鑑定の神はおばあちゃん?(4)
ということで、ベッツの目の前には、オカマの猫ではなく小汚い犬が一匹、横たわっているではないか。
──まあ、こんな犬でもイジメれば、多少は気が晴れるというものだ。
「お前! 汚ねぇな! 足が腐ってんじゃないか! 土下座しろ!」
……って、そもそも犬は最初から四つん這いだろうが。アホか。
うずくまる母犬のそばで、子犬が小さなうなり声をあげている。
まるで「それ以上、母さんを傷つけるな」と言わんばかりに、小さな牙をむいていた。
危険を察したのか、母犬は子犬の首の後ろに噛みつくと、懸命に引っ張って距離をとろうとする。
だが、倒れ込んだ体では力が入らず、子犬をうまく引き離すことができない。
しかも、子犬は子犬で、母の口を振り払うように首をひねると、今まで以上にベッツをにらみつけ、低く唸り声を震わせはじめた。
今にも飛びかかりそうな勢いだった。
「なんだ! このクソ犬! さっきからうるせぇんだよ!」
ベッツもまた子犬をにらみ返すと、右足を勢いよく振り上げた──。
――まさか、ベッツの奴、あの子犬を蹴るつもりなのか。
先ほどからの光景は、タカトにとって不愉快きわまりないものだった。
犬たちは、ただ道を歩いていただけだ。
懸命に生きているだけなのに、汚物のように扱われ、理不尽な罵声を浴びせられる。
……だが、それは決して他人事ではない。
タカト自身、何度も経験してきたことだった。
誰にも理由を問われず、ただそこにいたというだけで、無価値だと決めつけられる日々。
だからわかっている。こんな場面は、珍しくもなんともない。
これがこの街の現実であり、空気のように誰もが受け入れている光景だ。
──だからこそ、犬たちにも言ってやりたかった。
「気にするな」「相手にするな」
……そう、思っていたのに。
目の前の母犬は、傷つき、倒れ伏したまま動けない。
それでもなお、子を守ろうと必死に体を引きずり続けている。
子犬もまた、幼い体で母をかばい、威嚇の声をあげている。
勝ち目などない。ベッツと子犬、どう考えても力の差は歴然だ。
それでも子犬は牙をむき、吠え立てていた。母を守るために、全身で抗っているのだ。
一体、この犬たちのどこが“汚い”というのだろうか。
母が子を思う気持ち。
子が母を思う気持ち。
それは犬でも人でも、変わるはずがない。
それを踏みにじるベッツの方こそ、犬畜生以下ではないか。
つい、タカトは我慢できずに大声をあげてしまった。
「ベッツ! お前の方がうるさいんだよ!」
目の前にいる母犬の姿が、自分の母のそれと重なった。
幼かった頃、魔人に襲われ、恐怖に押しつぶされて動けなかった自分。
――あの時、俺は何もできなかった。
その記憶は今も胸の奥に深く刺さったまま。
何度も何度も夢の中で鮮明に甦り、冷たい汗となって流れ落ちる。
今でも、「守れなかった」という言葉の重みが身体の芯をえぐり続けているのだ。
もしかしたら、自分は本当は子犬のように母を守りたかったのかもしれない。
もっと、抵抗できたのかもしれない――
でも、怖かった……
あの時の魔人の緑の双眸。
体が動かなくなってしまったのだ……
――情けない……
だからこそ、今ここにいる母犬と子犬だけは、絶対に傷つけさせたくない。
そしてなにより、理不尽な暴力が無垢な者に降りかかることが、どうしても許せなかった。
自分の体が小突かれるのはいくらでも耐えられる。
そんな体の痛みなど、いくらでも我慢できる自信がある。
だがしかし……
誰かが小突かれるのを見ているのは、心が痛むのだ。
それは自分が小突かれるよりも、はるかに重い痛みで……
そんなヒリヒリとした痛みは……
――本当に……耐えがたい……
「テメエはニワトリか! このモヒカン野郎!」
今朝の鶏蜘蛛騒動でさんざんな目にあったベッツは、「ニワトリ」という言葉にカチンときた。
――ニワトリなんて言葉、もうしばらく聞きたくねえんだよ!
まさにトラウマ! カマドウマ!
トラウマに触れられたベッツは顔を真っ赤に染め、カマドウマのようにピョンと勢いよくタカトへ振り向いた。
「なんだと! タカトぉぉ!」
「子犬相手に吠えるなよ! うっせぇんだよ! このチキン野郎!」
「チキン! 今チキンって言ったのか!」
カッチン!
怒りで肩を震わせながら、ベッツは荷馬車のそばのタカトに近づいてきた。
ベッツは単に、子犬で鬱憤を晴らそうとしていただけだった。
それなのに、急にタカトが噛みついてきやがった。
いつもはへらへらしているくせに、なぜか偉そうにどなりつけてくる。
しかも、その横にはビン子が、少し驚いたような目でタカトを見つめている。
もしかして、今のタカトのことを男らしいとでも思っているのか。
へなちょこなタカトが、ビン子の前で子犬を守ろうとイキがっているのが、
ベッツには無性に腹が立った。
――あぁ、今日は最悪だ……
「おい! タカト! イキるなよ! 荷台から降りてこい!」
「アホか! 降りろと言われて降りる馬鹿がどこにおるんじゃい!」
「ならば、こっちから行ってやるよ!」
ベッツが荷台の柵へ手をかける。
――ひぃぃぃぃぃ!
先ほどまでの威勢はどこへやら、一転してびびりまくるタカト。
なにせ今のタカトには、ベッツと闘う手段がまったくないのだ。
カバンの中には『スカート覗きマッスル君』は入っておらず、あるのは『スカートまくりま扇』だけ。
だが、ベッツは男の子。
そう、スカートではなくズボンをはいているのだ。
――どないせいっちゅうねん!
この状況で、弱小タカトとベッツが喧嘩になったとしても、
おそらく一方的に殴られて終わるだけだろう。




