黒の魔装騎兵と赤の魔装騎兵(15)
そんな檻の前で、セレスティーノは仁王立ちしていた。
――これで、厄介事は片付いた。
ピンクのオッサンがこのまま人魔収容所に連れていかれれば、さきほどまで胸をよぎっていた不安は、きれいさっぱり消え去る。
というのも、いまだかつて……人魔収容所から生きて戻ってきた者は一人もいないのだ。
収容所の中で何が行われているのか、セレスティーノは知らない。
知らないが、それでいい。知る必要もない。
ただ一つ、確信しているのは……
あのオッサンが、二度と自分の前に現れることはない。
だが、セレスティーノには――ピンクのオッサンとは別に、もう一つの懸案事項が残っていた。
学生服の襟元から伸びる一本の女の手が、にゅるりと首筋にまとわりついている。
線香臭い肌が、すうっと耳元に迫ったかと思えば、干からびたような酸っぱい吐息が、セレスティーノの鼓膜をなで回す。
ぎくっ。
その瞬間、セレスティーノの全身が石のように固まった。
そう……年増の奴隷女、お登勢さん。
あの女が、背後霊のようにぴったりと彼の背中に張りついていたのだった。
ピンクのオッサンから逃げるためとはいえ、セレスティーノは先ほど……ついうっかり、お登勢さんを食事に誘ってしまったのだ。
「あ……あれは、ちょっとした……間違いで……」
訂正しようとするセレスティーノの言葉を、ずばっと遮ったのは……
「今日は、あたしがセレスティーノの旦那と、朝までトリプルルッツルツルだからねッ! 邪魔すんじゃないよ!」
町中に響き渡る、年増の声。
その瞬間、近くにいた女たちの顔色がみるみる青ざめ、まるでオオカミにおびえるウサギのように、二歩、いや三歩と後ずさっていった。
……お登勢さん、どうやらこの街では相当顔が利く存在らしい。
あるいは、セレスティーノの“ババ専”疑惑”にドン引きしただけかもしれない。
いや、違う。
「朝までトリプルルッツルツル」と聞いて……
毛を抜かれるのはお登勢さんではなくセレスティーノだと察した彼女たちは……
巻き込まれたくない一心で、ただただ距離を取ったのだ。
勝ち誇るお登勢さんは、セレスティーノの耳元で甘くささやいた。
……いや、ささやくにしてはやたら声がデカい。
まるで、檻の中のピンクのオッサンにわざと聞かせているかのようだった。
「ねぇ、セレスティーノの旦那って、撫子のようにおとなしい女が好みなんだってねぇ? まるで……あたしみたいじゃないか❤」
――誰が撫子やねんッ!
撫子? 違うわボケ!
お前は撫子じゃなくて彼岸花や!
しかも、彼岸花のドライフラワーや!
セレスティーノは顔面をひきつらせたまま、どうにか笑顔を捻り出す。
だが、そんな正論ツッコミを口に出した日には、もう何されるか分かったもんじゃない。
……ということで、セレスティーノは覚悟を決めて、ぎこちなくうなずいた。
「そ……そうだね……ハニー……ボキは……おとなしい女性が大好きです……」
がびーん!
ピンクのオッサンは、その瞬間、ムンクの叫びになった。
――ハ、ハニーですって……
というか、ゼレスディーノさまは、おとなしい女性が好み……だと!?
ハッと気づいたピンクのオッサンは、檻からさっと手を離す。
そして、わざとらしく弱々しい声を作り、隙間からひらひらと手を差し出した。
「イヤァン♪ ゼレスディーノさまぁ~、たすけてぇ~❤」
それを見たセレスティーノは、乾いた笑いを口だけでひねり出す。
――は、は、は……今日はなんて日なんだ……
今の状況はまさに……
前門のオッサン、後門のオバはん!
虎と狼どころの話じゃない。
二兎追うものは一兎も得ず! いや、二『鬼』も追ったら、生きて帰れん……
ならば、ここは確実に一鬼ずつ仕留めていくのみ……!
……それまでは我慢だ! 我慢! ザ・ガマン!
「イヤァ!! 誰か、助けて――!」
進み始めた檻の中から、住人たちが次々に顔を出し、必死に叫ぶ。
檻の隙間に押し付けられた一人の女が、悲痛な面持ちで懸命に手を伸ばした。
だがしかし、街の住人たちは誰一人として、その手に応えようとはしなかった。
ただただ、遠巻きに震えながら、その光景を見送ることしかできなかったのだ。
そんな……
閉じ込められた人々の怨嗟の悲鳴。
それを、まるで甘美な音楽でも聞いているかのように、赤の魔装騎兵は目を細める。
血のように赤く輝くその瞳が、待ちきれぬ様子で舌なめずりを浮かべていた。




