緑髪の公女(7)
ハゲ太は、若くして最愛の妻を亡くしていた。
それ以来、たった一人で娘・ハゲ子を育ててきた。オカマバーで働きながら、男手ひとつで――いや、オカマ手ひとつで。
父の苦労を知ってか、ハゲ子は必死で勉学に励んだ。
そして、ついに模試でトップの成績を収め、神民学校の特待生として合格したのだった。
入学金は免除。授業料もタダ。さらには奨学金まで支給されるという破格の待遇――
二人は、夢でも見ているかのように抱き合って喜んだ。
神民学校を卒業すれば、国家公務員の道は約束されている。
さらに運がよければ、どこかの騎士の神民として仕えることも夢ではない。
そんな未来を思い描きながら、ハゲ太は娘を誇らしく見つめていた。
だが、世の中は、そう甘くはなかった……
ハゲ子が神民学校へ通うようになってから、彼女は次第に塞ぎ込むようになった。
かつてあんなに明るかった笑顔が、すっかり消えてしまったのだ。
いつからか、四六時中ニット帽を目深にかぶるようになった。
部屋でも、食事中でも、寝るときですら――その帽子は決して脱がれなかった。
「いい加減にしろ、ハゲ子! 家では帽子を取りなさい!」
堪えきれず、ハゲ太は彼女の帽子を引きはがした。
その瞬間、ハゲ子は頭を手で覆い、膝を抱えてうずくまる。
そして、ハゲ太は目を疑った。
「ハゲ子……それは……」
あれほど美しかったハゲ子の髪が、見るも無残に抜け落ち、まだら模様を浮かび上がらせていたのだ。
涙ぐみながら、ハゲ子は震える声をしぼり出す。
「お医者さんが言ってた……ストレス性の脱毛症、だって……」
言葉を失うハゲ太。
「成績が落ちると……特待生の資格も、奨学金も……全部なくなるの……」
「でも、そんなになるまで……」
ハゲ太の声が震える。
「……だって、うち貧乏じゃない。成績が落ちるとね……奨学金も、授業料免除もなくなるんだって……」
「だったらやめたらいいじゃないか、なぁ、ハゲ子……」
ハゲ太の声が震える……
「……だって、うち貧乏じゃない。授業料払えなかったら、神民学校をやめないといけなくなる……」
「だったらやめたらいいじゃないか、なぁ、ハゲ子……」
ハゲ子は涙をぬぐいながら、しかし目をそらさずに言った。
「でも……私は、お父さんに楽をさせてあげたいの。ずっとオカマ姿で、馬鹿にされながら働いて……私のために、ここまでしてくれたじゃない……」
――ハゲ子……
涙腺が崩壊したハゲ太は、彼女をギュッと抱きしめた。
「ハゲ子……ありがとうな……でもな、お父さんは、ハゲ子が笑っててくれたら、それだけでいいんだ……本当に、それだけでいいんだ……」
「うん……うん……ごめんね、お父さん……」
ハゲ子は顔を上げ、少しだけ笑って言った。
「お父さん、もうちょっとだけ頑張ってみるよ。それでもダメだったら……そのときは、ごめんね」
彼女の頭に、ハゲ太の大きな手がそっと置かれた。
「バカだなぁ、ハゲ子! いざとなったら、お父さんが何とかしてやる!」
「なに言ってるの……毎月の授業料って、大金貨一枚(百万円)だよ。そんなの無理だよ……」
「オカマの底力をなめるんじゃないよ! なんてったって、オカマはこの世界の最強種族だからな!」
――ハゲ子……ハゲ子……
ハゲ太は、娘のために神の恩恵を求めていた。
もし、自分が“神のスキル”を得られれば、大金貨一枚くらいは稼げるかもしれない。
そうなれば、ハゲ子は学校を辞めなくて済む。もう、無理をする必要もない――
だが、街に現れたという神の姿は、どこにも見当たらなかった。
道行く人々に尋ねても、誰も知らないと言う。
「神様ぁあぁぁァァ!」
道の真ん中で、オカマが天に向かって絶叫していた。
――なんでだよ……なんで俺たちばっかり、こんなに苦しまなきゃならないんだよ……
同じ頃、神民学校の教室では「自習」という名の自由時間が与えられ、生徒たちはおしゃべりに花を咲かせていた。
「ねぇねぇ、それよりケーキでも食べに行かない?」
「知ってる? 第六の騎士の門の近くに、新しいケーキ屋さんができたんだって!」
ピクンッ!
アルテラの耳がピクリと動いた。まるでウサギのように、その言葉を逃さなかった。
――あ、新しいケーキ屋さん……
うつむくアルテラが生唾を呑み込んだ。
ごくり、と生唾を呑む。どうやらアルテラは、甘いものに目がないらしい。
「イク! イク!」
「私もイク!」
楽しげに盛り上がる女子生徒たち。
その輪を、アルテラはじっと見つめていた。
手を挙げようとして、手が止まる。
――わ、私も……
でも、声が出ない。体も震えている。
それどころか、先ほどから体が震えて手も動かないのだ。
そう、緑女として生まれたアルテラの存在は、この教室で疎まれているのだ。。
――もう、傷つくのはイヤ……
彼女はそっと、机の上に視線を戻した。
そんなアルテラの様子に、一人の女子生徒が気づいたようで、ちらりと視線を向けた。
アルテラは、宰相閣下の愛娘だ。誰もが無視できる存在ではない。
そのせいか、女子生徒はどこか義務のように、恐る恐る声をかけた。
「ア、アルテラさまも……ご一緒にいかがですか……?」
その言葉を聞いた他の女子たちは、一瞬で口をつぐみ、顔を伏せた。
その表情は、緑女という存在に対する嫌悪がにじむ、冷たく、険しいものだった。
──怖い……
アルテラは彼女たちの顔を見て、思わずスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
その手は小刻みに震えていた。
けれど、心の奥に残っていた小さな勇気をふりしぼり、彼女は声を張った。
「わ、私には……用事があるの!」
その言葉が発せられた瞬間、女子たちの表情がぱっと明るくなった。
そして何事もなかったかのように、また笑い声を交わし始めた。
まるで、厄介な障害物が取り除かれたかのように――




