14話 シナリオクリア?
窓からは都心が一望でき、視線を下げると広大な緑の公園が見える。公園の中、残光を反射する池の横にはさっきまでいた国際会議場ビルが夕闇に浮かんでいる。
手に持ったルームサービスのコーヒーを飲み込むと、俺は十一階の窓のカーテンを閉めた。
時刻午後18:28。ホテル『グランドガーデン』1208室。
間接照明が照らす暖色の室内は清潔で微かなシトラスの香りがする。ダブルベッドと横長の机を置いてなおゆったりとした一室は一泊十二万円を超えるだけのことはある。
今回の仕事、学会参加費や交通費と合わせて十五万円弱、いやさっきのコーヒーを含めると十六万円を超える費用が掛かっている。そのすべてを十六歳の少女に払わせているわけだが、当然感謝も罪悪感もない。必要な経費だ。さっき飲み干したコーヒーも含めて。
大体、この高級ホテルは別に俺をねぎらうために用意されたわけではない。都心ではきわめて珍しいDeeplayerの死角、秘密基地として選ばれただけだ。
俺は広いベッドの上にあおむけになった。カフェインを含んだ吐息を天井に向かって吐き出した後、キャラクターシートを開く。柔らかい光に照らされていた室内が一瞬にして色を失った。
殺風景な空中に、狐面をかぶった金髪のアバターが出現した。こうしてみると妖精のようだ、相変わらずの文句なしの美少女だ。一回目よりもはっきり見える。正気度の減少、あるいは某ウイルスの浸透率の進行を現しているようで、縁起でもない。
「じゃあセッションの報告を聞こう」
「モデルに関しては既にデータを送った通りだが追加がある。ブラウンの外国人らしい男で、背格好は……」
俺は太田に「より強いアーティファクト」について尋ねた男の特徴を説明した。
「なるほど。……データベースに該当するモデルがいる。最初の男が『財団』でこの男は『軍団』に雇われたモデルだね」
「コモンに二人もかかわるのは珍しいんじゃなかったのか?」
「比較的珍しい事態ね。どうやら二人目は今日日本についたばかりの様だ。そうでなければ把握できたかもしれない。まあ、収穫が増えたのはいいことだよ」
「気楽に言ってくれる。こっちは肝が冷えた。まあいい、もう一つのターゲットである遺伝子配列だ。ポスター発表の155番で発表された『Volt』という融合タンパク質の中央部、VSDとかいう遺伝子配列だ。IDはgID78998」
鼻腔に残る高級豆の香りで冷静さをつなぎ止め、事務的に結果を報告する。
「インヴィジブル・アイを確認する。……うん、間違いない。ちなみにニューロトリオンとの関係は?」
「推測だが、脳のニューロトリオンに反応して立体構造を変化させる。ニューロトリオン感受性ドメイン的な機能を持つ」
「なるほど。次世代DPCのパーツとしての要件を満たすね。まあ同程度の物は年に十個単位で見つかるから採用されるかはわからないけど。他には?」
「しいて言えばだが、インヴィジブル・アイズのこの案件に「FRET」というキーワ―ドが追加されているんじゃないか」
「…………確認できた。確かに一つキーワードが追加されていて『FRET』だ。お見事」
狐面越しにRMの驚きが伝わってくる。
「こっちからはここまでだ。それで、俺の情報は漏れていないだろうな」
「大丈夫。インヴィンシブル・アイズに黒崎亨《ID》の不審な情報は登録されていない。君はしがないフリージャーナリストのままだ」
「そこら辺は特に気を使ったからな。難易度調節をミスったRMでよくやったと思うよ」
「ああ、さすがボクが見込んだプレイヤーだ。完璧といっていい仕事だったよ。ただ、一つ質問良いかい?」
「どうぞ」
「最後のハプニングだ。君はターゲットの前に居て、周囲には二人の敵がいた。しかも、一人は誰かわからない。確かに逃げ出すのは不自然だったかもしれない。でも、君は逃げるどころか平然とNPCと研究の話を始めた。かなりリスクのある行動じゃないかい」
「『ロールプレイ』の応用だよ。相手になり切るって考えるんだ。こいつはどんな状況で、何を目的にしているかって具合にキャラクターシートを埋めていく。あの時、最初のモデルは155番の発表ではなくその周囲の人間を調べていた。つまり、あいつはターゲットについては必要な情報を取得していた。なら戻ってきたのは別派閥のモデルの存在を知ったからだと推測できる。つまり、あいつが注意を向けているのは基本的に【DPC】だ。一方、もう一人のモデルは今まさにターゲット研究を前にしている。つまり注意を向けているのは目の前の発表だ。俺は堂々とただの学会参加者、正確には取材に来た素人としてふるまった。ロールプレイも乱れないし、こういう行動は案外目立たないんだよ」
「本来の自分とは違うキャラクターになり切りながら、そのキャラクターとして他者のシミュレーションまでやってのけたと。あの短時間でよくもまあ」
取り立てて特別なことじゃない。他人の行動意図や思惑の推察なんて、人間ならだれでもやっていることだ。今回の場合は、警戒すべき人間の行動原理が分かってるんだから容易だ。
まあ、それができるのは自分の目的や動機がしっかり設定されているTRPGの時だけだけどな。現実でそんなことが出来たら苦労しない。それこそSEAMのMでも目指す。
