3話 デートⅢ 予兆と余韻
突然席を立った古城舞奈は数分して戻ってきた、だが明らかに顔色が冴えない。
「何かあったんですか」
「うん。楓を覚えてる」
「森田楓さんですよね。確か陸上部の副部長だった」
「今は部長だけどね。……陸上部の練習中に部員が体調不良で倒れたの。今月だけで二度目。他の部活を合わせると十人以上かな。それも女子部員ばかり。……それに最近高校の周りに不審な車がいて、なぜかその車と同じタイミングで倒れる部員が出るの」
「えっ、それは心配ですね」
「今どき不審な車、それは大事件じゃないか」
「そうなんですけど。ただ、事情が単純じゃなくて」
桜嶺はビルタイプの校舎で運動施設は地下と屋上にある。運動部は近くの運動公園を利用する他、ランニングなどで道路を使うことも多い。それ自体は珍しくない。同じく東京の高校に入学した従妹もそんなことを言っていた。
ただ、体調不良で倒れる生徒の発生は、この校外での練習中に頻発しているというのだ。
運動公園との往復中やランニング中に突然立ち眩みを覚えて数分間意識を失う。この半月で十人以上だという。ペース配分の失敗などで不調を起こすことはないわけではない。ただ、その頻度はせいぜい月に一人いるかいないか。半月で十人はさすがに多いという。
しかも、おかしなバンが去っていくのを周囲の部員が見たケースがバスケットボールとテニス部で二度あった。そして、今回陸上部で同じようなことが起こったのだ。
ちなみに舞奈自身は特定の部活動に所属していないが、身体能力の高さとセンスで色々な部活の助っ人をする。結果として、複数の部活動の部員の話から同じ車であると気が付いたようだ。
ただ、本人たちにその時の記憶がなく。ケガなども足を着いた時に尖った小石に当たったらしき掠り傷程度。何より彼女たちのほとんどが装着するスポーツ用端末には、数分間道路上に止まっていただけと記録がある。そして、それは警察の調べた行動痕跡と一致したのだ。
しかも肝心の車は運動公園の整備業者の自動運転車だと解り、経路にも不自然さはなかった。結果として運動中の立ち眩みと判断され、事件にはなっていない。
「体調不良だったらウエアラブル端末の心拍とか体温に兆候が出ませんか?」
「それが全然ないの。警察の人もパトロール用のドローンで重点的に警戒はしてくれるって話だったんだけど。今回はたまたまそのスケジュールの空きの時だったみたい」
「全員女子ということは、月単位のバイオリズムとの関係があるとか?」
「月単位のバイオリズム……。あ、ああ違う、違う」
「そうなんですか。やっぱりおかしいですね」
「……気味が悪い話ではあるな」
沙耶香がちらっとこちらを見る。僕は控えめに同意した。話がセンシティブな方向に行ったからだけではない。
行動履歴が残る現在その手の事件はほぼ皆無だ。都心の公道や公園なんて夕方どころか夜でも無理だ。例外があるとしたら“あの組織”が絡んでいる場合。だが、あの組織の仕業なら手際が乱暴すぎるように思える。
「そうだ、学校にもどらないと。私が強引に誘ったのにごめんね」
「ううん。私達もそろそろ出ないといけないから」
沙耶香がもう一度こちらを見る。首を振る。こっちはまだ前のセッションの後始末中だ。偶然の可能性の方がずっと高い。いや、万が一あの組織が絡んでいてもこちらから手を出す理由はない。
「灰谷さんだったよね。あなたにもいろいろ失礼なこと言ってごめんなさい」
「あ、いや、そうだな。こういう店を取材するっていうのもなかなか新鮮な体験だったよ」
小さく頭を下げた舞奈にそう言うと、彼女はじっとこちらを見る。
「うーん、また雰囲気が戻ってるというか……。温いと鋭いがどうしてこんなに切り替わるんだろ。っと、時間がないんだった。高峰さん、今度またしっかり聞かせてね。あなたと彼の恋バナ」
JKは最後にそう言うと店を出て行った。いいと言ったのにココアの分まで支払っていった。おかしなところで律儀だ。まあ、そこら辺が頼られる人柄ということなのかもしれない。
「どうにも勘の鋭い子みたいだな」
「そうなんです。でも、いろいろと失礼なことを」
「いや、君のことを心配してのことみたいだから……っとちょっと待って。RMからまた来た。ええっと、ああやっぱり採点だ」
点数は61/100。大分ましになったがクリアまではかなり足りない。あと三十分もないぞ。このIDは次の取材のためにバスで移動ということになっている。その取材先が“僕”の現住所のある街というからくりなのだ。
僕たちは店を出てバス停に向かった。モールを出るといつの間にか夕方になっている。バス到着まで、あと五分程度。
「どうすればいいんでしょうか」
「困ったな。さっきの二つのイベントよりも恋人っぽくか……」
