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第46話「湯屋のきほん」

 温泉施設が完成した、次の日の朝。

 北の丘は、夜明け前から静かな熱気に包まれていた。


「よし、湯量は安定しているな。湯加減も丁度いい」

「おうよ、旦那様!床の滑り止めも、水はけも完璧だぜ!」


 まだ朝霧が立ち込める中、父様と大工のゴードンさんが、男湯と女湯、それぞれの露天風呂で最終的な安全点検を行っている。

 その間、湯屋の入り口では、メイド長のカトリーナが、今日からここで働くことになった村の女性たちに、きびきびと指示を飛ばしていた。


「いいですか、あなたたちは休憩所の担当です。湯上りのお客様に、少しでも気持ちよく過ごしていただけるよう、常に気を配りなさい」

「「はい、カトリーナ様!」」


 みんな、今日という日を心から楽しみにしていたのだろう。

 その顔は、緊張と、そして誇らしさで輝いていた。


(うん、活気があって、すごくいいね。でも、このままだと、すぐに人でごった返して、小さな揉め事とか、面倒なことが起きそうだ)


 僕は、そんな大人たちの様子を少し離れたところから眺めていた。

 面倒なことが起きると、父様やレオ兄様が忙しくなって、結局僕ののんびりした時間が減ってしまうかもしれない。


『ナビ。後で面倒なことになる前に、何か手を打っておきたいな』


《はい。現状の運営プランでは、人的リソースへの依存度が高く、ヒューマンエラーによる混乱の発生確率は85%と予測されます》


『やっぱり』


《メルの快適なスローライフ環境を維持するためには、個人の善意やその場の対応に頼るのではなく、誰がやっても同じ結果になる、明確な仕組みの導入が不可欠です》


『なるほどね。最初にちゃんとした仕組みを作っておけば、後で面倒なことにならなくて済むんだ』


 僕は、心の中で満足げに頷いた。


『うん、その方がみんなも困らないし、それが一番だね』



「さあ、開場の時間だ!」


 父様の声と共に、湯屋の入り口に、真新しい青いのれんと紅いのれんが並んで掛けられた。

 それを合図に、待ち構えていた村人たちが「うおおおっ!」と歓声を上げて、それぞれの湯屋へと向かっていく。


 受付は、男湯と女湯で、それぞれ別の帳場が設けられている。

 その帳場で、カトリーナがてきぱきと指示を出していた。


「はい、お一人様、木札を一枚どうぞ。お帰りの際に、こちらにお戻しくださいね」


 やってきた村人たちは、まず入り口で、番号が焼印された木札を受け取る。

 そして、脱衣所に向かう途中にある、たくさんの穴が開いた木の板。そこに自分の札と同じ番号の木の栓を、ことりと挿し込んでいく。


「へえ、面白い仕組みだねえ。これなら、今、中に何人いるか、一目で分かるや」


「本当だ。これなら、無駄に待たなくて済むな」


 村の年配の人たちも、その直感的な仕組みに、感心したように頷いていた。


『ナビ、うまくいきそうだね』


《はい。在室状況を可視化する管理システムは、正常に機能しています。待機列におけるストレスは、30%軽減されるでしょう》



 それぞれの湯屋の中も、僕のアイデアがいくつか採用されていた。

 男湯の方は、洗い場の腰掛けが少し高めに作られている。

 一方、女湯の方は、髪を結ぶための麻紐が入った籠や、湯上りに身だしなみを整えるための鏡板、そして休憩用のベンチが多めに設置されていた。


「まあ、髪留めまで用意してくださってるのね。助かるわ」


「本当ね。それに、この仕切りも、絶妙な高さで安心できるわね」


 女性陣の評判も、上々のようだ。

 壁には、僕がデザインした絵記号ピクトグラムを使った、大きな木の看板も掛けられている。

 文字が読めなくても、ぬるい湯からあつい湯へ、そして休憩所へと、矢印をたどれば自然に動線が分かるようになっていた。


(うん。見れば分かるが正義だ。文字はいらない)


 僕は、自分の作ったUIユーザーインターフェースの出来栄えに、一人で満足していた。



 もちろん、小さなトラブルは、いくつかあった。


「きゃっ!」


 お風呂上がりのメアリーが、濡れた床で足を滑らせて、派手に転びそうになる。

 それを、通りかかったソフィアが、ひょいと軽々と支えてあげていた。


「おっと、大丈夫かい、メアリー?」


「す、すみません、ソフィアさん……!」


 桶が洗い場に置きっぱなしになって、少しだけ混雑することもあった。

 それを見つけた僕は、すぐにゴードンさんに頼んで、桶の返却棚を、入口側から出口側へと移設してもらった。

 それだけで、桶の循環は劇的に改善された。


 そんな、ささやかな混乱と改善を繰り返しながら、湯屋の初日は、驚くほどスムーズに過ぎていった。

 一番人気だったのは、やっぱり、リディアが開発したカミツレの美肌薬湯だったらしい。女湯からは、一日中、きゃっきゃという楽しそうな声が聞こえてきていた。



 その日の夜。

 帳場では、カトリーナが新しく作った紙の台帳に、今日の売上を記録していた。

 その数字は、父様の予想を遥かに超えるものだったらしい。


「すごいな、カトリーナ。初日から、これほどの成果とは」


「はい、旦那様。これも全て、メルヴィン様が考えてくださった、仕組みのおかげでございます」


 カトリーナの言葉に、父様は満足げに頷いている。


『ナビ、初日としては、大成功だね』


《はい。ですが、課題も見えました。人の流れが、湯屋に集中しすぎています。次は、湯上がりの客をターゲットにした朝市を企画し、動線を分散させるのが合理的です》


 ナビの、どこまでも先を見据えた提案。

 でも、僕はもう、そんな難しいことは考えていなかった。


(よし、あとは、みんなが頑張ってくれるはず。僕は寝よう)


 僕は満足げに一つ頷くと、今日の分の仕事を終えた達成感に包まれて、深い眠りへと落ちていくのだった。

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― 新着の感想 ―
雨対策は帆に蜜蝋を塗り、雨の間、掛けるのが良いかなぁ。 温泉地からの雨天移動対策が必要ですね。温泉宿みたいに馬車送迎かな。 馬車のブレーキ機構を開発せねば
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