黒の魔装騎兵と赤の魔装騎兵(9)
気を取り直したセレスティーノは、鶏蜘蛛をにらみつけると八つ当たりをかます。
「お前、少しは空気を読めよ!」
鶏蜘蛛はとぼけた表情で首を傾げた。
コケ?
――コイツまで、私のことをバカにするのか……
いや違う……知性を持つ魔人と違って、魔物は人の言葉なんか理解できないはず……
セレスティーノは、額を右手で押さえ、しまったという表情を覗かせた。
「私が悪かった。ゴキブリのお前に頼むとは……私がどうかしていたのだ」
ゴキブリと言われたことがカチンときたのか。
鶏蜘蛛の緑の目がプルプルと震え、八本の足にまたギュッと力が入る。
うん、そだねぇ~
アシダカグモは、ゴキブリを食べてくれる益虫だもんねぇ~
一緒にされたら、そりゃ怒るわなぁ~
って、お前、言葉わかってるじゃん!
そう、魔物は人間の“脳”を食べれば食べるほど知能を得て、魔人へと進化する。
しかも、脳に蓄えられていた記憶まで部分的に受け継いじゃうというおまけ付き。
この鶏蜘蛛、この街に来てからどれだけの人間の頭を食ったのだろう。
街中に転がる首なし死体の数を見れば、だいたいの想像はつく。
セレスティーノは、静かにベルト脇のスイッチに指を添えた。
そして、低く呟く。
「開血解放!」
ピンッ!
弾かれたスイッチと同時に――
キュィィィィィーーーーンッ!
スマホを二段重ねにしたほどの黒いユニットが、ベルトの両サイドで空気を震わせるような鋭い起動音を響かせた!
ユニットから、黒い影がにじみ出る――
それは生き物のようにセレスティーノの体表を流れ、先ほどまでのゆるみきった表情がまるで嘘であるかのようなセレスティーノの輪郭すら滑るように塗り潰していった。
いまや、その体すべてがその黒い影によって覆われる。
影は瞬く間に全身へと広がり、彼の体を黒く、冷たく包み込む。
「神経接続!」
ユニットにセットされたタンクの中から魔血が黒き影へと大量に注がれていく!
ゴオオオッ!
体のあちこちから白い水蒸気が噴き上がる!
魔血による急激な反応は、彼の肉体そのものを変貌させ、
その表面を硬質の装甲へと変えていく!
漆黒のボディが熱をはらみながら、異様な光を放ち始めた――。
そこに立っていたのは、もはやセレスティーノではなかった。
その姿は、ヨークと同じく全身を黒き『魔装装甲』で覆われた戦士――
黒鋼の仮面に鋭い眼光を宿す、『魔装騎兵』だった。
ただし、その風貌はヨークの“虎”とは異なる。
セレスティーノの仮面は、細く尖った口元と切れ長の目を持つ“狐”。
だがその目は、ただの狡猾さではない。
油断なく獲物を狙い、瞬時に喉笛を噛み裂く狩人のそれだった。
魔装装甲――それは「第五世代融合加工技術」によって生み出された、最新の人体強化技術である。
従来、第一世代においては、魔物の組織と無機物との融合を主体としていた(※タカトや権蔵の使用する技術がこれに該当する)。しかし、第五世代では、魔物の組織と人間の生体組織とを直接結合させることで、適合者自身の身体能力と戦闘能力を飛躍的に高める。
この融合加工を施された適合者は魔装騎兵と呼ばれ、対魔人戦において極めて高い有効性を持つ存在として、各都市国家の軍事力の中核を成していた。
セレスティーノは腰部のユニットから、空となった魔血タンクを静かに取り外した。
カラカラ……石畳の上を、使い果たされたタンクが乾いた音を立てて転がっていく。
そして、迷いなく新たなタンクを装填する。
そう、第五世代の魔装装甲――においては、人血ではなく“魔血”――すなわち、魔物の生体血液がエネルギー媒体として用いられる。
本来、忌避される魔の生気を含むその血を戦術的に制御可能にしたのは、第四世代の研究により開発された魔血ユニットの存在によるものだった。
このユニットにより、魔血は安定供給され、適合者の肉体は劇的な変質と戦闘能力の向上を得る。
だが、その代償は大きい。
魔血タンクが枯渇すれば、ユニットは適合者自身の人血を代用資源として取り込もうとする。
そしてその際、魔物由来の組織は抑制を失い、体内に“魔の生気”を直接注ぎ込むのだ。
それはすなわち――人魔化の兆候である。
制御を失えば、適合者は戦士ではなく、”魔”となる。
引き絞られた鶏蜘蛛の巨体が、一閃のごとくセレスティーノの頭部めがけて跳躍する。
風を切る音とともに、鋭利なくちばしが狙いすました一撃となって突き出された。
だが――その刹那。
セレスティーノは動じることなく、一閃の軌道を予見し、手にした銀刃を軽く傾けた。
金属音すら立てず、剣の面に沿って滑らされたくちばしは、まるで拍子抜けするほどあっけなく軌道を逸らされる。
しかし、その一瞬の接近を、鶏蜘蛛は見逃さなかった。
くちばしを開き、セレスティーノの顔面に向けて毒液を噴射する。
粘性を帯びた深緑の液体が鋭く飛び、空気を焦がすような異臭が一瞬にして周囲に広がった。
シューーーという不快な音とともに、セレスティーノの仮面から白煙が立ち上がる。
だが、彼の声は静かに、冷たく響いた。
「残念ですね。私には効ませんよ」
言葉が終わると同時に、細身の剣が風を切り、半月を描くように閃いた。
鋭く正確なその軌道は、鶏蜘蛛の胸元を狙って一直線に迫る。
だが、鶏蜘蛛は咄嗟に体を翻し、アソコの穴から強烈な勢いで糸を射出した。
その糸は後方の瓦礫に突き刺さると、反動のように自身の巨体を一気に引き戻す。
剣閃はわずかに空を切り、鶏蜘蛛はギリギリの距離を保って着地した。
獣とも虫ともつかぬ八本の足が、地を這うように再び構えを取る。




