13話 絶望的状況
正体不明のモデルの襲撃により古城舞奈を奪われた俺達は、安全じゃないセーフハウスを脱出した。無人タクシーにずぶ濡れの体を押し込み、沙耶香のマンションに逃げ込んだ。
ベッドに寝かされた俺は沙耶香から背中と腕の手当てを受ける。
ここにも襲撃が来るのではないかという不安。背中と両腕の痛み。女の子のベッドにいる感動など欠片もない。彼女とこういうシチュエーションは二度目だが、どちらもダメージ回復。むしろトラウマになりかねない。
何とか体を起こした俺は用意してもらったグラスの水を飲む。ルルからの【リンク】がその時繋がった。俺達は例の部屋に移った。
◇ ◇
「辛うじて君たちの痕跡は消した。沙耶香の部屋は現時点でマークされていない」
ルルの言葉にほっとして力が抜けた。後ろから支えてもらっていた関係で、彼女の体に受け止められる。感じるのは当然背中の痛みである。
「古城さんはどうなりましたか」
「古城舞奈の現在位置はXomeの地下だ」
俺を支えたまま聞いた沙耶香。ルルの答えに体がこわばったのが分かる。
数日前に潜入した建物の立体模型がホログラムに出現する。コグニトーム上には載っていない地下室に古城舞奈の痕跡が繋がっている。
建物にはほかに二つの特別なIDが表示されている。一つは三階にいる八須長司《モデル1》のもの。そしてもう一つ、地下にあるのはあの筋肉ダルマ《モデル2》のものだ。同時に、作業着姿で人間が入りそうな箱をもって一階のエレベーターに入る映像が再生された。カメラに映った顔を見ただけで体に恐怖が蘇る。
「あいつは何者だ。どうやってルルの監視を突破したんだ?」
「君たちを襲撃したのはどうやら軍団のモデルのようなんだ」
数行の情報が追加される。あいつはブラウディオ・ノゲイラというスペイン国籍の三十八歳。
職業は観光ガイド。だが、ガイドとしての活動軌跡の全てがアフリカや中央アジアに残る紛争地帯だ。そして前職は軍人だ。アフリカにあるスペインの飛び地メリーリャ勤務の優秀な下士官だったが、情報漏洩の疑いで除隊された記録が“消された”跡がある。
あのヤバい雰囲気も納得だ。ガイドが偽装身分で実質現役兵士、いやDPCを考えればそれ以上だ。
「予想外のが現れた理由は分かった。だが、シンジケート同士はやり合ってるんじゃなかったのか?
なんでこの二人は仲良く同じ建物にいる」
「『財団』『軍団』『教団』は三つ巴だからね。一番優位な教団に対して残り二つが共闘する場合はこれまでもわずかだが確認されている。モデルレベルの共闘ならメンバー同士の戦いを禁じたルールにも制約されない」
話が違うと文句を言いたいところだが、今はそれよりも先に決めることを決めないといけない。
「つまり敵の拠点に二体のモデル。しかも一体は拠点防衛に特化。もう一体は高い戦闘能力を持つバリバリの武闘派。…………無理だな」
俺は結論を口にした。ルルが頷く。リスクが高いとかいう問題ですらない。見事なまでに絶望的なおかげで、考える必要もない。この情報を聞いた後では今自分が生きていることが幸運ロールの成功にすら思える。
「一応沙耶香の意見も聞いておこう」
「………………方法が思いつきません」
沙耶香が苦しげな声で言った。俺の背中にある手が震えている。これまで彼女は友人を心配し、だが感情に引っ張られることなく現実的に可能な手段を必死で模索してきた。その彼女すらあきらめざるを得ないくらい状況が厳しいということだ。
今回のセッションで、情報収集と探索に関してTrINTは最高に近いプレイをしたと思う。だが、事態が科学や諜報の領域じゃなくて。戦いとなれば、圧倒的に武力が足りない。
「では、全員一致でシナリオ終了ということでいいね」
ルルが言うとそのまま手を上げる。沙耶香も震える手を上げた。俺も続こうとした。だが、俺の腕は引きつったように途中で止まった。傷の痛みではない、まるで自分の右腕を自分の左手で抑えるような感覚。
TRPGをしているとこういうことはたまにあった。僕と俺が何か決定的に齟齬を生じた場合だ。そしてそれは大体、間違った判断をしようとした場合に起こる。
だが、今回は間違いも何もない。選択の余地はないのだ。もちろん、好きで見捨てるわけじゃない。だが、僕達は舞奈を守るために最大限の努力はしたといっていい。それで届かなかったのなら仕方がないだろう。
