タカトの心(5)
森の緑が落とす影が、デコボコのあぜ道に揺らめく光のさざ波を描いていた。
きらきらと踊るその光の中、道端に生えた草を、年老いた馬がのんびりと噛みしめている。
その背には、使い込まれた荷台がひとつ。
擦り切れ、傷み、今にも崩れそうなその荷台もまた、馬と同じく、長い時を越えてきたものだった。
時刻はそう、とある研究所の窓から黒いセーラ服の女子高生が登校限界点ギリギリにオイモパンを咥えながらバタバタと飛び出す頃。
権蔵の道具屋は、今朝も配達の準備で慌ただしい。
そんな中、店の入り口からビン子が、自分の頭よりも大きなオイルパンを抱えてヨタヨタと姿を現した。
歩くたびに、きゅっと縛った黒髪が馬のしっぽのように、右へ左へと揺れている。
荷馬車までの一本道。
でこぼこしたあぜ道に足を取られながらも、なんとかたどり着くと、息つく間もなくくるりと向きを変えて、次の荷物のもとへと駆け戻っていった。
それにひきかえ、タカト君ときたら……
店の中で、いかにも「手伝ってますよ」風な顔をしながら、軽そうな荷物ばかりを探し回っている。
あっちの箱を持ち上げては「うーん、これは無理だな」とか、そっちの袋を振ってみて「おっと、中身がこぼれそう」とか、そんな言い訳めいた独り言ばかり。
そのくせ、顔だけは真剣で、まるで「俺は頑張ってる」って看板を背負って歩いてるみたいだ。
――そういうの、ずるいよ……
とビン子は思う。
でも、そんなタカトに「ちゃんとやりなよ」と言う気には、どうしてもなれなかった。
だって、タカトは昔から、そういうやつなのだ。
そしてついに、タカトの顔に“してやったり”の笑みが浮かんだ。
どうやら、山積みの荷物の奥に、小さな革袋を見つけ出したらしい。
他の袋とは明らかに違う、やけに高級そうな風合い。大切そうに置かれていたその袋は、どう見ても特注品だった。
タカトは目を細めて中をのぞき込む。
中には、ぎっしりと詰まった白い粉。
それはキラキラと光を反射し、妙に神々しくすら見えた。
「……絶対、わざと軽いの探してただけでしょ」
ビン子は思わず眉をひそめた。
興奮を抑えきれないタカトは、袋を手に店の外へ飛び出した。
「じいちゃん、じいちゃん、これすごいな。命の石の粉末だろ」
ちょうど荷物を運んでいた権蔵を呼び止め、声を弾ませる。
一見、ちゃらんぽらんに見えるタカトだったが、その目は真剣だった。
袋の中をひと目見るなり、それが命の石の粉末だと即座に見抜いたのだ。
見た目とは裏腹に、道具屋としての知識と嗅覚は確かなのである。
それも当然だった。
タカトには、いつか権蔵の店を継ぎたいという夢があった。
融合加工の基礎から応用まで……権蔵に教わる時間は、彼にとって何より楽しいひととき。
その情熱の賜物として、タカトは自分でも第一世代の融合道具をせっせと作っていた。
……ただし、その道具の方向性が、どうにもこうにもアホだった。
いや、ビン子が言うように、少々どころかかなりアホなのだ。
権蔵が肩に担いだ武具を荷馬車に積み込むと、ボロい車体がギシギシと低いうなり声をあげた。
まるで「重いわい」とでも言いたげな悲鳴である。
「あぁ、それは『エメラルダ』様からの依頼品じゃわい」
汗をぬぐいながら、権蔵がぼそっと言った。
エメラルダ――それは第六の騎士の門を守護する、美しくも苛烈な女騎士の名である。
「第六」とあるように、融合国内には第一から第八まで、八つの騎士の門が存在しており、それぞれの門のどこかに“大門”を開く鍵――「キーストーン」が隠されている。
そして、そのキーストーンを守るのが、各門に配置された八人の守護騎士たちなのだ。
