黒の魔装騎兵と赤の魔装騎兵(13)
でもって、ピンクのオッサンがヨークをぶちのめしている間に、ベッツはゴミ箱の中に隠れたのである。
そんなベッツが入っているゴミ箱を――誰かが叩いた。
コンコン……
ベッツは息をひそめる。恐怖で声も出ない。
もはや、そこにいるのが魔装騎兵なのか、ピンクのオッサンなのか、はたまた鶏蜘蛛なのかすら分からない。
ていうか、どれが来ても一発ロンで死の役満じゃねぇか。
もはや打つ手なし……。
ノーテン・オール・ザ・ウェイ。
コンコン……!
まだ叩いてる。
――……はやく諦めて、どっか行けよ!
ゴンゴンゴン!
音がどんどん激しくなっていく。
――まさか……パパが助けに来てくれたとか?
いや、そんなフラグは立てた覚えがない。
ドゴン!!
突如、ゴミ箱の天井……じゃなくて、底にでっかい穴が開いた。
一瞬、そこから光が差し込む――が、すぐに遮られる。
――……あれ?
ベッツは穴からそっと外を覗いた。
でも、暗くてよく見えない。
――もう夜? いや、たしか朝だったよね……?
だが、その暗闇の中で、なにかがわずかに動いた。
まじまじと目を凝らしてみる。
あれ……まつ毛? てことは、あれは……
緑色の目――。
つまり、暗がりで見えていたのは月じゃなくて……
目玉だった。
――って、それ人魔の目じゃねぇかーーーーッ!?
「きょぇぇぇぇぇぇ!」
ベッツはゴミ箱ごと宙を舞い、一目散に駆けだした。
「パパ! パピィ! パピリコ孔明ィ! 誰でもいいからたずげでぇぇぇぇ! ハシビロコウ!」
そのゴミ箱のカラカラ音を追って、背後から人魔たちが殺到する。
「うがぁぁぁぁぁぁ!」
――完全にゾンビ映画のオープニング。
だがそのとき――。
ズバァッ!
ベッツを追っていた人魔たちの首が、まとめてスパーンと宙を舞った。
「どけ! 私が駆除する!」
鋭い女の声が通りに響く。
ベッツと入れ替わるように、通りの奥から魔装騎兵がひとり駆け込んできたのだ。
だが、その魔装騎兵は一風変わっていた。
通常の魔装騎兵といえば、全身を黒一色の装甲で覆い、顔すら仮面のように閉ざしている。性別も感情も読み取れない、ただの無機質な戦闘装甲。それが“常識”である。
だが、彼女は違った。
身にまとっていたのは、黒ではなく深紅――血を思わせる艶やかな赤の装甲だった。しかも、その形状は防御よりも「魅せる」ことを意図したかのような、異様なデザインだった。
上半身を覆っていたのは、ノースリーブのタイトな装甲。肩から脇、そして腹部まで大胆に露出しており、わずかに浮いた胸元からは、谷間がくっきりと覗いていた。装甲というより、戦闘用のビスチェに近い。
下半身には、わずかに腰を隠す程度のミニスカート型装甲。風が吹けば中が覗けるのでは、と思うほど短く、引き締まった太ももがほとんどむき出しになっていた。
脚は、膝上までのロングブーツ。ぴったりと張りつくような素材で、脚線美を強調している。
腕は長いロンググローブで指先まで覆われていたが、肩から肘にかけての滑らかな素肌が露出しており、そこから放たれる色香はまるで艶かしい蛇のようだった。
全体として、装甲というよりは、艶やかな衣装。
見せつけるための肉体、見せつけるための戦装――そう呼ぶべき姿だった。
そして最も異様だったのが、その顔だ。
右半分は赤鉄の仮面に覆われているものの、左半分は装甲の下からあらわになっていた。
紅の瞳が、そこにあった。
赤く光る左目は、獣のように鋭く、底知れぬ深さを湛えていた。
それは、見つめられた者の本能が、何かを見透かされ、奪われるような錯覚に陥ってしまうかのよう。
その左目の下には、艶やかな泣きぼくろが一粒。
冷たく、甘く、淫らに。
彼女は、美しかった。
そして、あまりにも危険だった。
赤の魔装騎兵は、手にした二本の剣を静かに交差させると、小さくつぶやいた。
「……花天月地」
その刹那、剣から闘気が音もなく溢れ出し、空気の層を震わせる。
二振りの刃は、まるで恋い焦がれ合う蝶のように、赤と金の残光をまとい、舞いはじめた。
ふわり、ひらり――戦場に似つかわしくないほどの優雅さで、彼女の周囲を旋回する。
赤の魔装騎兵は、一歩、一歩前へと進む。
蝶のような双剣が、彼女の腕に導かれるまま宙を舞う。
刃が閃くたびに人魔の群れがばらばらと崩れ落ち、赤き血が街の雑踏に舞い散った。
それはまるで、戦場に咲いた紅の花びら。
