いざ、門外へ!(1)
ミズイが消えた後、野良犬たちとも別れ、タカトたち一行は――何やかんやあって、第一の騎士の門前広場にたどり着いていた。
そこは、第六の門前広場と同様、神民街を取り囲む城壁の入り口前に位置する場所で、ひとつの騎士の門が構えている。
だが、雰囲気はまるで違った。
行き交う守備兵たちは、どこか怯えたように、あるいは疑心に満ちた様子で、常に上目遣い。
まるで何かに脅えているようでもあり、誰かを疑っているようでもある。
たとえて言うなら、第六の門前が“アットホームで和気あいあい”とした雰囲気だったのに対し、
この第一は、“ギスギスしていて空気がピリピリしている”とでも言おうか。
……なんかこう、嫌な感じなのである。
ヨークは第一の宿舎の前で馬を止めると、静かに鞍を下りて手綱を引いた。
そして、タカトたちの荷馬車を広場の真ん中に残したまま、第一の門の宿舎の入り口へと歩いていく。
タカトとビン子は、特にすることもなく、ぽつねんと荷馬車の上で待っていた。
タカトは御者台の縁に足をかけ、ぐっと背伸びするように空を仰ぐ。
雲ひとつない青空。その高みに、一羽の鳥がピーヒョロヒョロと、もの悲しい声を響かせながら旋回していた。
――そう……こんな天気だったっけな。
今から十一年ほど前。タカトが五歳くらいのころの話だ。
崖から落とされる前のこと。当然ながら、父・正行、母・ナヅナ、そして姉のカエデと、家族四人で暮らしていた。
思い出は、ところどころ曖昧で、霧がかかったようにぼんやりしている。
ただ、その記憶の中に、一度だけ、家に見知らぬ若い青年と少女が訪ねてきたことがあった。
座敷で話し込む父の顔は、どこか苦々しい。それでも、何かを思いついたように口元に笑みを浮かべ、青年を庭に誘い出す。
そして、一本の剣を手に取ると――
ひと振り、またひと振りと、静かに、そして華やかに剣舞を舞い始めたのだった。
その横で、母はなお悲痛な面持ちを浮かべていたが、サクランボのような鈴を揺らし、か細く歌声を添えていた。
その頃のタカトは、森の中で子犬を隠れて飼っていた。
……といっても、拾ってまだ三日目のことだが。
本当は、自宅に連れて帰ることもできた。
だが、それをすると――姉のカエデに見つかって、横取りされてしまうのだ。
前にもあった。たしか、あれはカマキリのとき。
「きゃあ♥ このカマキリ可愛い~! これ、カエデのカマキリねっ!」
……は? なんで?
タカトのものはカエデのもの!
カエデのものも、当然カエデのもの!
理不尽すぎるが、五歳も年上の姉には逆らえなかった。
泣く泣く、母ナヅナに訴える。
「お母さん! ネエネがタカトのカマキリ取った!」
母は、タカトの頭をなでながら、カエデを睨んだ。
「カエデ! タカトのカマキリ取っちゃダメでしょ!」
「……なら、もういらないっ。タカト、返す」
その手には、すでに動かなくなったカマキリが――。
「お母さん! ネエネがまたカマキリ殺したぁ!」
「カエデ! あれほど、生き物を殺しちゃダメって言ってるでしょ!」
「だって……仕方ないじゃん。そのカマキリ、弱すぎるんだもん。
私は、強いのが好き♥」
そんなカエデに見つからないように、タカトは昼ごはんを食べ終えると、自分の残した食事をそっと布に包み、こっそり子犬のもとへ向かうのが日課だった。
そして、その日も同じだった。
空では、ピーヒョロヒョロと鳥が輪を描くように飛び回っている。
その下には、木々がうっそうと茂る森が広がっていた。
森の奥深く──
そこには、大の男が五人がかりでようやく一周囲めるほどの大木が立っている。
その根元には、ぽっかりと洞があいていた。
タカトはその前にしゃがみこみ、中を覗き込む。
「おーい、ごはんだよ~。出ておいで~」
……だが、反応がない。
いつもなら、奥からワンワンと鳴いて、嬉しそうに子犬が這い出してくるはずなのに。
タカトはもう一度、洞の奥へと呼びかける。
「おーい、ワンちゃーん! ごはんだよぉ~!」
……おかしい。
――いない?
まさか、洞から出ていってしまったのか?
そういえば、飲み水を置いていなかった。喉でも渇いたのかもしれない。
そう思ったタカトは、川のある方へと足を向けた。
「ワンちゃん! どこぉ~? どこに行ったのぉ~?」
茂みをかき分け、川辺へとたどり着く。
そこには、山から流れる清水が、さらさらと音を立てながら流れていた。
だが、川面までは高さがある。
大人の胸ほどもあるその崖は、大人にはなんということもない段差だろう。
だが、五歳のタカトから見れば、それはまさに断崖絶壁だった。
それでも、子犬を探したい一心で、タカトは地面に生える草をつかみながら、懸命に崖を降りはじめた。
だが──
掴んだ草は、モノの見事に、スポンと抜けた。
「わっ!」
タカトは、草と一緒にバランスを崩し、そのまま川べりへとドシンと落ちた。
「イテテテテ……」
岩場に落ちたタカトは、足首を押さえてしゃがみ込んでいた。
どうやら着地の際にひねってしまったらしい。
さぁ! ここで役に立つのが、我らがタカトのスキル『万気吸収』!
生気が体にみなぎれば、傷のひとつやふたつ――はい、即回復!
――と、言いたいところなのだが。
残念ながら、このときのタカトは、まだそのスキルを持っていなかったのだ。
では、『万気吸収』はいつ手に入れたのか?
それは……後に魔人に襲われ、母の手で崖から突き落とされた、あの運命の日。
瀕死の彼を包みこんだのは、女神の祝福か、それとも……
いや、違う。
あのとき、目を覚ましたのだ。
タカトの中に眠る、忌まわしき“荒神”が。
川のほとり――
足を押さえてうずくまるタカト。
だが、動けないのは痛みだけではなかった。
石だらけの河原の上を、
――ジャリ……ジャリ……
異様な“何か”が、こちらへ向かってきていた。
「ウゥゥゥゥゥ……ウゥゥ……」
その姿は一見、女のように見えた。
だが──違う。
まとっている“気”は、人のそれではない。
赤黒く濁り、禍々しい気配。
柳の枝のようにしなり、ふらふらと揺れながら、
まるで幽霊のように、ゆっくりと近づいてくる。
――女のひと……なの?




