7話 脚本会議 (1/2)
「ボクはこの件をシナリオ化したいと思っている」
「僕は今回の件に関わることに賛成できない」
正方形のテーブルをはさんでルル《RM》と僕の視線がぶつかった。
「僕達は圧倒的に弱い。不用意に動いて見つかったら終わりだ」
「確かに存在の秘匿は重要だ。同時に弱いからこそ一刻も早く強化する必要がある。【ルールブック】のアップデートと君のキャラクターレベル上昇だ。その為にはリスクを取る必要がある」
「そのリスクを取れる体制になっていないと思う。僕はシンジケートとの戦いは諜報戦と捉えている。僕たち三人はまだそのチームとして機能していない」
「情報戦であることには異論はないよ。実はこの部屋はそのために作ったんだ。でも、シナリオが始まる前のそれはボクの役目じゃないかな」
ルルが両手を広げる。正方形のテーブルにホログラムスクリーンが立ち上がった。そこにはおそらく今回の案件に関わるインビジブル・アイズの情報が流れている。大したSIGINTだ。でもシンジケートを相手にするには心もとない。
「ルルがTRPG的なGMならそれでもいい。だけどRoDは現実世界で、相手は情報収集と監視という意味で強大だ。多角的な情報分析が必要になるんじゃないか。ええっと、つまり僕が言いたいのは、シナリオ作成自体をチームで行うべきだってこと」
沙耶香がはらはらした顔で見る。僕はルルに提案した。この一週間で僕が達した結論だ。
「考えがあるみたいだね。具体的には?」
「シナリオの前提となる情報収集と分析段階の役割分担だ。古典的なインテリジェンスの分類が役に立つと思う」
僕は手に取った現実のノートを開く。半透明のノートが視界に現れる。それを手に立ち上がった。会議室の左側には、おそらく部屋に最初から存在したであろう黒板がある。
「諜報には情報源に応じて三つの種類があるんだ」
・SIGINT:秘密通信の傍受
・OSINT:公開情報の調査
・HUMINT:人間を通じた情報収集
粉っぽい質感まで感じられるチョークを動かして三つの単語を書く。
『SIGINT』は通信・諜報の略だ。暗号化された情報通信を傍受して内容を獲得する。分かりやすい言葉で言えば盗聴だ。
「ボクがインビジブル・アイズに対してやっていることだね」
「そういうこと。ルルのDeeplayerへのアクセスは強力なSIGINTだ。次のOSINTだけど、これはある意味SIGINTの対照だ。表、コグニトームの情報を対象にする」
『OSINT』は公開情報・インテリジェンスの略だ。経済統計、地図、各種の公開データベース。文字通り誰でも見ることが出来る情報をソースにする。ただし、誰でも見ることが出来るといっても扱いは簡単ではない、膨大かつ多様な情報の砂漠から、目的の情報を絞り込み分析するためには高度な専門知識が必要となる。
「例えばセッション1の蛍光タンパクのデータベースや学会の要旨集も公開情報だ。誰でも見ることが出来るけど、素人には何が書いてあるのかもわからない」
「つまり、私の役目ということですね」
沙耶香に頷く。彼女には専門知識のアドバイザー以上であってもらう必要がある。シンジケートとの情報戦は高度な科学技術のそれなのだ。
「となると最後のHUMINTがヤスユキだね」
「そう僕と、そして僕のキャラクターの仕事だ。HUMINTは人間の頭の中にある情報を扱う。昔の刑事の聞き込みみたいなイメージだ」
古臭く見える手法だが、情報というものは最終的に人間の脳が判断する。その人の脳の中にどんな形で情報があるかはある意味最重要だ。その為には人間関係が重要。ちなみに今回の件では、沙耶香が古城舞奈から得た情報はHUMINTの一種だ。
もちろん、IDと姿を偽装できる僕の“キャラクター”の役割になる。
「この三種類の情報収集と分析をシナリオ前に有機的に組み合わせる。例えばルルがインビジブル・アイズから秘密情報を引き出せることは強力なSIGINTだけど、もしもそれだけで全ての情報を獲得しようとしたらどうなる?」
「かなり無理をする事になるね。ボクがシンジケートに露見する可能性が高まるだろう」
「そう。同じことはHUMINTにも当てはまる。どれだけIDを偽装できても僕自身が捕まれば終わりだ。一方、OSINTは誰でも見ることのできる情報を対象にするからその危険性は少ない。ただし、シンジケート相手には筒抜けの上に、ニューロトリオン関連は検知される可能性があるんだよな。だから、ルルのSIGINTの逆用での隠蔽と組み合わせる必要がある」
