第57話「初めてのパステル」
ヒューゴから黒い煤を貰った後、ヨナス商会へと向かった。
開店から数日が経ち、お店はすっかり村の新しい中心地として賑わっている。
「こんにちはー。ヨナスさんいますかー」
「おお、坊ちゃま!いらっしゃいませ!」
僕の姿を見つけると、帳場に座っていたヨナスさんが満面の笑みで駆け寄ってきた。
店の中にいた村人たちも、「あら、メルヴィン様」「こんにちは」と、にこやかに挨拶してくれる。
「ヨナスさん、お願いがあるんだ」
僕は単刀直入に用件を伝えた。
「青い石と、緑の石がほしいんだけど、手に入らないかな?」
「……へえ、坊ちゃま。また何か面白いことをお考えですな?青い石、アズライトですかい。それに、緑の石となりますとマラカイトですな」
「うん。絵を描くのに使うんだ」
「絵を!?はっはっは、坊ちゃま、そいつは面白い冗談だ!ただの石ころを砕いたって、色のついた粉になるだけ。風が吹けば飛んでっちまいますぜ?」
ヨナスさんが楽しそうに笑う。
でも、僕は真剣な顔で首を横に振った。
「ううん、違うよ。その粉にね色々混ぜて、それをこねて棒みたいに固めるの」
僕の説明を聞いたヨナスさんの顔から、さっきまでの陽気な笑みが、すうっと消えた。
その目は、ただの子供を見る目ではなかった。新しい商売の匂いを嗅ぎつけたプロの商人の目だ。
「……坊ちゃま。そいつは、まるで『色のついた木炭』みてえな代物ですかい?」
「うん、だいたいそんな感じ」
僕がこくりと頷いた、その瞬間。
ヨナスさんは、ポンと一つ、手を叩いた。
「なるほど、そいつは面白い!普通の人間は、そんなこと思いつきもしやせん!」
「分かりやした!このヨナスにお任せくだせえ!必ずや王都の貴婦人も驚くような、極上のアズライトとマラカイトを仕入れてご覧にいれましょう!」
ヨナスさんが、自信満々に胸を叩く。
でも、僕はその言葉にゆっくりと首を横に振った。
『ナビ、そんなにすごいやつじゃなくていいんだよね?』
《はい。宝石品質の鉱物は、顔料として使用するにはコストパフォーマンスが著しく低いです。色の濃さを優先すべきです》
「ヨナスさん、そんなに綺麗な石じゃなくていいんだよ」
「へ?」
「どうせ、砕いて粉にしちゃうから。だから、ピカピカじゃなくても色が濃い方がいいんだ」
「……な、なるほど!宝飾品としてではなく、あくまで『色の素』としてですかい!?」
彼は、ごくりと息を呑むと、次の瞬間、腹を抱えて大笑いした。
「はっはっは!さすがは坊ちゃまだ!それなら話が早え!装飾品にするような高い石じゃねえ、もっと色の濃い顔料向きの石を、あっしだけの特別なルートで安く仕入れてご覧にいれましょう!」
彼は商人の目でにやりと笑った。
「ですから、その『絵を描く棒』が完成したら、ぜひ、あっしの店で独占販売させてくだせえよ!」
ヨナスさんは、すっかり乗り気だった。
どうやら、僕のささやかな思いつきは、また一つ、この領地の新しい商品を生み出してしまうらしい。
『ナビ、これで材料は全部揃いそうだね』
《はい。製造に必要な全ての要素は確保されました。次のフェーズ、顔料の精製と結合材との混合に移行可能です》
僕は、ナビの頼もしい言葉に満足げに頷いた。
カラフルな絵が描けるようになるまで、あともう少しだ。
◇
僕が青い石と緑の石をヨナスさんに頼んでから数日が過ぎた。
彼からの返事はまだない。鉱山町は、ここからだと少し遠いらしい。
「まだかなあ、青い石……」
その日の午後、僕は自分の秘密基地である「お昼寝ハウス」の床に、色の土を広げながらぽつりと呟いた。
茶色、黄色、緑、黒、そして白。これだけでも十分綺麗だけど、やっぱり空を描くための青がないとなんだか物足りない。
『ナビ、ヨナスさん、まだかな?』
《はい。アズライトとマラカイトの到着には、最短でもあと一週間はかかる見込みです》
『一週間かあ……。僕そんなに待てないな。もう今日作りたい』
僕の子供らしい願い。
それにナビはいつも通り冷静に、そして完璧な答えを返してくれた。
《代替案を提案します。現在保有している顔料だけでもパステルの製造は可能です。まず試作品を完成させ製造プロセスを確立しておくのが合理的です》
『なるほど!よし、やろう!』
◇
僕は最高の協力者である、薬草係のメイド、リディアの研究室を訪れていた。
その手には昨日僕が一人で集めてきた、色とりどりの土や石が入った、いくつかの袋を抱えている。
「リディア、お願いがあるんだ。これを、もっとサラサラの粉にしてほしいんだけど手伝ってくれるかな?」
