第55話「ヨナス商会開店」
その日の朝、村の広場は、夜明け前から何やらそわそわとした空気に包まれていた。
広場の一角、以前は古びた空き家だった場所に、新しくて美しい木造のお店が完成していた。
その店先には、まだ布のかかった真新しい看板と、村の子供たちが作った可愛らしい花輪が飾られている。
開店の時間にはまだ早いが、村人たちは自然と店の前に集まり、小さな列を作り始めていた。
◇
「皆様、本日はお日柄も良く!」
開店の時刻。店の前に作られた小さな壇の上で、父様が朗らかに声を上げた。
僕たち家族は、来賓席からその様子を見守っている。
「本日、ここに我がフェリスウェル領で初めての御用商人、ヨナス殿の店が開店する運びとなった!」
父様の言葉に、村人たちから温かい拍手が送られる。
壇上のヨナスさんは、緊張でガチガチになりながらも、深々と頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!このご恩は一生忘れやせん!」
レオ兄様が合図をすると、ゴードンさんの息子が看板にかかっていた布をさっと外す。
現れたのは、『ヨナス商会:フェリスウェル御用達』という、誇らしげな文字だった。
◇
「さあ、どうぞ中へ!」
開店の号令と共に、村人たちがわっと店の中へと流れ込む。
その誰もが、まず驚きの声を上げた。
「おおっ!なんだこの内装は!?」
「木の香りが、すごくいいなあ……」
店の棚や梁、そして扉までもが、釘を一本も使わない、美しい木組みで仕上げられていた。
店の入り口では、大工のゴードンさんが、小さな模型を手に、得意げに解説している。
「へっへっへ。こいつぁ、メルヴィン坊ちゃまがお教えくださった、新しい技術でさあ!見てくだせえ、こうやって組むだけで、びくともしねえ頑丈な棚ができるんで!」
ゴードンさんが、模型を一度分解し、あっという間に再び組み立ててみせると、村人たちから「おおーっ!」という歓声が上がった。
僕は、沸き立つ村人たちの様子を眺めつつ、心の中でナビに呟いた。
『……ナビ、これなら大丈夫だね』
《はい。理想的な反応です》
◇
店の中は、どこを見ても心躍るものばかりだった。
正面の棚には、束ねられたフェリスハーブや、それを使った香草塩の小袋が並んでいる。
右の壁には、僕とリディアが作った石鹸と、新しい髪洗い(シャンプー)の香り見本が置かれていた。
さらに奥の棚には、王都から仕入れてきた蜂蜜酒や、鮮やかな染布、香り高い香辛料の瓶が整然と並んでいる。
村では見かけない珍しい品々に、客たちは思わず足を止め、目を輝かせていた。
奥のカウンターでは、ヨナスさんの奥さんが、少しだけ嬉しい悲鳴を上げていた。
「あなた!大変ですわ!開店してすぐなのに、棚に並べたトランプが、もう半分以上売れてしまいました!」
紙の生産は軌道に乗り始めているけれど、一枚一枚に絵を描くトランプは、まだそんなに数が作れないのだ。
◇
店の軒下には、小さなテーブルと椅子が二つ置かれていた。
そこは、新しい遊びトランプの体験コーナーだ。
「今日はここでトランプが遊べまーす。最初は七並べの遊び方を教えるね!」
ヨナスさんが雇った、若い店員さんが村の子供たちにルールを説明している。
「よーし、俺はルールおぼえたぜ!!早速やろう!!」
「もう、ルカはせっかち何だから。本当にルール覚えたの……?」
リリィが呆れたように、でも楽しそうにそっと釘を刺した。
僕は、そんな様子をしばらく眺めていたが一人分の席が空いたのを見て、すっとその輪に加わった。
◇
ゲームが中盤に差し掛かり、みんなが次のカードに集中していた、その時だった。
「よっしゃ、俺の番だな!これだ!」