静かで、そして美しい――だが、間違いなく死の香りを放っていた。
彼女は微笑むでもなく、叫ぶでもなく、ただ無言のまま舞う。
蝶とともに、死を纏って。
赤の魔装騎兵――対応戦力等級70……それは騎士とほぼ同等の強さ。
首を刎ねられた人魔たちの胴から、凄まじい勢いで血が噴き上がった。
その血には、魔の生気が混じっている。
人の身でありながら、それを浴びた者は――いずれ人魔へと堕ちていく。
真紅の雨が、通りを逃げ惑う人々の頭上に容赦なく降り注ぐ。
人々の悲鳴にも、血に濡れた無垢な瞳にも、赤の魔装騎兵は目を向けない。
否――あえて目をそらしているのではない。
それは、まるで彼女にとって――血に濡れ、命の終わりを悟り始めた者たちの姿が、何よりも美しい景色であるかのようだった。
剣を振るうそのたびに、人魔の体が裂け、赤黒い魔血が天に舞い、人々へと降り注ぐ。
雨のように。花のように。呪いのように。
そのたびに悲鳴が上がり、叫び声が交差し、誰かが膝をつく。
彼女の口元に、微かに笑みが浮かんだ。
優しさの欠片もないその微笑は、むしろ――歓びに近かった。
赤く染まった街並み。
血に濡れ、希望を見失い始めた群衆の恐慌。
それは、彼女にとってこの上ない“完成された風景”のように映っていたのかもしれない。
赤の魔装騎兵は、ただ静かに剣を振るい続ける。
その手は優雅にして冷酷。
すべては予定調和。
あまりに無慈悲で、あまりに鮮やか。
そして、あまりに――歪んで美しい。
悲鳴、怒号、慟哭が錯綜する中、すでに全身を血に染めた女の一人が立ち尽くしていた。
もう、走る気力も残っていないのか。
それとも――自分が何に変わりゆくか、薄々気づいてしまったのか。
彼女の顔には、どこかぼんやりとした、諦めとも受け取れる笑みが浮かんでいた。
恐怖を通り越したその微笑は、静かで、あまりに儚く――
まるで、命の最後の熱をじわりと吐き出すかのようだった。
「危ない! ゼレズディーノ様!」
ほどセレスティーノに殴り飛ばされ、地面に倒れていたピンクのオッサンが、天から降り注ぐ魔血を見て咄嗟に立ち上がり、愛しの“彼”を守ろうと飛びついた。
我が身をとして、愛する人を守ろうとは健気ですね……
だが、その献身的な突進を、セレスティーノはあっさりとひらりとかわす。
それどころか、すぐそばにいた一人の女性に何の迷いもなく覆いかぶさったのだ。
そう、こちらもまた、その身で魔血を防ぎ、女を守ろうとした……ように見える。
健気ですね……というか、下心ありありですよね?
ていうかこの男、あの大パニックの中でも、今日お持ち帰りする女の目星をつけていたというのか?
いや違う! そんな余裕があるはずがない!
突然、地面に転がっていたあのピンクのオッサンが襲いかかってきたのだ。
あんなヤツに抱きつかれるくらいなら、もう!女であればだ誰でもいい!
とにかく、誰かにぴったりと張りついていれば、あのオッサンが入り込む隙はなくなるはずなのだ!
なぜなら、あのオッサンのキラキラお目めは、どう見てもプラトニックラブ100%!
そんな視線で抱きしめられるなど……想像しただけでゾッとする!
無関係の女を巻き込むようにして、セレスティーノはそのまま地面に倒れ込んだ。
すると、伏せた拍子に彼の唇が、女の唇を――奪っていた。
しかし、女もまんざらではない様子で、うっとりとした目でセレスティーノを見上げる。
そんな彼女の手を取り、セレスティーノは優雅に抱き起こした。
「今晩、一緒に食事でもどうかな」
「……はい❤」
その瞬間、セレスティーノの口元がピクリと震え、顔全体が引きつった。
あからさまに……そう、明確に“やっちまった”という絶望の色が滲み出ていた。
なぜなら……そこにいた女は、あの“年増の女郎”。
いや、“年増”どころではない。六十をとうに越えた、どう見てもおばあちゃんである。
イメージしてほしい。
きん魂(商標の関係で一部伏せております)に出てくる“お登勢さん”と、チューをキメたセレスティーノの姿を……。
それはもう……絶望……以外の何物でもなかった。
「くっ……」
一方、それを見つめるピンクのオッサンの口元が、悔しげにわなわなと震えていた。
ふっwww
勝ち誇ったように微笑む“お登勢さん”……その表情が、すべてを物語っている。
どうやら、勝負は……ついてしまったようだ。