僕が袋の中身を見せると、リディアは驚いたように目を丸くした。
「まあ、メルヴィン様。これはまた珍しい土や石を。……これを粉に?いったい何にお使いになるのですか?」
リディアの当然の質問。
それに僕はにやりと笑って答えた。
「うん。お絵描きに使うんだ。色が沢山あったら、もっと楽しいでしょ?だから、この土で色のついた棒みたいなものを作るんだよ」
リディアは、その言葉の意味をすぐに理解したようだった。
彼女の目が専門家としての探究心でキラリと輝く。
「……なるほど。『顔料』作りですわね。まさか、このような身近な土から美しい色を取り出そうとなさるとは……。承知いたしました。このリディア坊ちゃまの発明のお手伝い謹んでお受けいたします。最高の粉にしてみせますわ」
彼女は、薬草をすり潰すための、石でできた乳鉢と乳棒を取り出す。
「この黄土は粒子が細かいので、このままでも使えそうですわね。ですが、こちらの赭土は一度、乳鉢で丁寧に砕く必要があります」
僕が何も言わなくても、それぞれの材料に最適な加工方法を、的確に判断していく。
ごりごり、という心地よい音と共に色のついた石や土が、どんどんきめ細かい粉に変わっていく。
◇
数時間後。
僕たちの目の前には、五色の美しい顔料の粉が並んでいた。
「まあ、綺麗……。まるで、お花の粉のようですわね」
リディアがうっとりと呟く。
次は、いよいよ、これを固める工程だ。
『ナビ、結合材はどうするんだっけ?』
《配合目安を提示します。顔料1に対し、白亜の粉を1から3の割合で混合してください。結合材としては、薄いアラビアゴム水が最適ですが……》
『アラビアゴム水?なに、それ?』
僕の素直な質問。
それにナビはいつも通り丁寧に答えてくれた。
《はい。特定の樹木から採れる樹液を乾燥させたもので、水に溶かすと強力な接着剤となります。しかし、その樹木は当領地には自生しておらず、王都などでも高価な輸入品です》
『そっか。じゃあ、ないんだ』
《はい。ですので、代替品として木の樹液を煮詰めて作った、粘性の低い糊を数滴ずつ加えてください。耳たぶ程度の硬さに調整するのが目標です》
僕はナビの指示をリディアに伝える。
彼女は僕の突飛なレシピに驚きながらも、楽しそうに作業を進めてくれた。
色の粉とチョークの粉を混ぜ、そこに特製の糊を少しずつ、少しずつ加えて粘土のようにこねていく。
「メルヴィン様、これくらいの硬さでよろしいでしょうか?」
「うん、完璧だよ、リディア!」
最後に、それを細長い棒の形に整えると乾燥棚へと並べていく。
「あとは、これを乾かすだけだね」
「はい。ですが、これだけの水分ですと、完全に乾くまでには数日は……」
「大丈夫」
僕は、にやりと笑うと乾燥棚にそっと手をかざした。
風の魔法と熱の魔法。その二つを組み合わせた僕だけの特別な乾燥魔法だ。
棚全体に温かくて、優しい風が吹き抜け、パステルはみるみるうちに、その水分を失っていく。
その光景にリディアは「まあ……!」と、またしても感嘆の息を漏らしていた。
◇
僕とリディアは、完成したばかりのパステルを手に村の広場へと急いだ。
広場ではルカたちが木炭で白黒の絵を描いている。
「みんな見て!」
僕が、そう言って一枚の紙の上に緑の草原と黄色い太陽を描いてみせると、その場にいた全員の動きが、ぴたりと止まった。
「うわー!」
「すごい!」
「なんだ、その棒は!?虹の色が出るのか!?」
ルカやリリィそして村の子供たちから、今日一番の大きな歓声が上がった。
僕は出来上がったばかりのパステルを、みんなに一本ずつ配ってあげた。
「粉の色を少しだけ糊で固めた描く棒だよ。折れやすいから優しく使ってね」
◇
その日の夕方、村の広場は子供たちが描いたカラフルな絵で溢れかえっていた。
地面も壁も、まるで虹色の絨毯のようだ。
「どうだ、俺の描いたドラゴンは!かっこいいだろ!」
「もう、ルカったら。一生懸命描いたのは分かるけど、そのドラゴン少し食べすぎじゃない?」
「なんだとー!」
いつの間にかイリ姉もその輪に混ざって、誰よりも夢中になって銀色の馬の絵を描いていた。
僕は、その賑やかで色鮮やかな光景を、少し離れたところから満足げに眺めている。
『ナビ、カラフルなのも悪くないね』
《はい。色彩の多様性は人間の創造性と幸福度を刺激します。また、このパステルは将来的に織物の染色技術や塗料の開発へと応用可能です》
ナビの、いつも通りの壮大な分析。
でも僕はそんな難しいことは考えていない。
ただ、みんなが楽しそうでよかったなと。
そう思うだけだった。




