緑髪の公女(1)
タカトたちがいた川沿いの土手から、ずっと離れた場所にある神民街。
その中心を貫く、美しく整えられた並木通りを抜けた先に──白く光る大理石の門がそびえ立っていた。
その門をくぐると、どこからともなく、はつらつとした女の子たちの掛け声が響いてくる。
♪がんばってぇ~いきまっしょい! しょい! しょい! しょい!
声の主は、広い運動場をぐるぐるとランニングしている女子生徒たち。
そろいの体育着に身を包んだ彼女たちは、額に汗をにじませ、大きな胸を揺らしながら懸命に走っていた。
その運動場の奥に立つのは、白く清潔感のある校舎。
緑に囲まれたその姿は、どこかおとぎ話に出てきそうな美しさすら感じさせる。
たとえるならば──ここは、超お金持ちのために建てられた特別な進学校といったところか。
実際、校内を歩く生徒たちの表情はどれも落ち着き払っていて、年齢以上の気品と誇りをまとっていた。
そう、ここは──
神民たちが通う、神民学校。
校舎を取り囲む木々の間に爽やかな風が吹き抜けていく。
そんな風に吹かれた一枚の木の葉が、開け放たれた2階の窓へとひらひらと舞い落ちていった。
校舎を取り囲む木々の間を、爽やかな風が吹き抜けていく。
その風に乗せられた一枚の木の葉が、開け放たれた二階の窓から、ふわりと教室へと舞い込んだ。
木の葉がひらりと舞い落ちる先で──
一人の大柄な男が、黒板に向かってぶつぶつと何かをつぶやいていた。
その顔ときたら、どう見てもつまらなそうである。
──この筋骨隆々な男、もしかして教師なのか?
だが、その格好がどうにも教師らしくない。
なにせ上半身は裸同然、タンクトップ一枚。
しかも、そのタンクトップの胸元には……
『尻魂』
──デカデカと刻まれた謎のプリント。
さすがに子供たちの前でこの格好はない。PTAからの苦情必至である。
だが、この『尻魂』タンクトップはそんなことを気にすることもなく淡々と講義を続けていた。
やる気を全く感じられないタンクトップの声は抑揚もなく単調で、昼食前だというのに眠気を誘う。
もはや黒板をたたくチョークの乾いた音だけが唯一のアクセントであるかのように、静かな教室に響いていた。
だが、当の「尻魂」タンクトップは、そんなことなどお構いなし。
無表情のまま、淡々と講義を続けている。
やる気は微塵も感じられず、抑揚のないその声は、もはや催眠音声レベルである。
カツ、カツ、カツ……
黒板を叩くチョークの音だけが、静かな教室に乾いたリズムを刻んでいた。
そんな中、教壇の後ろに段々に並んだ生徒たちはというと──
全員が真面目にノートを取り、誰一人として気を抜いている様子がない。
さすがは神民学校中等部の生徒たち。
この国の未来を担う者たちにして、将来は魔装騎兵として戦場を駆け、あるいは政を担う才媛・俊才たちである。
授業がつまらなかろうと、彼らにはそれを聞く義務と覚悟があるのだ。
しかし、窓際に座る一人の女子生徒だけは、ノートを取ることもなく、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
少女の名は──アルテラ=スモールウッド。
融合国の宰相にして、第一の門の騎士・アルダイン=スモールウッドの娘である。
開け放たれた窓の外では、小鳥たちが枝の上でさえずり合っていた。
アルテラはその楽しげな囁きに、じっと耳を傾ける。
風が、透き通った青空とともにそっと彼女の髪を撫でていった。
長く、美しいライトグリーンの髪が、空の光を受けてやわらかく揺れる。
だが、突然。
激しい風が木々の間を駆け抜け、窓辺を強く打った。
風に踊る髪を押さえながら、アルテラは一瞬、目を伏せる。
舞い上がった髪の先が、細やかな緑の光を散らして落ちていく。
そして、まつげをそっと持ち上げ、再び窓の外を見たときには──
さっきまで囀っていた小鳥たちは、もう空の彼方に消えていた。
誰もいなくなった緑の風景。
その向こうから、かすかに聞こえてくるのは、運動場を走る女子生徒たちの明るい掛け声だけ。
──また……一人ぼっち……
そんなアルテラは、雪のように舞い落ちてくる色とりどりの葉っぱを見ながら、大きくため息をついた。
――退屈……
ざわめきは風に流され、教室にはまた、静かな日常が戻っていた。
アルテラの耳に、それはただひどく、味気ないものとして響いていた。
だが、そんな退屈な日常は、突然、粉々に打ち砕かれた!
ガシャァァン!
教室の前にある引き戸が、轟音とともにぶっ飛んだ!
レールから外れた引き戸が、教室の床にスローモーションで倒れ込んでいく。
その隙間から──何かが飛び込んできた!
「リモコン下駄ぁぁぁぁッ!!」
飛来したのは、まさかの一本歯下駄!
まっすぐに教壇のタンクトップめがけて、殺意をこめて突っ込んでいく!
──だが!
タンクトップは動じない。
寸前で、ごつい二本の指が一本歯をパシィッと挟み込んでいた。
――フッ。まだまだ……若いな
鼻で笑ったタンクトップは、受け止めた下駄を軽くポイッと後ろへ投げ捨てる。
そして何事もなかったかのように、再び講義を始めたその瞬間――
カポンッ!
「いてぇっ!」
タンクトップのこめかみに、もう一つの下駄が命中した。
……そう、下駄は“両足ぶん”あったのだ。




