2話 デートⅡ 恋人判定 (3/3)
「一般論としてそうだろう。だが、沙耶香も大学生だ」
僕が選んだのは多少強引でも乗り切ることだった。さっきの採点もわからないし、時間が惜しいのだ。高峰沙耶香は18歳であり高校生でもない。仮に僕達がホテルから出てきても合法だ。
「それはっ……。大学生といってもまだ18歳になったばかり。友人として心配するのはおかしい?」
一瞬怯んだ舞奈だが、すぐに正面から俺を睨んだ。表情から小悪魔めいた笑みは消えている。よく見るとテーブルの下で組んでいた足は解かれ、右手がぎゅっとスカートを掴んでいる。
もしかしてさっきまでの生意気な態度は虚勢だった? 友人を誑かす大人の男から守るために、無理をしていた。そうだとしたら、孤立しそうな沙耶香を助けたという過去の舞奈のキャラクターと重なる。
沙耶香は確かに優秀で綺麗な割にお人好しなところがある。そんな彼女が大学に入るや男から宝飾品をプレゼントされて浮かれている。しかも相手は明らかに釣り合わない。
つまりさっきまでの彼女は友人を守ろうとした演技。まいったな、そうなると正論で押さえつけようとした僕は下の下、ありていに言えば大人げない。
「あの古城さん、彼は――」
「いや、友人なら心配してもおかしくない。そうだな、どうすれば認めてもらえるか古城さんの考えを聞かせてほしい」
沙耶香を止めると古城舞奈に向き合った。この子が恋人役にとって大事な友人であるという前提でちゃんと向き合う。それが杞憂で誤解だとしても。それがいま僕に課された役目だ。
「高峰さんは好きな男の人のタイプが「理知的な人」と言ってました。あなたはジャーナリストなんですよね。じゃあ、このパティスリーをどう記事にしますか?」
舞奈は目の前に置いたメニューをこちらに突き付ける。
「古城さん。彼は……企業の取材が専門だから」
「パティスリーも企業の一つでしょう。さあ、高峰さんに相応しい能力を証明してみてください」
彼女なりのテストというわけだ。女性向けの、それも採点者のよく知る店という条件は難問である。だが、対象が何であれ情報の収集と分析は密偵の本分だ。
受けて立とう。“俺”は意識を切り替えると店内を見渡した。
改めて見るとこの店、単に上品で高級感があるというだけでなく、控えめだが明確な特徴があることに気が付く。シックな黒褐色の壁や床、クリーム色の無地の食器。相反する色がそれでいて調和している。チェーン店の大勢に分かりやすく開かれた世界とは違う独特の個性。
この“個性”がこの舞台の中核だ。となると、それを生み出している中心は…………。
店内の中央の壁に飾られた額に自然に目が行った。焦点を合わせるとオランダ語が日本語に翻訳される。ビンゴだ。この世界を形作る中核は分かった。メニューを開き、それらしいものがないか探す。
「どうしました、やっぱり難しいですか?」
「いや、今決まったよ」
注文を送信した。“店員”が小さめのマグカップを三つ持ってきた。テーブルに濃い茶褐色の液体が三つ並ぶ。その横に生クリームのポットが添えられた。
カップを取り一口含む。焼いた“豆”のビターな香りが鼻に抜ける。うん、予想通り上質だ。
「何も入れずにそのままで飲んでみて。一口だけでいい」
二人に促す。二人の女の子はカップを口に含んだ。そしてほぼ同時に口元にしわを寄せた。
「これが何ですか?」
苦味で口元をゆがめた舞奈が言う。
「パティスリーというのはフランスやベルギーでは専門資格を持たないと名乗れない。実際、ここのオーナーはベルギーで修業をして資格を取っている」
壁に掛ったオランダ語の認定書を指さす。
「ベルギーには世界的に有名なチョコレートのブランドがいくつもある。この店のメニューも明らかにチョコレートを柱にしているだろ」
ちなみに、沙耶香のレアチーズケーキは黒いチョコレートでマーブルになっている、苺タルトの土台は黒いチョコレート入りだ。
「……それで?」
「チョコレートもココアも主原料はカカオ豆を加工して作られるカカオマスだ。だが、チョコレートがカカオマスに脂肪分を添加するのに対して、ココアはむしろ余分な脂肪をとり除く。ちなみにこの脂肪分をカカオバターと言うが、これはほぼ無味無臭だ」
舞奈の表情は変わらず厳しい。ここまでは検索一つで眼球に投影される情報にすぎない。情報をどう組み合わせてどう解釈するか。それこそが情報分析の本質だ。
「つまり、カカオの味と香りのベースを最も純粋に味わえるのはココアなんだ。このハイカカオココアは「この店は一流の原料を使っている」というパティスリーのプライドなんだよ」
俺はもう一度カップに口を付ける。コーヒーとは趣が違うが、濃厚で深い香りと苦味を感じられる。
「さて、改めて君たちのお菓子を食べてみて欲しい。印象が変わるはずだ」
沙耶香がフォークを取り、遅れて舞奈が自分の前のスイーツに手を伸ばす。そして二人は同時にはっとした顔になった。
「チョコレートの中にある深い味がよくわかります。味覚記憶が更新されたみたい」
「…………」
「甘い物が好みじゃない僕が菓子について直接語ってもインパクトも説得力もない。だが、このビターな味わいを切り口にすればどうだろう。女性読者にも訴える記事になるはずだ」
たった一つ鍵となる情報が、この世界の全てのメニューを一新する。無言のままフォークを掴んでいる舞奈に答えを提示する。じっとタルトの苺を見ていた舞奈が顔を上げた。
「今の一瞬でその筋書きを作ったんですか?」
「まあ、そういうことになる。これでもプロだからね」
「これ何度も食べてるのに、確かに新鮮に感じました」
JKは少し悔しそうにそういってから友人に視線を移す。
「確かに鋭いところはあるみたい。なんか仕事の話になると突然堂々とした態度になるし。高峰さんが惹かれたのはそういうところだったりするの?」
「そ、そうなの。彼とお話していると色々新鮮だし、楽しいの」
堂々としてるのは、そういうキャラだからだけどな。まあ、それで納得してくれるなら。残りのココアに口を付けながら、そんなことを考えていると。
「なるほど……。でも恋人同士ってことはお話してるだけじゃないよね。そうだ、二人はどこまで進んでるんですか。あっ、愚問でしたね。大学生と大人の男の人なんだから行くところまで行っちゃってますよね」
「ごほっ!?」
「えっ、あの古城さん、それは…………」
あからさますぎる言葉に僕はココアを喉に詰まらせ、沙耶香が一瞬でゆで上がった。
「うーん、この反応は……。もしかして案外大切にしてます?」
「当たり前だ。大事なパートナーだからな」
「うーん、ホントみたいに見えるなあ。でも、それはそれで日和ってるって可能性も。さっきまで堂々としてたのがどっか行ってるし……」
女子高生は意味ありげな視線を向けてくる。机の下ではさっき下ろしていた足がもう一度組み上がっていた。生意気な態度がすっかり復活だ。ただ、さっきと違うのは嫌味がない。なるほど、これが本来のこの子の姿なのかもしれないな。
だが、こっちは本来とは別の姿の限界だ。一応納得してくれたみたいだし、そろそろ切り上げてもらおう、そう思った時だった。
舞奈が突然「すいません」というと立ち上がった。そして店員に断ると、店の外まで出る。窓から耳にイヤホンを付けて何か話しているのが見える。わざわざ通話とはよほど大事な用件だろうか?
2022年3月30日:
次の投稿は4月2日です。




