1話 デートⅠ 恋人同士の会話とは? (1/2)
渋谷駅の近く、人通りの多い交差点の横にある三角形の小さな緑地。待ち合わせ五分前にホテルから到着した僕は鏡に自分の顔を映しながら、IDを確認する。『灰谷康』という名前と見たことのないIDは新しくカバーで設定した物。職業はフリージャーナリストで黒崎亨と同じだが、年齢設定は実年齢とほぼ同じ21歳。
髪の毛を上げているが、顔(表情筋)は弄っていないので僕の認識する僕だ。『灰谷康』が『黒崎亨』と『白野康之』を結ぶ役目だからだ。やりやすいと言えばやりやすいが、これから行われる任務を考えるとどうかな……。
あとは、軍資金の確認もか。ルルがこのIDに入れた金だ。何でも今回の経費を引いたのが、セッション1の僕の報酬だそうだ。財布を開こうとした時、交差点の向こうに遠目にも美人と分かる若い女性が立った。
「お待たせしました」
「いや、俺も今来た……」
横断歩道を渡り、小さく手を振って近づいてくる女性。定番の『セリフ』で応じようとした僕だが、その途中で見事に固まることになった。
「ええっと、おかしいでしょうか。私」
「…………とてもよく似合っているよ」
戦闘パートなら銃弾を二発は撃ち込まれた時間を経て、何とかそう答えた。
袖の短いブラウンのサマーニットとひざ丈のベージュのラップスカート。落ち着いた同系統の上下は、本来高校生の年齢を考えれば少し大人びた装いだ。だが、可愛いよりも綺麗よりの彼女にはとてもマッチしている。
服装だけ客観的に見れば“普通”に気合を入れた程度のデートルックかもしれないが、中身のステータスが最高なのでえらいことになっている。特に、学会でのスーツ姿で認識していた僕には、破壊力が高い。
「ありがとうございます。ええっと灰谷さんも……。やっぱり、髪の毛を上げた方がカッコいいですね」
フォローが刺さる。こちらはコンビニで買ったワンコインのワイシャツと、ホテルの設備で大急ぎで乾燥させたために裾がよれたスラックスだ。徹夜の取材明けのジャーナリストと言えばわかる。いっそ、無精ひげがあった方がそれらしいかもしれない。
道行く人が彼女の麗しさに目を止めた後、側にいる男との落差に一瞬ぎょっとするのが分かった。悪目立ちは任務的によろしくない。もちろん彼女は悪くない。わざわざ一度自宅に戻って、偽装工作に相応しい服装をしてきてくれたのだ。
ギリギリまで体調の回復を計っていたとはいえ、僕に非があるというしかない。スパイが美女《APP18》を連れていていいのは映画の中だとしても。
「それで、これからどうするのでしょうか?」
「あ、ああ」
圧倒的な戦力差があろうと、僕が主導しなければならない取り決めだ。帰りの高速バスは夕方六時発だ。今の時刻が午後一時すぎ。これから約五時間、この子の彼氏役なんて務まるのかという不安を振り払う……。
「とにかくは、まずは腹ごしらえをしよう」
近くにそびえる向かい合う三角のビルを指さした。『渋谷グランドバレー』というショッピングモールで、若者の街の復活を掲げた再開発の中心として作られた施設だ。
…………
十分後、ランチタイムの喧騒が一段落したという感じの午後一時ニ十分の店内に僕たちはいた。IDリングを上げると、緑と黄色にカラーリングされた円筒が近づいてくる。情報リンクで蟻の群れのように連携して働く群体ロボだ。
注文後、迅速に戻ってきたロボの頭のトレイを取り彼女の前に差し出す。エスコートを気取っても様にならない。辛うじてハンバーガーからサンドイッチに変えたが、ファーストフードに変わりはない。
ボックス席に向かい合って、無言でそれぞれのサンドイッチを食べる。彼女は蒸し鶏のマスタードソースで、こちらは牛肉のハンバーグだ。
言い訳すると、この店はこれから行う作業に合わせたチョイスだ。適度に人目に触れて、誰も他人を気にしないこの手の店が適しているという判断であり、決して思考停止ではない。
「じゃあ打ち合わせを始めよう」
「打ち合わせ? ですか」
沙耶香にそう言う。彼女は小首をかしげた。
「ああ、僕達がこれから“あのRoD”にどうかかわっていくか。何しろ互いに人生がかかっている」
「……そうでした」
はっとした表情になった沙耶香が、表情を真面目なものに改める。そう、デートとは仮の姿、本当の目的はこれだ。別にデートっぽい会話なんて出来ないからではない。僕たち二人を取り巻く状況がシリアスなのだ。
「これからの話はあくまで『RoD』という“ゲーム”を遊ぶための打ち合わせで、今の俺は灰谷康。昨日の俺のことは黒崎亨として話す」
