第六の騎士の門(13)
ハゲ太が去ったあと、部屋に残されたのは二人きり。
押し潰れたテーブルの破片を払いながら、イサクがぽつりと尋ねた。
「お嬢……どうして神の話なんか教えたんですかい? ハゲ子が医療の国の特待生に選ばれたってことを教えて、娘の奨学金から回収した方が手っ取り早かったんじゃ……」
──というか、朝決まったばかりの情報をなぜこの二人が?
そんな疑問は無粋だ。
なにせこの二人は、第七の騎士・一之祐に仕える金蔵家の神民。
情報収集にかけては、まるで忍者のように街の隅々にまで目と耳を張り巡らせているのだ。
真音子はため息まじりに椅子へ腰を落とす。
「……あの特待生制度、どうにも腑に落ちませんの。何か、きな臭いものを感じますのよ」
「だからこそ教えればよかったんじゃ?」
「ですが──あの制度を受けた者は、いまだ一人として“医療の国”から戻ってきておりませんの。もしかすると、最初から“行っていない”可能性すらありますわ」
イサクは、ハッとしたように手を打った。
「もしかして、それでアネサン……座久夜様が医療の国に行ってるのって……」
「ええ、もしお母様があちらでハゲ子さんと出会えたなら、それで万事解決ですわ。きっとお母様が、貸したお金もきっちり回収してくださいます。でも……出会えなければ──」
「出会えなければ?」
真音子の瞳が、鋭く細められる。
「おそらくは……アルダインが何かを企てている証拠かもしれませんの。お父様が危惧されていた通り、魔の国と繋がっている可能性すらございますわ」
その言葉に、イサクは目を見開いた。
「ま、魔の国⁉ お、お嬢、それって……マジで……国家反逆レベルじゃ……」
「そう。ですからこそ──ハゲ太さんとハゲ子さんには、しばらくエサになって泳いでいただきますのよ」
いつしか、真音子の唇には意地悪く冷たい笑みが浮かんでいた。
だがイサクはまだ納得できない様子で、首をひねる。
「……でも、やっぱ分かんないっす。それなら、なんであんな神の話、教えたんすか?」
真音子は、深く息を吐きながら天井を見上げる。
「……ひとつの、賭けですわ」
「賭け?」
「もし、ハゲ太さんが“鑑定の神”に出会って恩恵を受けたなら──自身の運命を知ることになるでしょう。そうすれば、ハゲ子さんの特待生入りを全力で止めるかもしれません。そして、それができなければ……それまでですの」
イサクは、おそるおそる問うた。
「お嬢……まさか、あの二人を見殺しにすることに、負い目でも感じてるんじゃ……」
その瞬間、真音子の頬がポッと赤くなった。
バッ!
勢いよく椅子から立ち上がり、叫ぶ。
「やかましい! 今日の仕事はこれで仕舞や! 帰るぞ! イサク!」
「はっ、はいっ! かしこまりましたァ!」
そんなことがあっての、第六の門前広場に──早送り!
倉庫の奥では、守備隊長ギリーが積み込まれた荷物を指さし、手際よく確認を進めていた。
ひとつずつ、指差し確認。メモを取り、帳簿を見直し、さらにもう一度チェック。
几帳面にもほどがあるその性格は、本人曰く「昔の女房にしごかれた名残」だという。
いまや離婚して十数年、やもめ暮らしのくせに──というのは、本人が一番よく分かっているのだろう。
どうやら、タカトとビン子の二人は、守備兵たちに手伝ってもらいながら、配達の荷物を無事運び終えたらしい。
ギリーは最後の一品まで確認し終えると、満足そうに鼻を鳴らし、用意していた受領書にサインを入れた。
そして、それをタカトへと差し出しながら言った。
「いつも助かるよ。ついでに、もう一件だけ頼まれてくれないか。毒消しを第一の門外の駐屯地に届けたいんだが、第一の門の運送屋が遅れててな」
第一の門は、中央の神民街を挟んで、第六の門のちょうど反対側。
タカトたち一般国民が行くには、ぐるりと城壁を回り込まなければならない。
つまり、けっこうな距離があるのだった。
「えー、面倒だからいいですよ」
早く家に帰って道具作りがしたいタカトは、顔の横で小さく万歳しながら、全力で断った。
「そこを何とかならんか。第一の門外の駐屯地で何かあったら、わしの責任になる。奮発して金貨一枚出すから、頼むよ」
「金貨一枚……旦那、何か忘れてやしませんかね?」
「お前……覚えていたのか……」
「お天道様が忘れても、このタカトだけは忘れやしませんぜ! アイナちゃんの写真集!」
「分かったよ……戻るまでに持って来てやるから……それでどうだ?」
どうやらギリー隊長、マジで困っているようだ。
そして、他人の弱みには容赦ないのが我らがタカト君。
ズボンの中から何かを取り出して、にやにやとギリー隊長に差し出す。
「ならばコレも一緒に、いただけませんかねぇwww」
その手のひらに握られていたのは、腐りかけの……ヒレ!
