17話 戦闘パート(3/3)
【運動神経周波数向上】
運動神経は一本あたり百の筋繊維に繋がっている。だが、一つの運動神経が一度興奮することで収縮が入るのは支配下の半分以下だ。事故などの非常事態に神経が極度の興奮によりタガを外すと、常時には考えられない力を出すことが出来るのはこれが理由だ。
運動選手は訓練でその割合を高めることで力を出す。素人との差は単に筋肉量ではなく、稼働率でもあるのだ。このスキルはそれを強制的に生じさせる。ただし、訓練をしていない俺が単に重たいものを持ち上げる以上の複雑な作業、つまり走ることを実行するのは本来簡単ではない。
だが、【センスチューニング】とのコンボにより、強化された視覚と肉体が同期する。スローモーションだった視界が通常に戻ったようなものだ。総動員された脚の筋肉が俺の一歩を1.3倍に伸ばす。
突撃してくる俺に向けて弾丸が発射される。ソナーがパッシブに変わったためぼやけた光しか見えないが、弾丸はこれまで通り正確極まりない軌道で、獲物がいるべき場所を左右から挟み込むようにはじける。
俺の位置は向こうの予想よりも一メートル先にある。後方からの爆風に押されるように目の前の樹木の影に走り込んだ。やっと中間目標に到達、敵との距離は残り半分だ。
すぐに次が来る。停止していられるのはほんの少しの時間。近接信管付きの空中爆雷に沈められる潜水艦になる前に、ソナー/パッシブで敵の狙いを見極める。右か、左か。樹木越しに敵のスレーブコアの動きを追う。右に向かったタイミングを合わせ左に飛び出す。
視界が開けた瞬間、俺の目がとらえたのは銃口が俺の進行方向にぴったりと照準を合わせている像だった。スレーブコアから大きく弧を描く不可視のレーザーが樹木の反対がわから回り込んで俺の体を捕え、モデルの銃口はまっすぐこちらを向いている。
ゴーグルの下で敵の口元が僅かに吊り上がるのがはっきり見えた。単にレーザーサイトで俺をつり出しただけではない、予想外のはずの俺のスピードまで完全に補正している。
警戒が頭蓋骨を乱反射する。だが、脳は既に足に指令を発送済み。脊髄を秒速120メートルで疾駆する信号が足の筋肉を死地へと押し出そうとした瞬間、とっさに手を樹木に突き体を前に押す。
これまでとは比較にならない虹色の光を宿した弾丸がこちらに来る。とっさに両腕で顔をかばったのは単に本能による反射だっただろう。
最後のバリア/パッシブが期せずして前面に偏り、強力な弾丸と衝突する。体を守る装甲ははじけ飛び、虹色の衝撃が体に襲い掛かる。肌に幾重もの切り傷や火傷が走る。
バリアを抜けたのは僅かなダメージ。目も耳も無事だ。敵に肉薄するための身体条件は保たれている。
だが、俺の脚は止まった。痛みの実感に心臓がぎゅっと収縮、背筋が凍った。キャラクターシートに走った小さな亀裂から、覆われていた本来の僕が顔を出した。
ろくに喧嘩すらしたことがない大学一年生は恐怖で硬直する。口から悲鳴が漏れそうになる。敵の銃口が僕の眉間に向かうのだけが強化視覚で認識されるのに体が動かない。
間に合わない。バリア/パッシブは消失。視覚と筋力の強化により、バリア/アクティブを起動も出来ない。あるのは無力なプレイヤーだけ。
絶望の瞬間、頭上に光が瞬いた。俺に向かうはずの敵の銃口がV字を描き、上空に向かった。衝撃と共に煙を引いた何かが落ちてくる。それが割れたコンパクトだと認識した瞬間、頭にスイッチが入った。
後方から投げられた蓋を開けたコンパクトがライトアップを反射して敵の気を引いた。この場で今、それができる人間は一人だけだ。NPCが出来うる限りを尽くしてくれているのに、プレイヤーたる僕がゲームを放棄してどうする。
こみ上げる悲鳴を台詞に置き換える。
「この場面では逃げない。この“俺”はっ!!」
自分が生み出した架空の自分になり切る。その行動や技能のみならず、思考や感情も含めて。「ひどい欺瞞だな」というつぶやきがどちらかなんて今は無意味な区別だ。
