表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【旧版】深層世界のルールブック ~現実でTRPGは無理げーでは?  作者: のらふくろう
セッション2 『三毛猫を探せ』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/55

9話 潜入Ⅰ ゲノムを読む機械の目 (2/2)

 モニターに四色の無数の光点を表示する白く冷たい筐体が目の前にある。DNA配列を解読するための装置だ。満天の星空を映した天体写真の如き画像は、丁度30秒ごとに更新されている。


 更新ごとと光点の位置は変わらず、その色だけが変化しているのが分かる。ある点は赤から青へ、ある点は黄色から赤へ、そしてある点は赤から赤。沙耶香から事前に教えられた知識を思い出す。なるほど、やってることは確かに画像解析にしか見えない。


 DNAはATCGの四種類の塩基が繋がった分子だ。四種類の文字でつづられた文章が並ぶ30億文字の本だ。本を読むような直線的なイメージと、膨大な数の光点を映す平面画像は一致しない。


 だが、この膨大な光点こそ、DNA配列を現す測定結果なのだ。沙耶香のレクチャーを俺なりにかみ砕くと、この機械はDNA合成装置とカメラ、そして画像解析用コンピュータがくっ付いたものだ。


 モニターに映る光点一つ一つが一本のDNA断片に対応し、赤、青、緑、黄の四色はそれぞれA、T、G、Cの塩基を現している。


 その原理はこうだ。まず血球細胞から取りだされたゲノムDNAは、1000塩基程度になるようにランダムに裁断される。その大量のDNA断片をこの機械のシリコン板の上に溶液と共に流す。シリコン版にはDNA断片の端がくっ付くような化学処理がされており、大量のDNA断片がシリコン上にランダムに並ぶ。


 海中のワカメのように、板の上にDNAの断片がバラバラに生えているイメージだ。その数はスライドグラス程度の範囲に約百万本。ちなみに場所はランダムだ。


 くっついたDNA断片はブリッジPCRという特殊なDNA合成により、最初の断片の周囲に百倍に増幅される。それが終わったら、熱で片方の鎖を引きはがす。ここまでが読み取り前の準備だ。


 実際の解読は、その片側だけになった断片に対して、Aに対してT、Cに対してGという具合に相補的な塩基を一文字づつ合成していく。この合成時に材料として添加される塩基は種類ごとに赤、青、緑、黄の蛍光色素が付けられている。あとは反応一サイクル毎にレーザーで取り込まれた蛍光色素を励起して、発生した蛍光を写真撮影していく。


 例えば解析対象がATGCというDNAの配列を持っていたとすると、それに対応する鎖をT→A→C→Gと一文字ごとに合成していく。合成で取り込まれる塩基はAが赤、Tが青、Gが緑、Cが黄の蛍光が付けられているので、一つの光点が反応毎に、青《T》、赤《A》、黄《C》、緑《G》と光を変えていく。


 ちなみに反応一サイクル毎に30秒かかるから、一分間に一つのDNA断片から二文字読める。人間の全ゲノムは30億塩基(もじ)なので全部読むには2,500万時間かかる。約一万日だ。


 だが、それは光点が一つの場合だ。実際の測定は、シリコンプレート上の百万の断片に対して、同時並行で行われる。何しろ、やってることは写真撮影だ。百万個の断片が規則正しく並ぶ必要も、区切る必要もない。コンピュータの計算能力なら百万個の光点一つ一つの位置と色を記録していくなど造作もない。


 結果、この機械の解読能力は百万個のDNA断片から30秒ごとに一文字、つまり一分間に200万文字に跳ね上がる。30億塩基対(ヒトゲノム)は理論上2.5時間で解読が終わる。


 もちろんこれは理論値だ。実際には一つのDNA断片当たり読める文字数は500が限界。断片はランダムなので、ゲノムの全ての文字を順番に読んでいくのではなく、部分的な配列の集合になる。断片がシリコン上に着く位置はランダムなので、時には二つの断片が重なってしまうこともある。また、合成反応が上手くいかない断片も生じる。


 だが、百万個のDNA断片を同時に解読するという圧倒的なスピードがすべてを解決する。極端な話、30億塩基対を十倍の量、300億塩基対に相当するだけ読んでも一日程度で終わる。


 例えれば十万文字の本を読むのに、同じ本を十冊買ってからそれを1000文字ごとの断片に裁断する。断片を写真撮影して、断片毎に文字認識を走らせて500文字をテキスト化する。あとは、そのテキストをコンピュータの計算で再配置、元の正しい10万文字を再構成するという話だ。


