちら側だったはずなのに、力を得た途端にこんな発想を持ってしまうというのが「力が人を変えてしまう」というものかと。
フルールは椿に、こういう奴にはなってくれるなと言いたかったわけです。