「君のは完全に次元の呪いを飛び越えた環世界シミュレーションだと思うけどね。とにかく分かった。今回の君の仕事は完璧に近い」
その言葉にほっとする。いや、まだ気を抜くな。
「ということは本物のIDにもどれるんだよな」
「もちろん。矛盾ないデータの再接続の為にIDを戻すのは前と同じ、明日の高速道路中にしよう。この部屋はDeeplayerの死角になってるけど、帰りは全く引っかからないってわけにはいかないでしょ」
「…………そうだな、わかった。それでいい」
正直言うと今すぐもどりたいところだが、東京に白野康之がいきなり出現するのは確かにおかしいだろう。せっかくここまで『隠密』に成功したのに最後で台無しにしたくない。
「ではここからはプレイヤーとしての君に質問だ。今回のシナリオにテストプレイヤーとして意見はあるかな」
「率直に言ってこの仕事は三日必要だ。準備と事前の情報収集に一日、調査に一日、解決に一日」
間違いなくくそシナリオだ、という言葉を飲み込み黒崎亨として答える。
「確かに最適に近いお助けNPCがいたけど、今回の探索の難易度自体を考えると足りない。うまくいったのは奇跡と思ってくれ」
「なるほど。次のシナリオではそこら辺を調整しよう」
「是非そうして…………。待った。念のため聞くが、そのシナリオのプレイヤーは僕じゃないよな」
「もちろん君だけど。ボクとしては黒崎亨にはとても満足している。ああ勿論新しい名前《ID》は用意する」
「冗談じゃない。さっき言ったように上手くいったのは奇跡だ。次は必ず失敗する自信がある」
「今回の経験値でレベルアップもできる。何なら君に合わせて調整もしよう」
「いらない。大体次は『戦闘システム』のテストとか言い出すんだろ」
「シナリオ内容に関してはプレイヤーと協議の上決めたいと思ってる」
アバターは俺から目を反らした。戦闘システムのテストはテストではない。もし今回の調子でバランス調整されたら即死する自信しかない。
「でも、今回のテストシナリオで君はシンジケートの存在を確認できたはずだよ。対抗できる力が必要だということを理解できたんじゃないかい?」
「実際に見たからこそだよ。僕には到底手に負えない話だ」
今回は確かに思惑通りに事を運んだ。相手に発見されることなく、一方的に相手の情報を偵察。密偵としては完勝といっていい。だがそれは逆説的に言えば直接相対しなかったから生還できたともいえる。しかも最低ランクのモデル相手にだ。ターゲットである研究情報だってそうだ。あれでコモンとなると、次の探索は情報の絞り込みすらできないレベルになるのではないか。
何より、現実感が無かったルールブックの『世界設定』が実在することが分かった。さっきはロールプレイの応用なんてカッコつけたことを言ったが、僕には次に同じ状況で同じことが出来る自信など全くない。
正直に言えばシンジケートには逆らっても無駄だろうというのが実感だ。どうせ明確な目的もないんだ。なら、その時が来るまでせめて平穏に暮らす。それが凡人の分限なんじゃないか。
将来のあるかどうか不明の危険とほぼ必ず訪れる直近の死では交換条件にならない。僕は一般人だ。強大な世界の敵から逃げても、いや見ないふりをしたとしても非難されるいわれなどない。
「ふうん。でもそれにしては君はノリノリでプレイしていたように見えるけど」
「そ、そんなことはない」
一瞬心臓が跳ねた。
仮に、もし仮に今回の現実が本当にTRPGだったら、一生記憶に残るプレイだったかもしれない。スタンドから自分の思惑通りの場所に敵を見つけた時、ポスター前で謎と敵に挟まれた時、日常には存在しないスリルの中で脳がフル回転するあの感覚は………………って、何を考えている。まだ黒崎亨が抜けきっていないのか。あの時不敵に笑っていたのは本来の僕じゃない。
「レベルアップだけでも試してみないかい? キャラクターシートだけじゃない。ルールブック自体も今回のテストを踏まえて強化できるんだけど」
「それは…………いや、いらない。約束はこのテストシナリオ一本まで、キャンペーンなんて遠慮する」
「むう、確かにそういう約束だったね。困ったな。別のプレイヤーを探すしかないのか」
「そうしてくれ」
強く拒否する。ルルはやっと引き下がった。
「……そういえば高峰沙耶香は大丈夫だろうな。彼女の助言が無ければ解決は無理だったからな。そう、それと155の発表者の太田さん、だったかも含めておかしなことに気が付いていないよな」
念のため確認した。あの場にはもうモデルは現れなかったし、俺が二人から離れた時、彼女たちはあの配列のシンジケートにとっての“価値を無くす”相談しかしていなかった。そういう意味で俺にミスはないと判断するが、何しろ生物学の知識は不十分だ。
「NPCについてもちゃんとチェック済みだよ。発表者も自分の研究の価値には気が付いていない。……あれ、おかしいな」
「どうした?」
「たった今『ターゲットID:DPC-G-34214』の情報が更新されたんだ。ランクがレアに上昇している。それに新しくターゲットが追加されている」
「はっ? 何で終わった案件のレイティングが上がるんだ?」
ルルが送ってきたハンドアウトを開いた僕は絶句する。そこには新たなるターゲットとして『高峰沙耶香』の名前《ID》があった。
2022年2月6日:
次の投稿は火曜日です。