 ちなみにこのDNAの配列の解読方法自体は、その発見時と原理的には変わらないらしい。ただ、当時はバスタオル大のゲルを使って、一度に10程度の断片を読んでいたのが、今やスライドグラス程度の大きさで百万だ。


 最初にヒトゲノムを解読した時は12年の時間と30億ドルの費用が掛かった国家事業だった。それが今や一日で終わり、費用は数万円だ。それも殆どが特許や手続きの費用だ。これだけの速度と費用で済むなら、まずとにかくゲノムを読み取ってその後に何が書いてあるのか解析するというアプローチが成立する。


 あるいは、病原菌に突然変異が生じたら、その日のうちにゲノム全体のどこが変わったのかが分かる。「最近の生物学はビックデータ解析そのものなんです」と苦笑した沙耶香が思い浮かぶ。


 おっと、科学の力に圧倒されている場合ではない。俺はあくまで密偵。必要なのは装置の原理ではなく、それが生み出すデータだ。機械の横にあるコンピュータに近づく。ルルから受け取ったコードが収まったチップを、端子に差す。


『データの入手成功。サヤカと一緒に解析に掛る』


 画面に黄色い狐のロゴが浮かんだ。同時にルルの声が聞こえる。


 現時点で俺達に分かっている情報は以下だ。


――財団が百人以上の女子高生から血液サンプルを集めていること。その選別が『Xp21.3』『3q28.4』『12q14.2』という三つの染色体上の位置を現す、で行われる――


『どうやらデータベース化されているようだ。個人ID毎に三つのDNA配列のデータ。配列①は約20kbp、②は5kbp、③は3kbpのDNA配列だ。最後の一つはおそらくはスコアだろう。ちなみにデータセットの数は54。IDは全員が女子学生のもの。財団が集めていた被験者の後半の数と一致する』


『分析を引き継ぎます。ヒトゲノムのデーターベースから、保存されている配列を特定します。配列①はX染色体、短腕、21.3と判明。②、③についても3番染色体、12番染色体のDNA配列です』


 沙耶香の声と同時に、視野に二十三本の棒が並ぶ。脚本室のホログラムディスプレーが転送されているのだ。


 常染色体が二十二本に加え性染色体が一本。人間はほぼ全ての細胞にこれをセットで持つ。染色体番号は染色体の長さの順番で1番染色体が一番長く、22番染色体が一番短い。例外は最後にあるX染色体だ。


 視界に映る23本の棒の中で、三カ所が光っている。位置を表す記号は『Xp21.3』『3q28.4』『12q14.2』。完全に一致だ。俺達は財団のプロジェクト拠点からデータを入手したのだ。


(データさえあれば短時間で解析できるんだったよな)


 俺は上の階のモデルの動きを見ながら聞く。こちらに気が付いたと思われる動きはない。相変わらず三階のある部屋と自分の部屋を定期的に巡回しているだけだ。


 逆に言えば、モデルにとって大事なデータがそちらにあるとも考えられる。行われているプロジェクトが一つとは限らないが、確認はしておきたい。繰り返しの潜入なんて悪夢だ。


『可能です。まず配列①ですがこれはX染色体上のある遺伝子を中心にして読まれています』


 二十三本の染色体の最後、その短い腕の一部が拡大表示された。単線鉄道の駅のように遺伝子が並ぶ。人間の標準ゲノム配列という線路の中にある個人の配列①が重なる。個人間のDNAの変異は1000塩基に一つ程度らしいので、99.9パーセントは一致する。財団が注目しているDNA領域は文字単位でわかるということだ。


 色が変わった線路ゲノムにある駅《gene》は『stu2321』という名前の一つだけだ。


『stu2321はヒトゲノムデータベースにはありません。おそらく財団の独自記号コードネームです。ですが配列が分かればこれまでこの配列に対して行われた研究は分かります。ほとんどありませんね。…………分かりました、DNA配列上は遺伝子としての構造を持っていても、実際には働いていない。偽遺伝子シュードジーンと言われるものです』

(そんな無駄なものがあるのか?)

『偽遺伝子はゲノム全体で数千以上存在します。つまり、これを選んだ理由があるはずです。stu2321が転写、翻訳されたらどんなタンパク質になるか調べてみます……』


 沙耶香がデータベースに配列を読み込む。なるほどとルルが言った。どうしたんだ?


『この遺伝子はあのVoltの中央部、NSDと似たタンパク質をコードしています。相同性ホモロジーは71パーセントです』


 つまり財団が調べていたのは人間のゲノムの中に埋もれていたNSDに似た遺伝子というわけか。大あたりだろう。だが、ならば残りの二つの配列は何だ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 難しくし過ぎて面白くない、専門知識を知りたいわけじゃない
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