──フカヒレである。
「そっ、それをどこで!」
ギリー隊長が目を見開く。それなりに価値あるもののようだが……次の一言で台無しだった。
「そんな臭いもん、俺に近づけるな!」
このヒレは、魔物・魔鮫トホホギスの鰭。
時間が経つにつれて猛烈な悪臭を放つ、いわくつきの素材である。
そのニオイたるや──男ならどこかで嗅いだことのある思春期の記憶。
毎晩、毎晩、ティッシュに向かって放出されたニオイを、さらに濃縮して濃くしたような感じ。
自分の物なら耐えられる……
だが、それが他人のものとくれば、ただただ耐えがたい悪臭でしかない。
しかし、そんな臭いものをタカトはどこで見つけたというのであろうか?
どうやら、荷物を運んだ際、倉庫の片隅に転がっているのを見つけてこっそりポケットにしまい込んだらしい。
……って、もはや泥棒じゃん!
――だからいま、こうしてギリー隊長に「もらっていいですか?」と“事後承諾”を取ってる最中だろうが!
「別にいいぞ……そんなもん……」
ギリー隊長は顔をしかめつつも、ため息まじりに許してくれた。
「ならばっ! 不肖タカト、お仕事! やらせていただきますっ!」
タカトは目を輝かせ、隊長の手をがっしり握った。速い。態度があまりに急変しすぎている。
そんな彼を横目に、ビン子があきれ声をもらす。
「タカト。じいちゃんが“門の外には出るな”って言ってたでしょ」
タカトはビン子に目配せし、こっそり口止め。
「あとで何か買ってやるから、じいちゃんには黙ってろ。絶対だぞ」
……つまり、この金貨は完全にタカトの懐入り決定。
ビン子への買収がその証拠である。
「……セコい」
呆れ顔で、ビン子はぽつりとつぶやいた。
──チクってやろうかしら。でも、自分まで怒られるのはイヤ……どうしようかしら。
そのとき、ギリー隊長が広場の端に目をやる。
一人の男が、首をぐるぐる回しながら近づいてきていた。
「おーい、ヨーク」
ヨークは、先ほど鶏蜘蛛騒動に巻き込まれ、メルアを宿に送り届けてきたところだった。
ピンクのオッサンに殴られた首がまだ痛むのか、振るたびにコキコキ音が鳴っている。
──なんか……耳鳴りがする……
そんな事情を知るはずもないギリー隊長は、いつもの調子で命じる。
「こいつらの護衛で、第一の門の駐屯地まで行ってくれ」
「えー、面倒だからいいですよ」
ヨークもまた、小さな万歳で即答。
ギリー隊長は腰に手をあて、深いため息。
「ヨーク……お前もか。終わったら早上がりしていいから」
「マジすか隊長!」
ヨークの顔がぱっと明るくなった。すぐに全速力で駆け寄り、顔が近い!
ギリーは思わず上体を反らし、ひきつった笑みを浮かべる。
「いや……まだ仕事は残ってるからな。それから、ちゃんと報告はしろよ。報告は」
「了解でーす」
ヨークは返事を終えると同時に、タカトたちの前に立ち、
右手の人差し指を天に突き上げ──そして、ビシッと振り下ろした。
「さぁ行くぞ、少年たち!」
「第一の門はそっちじゃねぇよ……オッサン……」
タカトの冷静すぎるツッコミに、ヨークはガーン!
「オッサン言うな! 俺はまだ二十五だぞ!? ヨークのお兄様と呼べ!」




