第六の騎士の門(8)
幾日か、そんな日々が続いたある日のことだった。
座布団にじっと座っていた幼女は、ふとドアの隙間からこちらを覗く小さな男の子に気づいた。
「何してるんだ?」
少年はドア越しに声をかけてくる。
「……なにもしてないよ」
幼女は座ったまま、小さくつぶやいた。
「ふーん。で、お前、誰?」
「私? ……わたし、神さま……らしいよ」
どこか寂しげな笑みを浮かべながら、幼女はそう答える。
すると、少年の顔がぱっと明るくなった。
「じゃあさ、じいちゃんを金持ちにしてよ!」
その無邪気な言葉に、幼女はふいにうつむき、膝の上でぎゅっと両手を握りしめた。
「……ごめんなさい。できないの……」
少年はふと、幼女の前に置かれた手つかずの食べ物に目を留めた。
むっとした顔でドアを開けると、ズカズカと部屋に入ってくる。
皿の上のお供え物を乱暴に奪い取ると、睨みつけるように言い放つ。
「なんで食わねーんだよ! 食えよ! そんなんだから、死にそうな顔してんだろ!」
「でも……」
か細い声で答える幼女の目が、かすかに揺れる。
「ったく、もう!」
少年はお供え物を掴み取ると、無理やり少女の口元へ押しつける。
「いい加減にしろよ! 飯を食えっつってんだよ!」
だが、幼女は震えるように首を振った。
「……だって、私……何もできないの」
「ふざけんなよ!」
少年の声が鋭く響く。
「じいちゃんが、自分の分をお前に食べさせようとしてるんだぞ!」
その言葉に、幼女の目が見開かれた。
──え……
まさか、この食べ物……おじいさんの分だったの?
いつもここに置かれているってことは……
もしかして、おじいさん、ろくに食べてないんじゃ……?
もしかしたら、この残った傷んだ食べ物を……?
「じいちゃんのためにも、ちゃんと食えよ!」
皿からこぼれたお供え物が、床に転がっていく。
「……」
幼女の目から、ついにぽろりと涙がこぼれた。
私は、何もできない……
生きてるだけで、迷惑なのに……
どうして、生まれてきたんだろう……。
皿に汚れた頬をそむけながら、幼女はしゃくり上げて泣き出す。
「もうやめて……! 私には、何もないの……私は、空っぽの人形なの……!」
「ふざけんなよ!」
少年の怒鳴り声が重なる。
その言葉は、叱咤でも慰めでもなかった。ただ、魂ごとぶつけるような、真っ直ぐな叫びだった。
「お前は人形なんかじゃねえ!」
「だったら……何なのよ……! 私、一体何なのよ……! 名前すらないのに……!」
一瞬の沈黙。
やがて、少年がぽつりと言う。
「……そっか、名前がないのか」
そして、ニコリと笑った。
「じゃあ、俺がつけてやるよ。お前は今日から、貧乏神のビン子だ!」
「貧乏神って……」
「バカだなあ、ビン子! 貧乏神ってのはな、貧乏をぶっ壊して、福を呼ぶ最強の神様なんだぞ! ……知らんけど!」
「……」
赤く腫れた目を、幼女はゆっくりと上げた。
「だいたいさ、これ以上貧乏になりようがねぇんだし、ビン子がいて困ることなんて、ねぇよwww」
「……私……ここに、いてもいいの……かな……?」
その瞳は、まだ涙を湛えていたけれど――たしかに、希望を探していた。
「当たり前だろ! この状況で貧乏神が逃げたら、ガチで貧乏まっしぐらじゃねーかwww」
「……ふふっ……www……」
ビン子はくすりと笑った。
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ和らいだ気がした。
少年はその笑顔を見逃さなかった。
「だから笑え! 飯食って笑え! 笑う門には福きたるって言うじゃねーか! ワハハハハ!」
その瞬間、ドアが勢いよく開き、怒鳴り声が飛んできた。
「このドアホ! ここには入るなと何度言ったらわかるんじゃ!」
権蔵がずかずかと入ってくる。
「タカト! だいたい神様に向かって何しとんじゃ! このドアホが!」
「じいちゃん! どアホって2回言ったぞ!」
「ドアホにドアホ言って、なにが悪いんじゃ! このドアホ!」
権蔵はタカトの首根っこをつかむと、そのまま部屋の外へと引きずっていった。
* * *
古びた机の前に座ったタカトは、黙々と芋をかじっていた。
その向かいで、権蔵は花茶をひと口ずつ静かにすするだけだった。
──ガラガラ。
奥の部屋のドアが、そっと開いた。
そこに立っていたのは、金色の目に涙をたたえたビン子だった。
手には、タカトが散らかしたお供え物をひとつひとつ拾い集めた、汚れた皿がのっている。
「……一緒に、お食事をしても……よろしいですか?」
か細い声に、権蔵は思わず息を飲んだ。
その様子を横目に、タカトが芋をかじりながらぼそりと言った。
「なんだビン子かよ。ここ座れよ。もう俺たち”家族”だろ」
目も合わせず、タカトは座ったまま自分の隣を少しだけ空けた。
そこには、人ひとり分のスペースがぽつんとできている。
──家族……
そんなふうに呼ばれたのは、たぶん初めてだった。
ビン子は小さくうなずき、恐る恐るその隣に腰を下ろす。
──私は、ここにいていいんだよね……?
隣の少年は、相変わらず芋を頬張るだけだったけれど。
その背中が、ほんの少しだけ、温かく感じられた。
ビン子の目には、涙が光ったままだった。
でも、そこには確かに――微かな笑みが浮かんでいた。