ルカが、まだ自分の番でもないのに、興奮のあまり、手札から一枚、カードを場に叩きつけた。
その、あまりにも堂々としたフライング。
それに、一番に気づいたのは、やっぱりリリィだった。
「もう、ルカったら!まだメル様の番でしょ!」
「えっ!?そうだっけ!?」
周りの子供たちからも「あー、ルカ、またやったー!」「お手つきだぞー!」と楽しそうなヤジが飛ぶ。
僕も思わずくすりと笑ってしまった。
「ルカ、気が早いよ」
ルカは顔を真っ赤にして、慌ててカードを引っ込めた。
「ち、違うんだ!今のは練習で!」
そんな苦しい言い訳。
『ナビ、ルカすごく慌ててるね』
《はい。勝利への焦りが、基本的な手順の遵守を怠らせています。典型的なヒューマンエラーです》
◇
店の外が子供たちの歓声に包まれている一方で、店の中では。
「うおおおっ!革命だ!これで俺の番だな!」
「くっ……!まさか、このタイミングでジョーカーを出すとは……!」
村の男たちが、もう一つのテーブルを囲んで、大富豪に夢中になっていた。
街道整備を終えた職人さんや、畑仕事の合間にやってきた農夫さんたちだ。
「はっはっは!まさか、こんな面白い遊びがあったとはなあ!」
「ああ、こいつはいい!仕事の疲れが、すっと飛んでいくようだぜ!」
大人も子供も、誰もが新しい遊びに心を奪われている。
◇
七並べにすっかり夢中になった子供たちは今度は店の中にある、もう一つのテーブルへと移動した。
「次はババ抜きを教えるよ。この一枚だけ違う絵のカードこれが『ババ』だよ」
店員さんの説明に、子供たちの輪から、どっと笑いが起こる。
誰が最後までババを持っているのか。その単純で分かりやすいルールが、子供たちの心を完全に掴んだようだった。
◇
いつの間にか、体験卓の後ろには、順番を待つ子供たちの小さな列ができていた。
しかし、子供たちは興奮のあまり、「次は俺だ!」「私よ!」と、少しだけ揉め始めている。
その様子を見ていたイリ姉が、ふう、と一つ、お姉さんぶったため息をついた。
そして、おもむろにその輪の中へと歩み寄ると、パン、と軽く一度だけ、手を叩いた。
「はい、みんな。そんなに慌てなくても大丈夫よ」
イリ姉のよく通る声に、子供たちは動きを止め自然と耳を傾けた。
「これはメルが、みんなで楽しく遊べるように考えてくれたの。だから順番にやれば、みんなちゃんと楽しめるわ」
彼女はにっこり微笑みながら、一人一人を優しく見回す。
その柔らかい声に、子供たちは少し恥ずかしそうに顔を見合わせ、「「はーい!」」と元気に返事をした。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、そこにはきちんと整った列ができていた。
「……えっ、誰?」
思わず、僕はぽかんと口を開けてしまった。
隣のルカも、同じように目を丸くしている。
「な、なんだ今の……イリスだよな?」
「うん……でも、別人みたい。誰?」
ルカと僕が顔を見合わせて、半分笑いながらひそひそ声を交わす。
「うそでしょ。あのイリスが、あんな優しく仕切るなんて……」
リリィまで目を丸くして小声でつぶやいた。
その声がほんの少し聞こえていたのか、イリ姉は振り返って、ぷいと頬を膨らませる。
「ちょっと! 聞こえてるわよ!」
その仕草が真剣な顔とのギャップで、余計におかしくて――僕たちは思わず、くすくすと笑ってしまった。
◇
体験会が終わり、僕たちは軒下で一休みしていた。
ルカは、まだ悔しそうだ。
「次は絶対勝つからな、メル!」
「うん、また遊ぼう」
そんな僕のところに、イリ姉がやってきて、そっと僕の襟を直してくれた。
「ほら、帰るわよ」
その横顔は、少しだけ誇らしそうに見えた。
僕たちの後ろでは、ヨナス商会の賑わいが、いつまでも続いていた。