自分など所詮は脳が作り出した幻に過ぎない。僕/俺をこの戦いに臨ませた本当の理由なんて本人にだって説明できない。
ただ自分が決めたという事実だけがあり、それに殉ずる。現実の自分には絶対にできないことをするのがTRPGの醍醐味なのだ。
意識がフル覚醒する。脳がフル回転する。筋肉にブレーキに掛けようとする恐怖をアクセルに踏みかえる。弾丸を叩きこもうとする敵に前傾姿勢のまま突っ込む。
敵が銃を構え直した。最も大きな光が敵の脳内に出現した。加速した弾丸が、強化された視覚すら認識できない速度と強さでこちらに来る。だが、俺はあと一歩を全力で蹴って、予定通りの地点に身を投じた。
バリアもない状態で間違いなく直撃。右の二の腕に焼けるような衝撃が走り、光弾がジャケットの袖を引きちぎった。衝撃で抉られた皮膚から血が噴き出す。だが、それだけだ。
俺が最後の一歩で飛び込んだのはさっきまでの攻防、正確に言えば敵の一方的な射線の集中点だ。何度も敵の射線が交わった地点。つまり、DPFが消費され薄くなっているポイントだ。弾丸に込められたアルゴリズムとやらがどれだけ強力でも、いや強力だからこそ燃料不足ではどうしようもない。
プラスティック弾もどきに止める脚はもうない。モデルは恐れおののくように背後の木にぶつかった。あと一歩で敵の頭に手が届く。そう思った時だった、モデルの体が突っ込んできた俺に弾かれるように、くるりと回転した。
一瞬で背後を取られた。何よりも注目すべき危険を見失った恐怖。だが、俺はその瞬間目をつぶった。外界からの光の情報をすべて遮断する。
闇に覆われた世界の中、背後の不可視の光が最短距離で俺の頭部に迫るのが見える。体をひねり時計回りに振り返る。正確に追随してきた銃口が俺の眉間を捕えた。
俺とモデルの視線がぶつかる。これが最後のカードの交換だ。相手が引き金を引くのと同時にストレージに溜めていたニューロトリオンをスキルに注ぎ込む。
【ソナー/アクティブ】
俺の脳からニューロトリオンが眼前の銃口に向かって放出される。
今まさにプログラムを打ち出そうとしていた銃身コアに高圧の異脳粒子が襲い掛かる。圧倒的に強い粒子が銃身内のDPを散乱させさせる。そしてニューロトリオンはそのまま逆流していく。
モデルの腕から頭へ、赤い光のラインを俺の紫のそれが塗り替えていく。その先は敵の脳内にあったDPCだ。
赤光の球体は、一瞬強い輝きを放ったかと思うと、その光をはじけさせた。
信じられないという顔で呆然と俺を見上げる男。必勝のはずのアクションに正確に対応できた理由は簡単だ。DPはあらゆる物質を突き抜ける。俺の網膜は前だけではなく、後ろからのそれも見える。脳のニューロトリオンによりぼやけていても、俺の脳を狙うことが予想されるゼロ距離のスレーブコアなら、頭蓋骨越しに網膜に捉えられるのだ。
あとは勝手に敵が照準を合わせてくれる。DPCはモデル自身のニューロトリオンからエネルギーを貰って動いている。脳という炉の中で働く蒸気機関だ。俺の最後の、そして唯一の攻撃はモデル自身の脳のニューロトリオンと俺が流し込んだニューロトリオンでDPCを挟み撃ちにすることだった。
相手がふらふらとよろけ、膝をつき、そして前のめりに崩れた。男の頭部に赤い光がないことを確認して、後ろを振り返る。
「いい『投擲』だった。あれが無ければ負けていたよ」
ゆっくりとこちらに近づいてくる高峰沙耶香。俺はボロボロのジャケットを脱ぎ、焦げ付いたワイシャツをまくり上げる。むき出しの傷ついた腕を伸ばして彼女の手を取る。
「走るぞ。ボート乗り場だ」
「は、はい」
高峰の手を引いて弁天堂と大黒天を繋ぐ通路を抜ける。反対側の橋に到達。背後の戦いが無かったように平穏なボート乗り場の光景が広がる。橋を渡り波止場に付く。池に向かってリングをかざすと、一艘のボートが自動操縦で近づいてくる。
先にボートに乗り込み、高峰沙耶香に手を伸ばす。彼女が身をかがめて足を踏み入れた時だった。