エメラルダは、その中でもひときわ異彩を放っていた。
氷のように白い肌、整った顔立ち、金髪の長い髪――その美しさは一目で見る者を黙らせるほどだが、彼女の真価は見た目などではない。
融合国内において、彼女は間違いなく最強クラスの一人だった。
単体攻撃ならば、第七の騎士・一之祐の方が優れていると評される。
だが、敵の大軍を薙ぎ払うような“全体攻撃”において、エメラルダの右に出る者はいない。
いまだタカトは仕事そっちのけで、袋の中を食い入るように覗き込んでいた。
「じいちゃん! すげぇな! あの硬い命の石を、ここまで粉にしたのかよ!」
権蔵は荷馬車の縁にどっかり腰を下ろすと、肩を軽くすくめて答えた。
「まあな。時間はかかったが……なかなかの出来じゃろ?」
命の石は、非常に硬い。
分かりやすく言えば──そう、ダイヤモンド並の硬度を誇る代物だ。
ゆえに、道具へと加工するには途方もない手間がかかる。
普通の職人であれば、ただ砕いて形を整えるだけでも数日を要するという。
ましてや、それを粉末状にまですり潰すとなれば──気の遠くなるような作業だ。
しかも、命の石はとびきりの高級品である。
たとえ小さな革袋ひとつ分でも、それだけの量があれば、その価値は計り知れない。
そうなれば、魔が差す者が現れても、なんら不思議ではない。
だが、そんな高価な素材を任せられるほどに、権蔵という男には信頼があった。
たとえ、今は駐屯地の最前線を退いた身であったとしても、その信用だけは、決して揺るがぬものだった。
その労力の大きさを知っているからこそ……タカトは、目の前の粉末に心を躍らせずにはいられなかった。
「なぁ! じいちゃん、じいちゃん!」
子どものように身を乗り出しながら、タカトは声を弾ませる。
「ここまで細かく砕けば……人間でも、『生気』の吸収ができるんじゃないのか?」
『生気』──それは、すべての命の源である。
逆に言えば、その生気が尽きれば、死が訪れるということでもあった。
ゆえに、生気に満ちた身体は、病を退け、傷を癒やす。
命の石とは、そんな生気が凝縮された、まさに命そのものの結晶体なのだ。
「そうよな。三流の調合士でも、余裕で高級傷薬ぐらいは作れるじゃろうな」
タカトの興奮に、権蔵は顔をほころばせた。
嬉しさを隠すでもなく、ゆったりと足を組み、荷馬車の柵に肘をかけながら、懐から取り出したタバコに火をつける。
「まぁ、それを超一流のエメラルダ様が手がけたのなら――」
煙をふっと空に吐き出しながら、権蔵は豪快に笑った。
「超・超・超高級傷薬でもお釣りが来るわい! ワハハハハッ!」
傷薬は、身体の表面の傷には非常によく効く。
傷口から命の石に含まれる生気が吸収され、患部に活力をもたらし、回復を促すのだ。
だが、それもあくまで皮膚の浅いところまで――身体の深部にまで届く力は、ほとんどなかった。
しかし、エメラルダが調合した傷薬は別格だった。
常の薬では癒せぬ深い傷をも、あっさりと癒してしまうほどの効力を秘めていた。
その評判は広まり、各地の騎士の門から、ひっきりなしに注文が舞い込んできたほどである。
だが、それでも治せるのは“肉体の傷”だけだった。
そう、生気そのものが尽きた者――その命は、もう戻らない。
いかに強力な傷薬であろうと、生気の枯渇には無力なのだ。
そもそも、人間や魔物といった生き物にとって、外から生気を直接取り入れるのは、極めて困難なことだった。
命の石がいくら生気の塊であろうとも、それを砕いて飲んだところで、生気が体に満ちることはない。
どんなに純度が高くても、吸収できなければ意味がないのだ。