僕はSIGINT、OSINT、HUMINTの間を矢印でループさせる。
「三つの視点で目標を立体的にとらえる。これが僕たちの情報戦の形であるべきだ。シナリオ開始前にこの部屋でそこまでやるべきだと思う」
今思えばセッション1ではこの三つが上手くかみ合っていた。でも、それは半ば偶然だ。次からはシナリオ中ではなくシナリオ前から意識的にこの分担を機能させるべきというのが僕のこの数日間の準備の結論。『ルールブック』に導入したい追加要素だ。
事前準備は最大限にというのが本来の密偵のプレイスタイルだ。それがあればこそキャラクターとして運命に身を委ねられる。
「三つのインテリジェンス。いわばTrINTチームを組むんだ。それが機能するまでは本格的に動くべきじゃない」
「君の言ってることは理にかなっていると認めざるを得ないね。ボク達は情報を多角的に、立体として扱うべきだね」
「シンジケートの狙いが脳や寿命などの生物学的対象なら、私も役に立てると思います」
「じゃあこういう【ルール】はどうかな」
――シナリオ開始は三人の同意を必要とする。ただし例外として三人の誰かが直接の危険にさらされた状態を除く――
ホログラム上に表示されたルールブックに『脚本会議』の項目が付け加わり、文章が記された。なるほど、これなら僕達が情報秘匿という意味で一蓮托生であること。そして、SIGINT、OSINT、HUMINTの三つの視点から検討されたシナリオだけが開始されることになる。
「じゃあ改めてこのルールの下で脚本会議をしたい。サヤカとヤスユキそれぞれの観点から意見を出してほしい」
僕と沙耶香が頷くとルルは言った。TrINTといっても言うは易しだ。試運転は必要なのは間違いない。拒否権があるから問題はないだろうと考えた僕は、改めて情報を見る。
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ターゲットID:MS-g-4209
カテゴリ:研究資料323578に基づいた新たなモデル選別の為、指定個体の生体サンプル採取。
レイティング:コモン
サンプル送信コード:DL-2b34a68e
補足:報酬は採取サンプル数に基づき支払われる。指定個体のIDはプロジェクト完了まで随時参加するモデルに送信される。サンプルは指定のドローン、あるいは無人車両で回収後、拠点に集積、分析する。
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現時点でわかっていることは、『財団』がモデル候補を選別するために百人以上の女子高生のサンプルを集めていること。その中の一人に古城舞奈がいることだ。
「沙耶香の関係者である古城舞奈に関わるということ自体がリスクだ。財団はほんの一週間前に沙耶香に目を付けていた。古城舞奈を通じてもう一度沙耶香が登場したら、偶然と思うはずがない」
せっかく情報の海に沈めた沙耶香がまた浮上する。葛城早馬という要素もある。うがった見方をすれば、古城舞奈は沙耶香をつり出すために狙われた可能性もある。もう一つはその逆だ。
「実際にサンプルを取られたのは百人以上。今のところ誰も攫われていないってことは、選別の失敗の可能性があるんじゃないのか? つまり、古城舞奈に関しては藪蛇になる可能性まである」
一度だけとはいえ喋ったことがある年下の女の子が危ないというのは気になりはする。だが感情で動いては密偵失格。前回は高峰沙耶香が狙われるのは確定していて、しかも原因は僕とルルにあった。今回は違う。
「現在も対象を増やしているみたいだし、その可能性はあるね。生体情報からモデル候補を選別するのは簡単じゃない。これまでの対象に当たりがなかった可能性は十分あるだろうね」
「つまり放っておいたら古城舞奈は候補から外れたのに、僕たちが動くことで逆に注目される可能性がある。今回はスルーが妥当だと思う」
「なるほど。ヤスユキの考えは分かった。次はサヤカの意見を聞きたい」
ルルは一度頷くと、沙耶香を見た。沙耶香は少し考えた後「生体サンプルとは具体的には何なのでしょうか?」と言った。




