第六の騎士の門(9)
「一緒に召し上がりませんか」
ビン子は小さな皿を、そっと権蔵の前に差し出した。
権蔵は、はっと息を呑んだ。
……だが、手は動かない。
神から施しを受けるなど──
たとえそれが、自分が供えたものであろうとも、神に捧げたものを自らの口に運ぶなど、罰当たりにもほどがある。
皿の上には、干し肉と芋がひと切れずつ。
それだけのものが、権蔵の全身を縫いとめていた。
「俺、これもらい!」
タカトがひょいと横から干し肉をつまんだ。
遠慮も畏れもない、なんとも無神経な手つきだった。
だがビン子は、それを咎めることもなく、むしろどこか嬉しそうにタカトを見つめていた。
──それが、権蔵には不思議で……どこか眩しかった。
ビン子は静かに皿を置くと、両手で芋を一つ包み上げ、再び差し出した。
権蔵は戸惑った。
手が震えた。
──神の施しを……この手で、受け取ってよいのか……。
迷いながらもゆっくりと、手を差し出す。
そのとき。
「それいらないなら、俺、もらい!」
再びタカトが手を伸ばす。
だが──
「このどアホ! それはワシのじゃ!」
バシッと、鋭い音。
権蔵が、迷いなくその手をはたいた。
「いてっ……」
タカトが、さも大げさに手を振る。
だが、もう彼の姿は権蔵の目には映っていなかった。
芋を、ビン子の両手からそっと受け取る。
まるで神の温もりを、掌にすくい上げるように。
──そうか……この子も……寂しかったんじゃな。
掌の上にある、小さな芋。
ただ見つめながら、権蔵の心が静かに震えていた。
――なのに……わしは、腫物にでも触るように避けていた……
……それが、どれほどこの子を傷つけていたことか……。
何かを決めたように、芋をそっと包む。
──ならば、するべきことは決まっておる。
顔を上げたとき、権蔵の表情には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「これからは、家族みんなで……一緒に食べるかのぉ」
芋を半分に割り、ビン子に差し出す。
「ハイ!」
ビン子は、それを両手で受け取り、満面の笑みを咲かせた。
* * *
第六の門前広場で、昔の思い出に浸っていたビン子。
──私は、もう一人じゃない……
いつしか、空を見上げる目に、涙が溜まっていた。
──私の心は空っぽじゃない……だって、もう……タカトも……じいちゃんも……家族なんだもん…………
風が、そっとビン子の髪を撫でる。
頬を伝って落ちていく涙。
まるで、かつての孤独を洗い流すかのように──
「巨乳! 巨乳ーっ!」
しかしその感傷は、けたたましいタカトの叫び声にぶち壊された。
「ビン子! ビン子! 巨乳だぞ! スゲー巨乳がいたぁぁぁぁぁ!」
宿舎の入り口から、勢いよく飛び出してくるタカト。
そしてビン子の元へ駆け寄り、めちゃくちゃ嬉しそうに叫ぶ。
「めちゃくちゃ美人の巨乳! もう、この世のものとは思えない巨乳だった!」
ビン子は慌てて頬の涙をこする。
──もう……せっかくの、いい思い出が……台無しじゃない……
ビン子は、これ以上なく冷たい目でタカトを見下ろした。
「あっ、そう。よかったわね」
「スゲーよ。あの巨乳」
タカトは自分の胸の前で、見えないボールをニギニギしてみせる。
もうビン子は、目も合わせようとしない。
荷馬車の上で頬杖をつきながら、つぶやく。
「……で? どこに運ぶのよ」
ニギニギしていた手が、ピタッと止まる。
「へっ?」
ビン子は無言で、宿舎を指差した。
「もう一度行ってきまーす!」
タカトは、舌をペロッと出しながら、バタバタと駆け戻っていった。
その直後、宿舎の入り口から一人の女性が飛び出してくる。
「タカトくーん!」
長い金髪をなびかせた、スラリとした女性。
優しい笑顔で、手招きしている。
どうやら、搬入先も確認せずに飛び出したタカトを、わざわざ呼びに来たらしい。
……もしかして、この人、騎士?
女性の前に立っていた守備兵たちは、すぐに脇へ控え、道を開けた。
タカトは貧乏で、一般国民とはいえ、その扱いはほとんど奴隷に近い。
小汚くて、オタク丸出しのタカトに、騎士が気さくに声をかけるなど──
いや、普通は、ありえない。
だが、ここ第六の門の騎士・エメラルダは、違っていた。
彼女は威張ることもなく、見下すこともなく。
ただ、一人の人間として、タカトに接していた。
たとえそれが、奴隷であったとしても──
変わらないのだろう。
その在り方は、まるで──
誇り高き騎士ではなく。
真の、「聖女」のようだった。
「ちっ……! 本当にできた巨乳ね!」
エメラルダを見つめるビン子は、悔しそうに爪を噛んだ。
「あれは間違いなく敵よ! 敵! 巨乳はみんな全て敵なのよ! ……この世界の敵なのよっ!」




