いざ、門外へ!(7)
いまや老馬は、今までの馬生の中で一番速く走っていたにちがいない。
だが、そこまで頑張っても、所詮は老馬!
鞭うたれ、スピードが上がっているとはいっても、ママチャリよりも遅い!
だが、こう見えても権蔵がタカトよりも信頼を置く働き者の老馬だ。
ピンクの汗をかきながらも、懸命に頑張った!
それもう、駐屯地にたどり着く前に、三途の川にたどり着きそうな勢いで。
おそらく、その馬の目には走馬灯が見えているのかもしれない。
そんな馬の上にカマキガルの羽音が飛来する。
だが、前を向くビン子の目には、そのカマキガルの姿が映っていないようだった。
だって、必死に鞭を振るっているから、それどころではなかったのだ。
しかし、御者台の上で尻もちをついて天を仰いでいるタカト君は違った。
特に何もすることがないその目は……見てしまったのだ。
どんどんと下降してくるカマキガルの姿を。
いまや恐怖で引きつるタカトの脳内では、かつて一世を風靡した曲が流れてくるようだった。
♪言えないのよ~♪
♪言えないのよ~♪
こんな事、ビン子に言えないの~
そうこうしているうちに、どんどん大きくなってくるカマキガルの複眼に自分の無様な姿がはっきり映るのだ。
それは、まるで……
♪目と目で通じ合う~♪
♪かすかに・ん……色っぽい~♪
色っぽいって、確かにカマキガルの複眼は緑色ですわ!
だって、魔物なんだモン❤
♪目と目で通じ合う~♪
♪そういう仲になりたいわ~♪
って、どういう仲やねん!
このままでは、三途の川でタカトとビン子と老馬の三匹でタノキントリオになってしまうわ!
このバカちんがぁあぁぁ!
金八センセーーーーーイ!
って、この三人のどこがタノキントリオやねん!
えっ? 分かんない?
タカトのタ!
ビン子のン!
そして、老馬のノキ!
そう、この馬の名前は忌野清志子というのだ!
イマワノキヨシコ! な、ノキあるだろ!
既に現実逃避をしているタカト君。
もしかして、これが走馬灯というモノなのなのだろうか……
違うかなぁ~
だって、死んだことないから、見たことないんだよねぇ~走馬灯!
舞い降りるカマキガルから、虫の奇妙な鳴き声が漏れる。
「ギギ!」
落下の勢いそのままに、鎌がビン子をめがけて振り下ろされた。
だが、ビン子は神である。
神は不老不死。絶対防壁である神の盾を持っている。
己が身に危機が訪れた時、己が身を守るために発動する。
だが、ビン子は記憶を失った神である。
そのため、髪の盾どころか不老不死の力など全く持っていなかったのだ。
タカトは直感した。
――ビン子が死ぬ!
だが、タカトは運動音痴。
喧嘩すらまともにできないモヤシ野郎なのだ。
「ビン子ぉぉぉ!」
そんな彼がビン子を救おうと思っても体など動く訳がない。
これでは、あの時と同じではないか……目の前で父が殺されるのをただ見つめていたあの時と……
――もう! あの頃の俺じゃない! 今度は! 今度こそは!
そんな彼の足は荷馬車の床を力強く押し付けた。
だがしかし、彼の足はツルンと滑り、宙を空回り。
バタンと床に叩きつけられるタカトの頭。
今や逆立ち状態の無様な姿www
だが、その時であった。
頭をしたたかに打ち付けて一瞬意識を失いかけているタカトの体の奥底……いや、股間の奥から赤黒い何かが這い上がってくる感覚。
――イ……ブ!
そんな何かが声なき声を張り上げる!
『万・気・吸・収!』
と同時にタカトの周囲に闘気が渦巻いた。
遅れて落ちてくるタカトの足を力任せに引き寄せたかと思うと荷台の床板に力強く叩きつける。
瞬間、タカトの体が消えた!
正に今! ビン子の後頭部に向かって振り下ろされるカマキガルの鎌!