どうしたんだい、という表情のルル。どこか期待するような目の沙耶香。俺は構わずもう一度手を上げようとして、腕の痛みがあの時の光景を再生した。
点滅する廊下のライトの下を猛然と迫るモデル。あの時、古城舞奈はどう行動した? それを思い出した時に、口が自然に動いた。
「彼女を見捨てることはできない」
密偵としての至極真っ当な判断を、俺自身の意思が否定する。
「理由は? 言っておくけど全会一致のルールは君の提案だよ」
「ああ。だがシナリオの重要な決断はプレイヤーに委ねるというルールもあったはずだ。そして、今回はこの二つは一致する」
「……論理的に理解しがたいことを言う」
言いくるめられるつもりはない、そういうルルの視線。
「そうでもないさ。全会一致のルールは俺達が一蓮托生であることを示すためだ。逆に言えば、この中の誰かを助けようとしてくれた人間には、俺達全員が借りがあることになる。そしてあの時、古城舞奈は沙耶香を守ろうとした」
前に立っただけで逆らっては駄目だとわかったあのモデル。俺の場合はもう避けられない距離だった、つまり間抜けだったというだけ。実際、何もできずに吹き飛ばされた。だが、彼女はどうだ。あの怪物に向かって拳を突き出していた。
俺以上の間抜けにはあり得ない行動だ。彼女は勝てないと解っていても友人の為に動いたのだ。主人公が無様に地面に沈んでいるとき、NPCがヒロインを守ろうとして捕まった。
あれはそういうシーンなのだ。
もともとの目標が舞奈だった?それはそうだ。だが、そんなのはこちらの話。ニューロトリオンやディープフォトンという異能持ちの世界の都合だ。彼女にとってはそうではない。
シナリオ上に起こったことに責任があるのは俺達だ。セッションが終われば消える幻想ではなく、その後も続く現実ならなおさらだ。「だから見捨てられない」改めてそう言った。
肩に置かれた沙耶香の手に力が入った。響くのでもう少しお手柔らかに頼む。
「強引すぎる理屈だね。でも、勝機ゼロならどちらにしても助けられないよ」
「いや、ゼロじゃない」
勝機はゼロじゃない。わずかだが存在する。もっとも今の俺の正気度はゼロかもしれないけどな。それくらい無茶苦茶な作戦だ。
「まず、今回のことで俺のレベルは上がっているはずだ」
キャラクターシートの経験値を示した。数値は確かに次のレベルの水準を越えている。
「それでも敵のモデルは単体で君を上回る」
「装備が用意できると言ったよな。ニューロトリオンは基本ディープフォトンよりも強い。しかも、向こうにとっては予想外の武器ということになる。少なくとも一回目は」
「最大限見積もって一体に勝てるかどうかだろうね」
「そうだな。なら後の問題は一つだ。武器を二つ用意できないか。その一つを……」
俺は考えを口にした。今回の俺は捕らわれのお姫様を助けに行くんじゃない。成算はゼロではない、隣の部屋で俺は確かに見たのだ。
「なるほど一応は計算は成り立つね。だが戦いの後はどうする」
「例えば今回の事件、舞奈への警察からの要請、これは偽装されているだろう。だけど、わかる人間にとっては傷が見えるんじゃないか。少なくともルルの力があれば」
「不自然さを示す程度なら確かに不可能じゃない。それでも分かる人間なんてごく限られているよ。そんな人間がいたとしてどうしてボク達の為に動く?」
「俺達の為に動いてもらう必要はない。俺が言っている人物とは古城晃洋、古城舞奈の父親だよ。彼は国防隊のインテリジェンスの幹部だ」
「…………この人物か」
ルルが目を閉じた。古城舞奈に少し面影が似た精悍な男がホログラムに表示された。
「うまくすれば俺達はコグニトームから独立した唯一に近い存在に個人的なコネと貸しが作れる。
孤立無援の俺達にとってはかなり大きなメリットじゃないか」
そう付け加える。ルルがポンポンと自分の頭を叩いた。
「……参ったね。いいだろう今回のシナリオも君のものだ。サヤカもいいね」
「はい。……ありがとうございます。白野さん」
沙耶香が後ろから俺に抱き着いた。ちょっと加減して欲しい。背中が痛いんだ。
2022年5月18日:
次の投稿は5月21日(土)です。