背後で不可視の赤光が光った。弁天島の端で頭を押さえたピアスの男がこちらに銃口を向けている。弱いレーザーが延び。俺の前にいる女の子の白いうなじに刺さる。
DPCは破壊した。DPFは抜けた。ただのプラスティック玉でどうする。そう思った瞬間、俺の目は銃口に小さく強いDP光を捕えた。とっさに腕を出して彼女の首を被った。腕に弾が当たる。予想通り指で弾かれた程度の衝撃しかない。
力を失った弾が肌を離れる瞬間、まるで口を開けた蛇のようなイメージが立ち上がった。チクリという感覚の後、弾丸は役目を終えたように粉末になり池の水に溶けていった。島のモデルも今度こそ力尽きたように倒れる。
「ど、どうしたんですか急に」
「いや……何でもないみたいだ」
腕を見る。出血どころか跡すらない。念のためソナーで見るが、かすかな赤い光の染みが消えて行くところだった。マーカーでもないということだ。
「とにかく安全地帯に向かう。ボートを出すから掴まって」
「わかりました」
周囲の幸せそうな男女の中を突っ切り、池の中央、Deeplayerの死角領域を突破する。対岸に着くとボートを乗り捨て、公園の出口へ向かう。ここに来るときに使ったレンタルサイクリングを茂みから引き出す。
あとはホテルまで数分だ。
高峰沙耶香の体重が背中に掛る。これは一種の役得かなんて考える自分に苦笑した。右手でグリップを掴んだ。その時、わずかな違和感を感じた。右手から広がるしびれだ。構わず走りだす。しびれが腕の上下に広がっていく。その中心はさっきの弾丸が触れた箇所、いやな予感が脳裏に広がる。 敵の監視を掻い潜れるのはほんのわずかな時間だけ、考えている余裕は今はない。
無理やりハンドルを握りしめ、両足の力で二人分の車輪を回転させる。
ホテルのフロントに到着した時、しびれは右足まで到達していた。右半身から滝のように汗が流れる。足を引きずってホテルのフロントに向かう。部屋の予約は二人に書き変えられている。安全地帯まであと少しだ。
だが、IDリングによる手続きは途中で中断された。フロントスタッフが心配そうな顔で俺に近づいてくる。汗だくの俺を見て心配そうに言う。
「ご気分がすぐれないのでしたら、お医者様をおよびできますが」
「ありがとう。でも、ああ、うん。そう、大丈夫だ。部屋に……薬を忘れてしまってね。それがあればおさまるんだ」
「しかし。条例でご病気のお客様は一度遠隔診断を受けていただくということになっておりまして」
靄のかかった頭でそれっぽい言い訳を生成する。だが、口の方が上手くついてこない。パンデミック以来、宿泊施設には厳密な義務がある。まずい、俺の予想通りなら今の俺の身体情報がコグニトームを通ったが最後、一発で特定される。
「あの、彼用に調剤された個人医薬が必要なんです。それが部屋にあって」
「なるほど。左様でございましたか。何かあればご連絡ください」
高峰沙耶香の説明にスタッフは納得した。さっきと言い良いロールプレイだ。
十二階でエレベーターを降りる。俺の脚はほとんど動かなくなった。高峰沙耶香の肩を借りてホテルの部屋に到達した。俺のリングでドアが開き秘密基地へとたどり着いた。
「すまないがベッドまで運んでくれ。言っておくけど下心とかないからな」
「そんなこと言ってる場合ですか。発汗も呼吸も絶対におかしいです。やっぱりお医者様を呼んだ方が」
「そうだな。俺の意識が無くなったらそうしてくれ」
寝かせようとする彼女を止めて体を無理やり起こす。俺の額に当てられた高峰沙耶香のハンカチがすぐに重くなる。
ギリギリの状況であることは一番よく分かっている。だからこそ俺の意識があるうちは最後まで役割を続けなければならない。
―Cogito ergo sum―
キャラクターシートを開く。ぼやける倍色の視界に鮮明な金髪のアバターが浮かび上がった。
「ルル。状況はどうなっている」
2022年2月18日:
次の投稿は日曜日で、セッション1の完結になります。