そんな鎌を遮るかのように風になったタカトの体がビン子と鎌のわずかな隙間に我が身をねじ込んだ。
――イ……ブ……今度こそは……必ず……
はたから見るとその様子はタカトがビン子に抱き着くかのよう。
覆いかぶさった勢いで倒れこんでゆくタカトは、強くビン子をだきしめながら目を閉じていく。
――今度こそは……必ず……お前を……
陽炎のように霧散していく赤黒い何かの感覚。
消えた後、残ったタカトの意識はなんとか正気を取り戻した。
――この生暖かさは、もしかしてビン子ちゃんの肌のぬくもり? しかし、いつの間に?
うっすらと開けた目の先にはビン子の驚く顔が広がった。
こんなまじかのビン子を見るのは久しぶりである。
――確かに俺はビン子を助けようと思って足を踏み出したよな……
だが、そこからの記憶が一瞬、途切れているのだ。
覚えているのは身の毛のよだつような感覚のみ……思い出したで毛でも身震いしてくる。
しかし、今はそんなことを思い出している暇はない。
この状況はどうやら自分の体がビン子を押し倒しているので間違いないようだ。
こう見えても、タカト君。喧嘩にはめっぽう弱いが頭の回転は異常に速いのだ!
ちなみに、この間の思考時間!なんと!0.00072秒!
そして、出てきた結論は!
――やべぇぇぇぇぇえ! 俺! 超!やべぇぇぇぇぇ!
そう、自分の体がビン子の体を押し倒しているということは、カマキガルの鎌が自分の背後に迫っているということなのである。
このままだと、自分の体がカマキガルの鎌によってグッサリ!
間違いなく、おだぶつなのである。
――いやぁぁぁぁぁぁぁ!
それならば、ビン子が代わりに刺された方がよかったのかと言われれば、それもノーなのである。
どうする!
どうする!
ならば、このまま天に運を任せるのみ!
――ええい!ままよ!
「きゃっ♥」
突然、タカトに抱き着かれたビン子は悲鳴を上げた。
一瞬、何が起こったかわからなかったが、いつもは決して見せないタカトのめちゃくちゃ積極的な態度に、ついつい身を任せてしまったのだ。
――もしかして……ここで、私とタカトは初めて一つになるのね♥
って……お-い! ビン子ちゃん! 今はそんな事を考えている場合じゃないと思うのですが……
というか、この二人、どちらもやっぱり考えることが、どこかズレとる……
――あっ! 赤ちゃんの名前考えないと♥
うん? 神と人間の間に赤ちゃん生まれるの?
さぁ、知らないけど生まれるんじゃない?
魔物と人間のあいだにだって半魔が生まれるぐらいなんだから。
でも、門をもたないノラガミが人間と結婚したところで、伴侶の生気を吸い取って、気づいた時にはミイラになっているのがおちなのだ。
それどころか、ノラガミ自身は生気切れを起こして荒神に……
もう、赤ちゃんどころの話ではない。
ということで、ノラガミが人間と恋に落ちるなどというのは自殺行為以外なんでもないわけなんですよ。
あっ! そうか! タカト君には『万気吸収』ってのがあったんだっけ。
って、この二人、その事実をまだ知りません!
知らないながらも、なぜか勝手に妄想爆発を起こしておるわけです!
運よく鎌は倒れ込んだタカトの髪をかすめ御者台の縁に深く突き刺さった。
懸命に鎌を抜こうともがくカマキガルの足が、そのままタカトたち二人の上にのしかかる。
「ぐはっ!」
タカトは腹の下のビン子を潰すまいと、右ひざを立て隙間を作った
そんなタカトの背骨をカマキガルの体重がギシギシときしませるのだ。
だが、ついにタカトの右膝が崩れ、ビン子の体を押し潰す。
身動きが取れない二人。
それでもタカトは、ビン子を押しつぶすまいと腰を上げて体重をそらすのである。
だがしかし、ビン子の腰がタカトに腰について行く。
だって……あんなに遠かったタカトのぬくもりがこんなに近くにあるのだから。
服越しに伝わるタカトの鼓動が自分の鼓動とシンクロしていくのだ。
不謹慎ながらも、タカトをこんなに身近に感じられることに、ちょっとうれしさが込み上げていた。
この一瞬を大切にしたい……
そう思うビン子の手がタカトの背に回ろうとした。