「小学校の時、男の子たちがしていたごっこ遊びみたいですね」
真剣な顔で頷いた高峰沙耶香。ちなみにTRPGはごっこ遊びじゃなくて究極のごっこ遊びだ。
「まず確認だけど、高峰さんは今後RoDにNPC兼サブマスターとして参加するんだよね。『サブマスター』っていうのはどういうことだろうか」
NPCはわかる。要するにセッション1の『お助けNPC』としての彼女だ。この超高難易度ゲームの性質上、次のシナリオも専門用語に溢れる可能性は高い。専門家の存在はきわめて重要だ。
「私にRoDの『ルールブック』を使う資質はないそうですから、実際にシナリオ、が始まった時に処理の一部を担当するということです。具体的には“黒崎”さんとの連絡ですね」
なるほどTRPGのサブマスターだ。NPCを演じたり、戦闘などで処理の負荷が大きいときに分担したりする。特にRoDではRMであるルルはDeeplayer偽装やインビンシブル・アイズの監視など多忙で、セッション1ではシナリオ中ほとんど連絡が取れなかった。
高峰沙耶香が役割を分担すれば、ルルの能力もより発揮できる。オペレーター的NPCと捉えるのがいいのかもしれない。
うん、彼女には遠くでオペレーター役に徹してもらうのがいい。戦闘能力のない彼女が現場に出れば”俺”が戦闘パートをやる危険が跳ね上がる。誰か一人でも敵の手に落ちれば終わりなのだから。
「連絡はどうするの?」
「ルルさんと相談して【リンク】だけは出来るようにしたいです。限定的な機能になると思いますけど。あのスキルはキャラクターじゃなくてプレイヤーに属するそうなので」
諜報でいうところのSIGINT、HUMINT、OSINT的なチームだろうか。頭の良いのが二人で考えただけある。
「なるほど。サブマスターのことは分かった。正直言えば高峰さんの存在は心強い」
「よかったです。ルルさんと決めてしまったから」
高峰沙耶香はぱっと顔を輝かせた。だが、何しろ相手が相手だ、パーティーの戦力や運用が劇的に上がったとしても相手が邪神ではロストを引き延ばす効果しかない。それでも、藻掻けるだけ藻掻くしかないのだ。
「それにしても思い切ったね。まさかごっこ遊びに興味があるってわけでもないだろうに。いやRoDのシステムは高峰さんにとっては興味深いものと言えるか」
彼女は僕と違って輝かしい未来が約束されていた。“普通”の生活への未練の大きさが違うはずだ。
「そうですね。RoD……あの粒子はとても危険だと思います」
「んっ? ああ確かに、あんな武器をもった連中が秘密裏に動けるなんて危険極まりない……世界設定だ」
「それだけの話ではないんです。“あの粒子”は人間の脳を丸裸にできる可能性を秘めています」
彼女は声を潜めた。彼女は超優秀な専門家。僕には到底理解できないレベルでニューロトリオンを理解していてもおかしくない。実際、Voltの分子構造だけからニューロトリオン、生物学の世界ではブレインニュートリノだったか、にたどり着いたくらいだ。
その彼女がモデルではなくRoDシステムの根幹が危険だということは……。近くに来たロボが通り過ぎるのを待って確認する。
「もしかしてルルを疑ってる?」
「基本的にですがRoDのキャラクターシステムは比較的安全だと思います。あくまで自分自身の意識が主体にありますから」
「そうだよな」
さっき彼女はルルと【リンク】的な【サブマスタースキル】を開発すると言った。黒崎亨が使うプレイヤースキルほどではないにしても、自分の頭の中にスキルを導入するつもりなのだ。
「ルルさんの言っていることをすべて信じるとして。“敵”の設定が問題です。あの粒子は人間の脳をあるがままにリアルタイムに分析するツールです」
「あるがまま……リアルタイム……。バイオイメージングみたいな感じってことか?」
「まさにそうです。人間の脳、特に意識の解析が進まない理由はその観測の困難さにあります。脳の一つ一つの神経細胞は電流を流すか、流さないかの二つ。ここまではコンピュータ回路と脳は同じです。ですが、タワー全層を使っても人間のような意識は生み出せません」
「ええっと、要するにA.I.の質的限界の話かな」
「はい。それがあの粒子によって覆る可能性があります」
ヤバいな、とてもデートとは思えない話題になってきた。これ以上ゲーム設定の難易度が上がるっていうのか?
2022年3月18日:
次の投稿は3月21日(月)です。




