黒の魔装騎兵と赤の魔装騎兵(10)
剣を構え直したセレスティーノは、わざとらしく咳払いひとつ。
周囲に聞こえるような声量で、どこか言い訳めいた台詞を口にした。
「意外に素早いですね。もうすでに何人か召し上がった後ですか」
ちら、と女たちの方に視線を向ける。
というのも、女たちの手前、一振りでかっこよく片をつけて「きゃー素敵!」とか言わせたかったのだ。
それが、どうだ。
くちばしかわされたわ、毒液は顔にぶっかけられるわで、まるでマヌケな役回りじゃないか。
――かっこ悪い……これは……マジで……
――これは、私がミスったのでは決してない!
セレスティーノは心の中で必死に叫ぶ。
あの鶏蜘蛛が、たまたま人間を何人も食って、想定外のスピードを手に入れていただけなのだ。
そうでもなければ、この騎士セレスティーノ様が
――この私が! 空振りなど、するはずがないッ!……そうだ。そうに決まってる。うん、間違いない。
これは事故だ。交通事故みたいなものだ。避けようがなかった!
きっと、そうだ! そうなんだ! いや、それしかあり得ないんだぁぁぁ!
――なにがおかしい! 私は悪くない! 悪いのは魔物の方だーっ!!
そう心の中で叫びながら、微妙に肩が震えているセレスティーノ。
魔装装甲の仮面に覆われていてその表情を伺うことはできないが、きっとその下の表情は、とても面白いことになっていたことだろう。
それほどまでに、セレスティーノの自尊心は崩壊寸前であったのだwwww
――もう、許さぬ。たとえ相手がザコの魔物であろうと、容赦はせん。全力でもって、叩き潰す!
セレスティーノのこめかみに怒りの血管が浮かび上がる。
仮面の奥で燃え盛るのは、騎士の誇りを汚された男の烈火――その怒りの熱が、鎧の隙間から漏れ出すかのように空気を揺らす。
「限界突破ァァァ!!」
叫びと同時に、セレスティーノの全身から闘気が噴き出した。
それはもはや一つの爆発。闘志が、業火のごとく渦巻き、燃え、弾ける。
「我が奥義をもって……一刀に伏すッ!!」
その声は大気を裂き、大地を震わせる。
再び、鶏蜘蛛が空を裂いて飛びかかる。
セレスティーノは、剣をすっと前に構え、そっと目を閉じた。
次の瞬間――刀身の周囲に、白く淡い霧が静かに立ち昇りはじめる。
それはまるで、夜明け前の湖面を包む朝霧のように。
やがて、剣の周囲にゆっくりと渦を描きながら、霧が舞い踊り出す。
空気がぴたりと止まったような静寂の中、
微かな囁きのように、セレスティーノの声が響いた。
「――鏡花水月」
剣先に宿るその霧は、まるで幻を生むように広がり、
現実と夢の境をゆらりと溶かしていく。
だが、その言葉と同時――いや、それよりわずかに早く、鶏蜘蛛のくちばしがセレスティーノの胸を貫いていた。
刹那、勝利を確信したように、魔物はその体内に向けて毒液を叩きつける。
黒いしぶきが背から噴き出し、それが後方の石畳をじゅうじゅうと音を立てて溶かしていく。
決まった! ……はずだった。
……だが。
セレスティーノは、崩れない。
苦しむ気配もなく、ただ静かに、そこに立ち続けていた。
……いや、違う。何かがおかしい。
その体の輪郭が、わずかにゆらりと揺れた。
次の瞬間、まるで霧が朝日に溶けるように、静かに、優雅に、かき消えていく。
霧散する幻影。
目の前で、それは確かに「そこにいた」はずの人間が、影も形もなくなっていく。
呆然とする鶏蜘蛛の緑の瞳が、虚空をさまよう。
「お待たせ~♪」
どこか呑気で、さわやかすぎる声が響いた。
――は?
鶏蜘蛛は思わずそちらを見てしまう。
背中越し、いや――腹越しに。
ついさっきまで“胸を貫いたはず”のセレスティーノが、ちゃっかり女たちの方へと手を振りながら、すたこら走っていくではないか。
――うそやろ……
思わずそんな言葉が喉まで出かける。
幻覚のくせに、精度が高すぎたのだ。貫いた装甲の固さ、肉のつぶれた感触、しまいにはちょっとした体温までリアル。
そして次の瞬間、鶏蜘蛛はようやく気づいた。
自分がさっき、思いっきり「空気に向かって」毒液を吐いていたという事実に……。
そう、自らのくちばしが貫いたのは実体ではなかった。
ただの幻――否、「鏡花水月」の中に映し出された、形ある“虚像”だったのだ。
「ゼレスディーノざまぁ~!」
待ってましたと言わんばかりに、ピンクのオッサンが喜び勇んでセレスティーノに飛びつこうとした。
その瞬間。
セレスティーノの心はついに限界を迎えた!
「くたばれぇぇぇぇぇぇぇ! 魔物ぉぉぉぉぉぉぉお!」
セレスティーノの右ストレートがおっさんに顔面に
スパァァァンッ!