夕暮れのバス停、周囲を行きかう人の中で別れを惜しむ男女という感じのシーン説明か。シチュエーションだけならそれっぽいな。次のデートの約束でもするのが妥当なロールプレイだろうか。だが、そのロールプレイで合格点が出るとは思えない。
「この二日間色々ありました。初めてのことばかりで大変でしたけど」
「あ、ああそうだな、確かに」
『アイデア』に失敗したタイミングで、沙耶香が口を開いた。サイバー兵士に命を狙われる経験なんてそうそうあったらダメだし、大変はまだ終わってない。そう思って彼女を見ると、夕日に照らされた美女は小さくほほ笑んだ。
「実はさっきみたいに恋愛絡みでからかわれるとか、ちょっと憧れてたんです。だから今日は楽しかったです」
「不謹慎ですね」と沙耶香は笑う。ボロボロのエスコートに寛大な評価は助かる。だが、残念ながら今必要なのは彼女の評価ではなくRMのそれだ。
「結局ずっとあなたに任せっぱなしでした。だから最後は私が頑張らないとって思うんです。ダメですか?」
「いや、もちろんいいけど」
彼女が『アイデア』を思いついたのなら有難い。パーティーとソロではロールの成功率が全然違う。全員初期値でも一人くらい成功したりする。
「最初に確認何ですけど。ええっと…………昨夜のこと嫌でしたか」
「昨夜のこと?」
「そのホテルでの、私との…………です」
頬を染めて唇に手をやった沙耶香に意味を悟る。
「いやまさか。あれに関しては感謝しかないよ」
「そういうのではなくて、感覚的にとか生理的にとか、そういうお話です」
当たり前だが答えは同じだ。実際に行為が行われていた時、僕は悪夢の中だったが、正体が目の前の女の子との唇の絡み合いだったと解れば、現金なもので記憶はそれをラッキーなイベントだと改変してしまう。彼女にとってあくまで介護的な事だったとはいえ、こんなきれいな子がそこまでしてくれたと言うことも含め、男として光栄だと感じてしまうのは仕方がないのだ。
「本当ですね」
「ああ。本当だけど」
念を押されて僕は頷いた。沙耶香は「そ、それじゃあ」と一歩僕に近づく。耳に掛った髪の毛を手ですく。そして僕の前で目をつぶって少しだけ顎を上げた。銀のイヤーカフが夕日を反射して光る。それはさっき決めた合図だと気が付いた。
つまりこの姿勢が意味することは、恋人役にふさわしい行為を受け入れるということ。
思わずつばを飲み込んだ。夕日を背景に18歳の綺麗な女の子がキス待ちの姿勢。思わず吸い込まれそうになるほどドラマチックな姿だ。なんでこの子はここぞという時に必要以上のロールプレイを繰り出すんだ。
普通に考えればためらうことはない。昨夜はこれとは比べ物にならないほど濃厚な接触をした。大げさに言えば命がかかっている。それに昨日からの苦労を考えればこれくらい『役得』じゃないか。
それが頭に冷水を浴びせた。その役割になり切るのがロールプレイ、なら“役で得をする”なんてことがあっていいはずがない。
それに同じ行為に見えても、昨夜のは彼女が僕を助けようとした真摯な行為だ。恋人役を完遂するなら、彼女を本当に大事にする選択をする。つまり、もっといいロールプレイで返さなくてはいけないはずだ。
彼女の背中に手を回すと、少しだけ引き寄せる。「昨夜のことはいやじゃなかった。むしろラッキーだったと思ってる。不謹慎だけどね。だけどこれは駄目だと思うんだ」耳元に告げると少女の体が硬直した。もちろん、決死のロールプレイをスルーするつもりはない。真っ赤になった耳に「だってそうだろ」と続ける。
「昨夜僕を助けてくれた君の唇をこんな風に安売りさせるわけにはいかないからね」
背中に回された彼女の手に小さく力が入った。背後でバスが停留所に入ってきた。彼女の背中から手を離す。顔を離す瞬間、頬に僅かに湿った感触が一瞬だけ触れた。
抱擁が解かれる。周囲の視線が集中しているのに気が付いた。沙耶香が頬を赤くする。無理もない、ヒロイン役だけならドラマ顔負けだからな。
バスに乗り込む。手を振る高峰沙耶香の姿が見えなくなったところで座席に沈んだ。テックグラスに届いた採点は81/100。なんとか合格か。女優役の魅力に寄るところ大だろう。最後のあれは超高レベルの『魅了効果』だった。抵抗できたのが今でも信じられない。
いや、完全にレジスト出来てないか。自分の頬に手を触れる。あれはあくまで偽装。大学生同士の行為としては大人しい部類だろうに。不意打ちでクリティカル確率が上がっていたか。
やがて行きと同じ場所でIDが元に戻った。二日ぶりの自分を噛みしめる。本当に大変だったと思う。現実での冒険は二度と勘弁して欲しいというのが感想だ。
ただ、最後の小さなご褒美で、自分でも意外に思うほどの達成感を得ているのが少々不本意である。
2022年4月2日:
次の投稿は4月5日です。