キレイに入ったwwww
今まで我慢に我慢を重ねてきた。
それが今、ついに解放されたのだ。
か・い・か・ん☆
キツネの仮面の奥では、きっとセレスティーノが恍惚の笑みを浮かべていたことだろう。
ちなみにこのとき、彼はまだ『魔装装甲(限界突破ずみ)』のままwww
ハイ!ココで問題ですwwwそんな強化状態の拳で人間の顔面を殴ったらどうなるでしょうか?
答え:頭がスイカみたいにパーン☆
その強化された破壊力は大きな岩をも簡単にブチぬくのだから!
「ブホォァ!!」
顔面の真ん中がつぶれたオッサンが吹き飛んでいく。
豪快な放物線を描きながらピンク色の物体が遠ざかっていく。
その様子を、女たちは目を点にして、ただ無言で見送っていた……
――終わった……
セレスティーノは確信していた。
この一撃で、すべてが終わったのだと。
なにせ、『魔装装甲(限界突破ずみ)』での拳撃。
並の人間なら、頭がスイカみたいにパーン☆である。
だが……
セレスティーノの背筋に、ぞくりとした違和感が走る。
――なんだ、この違和感は……
まさか、……恋!?
――んなわけあるかーい!! 誰がオッサンにときめくかぁぁぁ!! って、しつこいんだよ!
脳内で自分にツッコミを入れながら、セレスティーノは不安の原因を突き止めるべく、
放物線の着地点――落下したピンクのオッサンのもとへと、そっと駆け寄っていくのだった。
石畳の上に転がるピンクのオッサンは、まるで車に引かれた犬のようだった。
片目は半開き、口からは泡と血を垂らし、体は見事なまでに脱力。
ピンクのドレスが血に染まり、哀れさに拍車をかけている。
女たちは、思わず息を呑んで立ちすくんだ。
「……え……死んだ?」
「うそでしょ……」
「ていうか……頭、さっきより低くなってない?」
誰もが言葉を失い、黙ってその姿を見つめる。
まるで、そこだけ時間が止まったようだった。
一人の少女が、目を覆い、震える声でつぶやいた。
「……さっきまで、うざかったのに……なんか……かわいそう……」
別の者は顔をそむけてゲロまで吐き出すしまつ。
「無理……ムリムリ……もう、見たくない……」
セレスティーノは、女たちをこれ以上怖がらせぬよう、静かに開血解放を解除すると、そっとその輪の中へと歩を進めた。
――確実にヤツは仕留めた!
そんな確信があるのか、セレスティーノの口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
だが――状況は最悪だった。
周囲を囲む女たちの目が、完全にドン引きなのだ……
この状況……ピンクのドレスを着た血まみれのオッサンと、その横に立つイケメン騎士……
どう見ても、“何の罪もない善良な民草を、(イケメン)騎士が一撃でぶち殺した”絵面にしか見えない。
というか、事実、そうなのだが……
――まずい……まずいぞこれは……!
セレスティーノは心の中で叫んだ。
イケメンアイドルとして名を馳せている以上、快楽殺人者の汚名をかぶるのはよろしくはない。
そんなことにでもなれば、女たちの目が「きゃー♡」から「きゃ……(ドン引き)」へと切り替わってしまう。
これは非常にまずい! マズすぎる!
となれば……街でのナンパ成功率が目に見えて低下する。
――やばい! やばい! やばい!
おそらく先ほど感じた不安の原正体はこれだったに違いない。
ということで、頭脳明晰(自称)イケメンアイドルのセレスティーノは、この難局を乗り越えるための最適解を即座に考え出した。
そう、紳士ムーブである。
「すみません。大丈夫ですか? つい魔物と間違えてしまいました」
……おい、ちょっと待て。
つい魔物と間違えたって、どの口が言っとんじゃ。
殴られたのは確かにピンクのドレスを着たオッサンだが、どこからどう見ても魔物ではない。
いや、目を細めて超絶ポジティブに見れば、「色味的には魔物っぽいかも……?」と思わなくもないが、
だからって開血解放パンチをブチ込んでいい理由にはならん。
しかもこれ、見方によっては「お前ブス殴ったろ」みたいな発言にも聞こえる!
ダメ! 絶対ダメ!! セレスティーノ、お前アイドル枠だろ!?
だが――当の本人は、やりきった感MAXで、めちゃくちゃ爽やかな顔している。
おそらく脳内BGMは「勝利のファンファーレ」で満たされている。
……というかね、そもそもこの状況、どう見ても騎士が民間人殴り殺してる図なのよ。
それを「大丈夫ですか?」って、いや……“お前が言うな”案件だよ!!
――これでどうや!
セレスティーノは、どや顔で周囲を見回した。
「魔物と間違えました♡」という、さりげないフォローも添えて、イケメンムーブはバッチリ決まった。
はずだった。いや、決まったと本人は思っていた。
だが――女たちの反応は、驚くほど静かだった。
「………………(冷たい目)」
――あれ?
拍手喝采も、黄色い悲鳴も、きゃー♡も……こない。
むしろ、「え、なにあの人……」「ちょっと怖……」という空気。
距離もなぜかじりじりと開いている。
――え? おかしくない?
セレスティーノは内心焦っていた。
これだけ完璧に決めてるのに、どうしてイケメンポイントが上がらない!?
それどころか――下がってる!? まさかの減点モード!?
――あのオッサン、そんなに日頃の行いよかったのか? 炊き出し常連とかなのか?
いや、単にセレスティーノ、あんたの徳が低かっただけじゃね?




